七十七話
「……いやはや、お見事です。そこの男はそれなりに優秀な人間だったのですがねえ」
味方が殺され、さらに不利な状況に立たされたというにもかかわらず、白髪頭の男は若干の驚きの感情だけを瞳の奥に湛えてこうも容易く無力化されてしまうとは。と、言葉を付け加えながら、ぱちぱちと軽く手を叩いていた。
「その割に、むざむざと無駄死にさせるんですね」
そこまで評価をしてるのならば、手の一つくらい貸してやれば良かったのに。
私は抱いた感想をそのまま言葉に変えて言い放つ。
「ええ。幾ら優秀な人間とはいえ、己の命を懸けてまで助けるものではありませんからねえ」
〝華凶〟である貴方なら、そうだろうねと素直にそう思った。
一応、気を向けてはいたけれど、私とあの仮面の男が戦っている最中、白髪頭の彼は私どころか、ヴァルターにすら一切の手出しをしなかった。
……ううん。この場合は、したくても出来なかったと言うべきか。
ヴァルターから一瞬でも気を逸らした瞬間に己の命が終わる。そんな確信があったのだろう。
ゆえに、手が出せなかった。彼らが〝魔人〟と呼んだモノの回復をただじっと待つしかなかったのだ。
「……しかし、困りました。どんな心境の変化があったのか。今の貴方に、五年前の時のような隙なんてものは微塵も見当たらない」
ならば大人しく諦めてくれるのかと。
彼の言葉を耳にし、思わずそんな感想を抱いてしまう私だけれど、すぐさまその考えを否定する。
〝華凶〟は、そんな物分かりのいい人間ではない。それは、私が一番誰よりも理解している筈だろうが。
「本来であればあの〝魔人〟一体で全て事足りると思っていたのですが……とはいえ、計画に想定外は付きものでもある」
やがてニィ、と男の口角が僅かに吊り上がった。
————まだ、何かあるのか。
私がそう思ったと同時、男の足下が明滅。
そしてその光は、魔法陣を確かに描いていた。
「であるならば、貴方を片付けた後、スェベリア本国に回す予定であった戦力を全て此処で注ぎ込ませて頂きますかねえ……?」
「スェベリア本国にだと?」
「ええ。あなた方を始末した後で、貴方が〝華凶〟にしたように、今度は〝華凶〟が貴方を含め、スェベリアを滅茶苦茶にしてやろうかなと思った次第なんですよ。ま、その予定は既に頓挫。それ用の戦力は全てここに注ぎ込む事にしましたがねえっ!!?」
立て続けに発光。
それも一箇所だけでなく、ありとあらゆる場所が一斉に明滅を始め、そこから黒い影がずずずと這い出てこようとしていた。
それは何処かで見た覚えのあるシルエット。
嗚呼、そうだ。あれは————
「————グリムリーパー」
口を衝いて出てしまったその言葉こそが答え。
それも、その数は二桁をゆうに超えている。
召喚か。はたまた何処からか転移させたのか。
それは分からない。まだ判別しようがない。
だから、ヴァルターに危険が及ぶ前に、即座に術者を殺すという思考に切り替える。
しかし直後。
「あれ全て、お前に任せてもいいか」
これっぽっちも動揺していない普段通りの平坦なヴァルターの声が私の鼓膜を揺らす。
こちとら、今すぐにでも術者を始末しなくちゃ。と焦ってたのに、なんでヴァルターはそんなに余裕そうにしてるんだよ。
そう言ってやりたかったけれど、その一言のせいで、一瞬にして気持ちが霧散する。
「お前のその選択が間違っているとは言わない。だが、あいつはスェベリアに回すと言っていた。だとすれば、あいつを始末したところであれらの〝亡霊〟が綺麗さっぱり消えてくれるとは限らない。下手すれば俺達がいないスェベリアを襲う可能性すらある。だから、出来るならば懸念はここで断ち切っておきたい」
それは、ぐうの音も出ない正論だった。
そして、国の事を第一に考えているからこそ、出てくるその考えに私はほんの一瞬だけ瞠目してしまう。
「……成る程。そういう事でしたら、分かりました。〝亡霊〟は全て、私が何とかしましょう」
「弱音を吐く事もなく、逡巡なくこれだけの数を前にして出来ると言い切るか」
「では、出来る筈がないと。陛下は私にそう言って欲しかったんですか?」
「そんなわけがあるか」
にべもなく一蹴。
この状況下に置かれて尚、無駄口を叩き合う。けれど、悠長に構えられる時間は限られていて。
「国の事を考えるのは勝手ですが……あなた方にそんな事を考える余裕があるんですかねえ? この〝亡霊〟達はあなた方が知るような下級の〝亡霊〟とは違————」
黙って私とヴァルターの会話を聞き流していた白髪頭の男が割り込んでくる。
けれども、そんな彼の発言なぞ知るかと言わんばかりに私は黙殺して言葉を紡ぐ。
「————喰らい尽くせ、」
突として響く遠吠え。
それが幾重にもなって重なり、重なり、重なり、無数に浮かび上がっていた相手の魔法陣に対抗するように、出現した揺らめく炎は一つの形を形成する。そして、分離を始めた。
「————〝雷炎狼〟」
しかも、今回は特別製。
トラフ帝国元将軍——〝鬼火のガヴァリス〟の〝炎狼〟の魔法に、無理矢理ヨルドの〝白雷〟を混ぜ込んだ即席の複合魔法。
その分、魔力消費は桁違いに多いけれど、そんなもの関係は————
「————……む」
ない。
そう言い切ろうとしたところで、ツゥ、と何処か生暖かい感触が口元付近に広がった。
やがて口に入り込む液体。
それは何処か鉄のような味がして。
思わず左の手の甲で拭ってみると鮮紅色の液体が付着していた。
……恐らくは、魔力の使い過ぎだろう。
身体が発するこれ以上はやめておけという危険信号。でもまぁ、このくらいの無茶ならアメリアだった頃によくやっていたし、きっと大丈夫でしょとこのまま敢行。
白髪頭の男が発現させた数多の魔法陣から姿を覗かせるグリムリーパーを消滅させんと、私が言葉で指示するまでもなく、〝雷炎狼〟が四散する。
「……まさか、あの〝鬼火のガヴァリス〟の〝炎狼〟を使えるとは。しかし、実に残念ですねえ。言ったでしょう? この〝亡霊〟はスェベリアを襲わせる為に用意した特別製。洞の外に放っていた〝失敗作〟とはそもそもの格が——」
違うんですよねえ。
と、明らかにそれと分かる嘲弄を表情に貼り付ける白髪頭の男であったけれど、そんな事は知らんと言わんばかりに、雷を纏った炎狼が一斉に駆け走る。
そして、呆気なく————グリムリーパーの姿が霧散した。それも、〝雷炎狼〟によるたった一撃で。
「————は?」
聞こえてくる素っ頓狂な声。
その声が、彼の心境をありありと物語っていた。しかし、惚けた表情を浮かべたのも束の間。
「……殺って下さい」
ヴァルターに斬り飛ばされていた〝魔人〟を一瞥したのち、紡がれる殺意を孕んだ一言。
やがて後方から一際大きな轟音が響き渡り、まるで瞬間移動をしたのではと錯覚する程の速度を以て、私の眼前に〝魔人〟の姿が現れる。
虚ろな双眸は私を射抜いており、いつの間にやら手にしていた魔力剣を片手に振り上げる。
だけれど、
「俺を無視してくれるな」
割り込む影が一つ。
程なく、私に向けられていた一撃が薙ぎ払われ、続け様、二撃、三撃と凄絶な衝突音が響き渡る。
「ヴァルター・ヴィア・スェベリア……ッ」
「悠長に名を呼ぶ暇がお前にあるのか?」
白髪頭の男に対してそう問うた時、既に〝魔人〟の身体からは、決して少なくない量の鮮血がこぼれ落ちていた。
しかしまだ止まらない。
それどころか、苛烈さを増す剣戟の応酬。
〝亡霊〟にしか扱えないとされる魔力剣を片手に、持ち前の人並外れた膂力と、硬質な身体を十全に利用した立ち回り。
並の兵士であったならば、まず一合として保たないであろう怒涛の連撃。
しかし、雨霰と降り注ぐその猛攻を、ヴァルターは平然と受け止め、受け流し、それどころか、反撃すらも織り交ぜる。
一見すると互角にも見えるその攻防。
なれど、一秒経るごとに浮き彫りとなって行く経験や技術の差。
天性の才だけでは埋め切れない決定的な差が傷として〝魔人〟の身体に刻まれて行く。
「……お前の境遇には同情するがな、それでもこの世界では、弱ければ何一つとして守れない。自己も、友人も、臣下も。何も、かも」
それは、〝魔人〟に向けられたであろう言葉。
意思疎通など、見るからに不可能であると、きっとヴァルターも分かっているだろうに、その上で彼は苛烈極める打ち合いの最中にそんな言葉を溢していた。
「だから認められない未来があるのならば、どうにかして力を付ける他に道はない。己の力で以て否定しなければ、その未来を〝絶対〟に避ける事は決して叶わない。俺は、それを身をもって知った」
だから、強くなったのだと。
だから、負けられないのだと。
「〝華凶〟に、身をもって教えて貰った」
どこまでも静謐に、冷酷な瞳で〝魔人〟を射抜きながらヴァルターは告げる。
直後、ぴしりと壊音が響いた。
綻びを見せたのは〝魔人〟が手にする魔力剣。
そのせいで加速を続けるヴァルターの一撃に対し、あの〝魔人〟は新たに剣を創造しなくてはならないという致命的な一瞬の隙を作らざるを得なくなってしまう。
ひび割れた剣で受けられる程、ヴァルターの一撃は生易しいものではないから。
「だからこそ、力を以て全てを否定させて貰おうか。……嫌とは死んでも言わせんぞ」
その最後の一言だけは、〝魔人〟ではない他の誰かに向けられていた。
そして感情がこれでもかと言わんばかりに込められていたからか。
大声で怒鳴り散らされたわけでないのに、ヴァルターのその一言は脳髄深くにまで染み込んだ。
同時、理解する。
どうして、ヴァルター・ヴィア・スェベリアという人間が、どこまでも力を求めていたのか。
王という地位にありながら、武力を求めていたのかが。
とどのつまり、彼は純然たる〝力〟にしか信用を寄せていないのだ。
だから、己が身で剣を執り、こうして振るっているのだろう。
「二度は言わん——–—どけ」
やがて、迸る白銀の軌跡。
実際に剣を振るい、ロクに通らなかった硬質な皮膚。それをまるで脆い薄氷でも割るかのように、ヴァルターはあっさり斬り裂いてみせる。そして斬り捨て、崩れ落ちる〝魔人〟を捨て置いて足を進め始める。一歩、二歩と前に進むたび、その間隔が小さくなり、加速。
〝魔人〟も斬り伏せられ、出現させた〝亡霊〟ですら〝雷炎狼〟によって掻き消された現状。白髪頭の男を守るものは何処にも存在しておらず、最早ただの案山子と化していた。
そして、そんな彼目掛けて肉薄し、ヴァルターは逡巡なく、一切の容赦を省いて虚空に銀の円弧を描いた。到底視認する事など出来ない一撃。
音すら置き去りにして、それは振り下ろされた。








