七十三話
「……それで、さっきからなんでお前は俺の前を歩いてるんだ」
呆れ混じりに、ヴァルターはそう言っていた。
〝華凶〟が潜んでいるであろう洞は存外、外観からは考えられない程中は広く、視界は暗闇に覆われており、足音が忙しなく反響を続けていた。
「……危ないからですよ」
どうにも、この国王陛下は己の立場を忘れているのかもしれない。
恐らく此処は〝華凶〟の根城。
であるならば、既に此処は相手のテリトリー。
どんな仕掛けが待ち受けているか分かっていないというのに、ヴァルターを先に行かせるわけにはいかないでしょうがと。
呑気な発言をする彼に対して責めるように言い放つもこれと言って意に介した様子もなく、フン、と不満げにヴァルターは小さく鼻を鳴らすだけ。
「これでも、護衛一人付けずとも皆からある程度許容されるくらいには強い筈なんだがな」
「それでも、です」
ヴァルターの強さは私も知るところである。
だが、それとこれとは話が別である。
「世の中に、絶対だけは何があろうと存在し得ないんですよ」
だから、どれだけヴァルターが蘊蓄を傾けようが、〝絶対〟が存在しない限り、こればかりは譲れないと私は言い切る。
「それに、『背中は任せろ』と私に言ってくれたのは何処の誰でしたっけ」
「…………、くくっ」
一瞬ばかり呆気に取られるも、己が私に向かって言い放っていたその発言を思い出したのか。
面白おかしそうに破顔しながら彼は喉を震わせる。
「嗚呼、そうだ。そうだったな。なら、今回だけはそういう事にしておこうか」
ヴァルターが弱いから私が先行するのではなく、私の背中を守るって言葉は嘘だったのかなぁ? と圧を掛けて理由を思い出させる事で漸く、彼は納得してくれたらしい。
自分は守られる人間ではないと何が何でも言い張りたいのだろう。そして譲る気は、ないのだろう。
……実に面倒臭いヤツである。
「今お前、俺の事を面倒くさいヤツって思っただろう?」
「…………」
せ、背中を向けた状態で良かった。
間髪容れずにやってきたその言葉に、動揺を隠しきれず、口を真一文字に引き結んでだんまりを決め込む私は心底そう思う。
「ま、俺自身ですらその事に関しては面倒臭いヤツであるという自覚がある。だから、たとえ誰であれ、その事であれば責めはせん」
自覚がある上で、それを貫き、直す気はこれっぽっちも無いと。これまでの言動から、その事実は透けて見えた。
「が、責めない代わりにこの考えを直す気は一生涯ない。とはいえ、お前は唯一の例外で、こうして護衛に付けているわけだが……それでも、出来れば前には立たないで貰いたいものだ」
「……どうしてですか」
言葉に混じる悲壮感。
ヴァルターらしくないその感情を理解してしまったからか、思わず私はそう聞き返していた。
「それは、俺が護衛を拒む理由か? それとも、お前を前に立たせたくないという理由か?」
「……前者です」
どうせ後者は、剣のみの仕合で俺に勝てもしてないやつが一丁前に前に立って俺を守るなどと言うな! みたいな内容だろうし、聞かなくとも問題はないだろう。
それより、ここまで護衛を嫌う理由の方が私には気になった。
「……そう、だな。一番の理由は勿論、信頼してないからだろうな。既に言ったが、俺は殆どの人間を信頼していない」
国王陛下にあるまじき発言である。
……いや、ヴァルターの生い立ちを考えればそれが当然と言えるんだけれど、人前でそれを堂々と言っちゃうのは如何なものだろうか。
「そして、それと同じくらい目の前で死なれるのが嫌なんだ。……勘違いをするなよ。俺は人の死が嫌いなわけじゃない。俺は、俺を守って一方的に恩を与えた挙句、死んでく奴らが心底嫌いなんだ。だから、護衛は側におかないと決めている」
……言葉は、直ぐには出てこなかった。
その理由は、ヴァルターが口にした理由の一つに、私がピッタリ当て嵌まっていたからである。
「死んだらそれまでだ。助けて貰った恩があっても、何も返せない。……だから嫌なんだ。言っておくが、俺が国王という地位にある限り、この考えが変わる事はないぞ」
と。そこまで聞いたところで、ふと、一つの疑問が浮かび上がった。
では、なぜ私はこうしてヴァルターの護衛に抜擢されたのだろうか、と。
「……あの、それじゃあ私の存在って、」
「言っただろうが。お前だけは、例外であると」
そんな折。
突如として会話の中に割り込むように雑音が混ざる。……何かの足音、だろうか。
「ん、……どうにも、お話をして時間を潰すのも此処までらしいですね」
「そうだな。話の続きはまた後で、だな」
敵らしき存在が近付いているというのに、ヴァルターは緊張感の感じられない様子のまま、笑いついでに軽く頷いただけ。
……本当に、これで大丈夫なのだろうか。
そんな一抹の不安が私を襲うが、ともあれ、ひとまず戦うならばこの視界不良の状態をどうにかしなければならない。
相手はこの薄暗い洞を根城としているわけで、夜目に関しては相手側に若干のアドバンテージが生まれている。なら、近くに敵がいると分かったならば、早々にそれを退かしてしまうまで。
「陛下」
「ん?」
「……目、瞑っておいた方が良いですよ」
それだけ告げて、私はパンッ、と手のひらを合わせる事で音を打ち鳴らす。
そして紡ぐはたった一言。
「迸れ————〝白雷〟」
その昔。
ヨルドと名乗る武人がいた。
その者は武器を扱う事に関しては一切のセンスが無く、その代わり、体術においては右に出る者なしと謳われた正真正銘の傑物であった。
ただ、どうしても体術のみでは剣を手にする怪物共を相手にする事は難しい。
そう考えた彼は、己にどこまでも都合のいい魔法を編み出した。それが己の肢体に雷を纏わせる魔法————〝白雷〟。
しかしこれは言ってしまえばマナを身体に纏わせている事と何ら変わりはない。
ただ、不可視か、雷に変えて可視化させたか。それだけの違いである。
とはいえ、基本的な性能の底上げを図るだけのマナより、刃すら焼き溶かす雷を纏わせる方がよっぽど賢い使い方である。……恐ろしい速度で魔力を喰らう欠点さえなければ、本当に、完璧過ぎる魔法であった。
「ヨルドの〝白雷〟か」
「よくご存じで」
「ハ、武に関わっている者なら誰もが知る名だろうが。だが、天下のヨルドと言えど、己の魔法が明かり代わりに使われたと知れば、嘆くだろうがな」
叶うならば、是非ともその面を拝んでみたいものだとヴァルターはケタケタ笑う。
「使えるものは何だろうと好きなだけ使っておけと昔、教えて貰ったもので」
誰の教えであったか。
その記憶は靄がかかっており、上手く思い出せないんだけれど、その言葉は何故か覚えていた。
「確かに、それが正論だ」
「でしょう?」
「だがいいのか? そんなに余裕を見せていても」
「問題はありません」
剣すら抜いていないヴァルターの前に立つ私は逡巡なくそう言い切る。まるで、勝負は既についていると言わんばかりに。
知覚出来ている限り、付近の敵の数は五人。
ここから一歩も動かずに敵を殲滅するのであれば、明かりの問題を含め、〝白雷〟を使うのが一番都合が良かったのだ。
「それ、と、凶刃を片手に殺意を向けてくる相手に、手加減はありませんから」
今度はヴァルターに向けてでは無く、眼前に潜んでいるであろう敵に向けての言葉。
女だから。子供だから。
私の容姿につられて甘い事を考えている輩もいるかと考え、私はあえてその言葉を選んでいた。
殺意を以て相対してきた者に対しては、殺意で返す。それが当然の摂理である。
故に、手加減はなし。
遺恨も、懸念も何一つ残す気はなかった。
右の手のひらを前へと突き出す。
「——————!? ——————!!!!」
声にならない焦燥感に駆られた声が聞こえてきた。しかし、関係ない。
相手が殺意を此方に向けていた事は既に明らか。であれば躊躇する理由は何処にもなし。
「穿て—————」
ばちばち、と音を立てて一際大きく光る〝白雷〟が揺らめく。
やがて、言葉に従うようにそれら全て前へと傾き——一瞬にして落雷を想起させる青白い線が無数に奔った。
その速度は視認できる速さを優に超えており、生まれた稲妻は確かな指向性を以て機をうかがっていた者共へと襲い掛かる。
「—————〝雷撃〟」
視界は眩い光に包まれ、続くように鼓膜を揺らす断末魔。……恐らくこれで奥に潜む連中にも完全に気付かれた。
だが幸い、この洞は一本道。
故に、後ろに敵一人、攻撃一つ通す気のない私からすれば押し寄せたところでそれで? と、思うだけ。
「多芸だな」
「それほどでも」
上には上がいる。
それを知る私だからこそ、その賛辞を素直に受け取る事は出来ず、苦笑いを浮かべてしまう。
「そうか。……それと、先の話の続きだが、お前がひどい勘違いをしているようだから言っておく。俺は、俺にとって譲れない理由がない限り、側に人を置く事はあり得ん」
「譲れない理由、ですか」
「ああ、そうだ」
残念ながら、その理由についてはいくら思考を巡らせようと、心当たりがなかった。
だからユリウスあたりに聞けばその手掛かりが掴めるかなと思いつつ、私は先を進む事にした。
————……特にお前なんかは、側に置きでもしなければ助けてくれた事に対する恩一つ受け取ろうとはしないだろうが。
直後、聞こえたその言葉。
そう言われては最早、言い逃れが出来るはずもなくて。
……私の知るヴァルターの性格。そしてこれまでの出来事を踏まえれば、分からないフリをする事すらも難しかった。でも、その言葉に対する相応しい返事が思い付かなくて。
「…………」
……私は、聞こえなかったフリをした。
でも、こんな事をずっと続けられない事はちゃんと理解している。お互いに色々と勘付きながらも明言だけは避けてきたこの関係について、そろそろ腹を割って話さなきゃいけない事くらい。
……その考えを言葉に変えれば良いだけの話なのに、今はまだ、どうしてか私にはそれが出来なかった。








