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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第31章 裏見香子、駒桜に舞い戻る(2016年8月9日火曜)
180/496

180手目 OG香子ちゃん

 やったー、地元だぁ。

 私はバスを降りて、駒桜こまざくらの街に降り立った。H島駅からのバスは、次の停車場を目指して発進する。あたりに変わったところはなかったけど、なんだかとても懐かしい気分。バスターミナルのそばにある空き地に、満開のヒマワリがみえた。夏休みを満喫する小学生たちが、立ち入り禁止の柵をこえて走り回っている。

 バス停から商店街の方向へ。平凡な街並みが、すこしばかり新鮮にみえた。オモチャ屋のまえで足を止める。ショーウィンドウのむこうに、盤と駒がおいてあった。昔、おじいちゃんと一緒に将棋盤を買ったお店だ。

「あれ……? 裏見うらみ先輩……?」

 おっと、この声は――ふりかえると、ひとりの少女が立っていた。

 私の母校、駒桜こまざくら市立いちりつ高校のブレザーを着た、前髪ぱっつんの女の子。

飛瀬とびせさん、おひさしぶり」

「おひさしぶりです……里帰りってやつですか……?」

「帰省よ、帰省」

「寄生……? ついに松平まつだいら先輩のお財布にたかり始めた……?」

 あのさぁ。

「帰るに反省の省よ。わざとやってるんじゃないでしょうね?」

「日本語はむずかしい……おかえりなさい……」

 そうそう、そういう反応を待ってたのよ。

「みんな元気にしてる?」

「手がつけられないくらい元気というか……わちゃわちゃやってます……」

「東京で不破ふわさんに会ったんだけど、藤女ふじじょが独走してるらしいじゃない」

「いや、まあ……エリーちゃん、高崎たかさきさん、林家はやしやさん、春日川かすがかわさん、内木うちきさん、つかさんの6枚看板そろってるの……ズルくないですか……? これ止めるの、全盛期の市立でもムリな気が……」

 諦めたらそこで終了よ。とりあえず、春の個人戦と団体戦の結果を聞いてみた。個人戦の男子は捨神すてがみくんが、女子は不破さんが優勝。新人戦は多喜たきっていう知らない男子が優勝したらしかった。内木さんじゃないのがちょっと意外。

「というわけで、個人戦は天堂てんどうに制圧されました……団体戦も天堂が優勝……層の厚さは藤女がダントツですけど、団体戦は3人強いのがいたら勝てるという……」

「そう言わずに、全力でぶつかっていかないと」

「これがOB・OGの圧力ちゃんですか……?」

 こらぁ、ひとの激励をそういうふうに受け取らない。

「ところで、裏見先輩はこれからご自宅ですか……?」

「うーん、そうしようかと思ってたけど、もしかして部室開いてる?」

「どうして分かりました……?」

「飛瀬さんが制服着てるから」

 ダテに推理合戦してないのよ。とはいえ、聖生のえるの件は飛瀬さんには黙っておく。

 私は母校へ寄ることに決めた。飛瀬さんの話によると、昨年度の部室の移転で、活動をしやすくなったとのことだった。そういえば、あの部室の移転、どこかと揉めてるって噂だったのに、いつの間にか解決してたわね。裏でなにかあったのかしら。

 学校へむかう道の左右に、桜の並木通りがひろがる。市名のとおり、この街の名所は桜ということになっていた。門をくぐって校庭へ。一部で工事をしている以外は、卒業時とぜんぜん変わらない。夏休みだから、すこしばかり閑散としていた。野球部がグラウンドで練習をしている。その横では、陸上部が走り込みの真っ最中。

 私たちは唯一鍵のかかっていない正面玄関から入って、視聴覚室へ移動した。

「おはようございます……」

 飛瀬さんがドアを開けると、部員たちが一斉に顔をあげた。

 最初に立ち上がったのは、ツンツン頭の少年だった。

「あ、裏見先輩、こんにちは」

箕辺みのべくん、こんにちは。ちょっとお邪魔するわね」

「今日帰省なされたんですか? 松平先輩は?」

 松平は別行動だ、と答えた。そういえば、結局帰省することにしたのかしら。

 私はひとりひとり挨拶する。来島くるしまさん、葉山はやまさん、福留ふくどめさん、赤井あかいさん。

 黒髪ロングの清楚系少女、馬下こまさげさんとも挨拶。

「おひさしぶり。副会長のお仕事は、どう?」

古谷ふるやくんといっしょにがんばっています」

 そのコンビなら大丈夫そうかな。

 歩美あゆみ先輩の弟の歩夢あゆむくんにも挨拶。

「おひさしぶり。ちょうど昨日、お姉さんに会ったわよ」

「あ、はい、MINEで裏見先輩に勝ったって連絡がありました」

 会ったんじゃなくて勝ったんかい。連絡の仕方。負けたのは事実だけど。

 最後に1年生。見覚えのない子がほとんどだった。うーむ、世代。

 挨拶を終えると、飛瀬さんは部員たちに着席を指示した。私も窓際に座る。

「というわけで、例会を始めます……馬下主将、どうぞ……」

 馬下さんが壇上にあがる。

「それでは、対局を組ませていただきます。本日はOGの裏見先輩がいらっしゃいましたので、先日お知らせした組み合わせからすこしズラします。まず……」

 私は飛瀬さんと当たった。

 元主将同士ということで、なんか仕組まれた感じもする。

「よろしくお願いします……」

 飛瀬さんは私の席に移動して、駒をならべ始めた。

「裏見先輩と指すの、ひさしぶりですね……あ、例会は15分30秒なので……」

「飛瀬さんは今年も将棋部に顔出ししてるの? 3年生だけど?」

 飛瀬さんは最後の歩をならべ終えてから、なんでもないような顔で、

「はい……春の大会も出たので……」

 と答えた。飛瀬さん、成績がいいから余裕しゃくしゃくなのか、それとも不破さんから聞いた海外へ行くっていう情報が本当なのか……ま、この場で訊くことじゃないわね。対局前の精神集中。とりあえず振り駒。私が振って先手に決まった。

 となりの対局席についた馬下さんが司会を務める。

「対局の準備はよろしいでしょうか? ……では、よろしくお願いします」

「「よろしくお願いします」」

 飛瀬さんがチェスクロを押して、対局開始。

 7六歩、8四歩、7八金、8五歩、7七角、3四歩、8八銀。


挿絵(By みてみん)


 角換わり。

 飛瀬さんがどれくらい伸びたか、見せてもらいましょ。

 3二金、2六歩、7七角成、同銀、2二銀、3八銀、6二銀。

 さて、どういう方針で行くかだけど……すこしひねりますか。

「3六歩」


挿絵(By みてみん)


「飛車先の保留……?」

 飛車先不付き矢倉はあるけど、飛車先不付き角換わりはなかなかないわよ。

 さあ、構想力勝負。

 飛瀬さんは30秒ほど考えて6四歩と突いた。

 3七桂、4二玉、6八玉、6三銀、4六歩。

「なんちゃって保留で、すぐに突くかと思ったんですけど……3三銀……」

 飛瀬さんは、飛車先を突かれないうちから銀をあがった。

 ま、これはしょうがないわよね。2二銀は明らかに壁銀だもの。

 4七銀、7四歩、1六歩、1四歩、9六歩、9四歩。

「4八金」


挿絵(By みてみん)


「飛車先を突かない意図がよく分からない……2五桂で3一玉を牽制してる……?」

 それもある。ただ、それが直接的な狙いじゃない。

「時間を使わせる作戦かもしれないし、あんまり考えないほうがいいか……7三桂……」

 飛瀬さんの判断は正しい。

 15分30秒の練習将棋なんだからここで考える意味はあまりない。

 2九飛、8一飛、5六銀、6二金、7九玉、5四銀。

 ここで私は6六歩と突いた。


挿絵(By みてみん)


 これを見た飛瀬さんは、

「もしかして4二に王様がいる反動を利用して攻めようとしている……?」

 とつぶやいた。ぎくぅ。

「となると2五歩の保留は2五桂跳ねをみせて3一玉を牽制……理解……6三銀……」

 飛瀬さんは銀を撤退した。

 ん? これは?

 まさか5二銀〜4四歩〜4三銀とでもするつもり?

 さすがに悠長すぎるというか……いや、あるのかしら。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 気づけば1分も考えてしまった。

 こ、これは、自分があやしいからあいてもあやしく思ってしまうパターン。

 いかんいかん、飛瀬さんが変則ムーブに移るならこっちは無難に指す。

「8八玉」

「5四銀……」

 くぅ、ようするに手待ちか。

 だったら手損をとがめる。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


「なるほど……こっちが手損したから普通に指せば手得……」

 しかもただの手得じゃないのよ。後手は7七角成の時点で手損してるから、5四銀〜6三銀〜5四銀の往復運動の2手損も合わせて、合計3手損。

 つまり、先手は3手得。ここからの攻めは強烈なはず。じっさい、普通なら2二にいる王様がまだ4二にいる。

「んー……先手から3五歩とされるとキツイか……6五歩……」

 ふわッ!? 攻めてきたッ!?

 さ、さすがにそれはムリでは? 王様が4筋なのに6筋から開戦するの?

 ひとまず同歩……待ってよ。これ、6九飛がけっこうきついのでは?


挿絵(By みてみん)


 (※図は香子きょうこちゃんの脳内イメージです。)

 

 2筋から攻めるよりも、こっちのほうが効果的っぽい。

「6九飛」

 私は飛車を大きくスライドさせた。

「うーん……わりと乱戦になりそうかな……6六歩……」

 同飛、6五歩に6九飛と引く。ポイントを取れたはず。

「飛車が動いたなら桂頭が狙い目かな……6四角……」

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