190手目 今月今夜のこの月を
《はーい、よい子のみんな、楽しいクイズの時間だよ》
陽気な声に、私たちはあたりをみまわした。
風切先輩だけは将棋を指しながら、
「おーい、だれだ、スマホでクイズ番組観てるやつは」
と注意した。
さすがに、だれもそんな無作法なマネはしていない。
ということは……ワンセグがなにかの拍子でオンになった?
でも、だれのスマホ?
私のだったら、すごく恥ずかしいんだけど。
《それでは、第1問、金色に輝く紅葉の葉といえば、どこでしょうか? 第2問はそこで発表されます。賞金100万円を賭けて、レッツ・チャレンジ!》
まただ。
そして、こんどこそ音源は判明した。
部屋のかたすみに固められたカバンから聞こえる。
風切先輩もそのことに気づいて、顔をあげた。
「おーい、だれだ、ワンセグ切っとけ」
ところが、だれも心当たりがないらしく、席を立たなかった。
それに、音声はまた聞こえなくなった。
妙だな、と思った。テレビ番組なら、すぐにナレーションが入るからだ。
《ちなみに、これは聖生からの挑戦状です。よろしく》
……………………
……………………
…………………
………………はい?
現場はパニックになった。
風切先輩は、
「だれのイタズラだッ!」
と言って、全員にカバンを開けるように指示した。
こら、女性陣のカバンをのぞかない。
女性陣は女性陣で開けることにする。
ちらちらちら……あやしい録音機とかは、ないわね。
私は確認を終えて、
「みんな、スマホしか持ってません。あ、大谷さんはスマホも持っていません」
と答えた。男性陣のほうも、同様だった。
だけど、音声が聞こえたのは事実だから、だれも納得しなかった。
三宅先輩も、
「だれか小型スピーカーを仕込まれてるんじゃないか?」
と、怖いことを言ってきた。
ちょっと待ってくださいな。私は反論する。
「聖生と接触したって言うんですか? そんな機会なかったですよ?」
だって、ここで合宿する途中、あやしい人物とすれちがったりは……ん?
私の脳裏に、おそろしい予感が走った。
今日会ったメンツと言えば……関東学生将棋界のメンバーだ。
三宅先輩と風切先輩は、深刻そうな顔をしていた。
もしかして、おなじことを考えてる?
だけど、ふたりともなにも言わない。言うとリアルになってしまうのを恐れているかのようだった。三宅先輩はいったん将棋を中断させ、緊急ミーティングに入った。
「最悪の事態になったが……風切、どうする?」
風切先輩は頭をかく。
ほんとうに悩ましげな顔をしていた。
「どうするって言われてもな……ここまでストーカーされるとは……」
三宅先輩は、風切先輩がしゃべり終わるまえに、
「無視するのが最善だと思う」
とコメントした。一理ある。
せっかくの楽しい合宿を邪魔されてはかなわない。
風切先輩もうなずいた。
「だな。しかも、さっきのナゾナゾみたいなのは、意味がわかんないしな」
ところが、ここで大谷さんが挙手した。
三宅先輩が指名する。
「拙僧、さきほどのなぞなぞの答えは察しがついています」
マ? この仏教系女子大生、強い。
三宅先輩も答えを訊いた。
「金色、つまり金色の、紅葉、つまり紅葉。尾崎紅葉の『金色夜叉』かと」
文学ネタだから、風切先輩と三宅先輩はよくわからないみたいだった。
さすがに国語の時間にやったのでは。
三宅先輩は、
「なるほど……単なる言葉遊びってことか。大したことなかったな」
と、あいまいなまとめに入ろうとした。
大谷さんがここで待ったをかける。
「いえ、ここからが問題です。紅葉が書いた『金色夜叉』で最も有名なセリフ、『来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる』は、この熱海が舞台なのです」
これには一同仰天した。
ララさんはオーマイガーと発声して、
「それって、ララたちが熱海にくることバレてるじゃーん」
と言った。
そ、そういうことになる。
不気味な空気が、室内にひろがった。
大谷さんは、さらにつづけた。
「拙僧、第2問が準備されている場所も、うっすら察しがつきます」
さすがにエスパー過ぎでは、と思いきや、これまた合理的な推理だった。
大谷さんの説明によれば、この小説を舞台にした銅像が、近くにあるらしい。
聖生は、そこへ行けと言っているのではないか、と。
風切先輩が腰をあげた。
「よし、俺が行く」
三宅先輩がとめた。
「待て……罠だったら、どうする?」
「さすがに今回のは捨てておけないだろ。今度こそとっ捕まえるぞ」
「……じゃあ、俺も行く」
「いや、三宅はここにいてくれ。部長と主将は分かれて行動しないと、なにかあったときに部員が困る。俺ひとりで行く」
それはダメでしょ。
風切先輩、いろいろひとりで背負いこみすぎだ。
私と松平が同時に席を立った。
「私も行きます」
「俺も行きます」
風切先輩は、女子はダメだと言った。
いやいやいや、風切先輩、元陸上部の私より、明らかに体力ないじゃないですか。
三宅先輩もおなじことを考えたらしく、
「さすがに集団で行ったほうがいい……あと、大谷も加わってくれないか?」
と頼んだ。大谷さんはこれを快諾したけど、風切先輩が反対した。
「女子を増やす必要はないだろ?」
「今のクイズを解いたのは大谷だ。第2問がどういうクイズかわからないから、大谷もいれておいたほうがいい。理工学、社会科学、人文科学でバランスがいいだろ」
なるほど、さすがに考えてますね、三宅先輩。
というわけで、私たちは研修センターを抜け出して、銅像へとむかった。
その銅像は、熱海の有名な海岸付近にあった。
バンカラを着た男性が着物すがたの女性を足蹴にしている。
どうなの、このモチーフ。
あたりは真っ暗で、街灯の光だけが頼りだった。
風切先輩は、周囲を用心しながら、
「どこかにクイズがあるはずだぞ」
とつぶやいた。すると、あらぬ方向からひとの声が聞こえた。
「そうじゃ、このあたりにあるはずじゃ」
ん? ……私たちは一斉にふりむいた。
闇のなかに、烏帽子姿の青年があらわれる。
土御門先輩だった。
風切先輩は驚愕して、
「お、おまえが聖生だったのかッ!」
と叫んだ。
土御門先輩は、扇子でパタパタあおぐ。
「わしが、なんじゃと?」
そうよ、土御門先輩が聖生はない。
だけど、風切先輩のおどろきかたで、私は完全に勘づいてしまった――先輩は、関東将棋連合のメンバーをあやしんでる、ってことに。
土御門先輩は、「暑いのぉ」と言いながら、銅像に近づいた。
「おぬしら、なぜここにおるんじゃ?」
「それはこっちのセリフだ。公人は、なぜここにいる?」
「うむ、こんなものが合宿所に舞い込んできおった」
土御門先輩は和服のそでから、一枚の紙切れをとりだした。
その紙切れには、新聞の切り抜きで、こうつづられていた。
金色に輝く紅葉の葉といえバ、ドこ?
そこへイけ のエる
……………………
……………………
…………………
………………どういうこと?
風切先輩は目を白黒させながら、
「ど、どういうことだ?」
とたずねた。土御門先輩は、あまり動揺したようすもなく、
「どうやら、聖生がほんとうに帰ってきたようじゃな」
と答えた。
「して、おぬしらもおなじ手紙を?」
「あ、ああ……大谷が答えに気づいてくれた」
風切先輩は、びみょうにウソをついた。私たちは手紙をもらっていない。音源は突き止められなかったけど、音声ガイドでここまで来たのだ。
土御門先輩は、ちらりと大谷さんのほうをみた。
変な衣装対決。
さらに、茂みのむこうから、速水先輩の声も聞こえた。
「公人、こっちにはないわよ」
速水先輩も参加してるのか。
そうこうするうちに、この場の全メンバーが銅像のまえに集結した。
都ノサイドからは、風切先輩、松平、私、そして大谷さん。
A級校サイドからは、土御門先輩、速水先輩、太宰くん、そして氷室くん。
私はとりわけ、太宰くんに注目した。聖生のことをやたら調べていたからだ。
「ふーむ、8人もおって、第2問が見つからんとはのぉ。イタズラじゃったか」
A級校サイドからみたら、その可能性が高いわよね。都ノとはちがって、聖生から直接危害を加えられたわけじゃない。なんらかのルートで(おそらく慶長の児玉先輩)、聖生が復活したらしい、という情報を持っているだけだ。
でも、都ノサイドからみると、話はちがう。聖生がこれで終わらせるはずがない。
速水先輩は、腕時計を確認する。
「8時59分……どうする? もどる?」
「そうじゃのぉ。イタズラならこれ以上つきあっても……」
そのときだった。
銅像から妙な電子音が聞こえた。
《はーい、よい子のみんな、ちゃんと答えのまえにいるかなぁ?》
私はびくりとした。
よくみると、女性の銅像がまとっている着物に、ボイスレコーダーが隠してあった。
一方、速水先輩は冷静に腕時計をもういちど確かめた。
「なるほどね、解答は9時からってわけか。私たちが解くのが早すぎたんだわ」
《第1問は簡単すぎたかなぁ? それじゃあ、第2問、今から読む数字の場所だよ》
そう言って、ボイスレコーダーは数字を読んだ。
380、450、495、570、590、620、750
《さあ、なにかな? 次の正解発表は、30分後だよ。がんばってね》




