五十三話
そしてリッキーさんの酒場にまで迎えに来てくれたユリウスとヴァルターが向かった場所は——ミスレナ商国の中でも〝貴族街〟と呼ばれている住宅地域。
どうにも、お偉いさんが宿を用意してくれたのか。案内をされたのはそこに位置する随分と豪華な外観をした宿屋であった。
食事もそこで出て来るらしいが、私の場合はリッキーさんの酒場でちょこちょことおつまみをつまんでいた事もあり、お腹が膨れてしまっている。
と、いう事で部屋に戻ったフリをしてから私は夜の街をぶらぶらとほっつき歩いていた。
その理由は言わずもがな、
「一応、これでも護衛だし。何より、今回は私が巻き込んだんだからこれくらいはしておかないとね」
見回り。
つまりは、周囲への警戒であった。
もしも何かあった場合、周辺の地理を理解しているのといないのとではその後の状況が全くと言っていいほど異なってくる。だから護衛らしく一応、一度くらいは歩いて回っておこうと思い、実際に行動に移していた。
何より、今はユリウスがヴァルターの側に付いている為、私は自由に行動出来る。
故の、このタイミングであった。
散々、クソ野郎だなんだかんだと言ってはいたものの、実際のところ「ついて来てくれて助かった」というのが本音である。
ユリウスには絶対それを言ってあげないけど。
「ただ、んー……困ったなぁ」
足音を立てて暗闇の中を歩きながら私はポツリと呟く。
散々、侮るなだなんだかんだと言っていた私であったが唯一、フローラ・ウェイベイアにとって苦手なものがあった。
いや、今までは苦手な気がする、という事で意図的に避けていたので確信は無かったんだけど今、漸く確信に至れた。……私は、暗闇が苦手なのだ————と。
……厳密に言えば、暗闇によって齎される現象が嫌いであり、苦手であり、ほんの少しだけきっと怖いのだ。
「……前は、こんな筈じゃ無かったんだけど」
前とは、前世。
アメリア・メセルディアの頃を示す。
自覚はある。
……暗闇に苦手意識を持ち始めたのはフローラ・ウェイベイアとして生を受けてからであると。
「あー、ほんっと厄介だな。一度死ぬってさ」
ふらついたあの一歩が。
せり上がったあの感情が。
口の中で嫌というほど味わったあの血の味が。
全て嘘であればどれ程良かった事か。
夢であれば、どれ程生きやすかった事か。
お陰で暗闇を目にする度に思い起こされる。
不幸中の幸いは、私が夢を全くと言っていいほど見ない人間であった事くらい。
「お陰様で、暗闇が嫌いになった」
意識が遠のいて行って、終わりを迎えるあの瞬間。何もかもを喪失してしまうようなあの瞬間に、私は苦手意識を持っているんだろう。
丁度あれは、暗闇によく似ているから。
「死ぬって行為について考えた事は何度もあった。でも、いざ死んでみると……これが案外怖いんだよねぇ」
黙り込んでしまうと感傷にずっぷりと浸ってしまいそうだったので無理矢理に口を開く。
お陰で普段なら口が裂けても言葉にしないような事まで口走ってしまっていた。
「何もかもが真っ黒になって、自分が自分じゃなくなるような、そんな感じ」
そして、致命的な何かが燃えて、儚く消える。
「……ま、今更何をいっても仕方がないって事は分かってるんだけどね」
分かっていて尚、まぶたの裏に在りし日の光景が浮かぶのだ。最早、呪いと言ってもよかった。
私が誇れるものは〝剣〟しかないのに、進んで〝剣士〟になろうとしなかった理由は案外、無意識の深度で理解していたからなのかもしれない。
お前はトラウマを抱えてる。
だから、〝剣〟を執るのはやめておけ、と。
……しかし、だ。
「でも、今はこれで良かったと思ってる。フィーあたりが聞いたらきっと呆れるだろうけど、私はやっぱりこっちの方が落ち着くから」
ユリウスから譲り受けた無銘の剣。
その柄に手を添えながら私は自分自身に言い聞かせ、言葉を反芻した。
この重量感が腰にあるだけで、幾ばくか私の心は落ち着いてくれる。
表情こそ、取り繕ってはいるものの、破裂しそうなくらい激しく脈動する心の臓は、そのお陰で落ち着きを取り戻してくれるのだ。
「剣が側にあってくれた方が、私としては安心だから」
表には出さないけれど、偶にあるのだ。
アメリア・メセルディアであった頃の記憶。
特に、死ぬ瞬間のフラッシュバックが。
目の前に広がる情報量が特別少ない時——つまり、暗闇に見舞われた時など、それは顕著に現れていた。
「って、私は何言ってるんだろ」
慚愧の念を抱き、それを確認しながら空笑い。
「らしくないよねえ……」
はぁ、と思わずため息が出た。
こんな姿をシャムロック・メセルディアが見たならば何といっただろうか。
女であるからこそ、尚更毅然とした態度を貫けだなんだかんだと教えてくれた彼が目にしたならばきっと、ため息の一つや二つ、飛ばしてくれる事だろう。もしかすると哀れんでくれるかもしれない。気を遣ってくれるかもしれない。
前者ならばまだいい。
ただ、後者は正直……明確な理由はないけれど、心底嫌だった。
……そういう事情もあるからこそ、尚更父には会い難いのだ。
私はフローラ・ウェイベイアであって、アメリア・メセルディアではないのに、きっと、過去を気にしてしまうだろうから。本来であれば、有り得ない事を気にしてしまうから。
「めんっどくさ」
嫌気がさす。
他でもない自分自身に。
……そんな折。
私の眼前に人影が映り込んだ。
ぶつぶつと呟き、傍から見れば怪しい人にしか映らないであろう私の丁度目の前に、彼はいた。
「……こんな夜中に一人で出歩くだなんて、ご自身の立場をお忘れですか? ————陛下」
というか、ユリウスは何やってんだと胸中でぼやきながら私はどうしてか外にいるヴァルターの敬称を口にした。
一瞬のうちに思考を切り替えて、普段通りの私に戻る。過去の記憶に否応無く引き込まれるのは一人の時間に限った話。誰かさえいれば、それは意識の埒外に弾き出される。
だから心置きなく普段通りの調子でヴァルターに話しかけたんだけど、何故か彼は呆れていた。
……え、なんで?
「忘れてない。……というか、俺がこうして出てきた理由はお前がさっきから殺気を撒き散らしてるからだぞ。俺の場合は出歩きたくて出歩いているわけじゃない」
「……あ、あれ? そうでした?」
「そうでもなければ、ユリウスが俺の外出を認めるわけがないだろ」
あいつ、割と過保護なきらいがあるのに。
と、疲れた様子でヴァルターが言う。
自覚がないだけで、感傷に浸ってしまうあの現象が嫌い過ぎて無意識のうちに私は殺気を振りまいてしまっていたのかもしれない。
私の中に入ってくんな! どっかいけー! みたいな感情が勝手に殺伐とした殺気に変換されていたのだろう。
だとすれば納得だ。
剣をぶんぶんと振ってあの光景を斬り裂けるのなら私は何万とその行為に勤しんでいただろうし。
「怪しいヤツでもいたか」
そんな当たり前の質問を投げ掛けてくるヴァルターに対し、私はぶんぶんと勢いよく左右に首を振る。
「……私はただ、夜風にあたりに来ただけですよ」
些か無理があるのは承知の上で言葉を返す。
しかし、ヴァルターはこれ以上の追及をする気がないのか。素っ気ない態度で「そうか」と言って会話は終わる。
そして場に降りる沈黙。
私のせいでヴァルターが出向く羽目になったという事実を知ってしまった事により、この沈黙は私にとってひどく居た堪れないものになっていた。
何か気紛らわしになるような話題をと思って思考を巡らせるも、良案はそう都合よく思い浮かんではくれなくて。
頭上にはどこまでも果てなく広がる夜天が。
そして雲に隠れながらも、仄かな月明かりが大地に落ちている。
詩人ならばここで気の利いた言葉の一つや二つでも言って気紛らわし出来そうなものだが、悲しきかな、私にそんな才能はない。出来るのは精々、普遍的な感想を述べるくらいのものだ。
さぁ、どうしたものかと割りかし本気で頭を悩ませていた私の心境を知ってか知らずか。
「なら、少し歩くか」
ヴァルターはそんな事を宣った。
「安心しろ。ユリウスには一時間以内に戻ると言ってある。ならば問題はないだろう?」
何より、俺の護衛は此処にいるしなと言って彼は笑う。
……まぁ、そうなんだけどさ。
「……スェベリアだと一人で城を抜け出そうとも、どんなカラクリか、必ず数名が俺を見つけて護衛という名の尾行を試みる。常々、大人数は好まんと言っているのに、だ」
そりゃ貴方は国王だもの。
そんな至極当然な回答が脳裏に浮かんだけれど、あえて口ごもる。そんな事はヴァルターも承知しているだろうし、わざわざ言葉に出してまで指摘する程のものでもないと判断したから。
「だから、少しだけ付き合え」
こんな機会なんて滅多にないだろうから。
そんな言葉が、後付けで幻聴されたような気がした。








