131手目 Bolo de Rolo
「これだッ! このなかに違いないッ!」
風切先輩は、道具箱をテーブルのうえにひっくり返した。
大量の電池が転がる。私たちは、床に落ちそうなものを慌てて受けとめた。
三宅先輩はおどろいて、
「それは全部、使い終わったやつ……あッ」
「重さがおかしいやつをさがせッ!」
私たちは手分けして電池を整理した。穂積さんが叫ぶ。
「これ、やたら重いですッ!」
松平も単1の電池を選び出して、
「これも変ですよ。単1を使う機材はないです」
と指摘した。
私もやたら重いやつを見つけて、合計3本のおかしな電池が発見された。
風切先輩は磐くんに鑑定を依頼する。
「たまげたなぁ……おそらく盗聴器付きの乾電池ですよ。巧妙に自作してある。でもよく見ると、メーカーの印字なんかがズレてますね」
「やられた。これなら部屋に入ったとき箱へ放り込むだけだし、回収する必要もない。次のゴミ捨てのときに出したら、2度と証拠があがらないんだからな」
な、なるほど……この部室の会話は、聖生に筒抜けだったわけだ。
私はぞくりとするものを感じた。と同時に、すこし疑問に思うこともあった。
「でも、最初の1回はどうやって侵入したんですか? 電池を放り込む前は?」
風切先輩は考え込む。
「……1回目は冒険したのか? それとも、ほかにもあるのか?」
おっとっと、完全な正解にはいたっていないことが判明した。
磐くんも、
「使い終わった電池の保管場所が分かってないと、探す時間が必要になりますよね」
と言い、首をひねった。
すると、さっきまで黙っていた穂積お兄さんが、
「最初の1回だけ、別の方法で盗聴すればいいんだよね? その方法は継続的なものじゃなくても問題ないわけだ。2回目以降は電池式盗聴器を使えばいいから」
と尋ねた。磐くんは、
「理論上はそうなりますね。ただ、最初の1回でどう仕込むのかが目下の謎ですけど」
と答えた。
「うん、じゃあ分かったよ」
「え?」
「風切くんのスマホだ」
全員の視線が風切先輩にそそがれる。
「お、俺のスマホ?」
「風切くんさ、守屋くんからアカウントをもらったよね?」
「ああ、そうだが……アカウントをもらっただけで、変なURLは踏んでないぞ? 聖生のほうのアカウントは、守屋から取り上げた次の日には削除されてたんだからな。残ってるのは、通信相手のいない守屋のアカウントだけだ」
「聖生が守屋くんに、盗聴アプリのURLを先に踏まさせていたとしたら?」
風切先輩は大慌てでスマホを操作した。
「……あ、あるッ! こいつ聖生から送られたURLを踏んでるッ!」
「これで決着だね。盗聴されたタイミングもだいたい分かったよ。氷室くんが風切くんを将棋祭りに誘うため、部室に来ただろう。あのとき、風切くんはログを確認してた。そこでの会話から、部室が空く時間を割り出したんだと思う。守屋くんのアカウントは頻繁に確認しないから、バッテリーの消耗にも違和感を覚えなかったんだと思う。感染先になるMINEアプリは最初から入ってるし、この点でもバレるおそれがないよね」
風切先輩は悔しそうな顔をした。
「くそぉ、自分で盗聴アプリを持ち込んじまったのか……最悪だ……」
私たちは先輩をなぐさめようとした。と、そのとき――
ヴィー
私たちは飛び上がるほど驚いた。いきなりスマホが振動したからだ。
風切先輩は画面を確認する。
聖生2 。o O(ふぅむ、今回もバレてしまったね。)
「の、聖生ッ!?」
聖生2 。o O(乾電池はバレるかもしれないと思ったが、アプリはさすがだよ。)
聖生2 。o O(きみたちを、すこし見くびっていたかもしれない。)
聖生2 。o O(まあ、I SEE YOUと警告しておいたからね。)
聖生2 。o O(ヒントは最初からあったとも言えるだろう。)
聖生2 。o O(いずれにせよ、今回は降参しよう。口座に金はもどしておく。)
聖生2 。o O(SEE ZOU AGAIN)
風切先輩は、いそいで返信しようとした。
だけど、送信ボタンを押した途端、
Das Account wurde gesperrt :)
というメッセージが現れた――ん? 何語?
三宅先輩は画面を覗き込んで、
「英語……じゃないな」
とだけつぶやいた。すると穂積さんが、
「これはドイツ語ですッ! パッと見ッ!」
と自信ありげに答えた。私たちは、どういう意味か尋ねる。
「冠詞と名詞しか習ってないので分かりませんッ!」
あのさぁ、と言いたいところだけど、第二外国語なんて、こんなものよね。
「というか、聖生、最後の最後でタイプミスしてるな……」
三宅先輩の指摘に、ちょっとだけくすりとしてしまう。
風切先輩もすこしだけ気が楽になったのか、それまで険しかった表情をゆるめた。
スマホの電源をオフにする。
「とりあえず、ほんとに入金するかどうか確認しよう。三宅、頼んだぞ」
「ああ、もし入金されなかったらすまんが、風切の『割のいいバイト』でひとまず埋めてくれ。あとで必ずなんとかする。銀行と交渉する余地もあるだろう」
「了解……それじゃ、口直しに……っと、そのまえに電池を捨てないとな」
○
。
.
「……ということがあったのよ」
ここは渋谷のとある将棋喫茶――有縁坂。
速水先輩と佐田店長の勝負の場は、一転して都会の華やかな雰囲気に包まれていた。
私はなんだか変な気分になる。
店長は奥のほうで、なにもなかったような顔をしている。
私なんか全然知らないよ、という感じの態度。
そのほうが助かると言えば助かる。今日は来月の期末試験に向けて、火村さんと勉強会を開いている最中だったからだ。テーブルのうえには、テキストが散乱している。今は勉強の合間に、ひと息ついているところ。
私の話を聞いていた火村さんは、ジュースのストローからくちびるを離した。
「ふーん……で、そのノエルとかいうやつは、捕まったの?」
「全然。でも、返金はされてたわ」
「ただのイタズラにしては手が込んでるけど、イタズラにしか見えないわね」
そう、そこが問題。なんだかゲームを楽しんでいるような感じだ。
「あたしにそのこと話しちゃってよかったの? 部外者でしょ?」
「聖ソフィアもオーダー表の書き換え被害にあったじゃない」
私の指摘に、火村さんは片方の眉毛を持ち上げた。
「へぇ、あれもノエルのしわざだと読んでるわけ?」
「そうとしか考えられなくない? オーダー表の書き換えは、なにかの機械でやったに違いないし、そのあとの一連の事件も最新技術が絡んでるわ。一貫性があるもの」
「じゃあ、バイト中の香子に電話をかけてきて、オーダーが書き換えられてるのを教えた人物は、ノエル本人? それとも、別のひと?」
私は返答に窮した。
ボイスチェンジャーを使っていたから、聖生の人物像には合致している。
「……聖生本人じゃないかしら」
「自分でオーダーを書き換えて、自分で教えるって変じゃない?」
「さっきも言ったでしょ。聖生はゲームを楽しんでるのよ」
「なんのためのゲーム?」
「それは……そんなの分かんないわ」
異常者の考えることなんてトレースできっこない。私はそう思った。
火村さんはトマトジュースをチュウチュウする。
「ここのトマトは無農薬でいいものを使ってるわね」
さいですか。私はコーヒーを飲む。これもおいしい。
このお店、味は折り紙つきだ。将棋喫茶じゃなくてもお客さんはいっぱい来そう。
「Hey、香子、カミーユ!」
給仕の制服を着たララさんが話しかけてきた。
ララさんは背が高いから、店内でもけっこう目立つ。
「今日はスペシャルスイーツがあるんだけど、食べてかなーい?」
「おいくら円?」
「チチチ、香子、先に値段を聞くのはマナー違反だよ」
なんでですか? 駒を取ってから損得を考える、なんてことしないでしょ。
取る前に考える。考えてから取る。
「Bolo de Roloっていうブラジルのお菓子だよ。ララが作ったの。どう?」
「どういうお菓子? ケーキ? クッキー? それともゼリー?」
ララさんはお盆を持ったまま両肩をすくめて、大げさにタメ息をついた。
「こういうときは、友だちが作ってる時点で頼もうよ……Você é fria」
火村さんも便乗して、
「香子って打算的なところがあるわよね」
と煽ってきた。おのれぇ。
「東京は物価が高いから、いろいろ大変なのよ」
「で、食べてくれるのかなぁ〜?」
ここまで圧をかけられると、注文せざるをえない。
「じゃ、1つお願い」
「Bolo de Rolo、おひとつ〜♪」
ララさんは鼻歌を歌いながら、カウンターのほうへスキップした。
私はタメ息をつく。
「ララさん、元気なのはいいけど、ノリがちょっと疲れるわ」
火村さんは他人事みたいに、
「国際化ってやつね。ところで話は戻るけど、都ノ将棋部は、ノエルの正体を突き止めるつもりなの? そもそも目星とかついてる?」
と尋ねてきた。
「ちょっとずつ、ついてきてるわ。会社勤めじゃない技術者の男性、よ」
「技術者は分かるけど、『会社勤めじゃない』『男性』っていうのは?」
「大学に6回潜入できたってことは、平日も時間を作れるはずでしょ」
「たしかにリーマンじゃなさそうね。『男性』に限定するのは? まさか、理系だから男性っていう偏見じゃないでしょうね?」
「これは風切先輩たちの推理で、けっこう説得力があるの。リケジョも増えてきたけど、男女比で見たら、まだまだ女子のほうが少ないでしょ。だから、どの職場にどんな女子がいるかは、だいたい覚えられちゃうわけ。今回のケースみたいに、自動筆記装置を使ったり3Dプリンタでハンコを作ったり、あちこちのラボにこっそり出入りするのは、無理なんじゃないかって結論になったわ」
「あ、ふーん、なるほどね、女子のほうが目立っちゃって行動がとりにくい、っていう推理なんだ。でもさ、ラボの機材じゃなくて自宅に装置があったら、どうするの?」
「風切先輩たちの概算だと、今回の犯罪に必要な経費は1000万を超えてるらしいわ。個人じゃ無理だと思う。それに、もし個人所有なら、最終手段で販売経路を突き止めれば一発で分かるかもしれないのよね」
「個人で1000万も機材を買ってたら、なにかのリストには載ってそうね。お得意さま名簿か、あるいは、優良顧客名簿とかに……つまり、個人所有じゃない、と。でもさ、それって犯人像めちゃくちゃ絞れてない?」
火村さんの言葉に、私もかるくうなずいた。
「そうなのよね。時間があって、いろいろな機材にアクセスできて、しかもその行動がそこまで厳格にチェックされてないってことは……多分……」
「お・待・た・せ♪」
私たちは顔をあげた。
「ララちゃん特製のBolo de Roloだよ〜♪ おいしいよ〜♪」
ララさんは、花柄のお皿をテーブルのうえにおいた。
生クリームが淵に盛られていて、その真ん中にしっとりとしたロールケーキ。
「あ、おいしそう」
「でしょ? Servir você」
ララさんが見守るなか、私はフォークで口に運んだ――ん、おいしい。
「すっごく甘いけど、コーヒーにはぴったりだわ」
「おばあちゃんから教わったんだよ。こんど部室に持ってくね」
ララさんはほかの席からオーダーがかかって、その場を離れた。
「うーん、これはおいしいわ。注文してよかった。火村さんも、どう?」
「あたしはトマトジュースだけでいいわ」
えぇ……火村さん、ほんとに全然食べない。心配になってくる。
とはいえ、あんまり他人の食習慣にどうこう言ってもね。
私はもくもくと食べた。
よし、これで糖分もチャージできたし、いざ、試験勉強ッ!




