108手目 ストーカー?
私たちは、一斉に氷室くんを見た。
「ちょ、ちょっと待ってください。僕が第一容疑者なんですか?」
さすがにあせる氷室くん。これには朽木先輩が、
「氷室くんが風切ファンなのは事実だ。しかし、ストーカーではないだろう」
と助け船を出した。まあ、私たちもほんとに犯人だと思っているわけじゃない。
朽木先輩はさらに、
「他人から見られている感覚は、さまざまな心理的要因から起こるものだ。風切くんを嘘つき呼ばわりするつもりは毛頭ないが、勘違いもありえるのではないか」
と解説した。風切先輩は、これに納得しなかった。
「俺も最初は気のせいだと思ってたんだが、どうも痕跡があるんだよな」
「痕跡というのは?」
「ベランダのほこりが一部だけなくなったりする」
怖い。なにそれ。のぞかれてるってこと?
朽木先輩もさすがに態度を変えて、
「それはいかんな。警察に届け出てはどうだ?」
とアドバイスした。
「男の届け出なんて受理されるのか?」
「される。一度うちのアパートでトランクスがなくなったときは受理された」
私たちは橘さんのほうを見やる。
「お待ちください。なぜわたくしが変態のような扱いなのですか?」
「うむ、可憐ではないと信じているぞ」
朽木先輩のかばいに、橘さんはハンカチで目元をふいた。
「うぅ、ぼっちゃま、一生お仕えいたします」
そういう反応をするから怪しまれるのでは。メンツが濃すぎるのも考えものだ。
風切先輩もこの話は打ち切りたくなったのか、うしろ髪をなおした。
「まあ、俺の勘違いかもしれないが……」
「2回戦を始めますので、早めに着席してください」
ちょうどいいタイミングでアナウンスが入った。
風切先輩たちは対局席へ移動する。見送りが終わると、橘さんがひとこと、
「監視カメラの話をなさらなかったのですね」
とつぶやいた。なんと答えたものか迷う。
「そうですね……信じてもらえないかな、と」
橘さんは腕組みをして、右手のひとさしゆびをくちびるにそえた。
「わたくしも、さきほどまでは冗談かと思っていましたが……どうして監視カメラがあると思ったのですか? 対局が始まるまえに覗き込んだとか?」
「あ、いえ……その……受信している子のスマホが目に入って……」
橘さんの目つきが鋭くなった。
「犯人に会った、と?」
「ええ、そうなんです。そこの……あれ?」
私が指さそうとすると、ベンチは空になっていた。
「あそこにいたんですけど……」
「……」
う、疑ってる反応。とはいえ、橘さんも私を嘘つきだとは思わなかったようで、
「もし会場にいたら、報告してください。すこし調べる必要があります」
と言ってくれた。調べると言っても、どうするのかしら。
疑問に思っていると、会場にもうひとつアナウンスが入った。
「レディースの部の受付は、ただいまから始めます。速やかに登録をお願いします」
ん? レディースの部?
橘さんは、こほんと咳払いをした。
「では、わたくしたちも登録致しましょう」
「えッ……もしかして、私たちも出場するんですか?」
「そういう意図で来たのではないのですか?」
違うがな。レディースの部なんてものがあるとすら聞いていない。
「まあ、参加者が男性しかいないから、変だとは思ったんですが……」
「準備の必要な大会ではありません。参加なさいますか?」
参加しろって雰囲気なんだけど。3人1組っぽいし。
「でも、ひとり足りなくないですか?」
「まどかさんを誘えばいいかと」
それも、そうか。私たちは、ベンチに寝っ転がる冴島先輩に声をかけた。
「せんぱーい、起きてください」
「あと5分……」
「何時に起きたんですか?」
「朝の2時……」
そ、そうなんだ。冴島先輩を誘うのは無理な気がしてきた。
「晩稲田に筒井さんがいらっしゃいましたよね? 筒井さんを呼び出せませんか?」
「彼女には拒否されてしまいました。めんどくさいとかで」
いかにも言いそう。橘さんと仲良くないっぽいし。
「新宿付近に住んでる学生はいないんですか?」
「新大久保あたりに住んでいる学生はいますが、間に合わないような……」
橘さん、意外と段取りが下手っぽい。こういうのは何人かに声をかけておくのでは。
私は、もういちど冴島先輩を起こそうとした。
「せんぱーい、晩稲田の応援団パワー、見せてくださーい。せんぱ……」
「あーッ! いたいたいたッ!」
げッ、この声とテンションは――ふりかえると、背の小さな女の子が立っていた。
「火村さんッ!」
「よーし、いたわね。香子、ちょっと顔貸しなさい」
なんですか。いきなり喧嘩ですか。
火村さんは、真っ黒なひらひらの服を風になびかせて、くるりと一回転。
ビシッとポーズを決めた。
「恋の吸血姫シスターズ、結成ッ! というわけで登録するわよ」
……………………
……………………
…………………
………………は?
「火村さん……もしかして将棋大会に参加するの?」
「あたりまえでしょ。そのために待ってたんだから」
待ってた? だれを? ……私たちってこと?
これには橘さんも変に思ったらしい。怪訝そうな顔をした。
「あなたに声をかけた覚えはありませんが?」
「あたしはなんでもお見通しなのッ! さっさと登録ッ!」
いきりたつ火村さんをよそに、私と橘さんはひそひそ話。
「このひとがストーカーなのではありませんか?」
「なんか、そんな気がしてきました」
火村さん、ときどき超人的な勘を発揮してくる。隠しカメラとか盗聴器とか、そういうオチなのでは。オーダー表の一件も怪しくなってきた。
「ちょっと、聞こえてるわよ。だれがストーカーなの?」
ぎくぅ、このボリュームで聞こえるのか。単なる野生児?
橘さんはタメ息をついた。
「仕方ありません。まどかさんがギブアップしていますので、火村さんでいきましょう」
「なに仕切ってんのよ。実力はあたしのほうが上でしょ」
こらこら、喧嘩しない。私は仲裁に入った。
「とりあえず登録しましょう。時間がないです」
「それもそうね。恋の吸血姫シスターズ、出撃ッ!」
「小学生並みのネーミングセンスは禁止です。ぼっちゃまと忠実な下僕たち、で」
「「は?」」
○
。
.
「それでは参加者のみなさん、準備はよろしいでしょうか?」
風切先輩たちから少し離れたところに、別棟のテントが張ってあった。朝来たときはなかったと思う。スタッフも、20代後半くらいの女性が担当していた。
そして、私たちの相手はというと――
「Wow、香子も参加してたんだ」
ララさん、なぜここに。しかも、赤いネクタイにグレーのオリジナルスーツ。
「ララさん、なんでここに?」
「バイト」
「バイト……?」
「将棋カフェの宣伝」
あ、そういう……大将席に座っているのは、渋谷の将棋カフェでレジにいたショートヘアの女性だった。同じく大将の橘さんと対峙している。私とララさんは2番席で、3番席には知らない女の子と火村さん。
火村さんは歯ぎしりして、
「なんであたしが大将じゃないのよッ!」
と地団駄を踏んでいた。こういうルールで並びはどうでもよくてですね、はい。
大学の団体戦は、選手の入れ替えもあるし、他大の並びも若干考察できる。けど、こういう一発勝負の大会では、どう並べてもあとは運勝負だ。高校の県大会で、入れ替えなしの3人制だったときに、そのことは痛感した。
それともうひとつ、大将席の雰囲気がなんだか不穏。
「工藤さん、ここであったが100年ぶりです」
橘さんは、いきなり啖呵を切り始めた。相手の女性は澄まし顔で、
「面接のとき以来ですか」
と答えた。
「わたくしを採用しなかった報い、きっちりと受けていただきます」
めちゃくちゃ私怨で笑う。橘さん、あそこの将棋カフェに応募してたのか。
一方、ララさんは全然興味がない様子。
「なんか険悪だけど……香子、vamos fazer isso alegremente」
なんて答えればいいのかしら。とりあえず「よろしく」と言っておく。
「会場のみなさん、対局に支障があるところはありませんか? ……では、スタート!」
私たちは一斉にお辞儀をした。
「よろしくお願いします」
さっきの振り駒で、ララさんが先手。私はチェスクロを押した。
「Obrigado!! 7六歩ッ!」
3四歩、2六歩、8四歩、2五歩、3二金、7八金。
あ、しまった。私の苦手な横歩っぽいかたちに。
ここは方針変更。
「8八角成」
ララさんはこれを笑顔で取ってウィンク。
「ん〜、ひょっとして香子、横歩嫌いかな?」
ノーコメントで。
2二銀、7七銀、3三銀、3八銀、6二銀。
「それじゃイッてみよっか……2七銀ッ!」




