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凛として駒娘──裏見香子の大学将棋物語  作者: 稲葉孝太郎
第20章 新宿将棋大会(2016年6月5日日曜)
109/496

108手目 ストーカー?

 私たちは、一斉に氷室ひむろくんを見た。

「ちょ、ちょっと待ってください。僕が第一容疑者なんですか?」

 さすがにあせる氷室くん。これには朽木くちき先輩が、

「氷室くんが風切かざぎりファンなのは事実だ。しかし、ストーカーではないだろう」

 と助け船を出した。まあ、私たちもほんとに犯人だと思っているわけじゃない。

 朽木先輩はさらに、

「他人から見られている感覚は、さまざまな心理的要因から起こるものだ。風切くんを嘘つき呼ばわりするつもりは毛頭ないが、勘違いもありえるのではないか」

 と解説した。風切先輩は、これに納得しなかった。

「俺も最初は気のせいだと思ってたんだが、どうも痕跡があるんだよな」

「痕跡というのは?」

「ベランダのほこりが一部だけなくなったりする」

 怖い。なにそれ。のぞかれてるってこと?

 朽木先輩もさすがに態度を変えて、

「それはいかんな。警察に届け出てはどうだ?」

 とアドバイスした。

「男の届け出なんて受理されるのか?」

「される。一度うちのアパートでトランクスがなくなったときは受理された」

 私たちはたちばなさんのほうを見やる。

「お待ちください。なぜわたくしが変態のような扱いなのですか?」

「うむ、可憐かれんではないと信じているぞ」

 朽木先輩のかばいに、橘さんはハンカチで目元をふいた。

「うぅ、ぼっちゃま、一生お仕えいたします」

 そういう反応をするから怪しまれるのでは。メンツが濃すぎるのも考えものだ。

 風切先輩もこの話は打ち切りたくなったのか、うしろ髪をなおした。

「まあ、俺の勘違いかもしれないが……」

「2回戦を始めますので、早めに着席してください」

 ちょうどいいタイミングでアナウンスが入った。

 風切先輩たちは対局席へ移動する。見送りが終わると、橘さんがひとこと、

「監視カメラの話をなさらなかったのですね」

 とつぶやいた。なんと答えたものか迷う。

「そうですね……信じてもらえないかな、と」

 橘さんは腕組みをして、右手のひとさしゆびをくちびるにそえた。

「わたくしも、さきほどまでは冗談かと思っていましたが……どうして監視カメラがあると思ったのですか? 対局が始まるまえに覗き込んだとか?」

「あ、いえ……その……受信している子のスマホが目に入って……」

 橘さんの目つきが鋭くなった。

「犯人に会った、と?」

「ええ、そうなんです。そこの……あれ?」

 私が指さそうとすると、ベンチはからになっていた。

「あそこにいたんですけど……」

「……」

 う、疑ってる反応。とはいえ、橘さんも私を嘘つきだとは思わなかったようで、

「もし会場にいたら、報告してください。すこし調べる必要があります」

 と言ってくれた。調べると言っても、どうするのかしら。

 疑問に思っていると、会場にもうひとつアナウンスが入った。

「レディースの部の受付は、ただいまから始めます。速やかに登録をお願いします」

 ん? レディースの部?

 橘さんは、こほんと咳払いをした。

「では、わたくしたちも登録致しましょう」

「えッ……もしかして、私たちも出場するんですか?」

「そういう意図で来たのではないのですか?」

 違うがな。レディースの部なんてものがあるとすら聞いていない。

「まあ、参加者が男性しかいないから、変だとは思ったんですが……」

「準備の必要な大会ではありません。参加なさいますか?」

 参加しろって雰囲気なんだけど。3人1組っぽいし。

「でも、ひとり足りなくないですか?」

「まどかさんを誘えばいいかと」

 それも、そうか。私たちは、ベンチに寝っ転がる冴島さえじま先輩に声をかけた。

「せんぱーい、起きてください」

「あと5分……」

「何時に起きたんですか?」

「朝の2時……」

 そ、そうなんだ。冴島先輩を誘うのは無理な気がしてきた。

晩稲田おくてだ筒井つついさんがいらっしゃいましたよね? 筒井さんを呼び出せませんか?」

「彼女には拒否されてしまいました。めんどくさいとかで」

 いかにも言いそう。橘さんと仲良くないっぽいし。

「新宿付近に住んでる学生はいないんですか?」

「新大久保あたりに住んでいる学生はいますが、間に合わないような……」

 橘さん、意外と段取りが下手っぽい。こういうのは何人かに声をかけておくのでは。

 私は、もういちど冴島先輩を起こそうとした。

「せんぱーい、晩稲田の応援団パワー、見せてくださーい。せんぱ……」

「あーッ! いたいたいたッ!」

 げッ、この声とテンションは――ふりかえると、背の小さな女の子が立っていた。

火村ほむらさんッ!」

「よーし、いたわね。香子きょうこ、ちょっと顔貸しなさい」

 なんですか。いきなり喧嘩ですか。

 火村さんは、真っ黒なひらひらの服を風になびかせて、くるりと一回転。

 ビシッとポーズを決めた。

「恋の吸血姫シスターズ、結成ッ! というわけで登録するわよ」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………は?

「火村さん……もしかして将棋大会に参加するの?」

「あたりまえでしょ。そのために待ってたんだから」

 待ってた? だれを? ……私たちってこと?

 これには橘さんも変に思ったらしい。怪訝そうな顔をした。

「あなたに声をかけた覚えはありませんが?」

「あたしはなんでもお見通しなのッ! さっさと登録ッ!」

 いきりたつ火村さんをよそに、私と橘さんはひそひそ話。

「このひとがストーカーなのではありませんか?」

「なんか、そんな気がしてきました」

 火村さん、ときどき超人的な勘を発揮してくる。隠しカメラとか盗聴器とか、そういうオチなのでは。オーダー表の一件も怪しくなってきた。

「ちょっと、聞こえてるわよ。だれがストーカーなの?」

 ぎくぅ、このボリュームで聞こえるのか。単なる野生児?

 橘さんはタメ息をついた。

「仕方ありません。まどかさんがギブアップしていますので、火村さんでいきましょう」

「なに仕切ってんのよ。実力はあたしのほうが上でしょ」

 こらこら、喧嘩しない。私は仲裁に入った。

「とりあえず登録しましょう。時間がないです」

「それもそうね。恋の吸血姫シスターズ、出撃ッ!」

「小学生並みのネーミングセンスは禁止です。ぼっちゃまと忠実な下僕げぼくたち、で」

「「は?」」

 

  ○

   。

    .


「それでは参加者のみなさん、準備はよろしいでしょうか?」

 風切先輩たちから少し離れたところに、別棟のテントが張ってあった。朝来たときはなかったと思う。スタッフも、20代後半くらいの女性が担当していた。

 そして、私たちの相手はというと――

「Wow、香子も参加してたんだ」

 ララさん、なぜここに。しかも、赤いネクタイにグレーのオリジナルスーツ。

「ララさん、なんでここに?」

「バイト」

「バイト……?」

「将棋カフェの宣伝」

 あ、そういう……大将席に座っているのは、渋谷の将棋カフェでレジにいたショートヘアの女性だった。同じく大将の橘さんと対峙している。私とララさんは2番席で、3番席には知らない女の子と火村さん。

 火村さんは歯ぎしりして、

「なんであたしが大将じゃないのよッ!」

 と地団駄を踏んでいた。こういうルールで並びはどうでもよくてですね、はい。

 大学の団体戦は、選手の入れ替えもあるし、他大の並びも若干考察できる。けど、こういう一発勝負の大会では、どう並べてもあとは運勝負だ。高校の県大会で、入れ替えなしの3人制だったときに、そのことは痛感した。

 それともうひとつ、大将席の雰囲気がなんだか不穏。

「工藤さん、ここであったが100年ぶりです」

 橘さんは、いきなり啖呵たんかを切り始めた。相手の女性は澄まし顔で、

「面接のとき以来ですか」

 と答えた。

「わたくしを採用しなかった報い、きっちりと受けていただきます」

 めちゃくちゃ私怨で笑う。橘さん、あそこの将棋カフェに応募してたのか。

 一方、ララさんは全然興味がない様子。

「なんか険悪だけど……香子、vamos fazer isso alegremente」

 なんて答えればいいのかしら。とりあえず「よろしく」と言っておく。

「会場のみなさん、対局に支障があるところはありませんか? ……では、スタート!」

 私たちは一斉にお辞儀をした。

「よろしくお願いします」

 さっきの振り駒で、ララさんが先手。私はチェスクロを押した。

「Obrigado!! 7六歩ッ!」

 3四歩、2六歩、8四歩、2五歩、3二金、7八金。

 

挿絵(By みてみん)


 あ、しまった。私の苦手な横歩っぽいかたちに。

 ここは方針変更。

「8八角成」

 ララさんはこれを笑顔で取ってウィンク。

「ん〜、ひょっとして香子、横歩嫌いかな?」

 ノーコメントで。

 2二銀、7七銀、3三銀、3八銀、6二銀。

「それじゃイッてみよっか……2七銀ッ!」

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