六十話
————眼前に、白い息が立ち込める。
肌を刺すような冷たさではないものの、もう少しばかり気温が低かったならば、雪でも降ったのではないか。
そう思ってしまう程度には肌寒くあった。
「全然人がいませんね」
「そりゃ、今は進んでフォーゲルに行こうって思う輩なんていないだろうしね。得られる物と失うかもしれない物のリスクリターンが明らかにつり合って無さ過ぎるし」
歩く事、三十分と少し。
それまでに見かけた人の数は片手で事足りる程で、そのあまりのひと気のなさに私はつい、そんな事を口走る。
何より、誰もがフォーゲルに続く道を通ろうとすらしていない。
亡霊とは、誰もが避ける程厄介な相手だったかと、己の中にある認識との齟齬に私は眉根を寄せた。
「とはいえ、フォーゲルに今、人がいない理由はあの噂も関係してるだろうから」
「あの噂?」
思わず聞き返す。
フォーゲルが避けられてる理由とは、亡霊の問題だけではないのかと。
「そ。何やら良からぬ連中がこの騒動に乗じてフォーゲルで活動をしてる。そんな噂だよ」
フォーゲルの現状は、亡霊の存在によって半ば侵入禁止区域と化してしまっている。だから、その噂は実に理に適ったものであるといえた。
良からぬ連中にとっては、今のフォーゲルはこれ以上ない活動拠点と言えるから。
故に、その噂を耳にした者達もその可能性が高いと納得し、より一層近付かなくなってしまった、と。
「そもそも、たかが入り口周辺の見回り調査で報酬は金貨十五枚。受注出来る人間が限られてるとはいえ、この依頼すら余ってるって前までなら考えられないしね。本当か嘘かは分からないけれど、ロクでもない噂が飛び交ってるのは事実だよ」
「ロクでもない噂……」
ぽつりと。
小さな声で私はアクセアさんの言葉を復唱。
そして思考を巡らせる。
はてさて、良からぬ連中とは一体どんな奴らだろうか、と。
そう考えて一番に浮かび上がったのはとあるロクでなし集団。私がまだアメリア・メセルディアだった際に出くわした連中の事であった。
ヴァルターを排除する為、彼の叔父であるなんとかさんが差し向けた連中だった筈なんだけれど、またしても名前が思い出せない。
確かヤケに気取った名前を名乗っていた筈なんだけれど、興味がなさ過ぎてか、その名前が短かったという記憶しかない。
「だから、勝手に帰るような真似は出来る限り控えて欲しい。恐らくは、見張りの連中の側が一番安全だと思うから」
〝ギルド〟ランクA以上でないと立ち入る事を認めていないフォーゲル。
そこの、見張り役ともなれば相応の実力が求められる事必至。
なるほど、確かにそれは安全かもしれないと私はアクセアさんの言葉に納得する。
「ええ。勿論です」
というか、帰ってもやる事ないし。
心の中でその一言を付け加え、私は頷いた。
そしてそんな折、丁度見えてくる人影が一つ。
立ち尽くすその人影に、あれが見張りの人なのかなと思ったのも刹那。どうしてか、焦燥に駆られたような表情を浮かべ、駆け寄ってくる見張りらしき人物。
「————丁度、良かった。あんたアクセアさんだろ? 〝ギルド〟ランクA+の」
「そう、だけど」
「悪いが、頼まれごとをされてくんねェか。面倒な事が起きちまった」
その突然の出来事に、アクセアさんは疲れ切った顔を浮かべる。それは案の定、と言わんばかりに「……またか」と。
「————亡霊がでやがったんだ。それも深部でもねェ、こんな場所に、だ。しかも、そのタイミングが悪辣でな……つい、数十分前までここにBランクの人間がいたんだが……」
「……まさか」
「どうしても入りてェってそいつが愚図ってる最中の出来事だったもんで、そいつ、おれらが亡霊に注意が向いてるのをこれ幸いに、フォーゲルに駆け込みやがったんだ」
「……それは、不味いだろ」
「分かってる。だから、もう一人の見張り役を務めていたヤツに後を追ってもらってんだが、どうなるかなんておれにもさっぱり見当がつかねえ」
だから、手を貸してくれと。
見張りの男はアクセアさんに訴えかける。
「……ひとつ聞きたい。現れた亡霊はどうなった」
「とてもじゃねェが、倒せるような状況じゃなかった。……亡霊諸共、どこかに消えやがったよ」
その言葉を耳にするや否や、アクセアさんはチィ、と舌を打ち鳴らし、がりがりと髪を掻き毟る。
「……予定は変更。レゼルネはここでフローラと一緒に待機。僕とサイナスだけでここから先は行く。それと、三十分待って僕が帰って来なければレゼルネはフローラを連れて〝ギルド〟に報告へ向かってくれ」
「分かったわ」
「あいよ」
その指示に嫌な顔ひとつみせず、二つ返事に頷くレゼルネさんとサイナスさん。
そしてとんとん拍子に進んでいく物事。
私一人、置いてきぼりにされている感が否めない。
「あの————」
別に、私に気を遣ってくれなくても大丈夫だし、〝ギルド〟への報告くらい私一人でやりますよと言おうとした時には既にアクセアさんとサイナスさんは私達に背を向けていて。
ふと、脳裏を過ぎる一つの言葉。
トラブルメーカー。
……いやいやいやいや。そんなまさか。
これは私のせいでなく、依頼主であるクラナッハさんのせいだ。これは間違いなく。
と、私は自分自身を納得させる。
そして次第に遠くなっていくアクセアさんとサイナスさんの背中。
「……悪ぃな。あんたらにもあんたらの予定があったろうに」
「気にしなくていいわよ。元々、フローラさんを一人、残す事はあまり気乗りしてなかったもの」
だから別に、そこまで気に病む必要はないとレゼルネさんは言う。
……しかし、何かが引っかかる。私の胸中で、致命的な何かが引っかかっている。
というより、初対面な筈だというのに何故か見張り役である彼の風貌にどこか見覚えがあった。
丁度、彼が腕に装着する魔導具のような腕輪。
獣の牙のような首輪型の魔導具。
確か、そんな趣味の悪い魔導具を好んで付けていた奴を私は知っている。
『ひゃははははっ!! なぁ、なァ、ナァ!! とっとと……死に晒せやあああああァァア!!! アメリア・メセルディアァァァアッ!!!』
……記憶が確かなら、そんな感じで叫び散らしていた身長の低い男が該当していたような気がする。
確か名前は————そう、恐らくイェニーと名乗っていたような気がする。
随分と饒舌で、口の軽い男であったと記憶している。熱くなればなるほど調子に乗ってべちゃくちゃと喋らなくてもいいような事を言うタイプ。
「にしても、見ねェ顔だなあんた」
えっと、誰だっけ。
と、頑張って朧げな記憶から探し出そうと試みていた私に投げかけられる声。
「ミスレナには昨日来たばかりでして」
「へェ……道理でおれが見た事ねェ筈だ」
じとーっと興味深そうに相貌を観察される。
……私の顔に何かついていただろうか。
「にしても……女の剣士か。随分と珍しい」
「あ、はは……よく言われます」
野性味を感じさせるような相貌の割に、随分と大人しめな口調であった見張りの男の中身と見た目の差に少し意外に思いながらも、私は普段通りの答えを口にする。
「おいおい、そう謙虚な答えを口にするもんじゃねェよ。特に、あんたは女の剣士なんだ。おれみてェな初対面のやつ誰でも彼でも控えめな態度を取ってっと周囲から舐められんぞ」
と、若干呆れられながら笑われる。
「あんた、結構強えだろうに」
そんな彼の口から心底意外な言葉が飛び出し、私の鼓膜を揺らした。
「ま、ぁ、てめェの意思で剣を持つような女はどいつもこいつもそんなもんか」
そして勝手に納得。
まるで、他に強い女剣士でも見てきたかのような口振りに、少しだけ興味が湧いてしまった。
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