130手目 他人の金で焼肉が食べたい
「やった〜、他人の金で焼肉だぁ〜!」
磐くんは七輪に塩タンを乗せた。
ジュウっといい音がする。
穂積お兄さんも、トングでどんどん肉を乗せて行った。
「お兄ちゃん、焼く順番がおかしいってば。タンのあとにカルビ、ロースはあと」
「ごめんごめん」
私は大谷さんの右となりで、肉をひっくり返す役。
「あら? 大谷さんのお肉は?」
「拙僧、あまり肉料理は食べないので、チシャ担当です」
そ、そういう担当はないと思う。
サラダを追加で頼んだほうが、いいかしら。
一方、男子のほうはかなりうるさくなってて、
「おい、磐ッ! なんで俺の食ってるんだッ!?」
「剣之介がトロいのが悪いのさ」
「くそぉ、こっちをよこせ」
「あ、それは俺のだぞッ!」
三宅先輩と取り合いっこになる松平。
あっちは放置しましょ――とも言えないのよね、これ。
私は左どなりの風切先輩に声をかけた。
「先輩、ほんとに焼肉でよかったんですか?」
「ん、まぁな。新人戦の正式な打ち上げもしてなかったところだ」
「そういう意味じゃなくて、お金のほうは金曜日までに融通しないといけないんですよ?」
風切先輩は、ちょっと声を落とすように合図した。
私は小声でもういちど、
「アテはあるんですか?」
と尋ねた。
風切先輩は箸を休めて、ちらりと磐くんのほうを警戒しつつ、
「……ある」
と、ギリギリ聞き取れる大きさで答えた。
「え、あるんですか?」
「最近、わりのいいバイトを紹介してもらったんだが……そこの雇い主に頼めば、ある程度は前借りできると思う」
えぇ……借金じゃない。
「風切先輩の負担が大きすぎません?」
「一時しのぎには十分だ。最後は捕まえて返金させる。ついでに警察へ……」
「風切、食べないとどんどんなくなるぞ」
三宅先輩の指摘に、風切先輩はアッとなった。
「あ、こらッ! ちゃんとフィールド作ってあっただろッ!」
やれやれって感じ。とはいえ、お金は工面できそう……ってことなのかしら。
早めに解決したほうがいいと思うんだけどなぁ。部室をもう一回調べるとか。
私は焼き終えたタンを口に運んで……うん、おいしい。
とりあえず焼肉を楽しみますか。
「くそぉ、磐の箸癖が悪すぎる。規律を守れ、規律を」
松平はまたカルビを取られて、ご立腹のようす。
「焼肉の網にルールなし。これを焼肉強食という。わっはっは」
「首都工は無法地帯かよ」
「むッ、そんなことないぞ……だったら、首都工名物、焼肉クイズをするか?」
なんか変な流れになってきた。松平はきょとん。
「焼肉クイズ? ……なんだ、それ?」
「問題を出し合って、答えられたやつが肉を食べる権利を得るんだ」
「よし、乗ってやろうじゃないか。数学には自信があるぞ。お題は?」
磐くんはちょっと考えて、
「……暗号」
と答えた。これには全員が微妙に反応してしまう。
「ん? 微積とかのほうがいいか?」
「いや……なんで暗号にしようと思った?」
松平の確認に、磐くんは肩をすくめた。
「首都工だとこれが一番多いからさ。問題を作りやすいし」
なんかあやしい雰囲気になってきた。
「で、暗号はイヤなのか? イヤなら変えてもいいぞ?」
松平は、風切先輩に「どうします?」と確認を入れた。
先輩は即答した。
「俺はそれでいいぜ」
磐くんもニヤリとする。
「さすが風切先輩、自信満々ですね。とはいえ、経験値は俺のほうがうえですから、そこは手加減なしってことで。じゃあ、もうひとつ絡めて、『答えが将棋と関連するもの』に限定しましょう。これも将棋部だとよくやりますからね。俺からでいいですか?」
三宅先輩は「俺だけ不利じゃないか?」と尻込みした。
すると、穂積お兄さんが、
「あ、僕やりまーす」
と手をあげた。
「お兄ちゃんは網奉行でしょ」
「いや、網奉行は俺がやる。穂積、代わってくれ」
三宅先輩と穂積お兄さんが席をチェンジ。
磐くんはおしぼりで口元を拭いて、さっそく問題を出した。
「では、ルールを説明しまーす。暗号文を時計回りに出して、30秒以内に解いたひとがいたら、解いたひとが食べる。解かれなかったら、出題者が食べる。でたらめな問題はダメですよ。説明できなかったらペナルティですからね。OK?」
全員首を縦に振った。
はやく食べたほうがいいのでは? 焦げるわよ?
「では、問題ッ! 1010101、11001、111111で表される戦法……」
「横歩」
……………………
……………………
…………………
………………
磐くんは、即答した風切先輩を見つめた。
「先輩、マジですか?」
「正解だろ? このカルビはもらうぜ?」
風切先輩は網に箸を伸ばして、パクリ。
磐くんはうらやましそうに、
「うぅ、俺のカルビ……」
と、つぶやいた。松平はあきれ気味に、
「おまえが焼いたやつじゃないだろ……でも、なんで横歩なんですか?」
と尋ねた。
「2進数でごまかそうなんて、ちょっとナメ過ぎだよなぁ」
風切先輩はそれだけ答えて、解法を明かさなかった。
そして、出題者のがわに回る。
「よし、今度は俺だ。B16、FD、2Cで表される将棋用語」
簡単なんですかね。はたから聞いてる時点でむずかしそうなんだけど。
ほかの3人は思いっきり悩んだ。磐くんは眉間にシワを寄せる。
「爆撃機、記憶メディア……2C……?」
「10秒〜」
風切先輩、そのあいだに野菜を焼く。
「20秒〜」
「2Cって、化学で聞いた覚えがあるけど……なんだっけ……」
磐くん、頭をかかえる。
「あ、分かったッ! けど計算する時間が……」
「5、6、7、8、9、10、ブッブー。答えは『開き王手』だ」
「うぅうう……名詞っぽい言い方をされたから引っかかった……」
磐くん悔しそう。風切先輩はロースに手をつけた。
「ほらほら、早く当てないと、肉がなくなるぞ。次の出題者は穂積か?」
「僕のは簡単だよ。sRGBで#FFDAB9の文字が入ってる棋士の名前」
は?
「出題者は秒読みをすればいいんだよね? 10秒〜」
これは風切先輩も含めて長考。29秒ぎりぎりのところで、松平はイチかバチか、
「色が入ってる名前だから竹俣紅!」
と答えた。
「ブッブー、中村桃子だよ。#FFDAB9はピーチ・パフ」
「そんなの分かんないですよッ!」
「いやぁ、僕は将棋部に入って日が浅いから、ネット中継でよく聞き手をしてる女流に当たりをつければよかったんじゃないかな」
そう言われてみると、たしかに。穂積お兄さんが名前を知っている時点で、棋士の名前はそうとう限られたはずだ。このゲーム、一筋縄ではいかない模様。
こうして、どんどん問題は進んだ。
【風切 2問目】
「こんどはサービス問題だぜッ! この序盤の出だしを普通なんて言うッ!?」
【穂積兄 2問目】
「次の疑似コードで検証可能な素数の7、8、9番目の数で表される位置に初期配置されている駒の種類の組み合わせは?」
【風切 3問目】
「さあ、何のお祝いだッ!?」
【穂積兄 3問目】
「出血大サービス。プライベートIPアドレスで最も使われている数値のうち、クラスBの場合のホスト部が持つ数値と同じ日付に生まれた棋士は?」
「……」
「……」
「どうした、松平、磐? 食いたくないのか?」
風切先輩の挑発に、磐くんはおそるおそる、
「えーと……この勝負、そろそろやめません? 普通に食べたいなぁ。アハハ」
と笑った。風切先輩と穂積お兄さんは、黒い笑みを浮かべて交互にしゃべる。
「いやいや」
「先輩たちはね」
「ちょっと暇してるんだぜ」
「もっと遊んで欲しいなぁ」
「「イヤぁあああああああああああああああッ!」」
……………………
……………………
…………………
………………チ〜ン
「あぁ、食った食った」
「ふたりだけで食べると、さすがに多かったね」
強い。磐くん悶絶。
「こ、こんなはずじゃ……」
松平も髪の毛をくしゃくしゃにして、
「くそぉ、俺までとばっちりじゃないか」
と嘆いた。私は自分の網にあるロースを渡す。
「ほら、こっちは女子が多いから、まだ余ってるわよ」
「うおおおおッ! 裏見の箸で触ったロースッ! ごふぅッ!」
「そういう変態なこと言うなら没収」
まったく。とはいえ、風切先輩もこのままじゃ不公平になると思ったのか、
「しゃーねぇ、もう2人前頼むか」
と呼び鈴を押した。三宅先輩は、
「いいのか? あんまり高いと割るときに大変だぞ?」
と心配した。風切先輩は全然平気なようすで、
「多少は俺が持つさ。わりのいいバイトが入ったって言っただろ」
と返した。わりのいいバイトって、なんなのかしら。将棋関係?
風切先輩が明確に言わないから、こっちも訊きずらかった。
一方、磐くんはそのへんどうでもいいらしく、
「ありがとうごぜぇます」
とかなんとか言って、風切先輩を拝んだ。
「拝むよりも通帳がなくなった経緯を解明して欲しいぜ」
「盗聴しかないと思いますけどね」
「磐の目星のつくところは全部探したんだろ?」
「全部じゃないですよ。チェスクロの中とかパソコンの中はあやしいです」
「それは解体してセットする時間がない。だろ、三宅?」
風切先輩は、三宅先輩に話を振った。
「ああ、俺もそう思う。備品が解体された形跡はなかった」
「それを確認するために解体するんじゃないんですかね……あ、注文が来た」
カルビとロースが2人前、磐くんのまえに置かれた。
「カルビは最初から味がついておりますので、そのままお召し上がりください」
店員さんはそう言って立ち去った。
磐くんはトングを手に舌なめずりする。
「他人の金で焼肉を再開……風切先輩、どうかしました? スゴい顔しちゃって?」
「……俺たち、勘違いしてたんじゃないか」
「なにをですか?」
「盗聴器が最初から仕掛けられていたとしたら、どうだ?」
私たちは顔を見合わせた。それって――
「つまり、私たちが入部するまえからってことですか?」
私の質問に、風切先輩は行動で答えた。伝票を持って席を立つ。
私たちも椅子を引いた。
ひとり磐くんは慌てて、皿を持ったまま腰をあげる。
「え? 今から戻るんですか? 肉は? ねぇ、肉は? ……あ、店員さん、これパックに入れて持ち帰れませんか? あッ! みんな待ってッ!?」
○
。
.
スーッと、最後のネジが引かれる。
感電防止のゴム手袋をはめた磐くんは、パソコンのプレートをはずした。
ゆっくりと中をのぞきこむ。
「……ないですね」
室内に漏れるタメ息。風切先輩は軽く舌打ちをした。
「くそッ、ここも違うのか……ほかに候補は?」
「俺が隠しそうなところは、だいたい開けましたね」
蛍光灯、チェスクロ、掛け時計。
電気が通っているものは、だいたい開けた。
「壁に埋めるって手もありますけど、さすがに今回は違うかな、と」
「だろうな。工事した形跡はない……だれかアイデアはないか?」
風切先輩の問いかけ。大谷さんが挙手した。
「拙僧は持っていないのですが、みなさんスマホをお持ちでは?」
……あッ、電化製品。
スマホで盗聴できるかどうか、風切先輩は磐くんに尋ねた。
「できますけど、すぐバレますよ。通信量とかバッテリーの消費が増えてます? 入れた覚えのないアプリが入ってるとかは? あるいは、通話が途切れるとか?」
私たちのなかで、心当たりのある人物はいなかった。
磐くんも、さらに否定的な理由を述べた。
「部室を盗聴しないといけないんですから、個人が持ち歩いてるものじゃないと思いますけどね。しかも、えーと、大谷さんは持ってないんでしょ?」
「はい、拙僧、神通力で交信できます」
「マジ?」
「冗談です」
大谷さん、TPOしっかり――とその瞬間。
「あぁッ! 分かったぞッ!」
風切先輩は大声を出して、書棚のとなりにある道具入れに駆け寄った。
「これだッ!」




