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つまり、ハゲろということだ。

※サブタイトルに悪意はありません。

 俺と早川は教室を出て階段を駆け下りていた。


「でも勢いよく来たのはいいけど、あんた何をするつもりなの?」


 二階まで降りたところで早川が聞いてくる。


「職員室で物理の池尻に連絡を取ってもらって、七島が補習じゃないことを証明してもらう。担当の先生の口からなら周りの連中も信じるしかなくなるだろ。」


 これをさせないために七島はあんな三文芝居をうったのだ。だったらそれをしない手はない。


「それより問題なのは俺が行くまでに補習が始まっちまうことだ。テスト形式だから一度始まったら物理室には入れなくなる。」


「わかった。じゃあそっちは私がなんとかするよ。私も優子がいないと何も出来ないしね。」


 早川は頼もしく返事をする。


「…頼んだ。俺が着くまでなんとか粘ってくれ。」

「了解!じゃあ後は頼んだよ!」


 俺は手だけで返事をして、早川は物理室の方へ走って行った。


 早速、鞄を入り口に置いて俺は職員室に入る。


「失礼します。池尻先生はいますか?」


 不在とわかっている池尻の名前をあえて呼んだのは。そっちの方が話が早くなると思ったからだ。


「池尻先生なら、出張でいませんよ。」


 答えたのは目元に深いしわの入った老齢の先生。桜井だった。授業を受けたことはないが校歌を歌うときに指揮をしていたのを覚えている。

 確か生活指導の先生でもあったはず。いつもよりも声の調子を柔らかくして丁寧な態度を取る。


「本当ですか。池尻先生に急いで確認しなきゃいけないことがあるんですけど。」

「急ぎで?なにかあったの?」

「ええ、実は今日、物理の補習があるんですけど、どうやら補習者じゃない人まで何故か補習ってことになっているみたいで。池尻先生に直接確認を取りたいんです。」


「そう…。ちょっと待っていなさい。電話してあげるから。」


 桜井は手早く職員室の電話を取ると池尻につないでくれた。コール音が鳴り響く。

 しばらくそれを見守ったが、コール音が続くだけだった。


「もしかして池尻先生にお電話ですか?桜井先生。」


 すると、近くにいた事務のおじさんが桜井に声をかけた。


「そうです。この子が急いで聞きたいことがあるそうで。」


 受話器を耳に当てたまま桜井が俺を手で示す。


「実は…」と、俺は事務のおじさんにも事のあらましを話した。


「それならさっき、鷲塚先生も電話していたけれど繋がらなかったみたいだよ。」


 マジか。と思いつつも顔には出さないようにした。


「…鷲塚先生も繋がらないかもしれないとは言っていました。でも念のためもう一回だけ試して来いって言われて。」


 自分が職員室に来たことに不信感を持たれてはいけないと思ったので適当に理由をつける。事務のおじさんは疑う素振りもなく、「大変だねえ」とだけ言って仕事に戻っていった。


「駄目ですね。電話は鳴りますけど繋がりません。」

「…そうですか。ありがとうございます。」


 桜井は受話器を置き、俺は頭を軽く下げる。


 …連絡を取る方法は他にないか?と考えたところで俺は首を横に振った。

 俺が思いつく程度の方法を教師の鷲塚が試していないとは考えにくい。

 おそらくだが、池尻に確認がとれなかったから、泣く泣く目の前を通りがかった早川に聞いたというところなのだろう。


「あ…?お前、こんなところで何してんだよ?」


 すると後ろから声をかけられる。振り返ると愛田がそこにいた。


「いや、お前こそ。何…を…?」


 その姿を見て俺は自分の目を疑う。


「ああ…これか?」愛田は頭をさすった。


「ちょっとイメチェンだ。テスト終わったし夏休み前に景気よく行こうと思ってな。」


 愛田の頭が、おかしくなっていた。堅物の象徴だった坊主頭に新たに二本の道が作られ、かつては黒々としていた髪の芝は、今は黄金色に輝いている。


「おま、そういうのは夏休みに入ってからするもんだろ!?」


 我を忘れて本気でツッコミを入れてしまう。馬鹿だとは思っていたがまさかここまでとは。


「わかってるよ。ちょっとした若気の至りさ。」


 剃り込みの入った金髪の坊主頭を撫でて、愛田はキザっぽく言った。


「だから今日は自首しにきたんだ。…桜井先生。すみません。」


 愛田は深々と先生に向かって頭を下げる。


「なんて馬鹿なことを…」


 愛田の変わりように生活指導の桜井は頭を抱えていた。


 そこで俺はようやく気付く。


 七島の部活の顧問の先生を引き付けるのが愛田の役目だと早川は言っていた。

 七島の入っている部活が何部なのかは知らないが、おそらくこの桜井がその、愛田が引き付けるべき先生なのだ。


 …だからってここまでやるか?下手をすれば停学処分になったって文句は言えねえぞ?


「…あなたにはほとほと呆れました。入学式での頭髪検査の時のいい、物理室での鳩事件といい、どうしてそうやって騒ぎばかり起こすのですか。」


 桜井は愛田に深く失望しているようだった。


「…こうするべきだと思ったからっす。反省はしてますけど、後悔はしてないっす。」


 愛田は真摯な声で言う。俺には先生をおちょくっているようにしか聞こえなかった。


「もういいわ。…今日は忙しいからこのまま帰りなさい。後日然るべき処分を下します。」


 桜井は諦念したように言って、自分の机に戻っていった。


「いや、ちょっと待ってくださいっす!!できれば今日!ご指導していただきたいんですけど!!」


 愛田は桜井の腕に情けなく縋り付く。馬鹿野郎を見る先生の目は冷たかった。


「…そんな頭の人に何を言っても耳からに抜けていくだけでしょう?本気で反省しているというならまずはそのふざけた頭をどうにかしてきなさい。」

「いや、でも…そんなすぐにどうって出来るものでもないっすよ!コレは!」

「確か野球部にバリカンとカミソリがあったはずです。私は部活を見てきますから。」

「今から剃って来いと!?っていうか、待ってください!部活に行くのだけは勘弁です!!」

「どうしてですか。」

「どうしてって…どうしてもっす!俺だけを見ていてください!」


 女に捨てられるダメ男みたいなことを愛田は言う。


 …もう見ていられなかった。こんな頭になったうえに、ハゲることを半ば確約され、早川から託された役目も果たせないとは。哀れすぎる。


 とんでもないバカを見たおかげで、落ち着いている自分がいた。


 …ここで一度、俺が持っているもので使えそうなものを確認する。


 まずは情報。これは七島の物理の点数を見たという事実だ。七島の手によって周りに信じてもらえないだけで、事実としてはこれ以上ないほど有利に働く。

 …だが、それだけといえばそれだけ。七島が自ら進んで補習を受ける理由でも知っていればよかったのだが、それは親友の早川ですら知らないこと。俺が知れるわけがない。


 残るは物的なものだが…ロクなものがねえ。


「七島の物理テストの答案でもあれば話は早いんだが…?」


 そこで閃くものがあった。俺は自分のズボンのポケットを探る。

 それは確かあった。それから今まで聞いた事を改めてよく思い返す。


 …多分、問題ない。幸いそれをするための道具も目の前にあった。俺はそれをばれないように拝借してポケットに入れた。


 これで俺の役目は果たせる。後は、目の前を馬鹿ををどうにかしねえと。


「桜井先生。そこの馬鹿は放っておいて。ちょっといいですか?」

「邪魔すんじゃねえ!!」

「お前はちょっと黙ってろ。」


 桜井の腕に縋り付く愛田にヘッドロックをかけて引きはがし、俺は先生と向き合った。


「何?私も暇ではないのよ?」

「忙しいところ本当にすみません。でもついでに伝えておこうと思いまして。」


 ここからは完全に俺のアドリブだ。俺はちらりと腕の中の愛田を見る。


「おい放せって!!締まってる!締まってっから!」


 …くそ、不安しかねえ。こいつの存在がプラスに働いてくれればいいんだが。


 だが、もうこれ以外に考えられる手も、そのための時間もなかった。


「さっき補習の話の続きなんですけど、補習者の中に、先生の部活のトコの七島優子さんが居ます。」

「なんだって!?」

「黙ってろって言ってるだろ。」


 愛田に口を挟まれると話がこじれかねない。俺はヘッドロックを強めて黙らせる。


「さっき貴方は補習者じゃない人まで補習になっている。と言っていたわね。七島さんもその一人だと?」


 桜井は七島が補習であるはずがないと信じているようだった。


「毎回学年一位の七島さんが補習なんてありえないですからね。だからリストに間違いがあるって気づけたんです。」


 ここまで来ると嘘もスルスル出てきた。こんなんだから信用されないのだと思う。


「ついでだからと今、七島さんは物理の補習のテストの準備も手伝ってくれています。」


「…それでついでのついで、というわけじゃないんですが、もう少し七島さんをこっちで借りることは出来ないですかね?」


「七島さんを借りる?どういうことかしら。」


「実はですね…。」と、俺は困り顔を作る。


「補習はテストを一回やって、合格できたらそこで終わりなんですが、もし合格できなかったら、不合格者は放課後まで勉強することになってたんです。」


「でも池尻先生が不在なので、今、誰も勉強を見られる人がいないんです。

 かといって、先生のための短縮日課の日に先生の手を煩わせるわけにもいきませんし…」


「学年一位の七島さんなら先生の代わりを務めるには十分だと思うんです。七島さん本人は、部活があるから顧問の先生の許可がないと駄目だって言ってたんですけど…」


 遠まわしに本人の許可は取ってあると俺は言い、それから桜井の機嫌を伺うように目を見る。桜井は憮然とした表情で俺を見ていた。


「本当に本人がそう言ってたのね?」


「…はい!」


 その全てを見透かさんとばかり鋭い視線に思わず身が固くなる。だだでさえ慣れない敬語に、いつバレてもおかしくない綱渡りのような嘘。緊張しないといえばそれこそ嘘だった。


 それは一瞬だったのか、それとも数秒だったのか。桜井はやがて息を吐いた。


「…わかったわ。七島さんが良いというなら。けれど、部活には必ず来るように。そう伝えておいてくれるかしら?」


 …よし。


「わかりました。伝えておきます。」


「お願いしますね。じゃあ早くいきなさい。君が行かないとテストが始められないでしょう?」


「そうですね。走って戻ります。」


「それから、早く愛田君を開放してあげなさい。押さえてくれたのはいいけどやりすぎよ。」


「あ。はい。」


 緊張のせいでヘッドロックをかけていたことを忘れていた。慌てて腕を解くと、愛田はゲホゲホと咳込んだ。


「てめえ…どういうつもりだ。今日が何の日か知らねえのか?」


 愛田は地面にへたり込みながら俺を睨む。


 …色々とこいつには言ってやらないといけないことがある。作戦のこととか、その髪型のこととか。


「…知ってるよ。つうか、今日が勝負の日だってのはその頭を見ればわかる。」


 だが、全部を話している時間はなかったし、警戒対象である桜井を前に迂闊なことも言えなかった。

 

俺は一瞬だけ考えて、愛田にこう伝えた。


「今の話を聞いてただろ。七島は物理室で用が出来たから部活にすぐには出られなくなった。」


「でもずっと物理室にいるわけじゃない。…お前の仕事はまだ残ってるんだよ。」


 …こいつのことを友達だと認識していなくてよかったと心から思う。

 こんな残酷なこと、さすがの俺でも友達には言えない。


「…早く野球部に行って()()して来い。桜井先生を待たせるんじゃねえぞ。」


 俺はそれだけ言って、職員室を飛び出した。

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