183手目 白熱列島
翌日、私は地元の喫茶店に顔を出していた。
八一という名前のそのお店は、将棋好きのマスターが経営する憩いの場。
中学生のころからお世話になっていて、今日はひさしぶりにあいさつにきた。
私はカウンター席で、コーヒーを一服。
「ふぅ……生き帰りました」
私のひとことに、ちょび髭のマスターは、
「おやおや、東京での学生生活はたいへんかな」
と心配そうな笑みを浮かべた。
「まだ慣れてないってこともありますけど……」
っと、いけない、いけない。聖生の件はタブーだ。
「けど?」
「将棋部で全国大会を目指してるんです」
無難にごまかした。マスターは感心して、
「へぇ、それはすごいね。おじさんは大学へ行ってないからわからないけど、東京だけでもけっこうな数があるんじゃないのかい?」
とたずねた。私は、大学将棋界の仕組みをかんたんに説明した。
マスターはお皿をふきながら、耳をかたむける。
「プロみたいにクラス分けがされてるんだね」
「はい。個人戦はふつうにトーナメントですけど、団体戦は階級制です」
「個人でも優勝を狙ってるの?」
「いやぁ、それはちょっと……上のレベルがちがいすぎて……」
おじさんは「そうだねぇ」と言って、
「地方から都会に出てみると、ほんとにいろんなひとがいるからねぇ」
とつけくわえた。
そこへ、猫耳型ヘアの若い女性があらわれた。
メイド服を着て、両手にお皿を1枚持っていた。
「マスター、ミルフィーユの試作品ができました」
「おっと、それじゃあ、香子ちゃんに試食してもらおうか」
私はちょっとおどろいた。
「いいんですか?」
「常連さんに試食してもらうのは当然だよ」
「ニャハハ、猫山愛の新作をご賞味あれ」
猫山さん──これが彼女の苗字だ──は、お皿をカウンターにおいた。
まさに役得。私はフォークを手にとって、三角形のミルフィーユの先端をすくった。口に運ぶ──うん、おいしい。さくっとしたパイ生地が、クリームとよく合った。まぶしてある粉砂糖も、ほのかな甘みをつけくわえている。
「すごいですね、ケーキ専門店のレベルだと思います」
「ニャハハ、照れます。テレビやっていた将棋カフェをマネたんですよ」
ん、それって……私は、有縁坂のことかとたずねた。
猫山さんは、
「はて、マスター、あのお店はなんという名前だったでしょうか?」
と訊いた。
マスターはお皿をふく手をとめて、
「えーと、たしかそういう名前だったかな。渋谷の将棋カフェだよ」
と答えた。
やっぱりそうだ。けっこう観てるひとがいるのね。
私は、どの番組でやっていたのかをたずねた。
「『白熱列島』だよ」
「白熱列島……オープニングがバイオリンかなにかのドキュメンタリですか?」
「そうそう、7月に全国のカフェ特集があったんだ」
私は考え込む。
「……マスター、録画してたりしません?」
マスターはおどろいたようすで、
「あれ、よくわかったね。あの番組を録画したのは初めてだったけど」
といぶかしがった。私はタネを明かす。
「研究のために録画したんじゃないかな、と思いました」
「うーん、名探偵香子ちゃんだね。お店の参考にしようと思って録画したよ」
「恐縮ですが、ちょっと観せていただくことってできませんか?」
さすがにあやしまれるかな、と思った。
でも、マスターは私のことを信頼しているらしく、気軽にOKしてくれた。
「ブルーレイ録画ですか?」
「こうみえても、うちは最新式なんだ。ネットワークハードディスクをLANケーブルで接続してるから、パソコンでも視聴できる。今、持って来ようか。猫山さん、オーダーのほうはお願いね」
「了解です。ここからのコーヒーは猫山風味で出しておきます」
マスターは奥からラップトップパソコンを持って来た。
カウンターのうえにおいて、私が見やすいようにしてくれた。
専用のアプリを起動させると、視聴が始まった。
軽快な弦楽器のオープニング。ナレーション。番組は、全国の喫茶店を紹介しているらしく、北から順番に撮影がおこなわれていた。そして、ついに見慣れた店のドアが画面に映った。
《さーて、この渋谷の一等地にあるおしゃれなお店……なんと、将棋カフェなんです》
レポーターのお姉さんが、ゆっくりとドアを開けた。
軽やかに鈴が鳴って、店内があらわになる。
観葉植物で囲まれた空間に、将棋を指す音がこだました。
すると、待ちかまえていたように、銀メッシュの入ったイケメンが登場した。
《いらっしゃいませ》
レポーターのお姉さんもあいさつする。
《こんにちは、『白熱列島』レポーターの鈴木です。店長さんですか?》
《はい、有縁坂将棋道場のオーナーをしております、佐田ともうします》
《本日はよろしくお願いします》
画面は切り替わって、店内の紹介が始まった。ナレーション付きで、将棋を指しているカップルや、最近の来客の動向、そして、いくつかのスイーツの紹介があったあと、佐田店長のインタビューに入った。
店長は、カウンターのまえに立って受け答えをした。
《渋谷に将棋カフェを出そうと思ったきっかけは、なんですか?》
《そうですね……個性的なカフェにしたいという思いがありました。最近は将棋がブームですし、将棋とスイーツみたいな特集も組まれていたようなので、思い切って将棋の指せるカフェにしてみました》
《オーナーご自身は、将棋を遊ばれるんですか?》
《いえ、ルールを知っているくらいです》
大嘘。
《ルールをご存知なだけで、ここまで人気になれる秘訣はなんでしょうか?》
《商売の基本は、お客さまの希望をかなえることだと考えています。将棋ファンのニーズを的確にとらえれば、集客は伸ばせるのではないでしょうか。優秀なスタッフもついてくれています》
カメラがすこし動いた。
かっこいいグレーの制服を着た女性が、ぺこりと頭をさげた。
このお店を実質的に仕切っている工藤さんだ。橘さんを面接で落としたひと。
《こんにちは、スタッフのかたでしょうか?》
《はい、このお店でマネージャーをさせていただいております工藤です》
《女性のかたがマネージャーをなさっているのは、やはり女性客をターゲットにしているということでしょうか?》
《女性客も多くいらっしゃいますが、男性のかたにも気楽にお越しいただける店を目指しております。近隣の学生さんからも好評をいただいており、年齢層もさまざまです》
《なるほど、ではオーナーから最後にPRをどうぞ》
佐田店長は、カメラにむかってスマイル。
《有縁坂将棋道場の次回イベントは、来月の敬老の日になっています。この将棋カフェがオープンしたのもちょうど敬老の日ですので、そのときにご協力いただいた方のご来店もお待ちしております》
《ありがとうございました。次のカフェに飛びたいと思いまーす》
そこで映像は切り替わった。K奈川にあるフクロウカフェの特集が始まった。
私があんまり熱心に観ていたものだから、マスターは、
「その渋谷のカフェ、行ったことあるの?」
とたずねてきた。私は「ええ、まあ」とあいまいに答えた。
「なんだ、お友だちを探してたとか? だれかいた?」
「工藤さんっていうひとには、会ったことがあります」
「あの若さでマネージャーはすごいよねぇ。将棋も強いのかな」
強い。まちがいなく。だって橘さんに勝ってたもの。晩稲田のレギュラーなのに。
それに、佐田店長がウソをついていたのも気になった。店長は高段者だ。
私は今の映像をもういちど観せて欲しいと思った。なにか引っかかる。
でも、頼みにくいなぁ。変に思われそうだし。
どうしようか迷っていると、新しいお客さんが入ってきた。
ツインテールの美少女。地元のお嬢様学校の制服を着ていた。
マスターはにっこりと笑って、
「檸檬ちゃん、こんにちは、今日は早かったね」
とあいさつした。
そう、彼女こそが藤花女学園将棋部の新エース、内木檸檬さんだ。
内木さんはマスターにあいさつしたあと、私にも声をかけた。
「裏見先輩、こんにちは、おひさしぶりです」
「おひさしぶり。藤女の主将になったって聞いたわよ」
「はい、2年生が全員辞退したので、私にお鉢が回ってしまいました」
内木さんは私の横に座って、学生カバンを足もとの籠に入れた。
駒桜市では、2年生から主将を選ぶのが慣例なのよね。
今回は藤女の2年生が個性派ぞろいだったことに原因がありそう。
とはいえ、他校のことだから口出しはしないでおく。
内木さんは紅茶を頼んだあと、ちらりとパソコンに目をむけた。
「……大学の課題かなにかですか?」
「『白熱列島』の録画を観てたの」
「『白熱列島』? 裏見先輩、あまりテレビは観ないタイプかと思いましたが」
「それはそうなんだけど……将棋カフェっていうめずらしい特集があったのよ」
「そうですか……ところで、大学でも将棋部に入られたそうですね」
その話、けっこう広まってるのね。ま、当たり前か。狭い世界だし。
私は前期の活躍を伝えた。
「最下位から昇級はすごいですね。おめでとうございます」
「内木さんは、どう?」
「とりあえず、不破先輩をなんとかしないとダメですね」
あ、うん、まあ、彼女は強い。そこは認めざるをえない。
「市内に強豪がいるとたいへんね」
「はい……今お時間ありますか? できれば1局指していただきたいのですが」
この申し出に、私はすこしおどろいた。
「いいけど、急にどうしたの?」
「東京の将棋がどういうものか、じかに触れたいと思います」
と、東京の将棋とかいうのはないと思うんだけど。
とはいえ、指すのはやぶさかでもない。
マスターに盤駒とチェスクロを出してもらう。
「30秒将棋でいい?」
内木さんは「はい」と答えた。
振り駒をして、私の先手。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
7六歩、8四歩、6八銀。
「矢倉ですか……3四歩です」
ふむふむ、受けてくれましたか。
さあ、高校生には負けないわよ。レッツ、大学生の意地。




