154手目 見えている地雷?
「上級生の隠しごとねぇ」
火村さんはトマトジュースをチューチューしながら、ほおひじをついた。
となりのカップルは、同じグラスからクリームソーダを1本のストローで飲んでいる。
ハート型のプラスチックの中を、緑色の液体が満たしていく。
「そんなのどうでもよくない?」
なんか予想通りの回答。私はタメ息をついた。
「聖ソフィアにとってはどうでもいいかもしれないけど、都ノはそうもいかないの」
「そういう言い方はないでしょ。うちだって被害にあったんだから」
「でも、あれからなにもちょっかいかけられてないんでしょ?」
「そりゃそうだけど……そっちの仏教ガールは、どう思うの?」
火村さんは、大谷さんに話をふった。
大谷さんは、お茶を飲む手をやすめた。
「率直にもうしあげて、下級生が首をつっこむことではないと考えています」
「でしょ? やぶ蛇になるわ。ただでさえクセの強い連中が集まってるのに」
うぅん、火村さんなら食いついてくるかと思ったけど、そうでもないのか。
しょうがないから、私は話題を変えた。
「まあ、それはおいといて、問題なのは教員が聖生かもしれないってことだわ」
「その可能性は低いと、あたしは思うけどなぁ」
「どうして?」
「聖生はもっとクレバーな感じがするもの」
いや、その理由づけはおかしいような。
あのあと折口先生の経歴を調べてみたけど、けっこうエリートだった。
たぶん性格に難があるだけ。
「で、香子はそのことをあたしに話してもよかったの?」
「被害者仲間だし、いいんじゃない?」
「あれがあたしの狂言で、あたしが聖生って可能性もあるのに?」
ん……その可能性はあんまり考えてなかった。
ちょっと青くなる。
それを見て火村さんはおもしろそうに笑った。
「冗談よ。あたしは聖生じゃないわ。あんなめんどくさいことしないし……とにかく、名探偵火村ちゃんに任せなさい。パパッと解決してあげる」
「パパッと解決っていっても、今回ばかりは推理の糸口がなくない?」
火村さんはトマトジュースを飲みきると、店員さんに声をかけた。
「もう一杯」
「ありがとうございます」
女性店員さんは空のグラスを持って、カウンターの奥へ消えた。
火村さんはナプキンで口もとを拭きながら、
「香子は追加で頼まなくてよかったの?」
とたずねてきた。はぐらかしにきましたね、これは。
さっきパパッと解決するって言ったじゃないですか。
とはいえ、私も推理できてるわけじゃないから、話を合わせる。
「お昼を食べたあとでお腹いっぱいだし、そもそも食べ歩きにきてるわけじゃないから」
「ふーん……仏教ガールは?」
「拙僧がこのお店へよく来るのは、しぃちゃんと遊びやすいからです」
「その『しぃちゃん』ってだれ?」
「竹馬の友とでももうしましょうか。今は公務員をしています」
「公務員? 警察官とか?」
「秘密です」
火村さんは目を白黒させた。ま、いまの説明じゃわかんないわよね。
っと、いいこと思いついた。
「ねぇ、神崎さんに内偵を頼めないかしら?」
「裏見さんといえど、しぃちゃんを小間使いあつかいすると大変なことになります」
ヒエッ――作戦変更。
「じょ、冗談よ……火村さん、話題を変えましょ」
「なに急にブルッてるの。仏教ガールの友だちだから忍者ガールとかいうオチ?」
当たっとるがな。私は強制的にテーマを変えた。
「速水先輩と今回の件、火村さんは関係があると思う?」
「あの女ねぇ……なんかアッチコッチに鼻先つっこんでそうな感じはするわね。たださ、上級生のだれかが聖生なら、風切には犯人の目星がついてるんじゃないの? あたしたちが勝手にほじくりかえして大丈夫? ヤバい背景があったりしたら?」
「それは……」
ここで大谷さんがわりこんでくる。
「拙僧もそこを懸念しています。もし風切先輩に犯人の目星がついていて、なお私たちにそれを隠しているのだとしたら、なにか理由があるはずです。それは風切先輩の過去となにか関係があるのかもしれません」
大谷さんはもうすこしなにかを言おうとして、口を閉じた。そして、彼女が飲み込んだ言葉の中身は、私にもだいたい予想がついた。
聖生は、宗像さんなんじゃないか――それが、大谷さんの言いかけたことだと思う。
私もその可能性は考えた。というか、宗像さんはかなり有力な候補だ。理由はいくつもある。例えば、大学との距離。私が将棋道場へ自転車で行けるのだから、宗像さんのほうから大学へ来るのも簡単だ。年齢的にも部外者だとは思われにくいはず。でも、最大のヒントは【風切先輩が一番かばいそうな人物】ってこと。正直、折口先生をどうこうするよりも、宗像さんの身辺を調査したほうが真相に近いのかもしれない。
ただ、それはできない相談だった。見えている地雷。
「ねぇ、香子、まさかあんたまで犯人の目星がついてるんじゃないでしょうね?」
「そ、そんなことないわよ」
「ほんとかしら……あ、きたきた」
新しいトマトジュースがテーブルのうえに置かれた。
と同時に、その手が女性店員のものではないことに気づいた。
私は顔をあげた。
「て、店長……」
そこには、さわやかなスマイルをたたえた佐田店長が立っていた。
バーテンダーが着るようなベストに蝶ネクタイという格好だった。
私はかるく身構えた。
「いつもご来店ありがとうございます」
「あ、はい……お世話になってます」
佐田店長はクスリと笑って、それからコーヒーカップをふたつおいた。
生クリーム入りのウィンナーコーヒーかと思いきや、コーヒーゼリーだった。
「新作だよ。感想を聞かせて欲しいね」
「あの……私たちは頼んでませんので、べつのテーブルかと……」
「常連さんにはたまに、試食・試飲をしてもらってるんだ」
なんか――すごく嘘くさい。大谷さんもどこか妙だと思ったのか、
「拙僧たちよりも、スイーツにくわしいかたに依頼なさったほうがよいのでは?」
とさぐりを入れた。
「おや、どうしたのかな? もしかして甘いものはキライかい?」
「拙僧たちが手をつけると、なにか請求されるのではありませんか?」
「いやいや、お代はタダだよ。試食してもらってお金はとらないから」
「タダより高いものはない、と言います」
そうそう、このタイミングでいきなり無料スイーツが出てくるのは気味が悪い。
佐田店長はやたら神妙な顔をして、
「うーん、自信作だったんだけど……残念」
店長は、コーヒーカップをあっさりとひっこめた。
その背中を見送りつつ、私は大谷さんに、
「もしかして、ほんとに試食だったのかしら?」
とたずねた。
「いえ……なにか思惑があったような気がします」
私もうなずき返した。
心配だったのは、宗像さんの名前を聞かれたんじゃないか、ってこと。
あの夜のようすからして、店長はあきらかに宗像さんと顔見知りだった。
火村さんは私と大谷さんの顔をみくらべながら、
「今の店長の言動、なんか変だったわね」
と同調してくれた。
ただ、あの夜の事件は、大谷さんと火村さんにも言っていない。
このことが、かえって場の雰囲気を悪くしてしまった。
「ねぇ、香子、なにかあたしに隠してることない?」
私はどぎまぎしてしまう。
「そんなことないわよ」
「ほんとに? さっきの店長、香子の会話に反応した気がするんだけど」
「それは勘ぐりすぎ……」
ヴィー ヴィー
いきなりスマホが鳴った。私のだ。
これさいわいとばかりに出る。
松平からだ。私は席を立って、トイレへ移動した。
「もしもし?」
《もしもし? 裏見か? どこにいる?》
「いま、渋谷で大谷さんたちとカフェにいるわ」
《そうか……さっき例の件で進展があった》
「例の件って……折口先生のこと?」
《ああ、折口は聖生じゃない。確認がとれた……もしもし? 裏見? 聞いてるか?》




