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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第25章 合宿費盗難事件(2016年6月20日月曜)
149/496

149手目 来なかった裏切り者

 こうして、真相解明の幕が開けた――わけだけど。 

《あの……僕と将棋ですか?》

《まだ一局も指してないのを思い出したからな》

 スピーカーから星野ほしのくんと風切かざぎり先輩の声が聞こえた。

 私たちは野球部の練習場の裏手で、じっと耳をすます。

 それだけじゃない。目のまえのパソコンには、部室のようすもばっちり映っていた。

 私のとなりに座った磐くんは、帽子をかぶりなおしながら、

「これ、なにを盗撮してるんですか?」

 とたずねた。三宅先輩は、

「将棋部の部室だ」

 と端的に答えた。

「それはわかってますよ。俺が仕掛けたんですから。目的はなんなんですか?」

「俺にもよくわからん」

 そう、風切先輩は私たちにも今回の取り調べ(?)の目的を話さなかった。ふたりきりで将棋を指すから、そのようすを撮影してくれ――これが先輩からの指示だった。しかも星野くんの呼び出しは、わざわざ野球部を経由しておこなった。藤田ふじたキャプテンは「星野はもう退部して関係ない」って断ったけど、「連絡先を知らないから」とウソをついて、むりやり取り次いでもらったのだ。このやりとりも意味不明だった。

《星野はふだんどうやって指してる?》

《どうやって、とは?》

《盤と駒を使って指してるのか? それともスマホ?》

《スマホです》

《じゃあチェスクロはなしだな。ちなみに何段ある?》

《最近、初段になりました》

 おっと、なかなか強いじゃないですか。

 とはいえ、風切先輩があいてでは――

《そうか。俺は3級だ》

 風切先輩は「奨励会の」という部分を省略した。

《ハンディ戦……じゃなくてもいいですよね? 駒落ちってよくわからないので》

《平手でいい。それじゃ、星野の先手だな。よろしくお願いします》

《よろしくお願いします》

 星野くんは初手を指した。7六歩。

 あんまりうまい手つきじゃない。

 3四歩、2六歩、4四歩、4八銀、4二銀、5六歩。


挿絵(By みてみん)


 対抗形かしら。

 5四歩、6八玉、5三銀、5七銀、3二飛。


挿絵(By みてみん)


 あ、三間さんげん飛車。

 星野くんはここですこし考えた。

《……2五歩》

 3三角、7八玉、6二玉、7七角。

 先手は穴熊へ。

 7二玉、8八玉、8二玉、9八香。

《星野、ずいぶん慎重だな。もっとガンガンきてくれていいんだぜ?》

《いえ、いつもこうしてるので……》

 6四銀、6六銀、4二飛、5八金右、4五歩。


挿絵(By みてみん)


《風切先輩、もしかして穴熊狙ってます?》

 星野くんはそう言いながら2六飛と浮いた。4筋を受けた手だ。

《心配か? だったら7二銀だ》

《いえ、べつに穴熊でもよかったんですが……》

 星野くんは6八金寄とした。

 なかなか王様を入らないわね。

《ところで、星野はいつから将棋を始めた?》

《大学入試が終わったあとです》

《ってことは3月からか? 上達が早いんだな》

 風切先輩は4四角と出た。飛車当たりになる。

《風切先輩はいつからですか?》

《小2だ》

 星野くんは、ちょっとだけ表情を変えた。

 けど、なにも言わずに3六飛と寄った。


挿絵(By みてみん)


 星野くんが質問しかけた内容はわかる。

 なぜ小学生のころからやってて3級なのか、だ。

 星野くんは風切先輩のことをぜんぜん知らないみたいだった。

 3二飛、7八金上、5一金左、9九玉、3五歩、2六飛。

 後手はふたたび三間にふりなおした。

《開戦させてもらう。3六歩》

《同飛です》

 星野くんの決断は早かった。飛車交換でヨシと踏んだようだ。

 たしかに、後手はスキが多いようにみえる。端歩すら突いていない。

 風切先輩、もしかして手抜いてるとか?

《同飛》

 同歩、3九飛、3一飛、2九飛成、2一飛成、1九龍。

 後手は間に合うの?

《7五銀……かな》


挿絵(By みてみん)


 星野くんは攻勢に入った。

《悪いが、そいつは疑問だ。7七角成》


挿絵(By みてみん)


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………あッ。

 その場でモニターをみていた全員が事態を察した。

 後手が一気に有利。同金直とできないし、同桂は7五銀、同歩、7六桂がある。

 さらに、一番自然な同金右には罠が待っていた。

《角交換が狙いだったんですか? ……同金右です》

《6五桂》


挿絵(By みてみん)


《……そっか》

 星野くんはすこし前のめりになった。

 自分のほうが悪いことに気づいたようだ。

《すみません、ちょっと考えてもいいですか?》

 風切先輩はあっさりと了承した。

 ここからなら、もうのがさないだろう。

 私はひと息ついて、一緒にいた松平まつだいらに話しかけた。

「けっきょく、この対局ってなんの意味があるの?」

「……とりあえず、星野が聖生のえるじゃないっぽいことはわかったな」

「え? どうして?」

「星野は風切先輩が元奨なのをぜんぜん知らないみたいだ」

 あッ、そういう……でも、聖生のえるが風切先輩のストーカーだっていう推理、そこまで根拠があるものでもなかったような……いや、まあ、聖生のえるは大学将棋のことを知ってるんだから、風切先輩が元奨なのを知らないのもおかしいと言えばおかしいか。

「でも、それだけ?」

 私の質問に、松平は髪の毛をくしゃくしゃにした。

「そうなんだよな。こんなのは将棋を指さなくても、いくつか質問して終わりだ。なにか別の狙いがあるんだと思うが……わからん」

 私と松平は、対局を見守ることにした。

 星野くんは3分以上考えている。

《……6四銀》


挿絵(By みてみん)


 刺しちがえにいった。

 風切先輩は同歩とせずに、そのまま7七桂成と突っ込む。

 7三銀成、同銀、7七桂、6九銀。

 うまいところに引っかけた。

《まいりましたね……6八銀打は7八銀成がどのみち取れないから……》

《時間はある。使っていいぞ》

 風切先輩はペットボトルを開けて、水を飲んだ。

 私たちのまわりでは、虫が鳴き始めている。一陣の夜風。

《決めました。7四桂です》

 風切先輩は黙って9二玉と寄った。

《さすがにこれは引っかからないですよね……》

 それはそう。王手龍を狙ってもムリがある。

 とはいえ、後手は端歩を突いてないから狭い。

《5一龍です》

《7八銀成》


挿絵(By みてみん)


 風切先輩は龍切りを無視して先に銀を成った。

《あ、う……》

 先手はもう打つ手がない。

 8九の金打と7九龍を同時に防ぐ手がないからだ。

《負けました》

《ありがとうございました》

 星野くんが頭をさげて投了。風切先輩も一礼した。

《先輩、めちゃくちゃ強いですね。ほんとに3級なんですか?》

《ああ、元奨励会3級だ》

《モトショウレイカイってなんですか?》

「星野くんに奨励会の話なんかしても通じないわよ」

「ッ!?」

 私たちは飛び上がるほどおどろいた。

 ふりかえると、街灯のしたに顔見知りの女性が立っていた。

速水はやみ先輩ッ!」

「あなたたち、ずいぶん手の込んだことをしてるのね」

 私はパソコンの画面を隠そうとした。

 でも、すぐに我にかえった。

「なんで速水先輩がここに?」

「ちょっと忘れものを取りにきたのよ」

 速水先輩はそう言って、手に持っているファイルをかかげた。

 それは、野球部の部室でみたファイルとそっくりだった。

「それじゃ、私はほんとに通りかかっただけだから、チャオ」

 

  ○

   。

    .


 翌週、私たちは部室で練習試合をしていた。

 私と大谷おおたにさんが感想戦をしている途中で、ガラリとドアが開いた。

「わりぃ、講義が長引いちまった」

 風切先輩はそう言って、新聞片手に入室した。

 三宅先輩はそれを見とがめて、

「風切、新聞読むようになったのか?」

 とたずねた。

「ま、こいつを見てくれ」

 風切先輩は新聞をテーブルのうえにほうった。

 三宅先輩は椅子を動かしてのぞきこむ。

「……なッ! ウソだろッ!?」

 三宅先輩は悲鳴をあげた。風切先輩はタメ息をついて椅子を引いた。

「もこっちにみごとにやられたな」

 なになに? 私たちも新聞をのぞきこんだ。

 

 大学専門の空き巣を逮捕

 関東の大学スポーツ施設で空き巣の被害が相次いでいた事件につき、警視庁は27日、無職の大熊おおくま広士ひろし容疑者(28)を窃盗および住居侵入の罪で逮捕した。男性は容疑を否認しているという。

 

 ……どういうこと?

 私は新聞から顔をあげた。

「先輩、これって……?」

 風切先輩は苦虫をかみつぶしたような顔で、

「ようするにそういうことだ」

 と答えた。いや、解説になってない。

「この容疑者って、もしかして野球部の大熊コーチですか?」

「コーチ大熊だな。藤田の言ってたスポーツクラブ専門の空き巣だ」

「えッ……じゃあ、合宿費を持ち出したのも?」

「おそらく、な」

 私たちは沈黙した。

 事件が解決したのはわかる。でも、まだ全体像がみえてこない。

 大谷さんも事情が飲み込めないらしく、

「なぜ急に逮捕されたのでしょう?」

 とたずねた。

「指紋だ。もこっちは、野球部のファイルを持ち帰ったんだろ?」

 ……あ、そういえば。

 風切先輩は腕組みをした。

「大熊は、どこかの大学で指紋を残したんだろうな」

 まだ納得がいかない。私は質問を追加した。

「そもそも、速水先輩がなんで警察に証拠を提出してるんですか?」

「あいつの親父はS台高検の検事長だぞ。警察に知り合いなんていくらでもいる。都ノみやこのに顔出しなんて、おかしいと思ってた。最初からこの事件の調査が目的だったんだ。星野が電話した相手の女も、速水でまちがいない」

 えぇ……って、あれ? ってことは?

「風切先輩はこのことを予測して、私たちを待機させてたんですか?」

 私の質問に対して、先輩は首を左右にふった。

「いや……あれは偶然だ。犯人は部室に来ると思ってた」

「犯人が部室に……? どういう推理で?」

 風切先輩はもういちどタメ息をついた。

「推理じゃない。『ゴッドファーザー』って映画を知ってるか?」

「ゴッドファーザー……聞いたことはあります」

「あの映画で有名なセリフがあるんだ。マフィアのボスのヴィトーが、息子のマイケルにこうアドバイスする。『バルジーニとの会談の話を持ってくる奴は裏切り者だ』……ピンチのときに助け舟を出してくるやつは、いつでも怪しいってことだ。星野を心配するようなふりをして将棋部に現れるやつがいたら、そいつが犯人だと思った……が、映画みたいにうまくはいかなかったな」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 

 ひとつだけ忠告させて

 今回の件、だれから質問されても絶対に答えちゃいけない

 

「どうした、裏見うらみ? なにか疑問があるのか?」

「あ、いえ……なんでもありません」

 私がそう答えると、風切先輩は安心したような笑みをうかべた。

「とりあえず、事件は解決だ。大熊が聖生のえるって可能性は低そうだし、今回ばかりはヤツの濡れ衣だったみたいだな」

 これには三宅先輩があきれた。

聖生のえるの悪事が帳消しになったわけじゃないんだぞ」

「そりゃそうだ。あいつはまたべつの機会にしっぽをつかんでやらないとな」

 風切先輩と三宅先輩の会話をよそに、私は新人戦のことを思い出していた。

 

 もし質問してくるやつがいたら、そのなかに裏切り者がいる

 3年前の約束を破った裏切り者がね


 三和みわさんのあの発言――これって、ただの偶然?

場所:都ノ大学将棋部の部室

先手:星野 翔

後手:風切 隼人

戦型:後手三間飛車


▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △4二銀

▲5六歩 △5四歩 ▲6八玉 △5三銀 ▲5七銀 △3二飛

▲2五歩 △3三角 ▲7八玉 △6二玉 ▲7七角 △7二玉

▲8八玉 △8二玉 ▲9八香 △6四銀 ▲6六銀 △4二飛

▲5八金右 △4五歩 ▲2六飛 △7二銀 ▲6八金寄 △4四角

▲3六飛 △3二飛 ▲7八金上 △5一金左 ▲9九玉 △3五歩

▲2六飛 △3六歩 ▲同 飛 △同 飛 ▲同 歩 △3九飛

▲3一飛 △2九飛成 ▲2一飛成 △1九龍 ▲7五銀 △7七角成

▲同金右 △6五桂 ▲6四銀 △7七桂成 ▲7三銀成 △同 銀

▲7七桂 △6九銀 ▲7四桂 △9二玉 ▲5一龍 △7八銀成


まで60手で風切の勝ち

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