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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第31章 裏見香子、駒桜に舞い戻る(2016年8月9日火曜)
183/496

183手目 白熱列島

 翌日、私は地元の喫茶店に顔を出していた。

 八一やいちという名前のそのお店は、将棋好きのマスターが経営する憩いの場。

 中学生のころからお世話になっていて、今日はひさしぶりにあいさつにきた。

 私はカウンター席で、コーヒーを一服。

「ふぅ……生き帰りました」

 私のひとことに、ちょび髭のマスターは、

「おやおや、東京での学生生活はたいへんかな」

 と心配そうな笑みを浮かべた。

「まだ慣れてないってこともありますけど……」

 っと、いけない、いけない。聖生のえるの件はタブーだ。

「けど?」

「将棋部で全国大会を目指してるんです」

 無難にごまかした。マスターは感心して、

「へぇ、それはすごいね。おじさんは大学へ行ってないからわからないけど、東京だけでもけっこうな数があるんじゃないのかい?」

 とたずねた。私は、大学将棋界の仕組みをかんたんに説明した。

 マスターはお皿をふきながら、耳をかたむける。

「プロみたいにクラス分けがされてるんだね」

「はい。個人戦はふつうにトーナメントですけど、団体戦は階級制です」

「個人でも優勝を狙ってるの?」

「いやぁ、それはちょっと……上のレベルがちがいすぎて……」

 おじさんは「そうだねぇ」と言って、

「地方から都会に出てみると、ほんとにいろんなひとがいるからねぇ」

 とつけくわえた。

 そこへ、猫耳型ヘアの若い女性があらわれた。

 メイド服を着て、両手にお皿を1枚持っていた。

「マスター、ミルフィーユの試作品ができました」

「おっと、それじゃあ、香子きょうこちゃんに試食してもらおうか」

 私はちょっとおどろいた。

「いいんですか?」

「常連さんに試食してもらうのは当然だよ」

「ニャハハ、猫山ねこやまあいの新作をご賞味あれ」

 猫山さん──これが彼女の苗字だ──は、お皿をカウンターにおいた。

 まさに役得。私はフォークを手にとって、三角形のミルフィーユの先端をすくった。口に運ぶ──うん、おいしい。さくっとしたパイ生地が、クリームとよく合った。まぶしてある粉砂糖も、ほのかな甘みをつけくわえている。

「すごいですね、ケーキ専門店のレベルだと思います」

「ニャハハ、照れます。テレビやっていた将棋カフェをマネたんですよ」

 ん、それって……私は、有縁坂うえんざかのことかとたずねた。

 猫山さんは、

「はて、マスター、あのお店はなんという名前だったでしょうか?」

 と訊いた。

 マスターはお皿をふく手をとめて、

「えーと、たしかそういう名前だったかな。渋谷しぶやの将棋カフェだよ」

 と答えた。

 やっぱりそうだ。けっこう観てるひとがいるのね。

 私は、どの番組でやっていたのかをたずねた。

「『白熱列島』だよ」

「白熱列島……オープニングがバイオリンかなにかのドキュメンタリですか?」

「そうそう、7月に全国のカフェ特集があったんだ」

 私は考え込む。

「……マスター、録画してたりしません?」

 マスターはおどろいたようすで、

「あれ、よくわかったね。あの番組を録画したのは初めてだったけど」

 といぶかしがった。私はタネを明かす。

「研究のために録画したんじゃないかな、と思いました」

「うーん、名探偵香子ちゃんだね。お店の参考にしようと思って録画したよ」

「恐縮ですが、ちょっと観せていただくことってできませんか?」

 さすがにあやしまれるかな、と思った。

 でも、マスターは私のことを信頼しているらしく、気軽にOKしてくれた。

「ブルーレイ録画ですか?」

「こうみえても、うちは最新式なんだ。ネットワークハードディスクをLANケーブルで接続してるから、パソコンでも視聴できる。今、持って来ようか。猫山さん、オーダーのほうはお願いね」

「了解です。ここからのコーヒーは猫山風味で出しておきます」

 マスターは奥からラップトップパソコンを持って来た。

 カウンターのうえにおいて、私が見やすいようにしてくれた。

 専用のアプリを起動させると、視聴が始まった。

 軽快な弦楽器のオープニング。ナレーション。番組は、全国の喫茶店を紹介しているらしく、北から順番に撮影がおこなわれていた。そして、ついに見慣れた店のドアが画面に映った。

《さーて、この渋谷の一等地にあるおしゃれなお店……なんと、将棋カフェなんです》

 レポーターのお姉さんが、ゆっくりとドアを開けた。

 軽やかに鈴が鳴って、店内があらわになる。

 観葉植物で囲まれた空間に、将棋を指す音がこだました。

 すると、待ちかまえていたように、銀メッシュの入ったイケメンが登場した。

《いらっしゃいませ》

 レポーターのお姉さんもあいさつする。

《こんにちは、『白熱列島』レポーターの鈴木すずきです。店長さんですか?》

《はい、有縁坂将棋道場のオーナーをしております、佐田さだともうします》

《本日はよろしくお願いします》

 画面は切り替わって、店内の紹介が始まった。ナレーション付きで、将棋を指しているカップルや、最近の来客の動向、そして、いくつかのスイーツの紹介があったあと、佐田店長のインタビューに入った。

 店長は、カウンターのまえに立って受け答えをした。

《渋谷に将棋カフェを出そうと思ったきっかけは、なんですか?》

《そうですね……個性的なカフェにしたいという思いがありました。最近は将棋がブームですし、将棋とスイーツみたいな特集も組まれていたようなので、思い切って将棋の指せるカフェにしてみました》

《オーナーご自身は、将棋を遊ばれるんですか?》

《いえ、ルールを知っているくらいです》

 大嘘。

《ルールをご存知なだけで、ここまで人気になれる秘訣はなんでしょうか?》

《商売の基本は、お客さまの希望をかなえることだと考えています。将棋ファンのニーズを的確にとらえれば、集客は伸ばせるのではないでしょうか。優秀なスタッフもついてくれています》

 カメラがすこし動いた。

 かっこいいグレーの制服を着た女性が、ぺこりと頭をさげた。

 このお店を実質的に仕切っている工藤くどうさんだ。たちばなさんを面接で落としたひと。

《こんにちは、スタッフのかたでしょうか?》

《はい、このお店でマネージャーをさせていただいております工藤です》

《女性のかたがマネージャーをなさっているのは、やはり女性客をターゲットにしているということでしょうか?》

《女性客も多くいらっしゃいますが、男性のかたにも気楽にお越しいただける店を目指しております。近隣の学生さんからも好評をいただいており、年齢層もさまざまです》

《なるほど、ではオーナーから最後にPRをどうぞ》

 佐田店長は、カメラにむかってスマイル。

《有縁坂将棋道場の次回イベントは、来月の敬老の日になっています。この将棋カフェがオープンしたのもちょうど敬老の日ですので、そのときにご協力いただいた方のご来店もお待ちしております》

《ありがとうございました。次のカフェに飛びたいと思いまーす》

 そこで映像は切り替わった。K奈川にあるフクロウカフェの特集が始まった。

 私があんまり熱心に観ていたものだから、マスターは、

「その渋谷のカフェ、行ったことあるの?」

 とたずねてきた。私は「ええ、まあ」とあいまいに答えた。

「なんだ、お友だちを探してたとか? だれかいた?」

「工藤さんっていうひとには、会ったことがあります」

「あの若さでマネージャーはすごいよねぇ。将棋も強いのかな」

 強い。まちがいなく。だって橘さんに勝ってたもの。晩稲田おくてだのレギュラーなのに。

 それに、佐田店長がウソをついていたのも気になった。店長は高段者だ。

 私は今の映像をもういちど観せて欲しいと思った。なにか引っかかる。

 でも、頼みにくいなぁ。変に思われそうだし。

 どうしようか迷っていると、新しいお客さんが入ってきた。

 ツインテールの美少女。地元のお嬢様学校の制服を着ていた。

 マスターはにっこりと笑って、

檸檬れもんちゃん、こんにちは、今日は早かったね」

 とあいさつした。

 そう、彼女こそが藤花ふじはな女学園将棋部の新エース、内木うちき檸檬れもんさんだ。

 内木さんはマスターにあいさつしたあと、私にも声をかけた。

裏見うらみ先輩、こんにちは、おひさしぶりです」

「おひさしぶり。藤女の主将になったって聞いたわよ」

「はい、2年生が全員辞退したので、私にお鉢が回ってしまいました」

 内木さんは私の横に座って、学生カバンを足もとのかごに入れた。

 駒桜こまざくら市では、2年生から主将を選ぶのが慣例なのよね。

 今回は藤女ふじじょの2年生が個性派ぞろいだったことに原因がありそう。

 とはいえ、他校のことだから口出しはしないでおく。

 内木さんは紅茶を頼んだあと、ちらりとパソコンに目をむけた。

「……大学の課題かなにかですか?」

「『白熱列島』の録画を観てたの」

「『白熱列島』? 裏見先輩、あまりテレビは観ないタイプかと思いましたが」

「それはそうなんだけど……将棋カフェっていうめずらしい特集があったのよ」

「そうですか……ところで、大学でも将棋部に入られたそうですね」

 その話、けっこう広まってるのね。ま、当たり前か。狭い世界だし。

 私は前期の活躍を伝えた。

「最下位から昇級はすごいですね。おめでとうございます」

「内木さんは、どう?」

「とりあえず、不破ふわ先輩をなんとかしないとダメですね」

 あ、うん、まあ、彼女は強い。そこは認めざるをえない。

「市内に強豪がいるとたいへんね」

「はい……今お時間ありますか? できれば1局指していただきたいのですが」

 この申し出に、私はすこしおどろいた。

「いいけど、急にどうしたの?」

「東京の将棋がどういうものか、じかに触れたいと思います」

 と、東京の将棋とかいうのはないと思うんだけど。

 とはいえ、指すのはやぶさかでもない。

 マスターに盤駒とチェスクロを出してもらう。

「30秒将棋でいい?」

 内木さんは「はい」と答えた。

 振り駒をして、私の先手。

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 7六歩、8四歩、6八銀。

「矢倉ですか……3四歩です」


挿絵(By みてみん)


 ふむふむ、受けてくれましたか。

 さあ、高校生には負けないわよ。レッツ、大学生の意地。

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