六十一話
「————おいおい、嬢ちゃんがフォーゲルに向かっただぁ!?」
夜の営業の為、買い出しに向かっていたリッキーが丁度、店に帰ってきた折。
時同じくして『豪商』——エドガーの屋敷を後にしていたユリウスとヴァルターが偶然鉢合わせ、フローラの所在を聞くや否や、ユリウスがそう、人目を憚らずに声を荒げていた。
「……そう人殺せるくれぇのエゲツない視線向けてくんな。〝千年草〟を取りに行くっておれは聞いて、偶々ちょっと前にアクセアのやつらとフォーゲルの方角に向かってる姿を見ただけだっつーの」
そして店の外だと目立つから、と言いたいのか。リッキーは扉を開けて、中へ入れと無言でユリウスとヴァルターに対して促した。
しかし、店に足を踏み入れようとしたのはリッキーとユリウスだけ。
もう一人の男——ヴァルターは直立不動でその場に佇む事をやめていなかった。
まるでそれは————何かに対して躊躇っているようで。
「————おい。分かってるとは思うが、ヴァル坊を今すぐフォーゲルに向かわせる事だけは出来ねぇからな」
黙考するヴァルターの心境を見抜いてか、筆舌に尽くしがたい圧を含ませ、ユリウスは容赦なくそう告げた。
「向かうにしても、情報が足らなさすぎる。ヴァル坊を侮ってるわけじゃあねぇが、少なくとも、このハゲからも情報を最低限聞き出してからだ」
「……だからハゲじゃねえって言ってんだろうが」
ユリウスの役目はヴァルターの護衛。
己の本分を見失っていないが為に、そんな言葉を彼に叩きつけていた。
そして、「これはな、スキンヘッドなんだよ」と半眼で責め立てるリッキーの声をガン無視しながら、ユリウスは言葉を続ける。
「何より、俺は知らねぇが、ヴァル坊はサテリカで嬢ちゃんの力量を見てきたんだろ?」
「…………」
無言は、肯定。
「じゃあ心配いらねぇよ。俺らがどんなに心配したところで嬢ちゃんは間違いなくけろっとした顔で帰ってくるだろうよ。————あいつがどうして、〝鬼才〟と呼ばれてたか。それを知らねぇヴァル坊じゃねぇだろうに」
そう言って、ユリウスは我が物顔で酒場へ足を踏み入れた。
「なぁリッキー。酒をちょいと出してくれ。少しだけ口を滑らせてぇ」
「……おれの店はまだ開けてねぇってのに」
そう言いながらも不承不承といった様子でユリウスの言葉通り、リッキーは酒の用意を始めていた。ちゃんとしたワケがあるのだろうと、察しながら。
スェベリアの中で、ヴァルターの扱いが一番上手い人間。
もし仮に王宮勤めの人間がそう問われたならば、誰もが口を揃えてこう答える。
————それは間違いなく、ユリウス・メセルディアであると。
そしてそんなユリウスがヴァルターを落ち着かせる方法として一番有効的と捉えている事こそが、己の妹であったアメリア・メセルディアを引き合いに出す事であった。
アメリアなら、こうした。
アメリアなら、こうはしなかった。
そういった言い方をすれば、余程の事がない限り、ヴァルターは矛を収めるから。
……ただ、ユリウス自身はどうしてか、アメリアの事を好んで話そうとはしない。
故の————酒。
そして数秒ほど経て、コトリと音を立てて置かれるグラス。数個の氷を放り込まれ、中に酒が見る見るうちに注がれる。
「というより、ヴァル坊はちっとばかし過保護過ぎだ。聞けば、嬢ちゃんの側には〝ギルド〟のAランクもいるらしいし……何より、嬢ちゃん自身があの〝鬼才〟だ」
十年や十五年、あんまし剣を振ってなかったからって腐るようなチャチなもんじゃねぇよとユリウスは言う。
「あの〝貪狼ヨーゼフ〟に、二度と戦いたくねえって言われるようなやつがちょっとやそっとの事でくたばるもんかよ」
あのヨーゼフが唯一、勝負をつける事を拒んだ人間だぞと言葉を付け足しながら彼は席についた。
〝貪狼ヨーゼフ〟。
今となってはあまり知名度が高い名ではないが、今から約二十五年程前までは、知らぬ者はいないとまで言われたロクでなしであった。
〝貪狼〟は一度目にすればどんな技であれ、模倣する事の出来る模倣の達人。
たとえそれが一子相伝の秘術だろうと、〝貪狼〟に一切の例外はない。
ただ、〝貪狼〟本人が救えないくらい酷い性格をしており、その為、周囲からはロクでなしと呼ばれていた。
けれども、実力だけは超一級品。
悪名だけが先行してしまっているものの、仮に彼が天下無双を名乗っていたとしても、周囲から異論は出なかったのではなかろうか。
〝貪狼〟は、素直にユリウスがそう思ってしまうほどの怪傑であったのだ。
……そして、そんな人間が二度と戦いたくないと渋面を見せた唯一の人間。
もし手前が十年早く生まれていたのならば、オレが〝貪狼〟と呼ばれる事はなかったかもしれないとまで言わせしめた————〝鬼才〟。
それが当時、二十にすら満たなかった少女————アメリア・メセルディアである。
「何より、ヴァル坊は嬢ちゃんを自分の下に縛り付けておきてぇんだろ? しかも、嬢ちゃんのあの力量を用いて。だったら尚更、今は勝手にさせといた方が俺はいいと思うけどな」
とんでもない事件を解決でもした後に、スェベリア王の護衛役だった。みたいな事実が発覚でもすりゃ、より一層印象深く刷り込まれるとは思わねえか。
と。
フローラが聞けば、頭抱えてのたうちまわるであろう未来予想図を平然とユリウスは口にする。
「…………」
それでも未だ無言を貫くヴァルターであったが、ユリウスは後一歩であると感じたのか。
とどめの駄目押しと言わんばかりにあるブツをポケットから取り出した。
それは角ばった小さな————魔導具。
「ったく、手癖の悪りぃ先達から教えられた事がこんな時になって役立つとはな……」
がしがしと頭を軽く掻く。
ユリウスとしては、ここで何とかしてヴァルターの足止めをする必要があったのだ。
暗殺者集団——〝華凶〟。
そいつらに加えて、数と力量の分からない亡霊。
フォーゲルに向かえば最悪、その二つを同時に相手しなくてはならない可能性が十分にある。
必然、そうなってくると幾らヴァルターと自身が揃っているとはいえ、何があるか分からない。
そう判断を下したからこそ、ユリウスはどうにかして足止めをするべく奥の手まで取り出したのだ。
「……これは?」
「俺の前の代の騎士団長の友人が好き好んで使ってた魔導具だ」
それは、知る人ぞ知るアメリア・メセルディアの元上司が好んで使っていた魔導具の一つ。
もしもの際を思って、ユリウスが保険として密かにフローラに対して使っていたのだ。
「青に点滅してりゃ、正常。赤なら、命の危険ってところだ」
そこまで言えば分かるよな? とユリウスは目でものを言う。
「それが赤に変わるようなら、流石に止めはしねえよ。ヴァル坊の好きにすりゃいいさ。ただ、青である限り、この状態でフォーゲルに向かうのはナシだ」
————にしても。
行く先々でトラブル続き。
今回なんて、滅んだ筈の〝華凶〟なんてもんが出てきやがった。一体、嬢ちゃんはどんな星の下に生まれたのやら。と、呆れながらユリウスは注がれたグラスを手に取り、傾ける。
「————お、本当に飲みやがった。言い忘れてたが、てめぇだけおれの店では特別価格で一杯金貨十枚だからな。忘れんじゃねえぞ」
「ぶーーーッ」
あまりに法外過ぎる値段設定に思わずユリウスは口から酒を吹き出し、程なくゴホ、ゴホと咳き込んでいた。
「幾ら何でもたかすぎだろッ!! ……ま、〝華凶〟のやつらが本当に潜んでんなら、間違いなくヴァル坊を狙ってくるだろうし、やっぱり結論、現状は別行動が一番だろうよ」
〝華凶〟がなければ今すぐにでも向かって問題はなかったんだけどなと、ユリウスが言う。
……まぁ仮に酒場にいる時に〝華凶〟に襲われようが、ぶっ壊れるのはリッキーの店。
修理費用が金貨十枚と思えば……悪くねぇかもな。
なんてゲスいやり取りが水面下で繰り広げられる中、ヴァルターといえば、酒場に足を踏み入れ、腰を下ろしたユリウスの側で佇んだまま——
「……それもそうだ」
ほんのつい数秒前まで鬱々とした感情を表情に散りばめていた癖に、やけに物分かりのいい返事をするヴァルターに対し、ユリウスは疑問符を浮かべる。
……もう少しぐずるかと思ってたのに、これはどういう事なんだ、と。
「なら、外を歩くぞ。ユリウス」
「んぁっ?」
しかし、その疑問は次の瞬間に霧散した。
踵を返し、酒場の外へ向かおうとするヴァルターを前に、オイオイオイ!! 何でそうなるよと慌てて声をあげる。
「無防備に外を出歩いていれば、本当に〝華凶〟がいるなら、一人や二人、我慢出来ずに俺を狙うだろ。そいつを捕まえて全てを吐かせればいい」
あんぐりとユリウスは口を開けた。
……呆れてものが言えないといわんばかりに。
だが、そんな事を言ってのけたヴァルターの本当の狙いは他にあって————。
それに託けてフォーゲルに向かってしまおう。
そんな考えを腹の中で抱いていたヴァルターの企みを————ユリウスはまだ知らない。








