149手目 来なかった裏切り者
こうして、真相解明の幕が開けた――わけだけど。
《あの……僕と将棋ですか?》
《まだ一局も指してないのを思い出したからな》
スピーカーから星野くんと風切先輩の声が聞こえた。
私たちは野球部の練習場の裏手で、じっと耳をすます。
それだけじゃない。目のまえのパソコンには、部室のようすもばっちり映っていた。
私のとなりに座った磐くんは、帽子をかぶりなおしながら、
「これ、なにを盗撮してるんですか?」
とたずねた。三宅先輩は、
「将棋部の部室だ」
と端的に答えた。
「それはわかってますよ。俺が仕掛けたんですから。目的はなんなんですか?」
「俺にもよくわからん」
そう、風切先輩は私たちにも今回の取り調べ(?)の目的を話さなかった。ふたりきりで将棋を指すから、そのようすを撮影してくれ――これが先輩からの指示だった。しかも星野くんの呼び出しは、わざわざ野球部を経由しておこなった。藤田キャプテンは「星野はもう退部して関係ない」って断ったけど、「連絡先を知らないから」とウソをついて、むりやり取り次いでもらったのだ。このやりとりも意味不明だった。
《星野はふだんどうやって指してる?》
《どうやって、とは?》
《盤と駒を使って指してるのか? それともスマホ?》
《スマホです》
《じゃあチェスクロはなしだな。ちなみに何段ある?》
《最近、初段になりました》
おっと、なかなか強いじゃないですか。
とはいえ、風切先輩があいてでは――
《そうか。俺は3級だ》
風切先輩は「奨励会の」という部分を省略した。
《ハンディ戦……じゃなくてもいいですよね? 駒落ちってよくわからないので》
《平手でいい。それじゃ、星野の先手だな。よろしくお願いします》
《よろしくお願いします》
星野くんは初手を指した。7六歩。
あんまりうまい手つきじゃない。
3四歩、2六歩、4四歩、4八銀、4二銀、5六歩。
対抗形かしら。
5四歩、6八玉、5三銀、5七銀、3二飛。
あ、三間飛車。
星野くんはここですこし考えた。
《……2五歩》
3三角、7八玉、6二玉、7七角。
先手は穴熊へ。
7二玉、8八玉、8二玉、9八香。
《星野、ずいぶん慎重だな。もっとガンガンきてくれていいんだぜ?》
《いえ、いつもこうしてるので……》
6四銀、6六銀、4二飛、5八金右、4五歩。
《風切先輩、もしかして穴熊狙ってます?》
星野くんはそう言いながら2六飛と浮いた。4筋を受けた手だ。
《心配か? だったら7二銀だ》
《いえ、べつに穴熊でもよかったんですが……》
星野くんは6八金寄とした。
なかなか王様を入らないわね。
《ところで、星野はいつから将棋を始めた?》
《大学入試が終わったあとです》
《ってことは3月からか? 上達が早いんだな》
風切先輩は4四角と出た。飛車当たりになる。
《風切先輩はいつからですか?》
《小2だ》
星野くんは、ちょっとだけ表情を変えた。
けど、なにも言わずに3六飛と寄った。
星野くんが質問しかけた内容はわかる。
なぜ小学生のころからやってて3級なのか、だ。
星野くんは風切先輩のことをぜんぜん知らないみたいだった。
3二飛、7八金上、5一金左、9九玉、3五歩、2六飛。
後手はふたたび三間にふりなおした。
《開戦させてもらう。3六歩》
《同飛です》
星野くんの決断は早かった。飛車交換でヨシと踏んだようだ。
たしかに、後手はスキが多いようにみえる。端歩すら突いていない。
風切先輩、もしかして手抜いてるとか?
《同飛》
同歩、3九飛、3一飛、2九飛成、2一飛成、1九龍。
後手は間に合うの?
《7五銀……かな》
星野くんは攻勢に入った。
《悪いが、そいつは疑問だ。7七角成》
……………………
……………………
…………………
………………あッ。
その場でモニターをみていた全員が事態を察した。
後手が一気に有利。同金直とできないし、同桂は7五銀、同歩、7六桂がある。
さらに、一番自然な同金右には罠が待っていた。
《角交換が狙いだったんですか? ……同金右です》
《6五桂》
《……そっか》
星野くんはすこし前のめりになった。
自分のほうが悪いことに気づいたようだ。
《すみません、ちょっと考えてもいいですか?》
風切先輩はあっさりと了承した。
ここからなら、もう逃さないだろう。
私はひと息ついて、一緒にいた松平に話しかけた。
「けっきょく、この対局ってなんの意味があるの?」
「……とりあえず、星野が聖生じゃないっぽいことはわかったな」
「え? どうして?」
「星野は風切先輩が元奨なのをぜんぜん知らないみたいだ」
あッ、そういう……でも、聖生が風切先輩のストーカーだっていう推理、そこまで根拠があるものでもなかったような……いや、まあ、聖生は大学将棋のことを知ってるんだから、風切先輩が元奨なのを知らないのもおかしいと言えばおかしいか。
「でも、それだけ?」
私の質問に、松平は髪の毛をくしゃくしゃにした。
「そうなんだよな。こんなのは将棋を指さなくても、いくつか質問して終わりだ。なにか別の狙いがあるんだと思うが……わからん」
私と松平は、対局を見守ることにした。
星野くんは3分以上考えている。
《……6四銀》
刺しちがえにいった。
風切先輩は同歩とせずに、そのまま7七桂成と突っ込む。
7三銀成、同銀、7七桂、6九銀。
うまいところに引っかけた。
《まいりましたね……6八銀打は7八銀成がどのみち取れないから……》
《時間はある。使っていいぞ》
風切先輩はペットボトルを開けて、水を飲んだ。
私たちのまわりでは、虫が鳴き始めている。一陣の夜風。
《決めました。7四桂です》
風切先輩は黙って9二玉と寄った。
《さすがにこれは引っかからないですよね……》
それはそう。王手龍を狙ってもムリがある。
とはいえ、後手は端歩を突いてないから狭い。
《5一龍です》
《7八銀成》
風切先輩は龍切りを無視して先に銀を成った。
《あ、う……》
先手はもう打つ手がない。
8九の金打と7九龍を同時に防ぐ手がないからだ。
《負けました》
《ありがとうございました》
星野くんが頭をさげて投了。風切先輩も一礼した。
《先輩、めちゃくちゃ強いですね。ほんとに3級なんですか?》
《ああ、元奨励会3級だ》
《モトショウレイカイってなんですか?》
「星野くんに奨励会の話なんかしても通じないわよ」
「ッ!?」
私たちは飛び上がるほどおどろいた。
ふりかえると、街灯のしたに顔見知りの女性が立っていた。
「速水先輩ッ!」
「あなたたち、ずいぶん手の込んだことをしてるのね」
私はパソコンの画面を隠そうとした。
でも、すぐに我にかえった。
「なんで速水先輩がここに?」
「ちょっと忘れものを取りにきたのよ」
速水先輩はそう言って、手に持っているファイルをかかげた。
それは、野球部の部室でみたファイルとそっくりだった。
「それじゃ、私はほんとに通りかかっただけだから、チャオ」
○
。
.
翌週、私たちは部室で練習試合をしていた。
私と大谷さんが感想戦をしている途中で、ガラリとドアが開いた。
「わりぃ、講義が長引いちまった」
風切先輩はそう言って、新聞片手に入室した。
三宅先輩はそれを見とがめて、
「風切、新聞読むようになったのか?」
とたずねた。
「ま、こいつを見てくれ」
風切先輩は新聞をテーブルのうえに放った。
三宅先輩は椅子を動かしてのぞきこむ。
「……なッ! ウソだろッ!?」
三宅先輩は悲鳴をあげた。風切先輩はタメ息をついて椅子を引いた。
「もこっちにみごとにやられたな」
なになに? 私たちも新聞をのぞきこんだ。
大学専門の空き巣を逮捕
関東の大学スポーツ施設で空き巣の被害が相次いでいた事件につき、警視庁は27日、無職の大熊広士容疑者(28)を窃盗および住居侵入の罪で逮捕した。男性は容疑を否認しているという。
……どういうこと?
私は新聞から顔をあげた。
「先輩、これって……?」
風切先輩は苦虫をかみつぶしたような顔で、
「ようするにそういうことだ」
と答えた。いや、解説になってない。
「この容疑者って、もしかして野球部の大熊コーチですか?」
「コーチだった大熊だな。藤田の言ってたスポーツクラブ専門の空き巣だ」
「えッ……じゃあ、合宿費を持ち出したのも?」
「おそらく、な」
私たちは沈黙した。
事件が解決したのはわかる。でも、まだ全体像がみえてこない。
大谷さんも事情が飲み込めないらしく、
「なぜ急に逮捕されたのでしょう?」
とたずねた。
「指紋だ。もこっちは、野球部のファイルを持ち帰ったんだろ?」
……あ、そういえば。
風切先輩は腕組みをした。
「大熊は、どこかの大学で指紋を残したんだろうな」
まだ納得がいかない。私は質問を追加した。
「そもそも、速水先輩がなんで警察に証拠を提出してるんですか?」
「あいつの親父はS台高検の検事長だぞ。警察に知り合いなんていくらでもいる。都ノに顔出しなんて、おかしいと思ってた。最初からこの事件の調査が目的だったんだ。星野が電話した相手の女も、速水でまちがいない」
えぇ……って、あれ? ってことは?
「風切先輩はこのことを予測して、私たちを待機させてたんですか?」
私の質問に対して、先輩は首を左右にふった。
「いや……あれは偶然だ。犯人は部室に来ると思ってた」
「犯人が部室に……? どういう推理で?」
風切先輩はもういちどタメ息をついた。
「推理じゃない。『ゴッドファーザー』って映画を知ってるか?」
「ゴッドファーザー……聞いたことはあります」
「あの映画で有名なセリフがあるんだ。マフィアのボスのヴィトーが、息子のマイケルにこうアドバイスする。『バルジーニとの会談の話を持ってくる奴は裏切り者だ』……ピンチのときに助け舟を出してくるやつは、いつでも怪しいってことだ。星野を心配するようなふりをして将棋部に現れるやつがいたら、そいつが犯人だと思った……が、映画みたいにうまくはいかなかったな」
……………………
……………………
…………………
………………
ひとつだけ忠告させて
今回の件、だれから質問されても絶対に答えちゃいけない
「どうした、裏見? なにか疑問があるのか?」
「あ、いえ……なんでもありません」
私がそう答えると、風切先輩は安心したような笑みをうかべた。
「とりあえず、事件は解決だ。大熊が聖生って可能性は低そうだし、今回ばかりはヤツの濡れ衣だったみたいだな」
これには三宅先輩があきれた。
「聖生の悪事が帳消しになったわけじゃないんだぞ」
「そりゃそうだ。あいつはまたべつの機会にしっぽをつかんでやらないとな」
風切先輩と三宅先輩の会話をよそに、私は新人戦のことを思い出していた。
もし質問してくるやつがいたら、そのなかに裏切り者がいる
3年前の約束を破った裏切り者がね
三和さんのあの発言――これって、ただの偶然?
場所:都ノ大学将棋部の部室
先手:星野 翔
後手:風切 隼人
戦型:後手三間飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △4二銀
▲5六歩 △5四歩 ▲6八玉 △5三銀 ▲5七銀 △3二飛
▲2五歩 △3三角 ▲7八玉 △6二玉 ▲7七角 △7二玉
▲8八玉 △8二玉 ▲9八香 △6四銀 ▲6六銀 △4二飛
▲5八金右 △4五歩 ▲2六飛 △7二銀 ▲6八金寄 △4四角
▲3六飛 △3二飛 ▲7八金上 △5一金左 ▲9九玉 △3五歩
▲2六飛 △3六歩 ▲同 飛 △同 飛 ▲同 歩 △3九飛
▲3一飛 △2九飛成 ▲2一飛成 △1九龍 ▲7五銀 △7七角成
▲同金右 △6五桂 ▲6四銀 △7七桂成 ▲7三銀成 △同 銀
▲7七桂 △6九銀 ▲7四桂 △9二玉 ▲5一龍 △7八銀成
まで60手で風切の勝ち




