自分がここにいる理由
……大体、早川がこの程度で諦めているような奴だったなら、俺は今頃、早川との交流を断ち、今日も平和にテスト勉強に勤しんでいたはずなのだ。
早川陸央のコミュニケーション能力の高さとそれに伴う人脈と情報網の広さの脅威は、この前の鬼ごっこの時に身をもって体感した。
その交友の広さたるや、『この近辺に住む人間が自分の友達の友達を辿っていくと3回以内で早川陸央にたどり着くほどなんだ」そう、天城のやつは言っていた。
……だが、俺が本当に脅威的だと思うのは、それだけの交友を維持できている点にあると思う。
人間には交友を保てる、ある一定のラインがあり、それを超えると超えた分だけ誰かと疎遠になっていくのだと昔、本で読んだ。
そういう学術的な要因を抜きにしても、学校が変わる、時間の経過、成長に伴う価値観の変化、様々な事情で縁は自然と切れていくもの。それは小学校から中学校、そして高校と、環境の変化を経験してきた者なら理解できるものだと思う。
いや、自然と理解していくというほうが正しいかもしれない。だからこそ、新しい環境が始まるとき、人は新しく友達をつくろうと思えるのではないか。
自然と切れてしまう程度の縁があるとわかっているから、その分新しく縁を結べる。気軽に新しい友達を作ることができる。
それらを逆手にとって、自ら過去の縁を断ち切り、新たな一歩を踏み出すものもいる。
もし、それを意識的にわかっていてやっているなら、とても賢い方法だと思う。感心さえする。
だが、早川陸央は違った。
早川はその一度できた縁を、――例えその縁が、一度前後の席になって話した程度の細いものであっても――決して手放せない。相手がその縁を切ろうとしても切らせない。
一方的に断ち切ったとしてもまた縁を繋ぐために努力する。
俺はそんな早川から逃げきれなかったのだ。だから今もこうして話を聞いている。
「諦めが悪いよなお前も」
「それだけが取り柄だからね。ここで諦めたらきっと私は後悔する。だったら諦めない」
早川はガッツポーズしながら答える。
「……まあ、だからと言って誰かをサボらせるとか、堂々と宣言するようなこともでもないんだけどな」
俺は親指で早川の後ろを指す。グラウンドからここに続いている階段を、一歩一歩踏みしめるような重たい足音を立てながら、誰かが上がってきていた。
「やばっ! この足音は鷲塚先生だ!」
俺と早川は自分たちが上がってきた本校舎への連絡通路に続く階段の方へ走り出す。
「お前ら部室の前で何を騒いでいるんだ!!」
早川の予想は当たり、鷲塚が怒鳴りこんできた。
「その細かいピッチに跳ねるような走り方は早川だな! 部活動時以外での部室の使用は例え通路の前でも禁止だというのを忘れたかぁ!!」
「ひぃ! すみませーん!」
後ろ姿とかじゃなく走り方で見分けるのか……陸上部顧問だし自分の部員の走り方を覚えていてもおかしくはない…のか?
見つかりはしたが、だからといって捕まるわけにもいかず、俺と早川は一目散にその場を逃げ出した。
◆
昇降口の下駄箱の辺りまで来て、俺たちは足を緩めた。
「あーもうびっくりしたぁ……鷲塚先生、下にいたんだね」
早川が胸に手を当てながら言う。
「そりゃあんだけ大声出せば人も来るだろ」
俺は後ろを確認する。鷲塚が追いかけてきている様子はなく、ひとまず安堵した。
「こりゃ部活の時にこってり絞られるなあ。テスト週間だから部活当分ないけどさ」
「ならいいじゃねえか。時間が経てばちょっとは怒りも薄れる」
「いや、他人事っぽくしてるけど、あんたも気を付けなさいね」
「俺は顔見られてないからセーフだ」
「いやいや」
早川は大袈裟に手を振った。
「後ろからでも走り方は見られていたと思うから、最悪体育の時間とかに勘付かれるよ」
「……陸上部の顧問は走り方で人を判別できるのか?」
「それができるのはあの先生だけだよ……その分、指導力も確かなんだけどさ」
「その理屈でいくと、陸上の指導力が上がると走り方で人を判別できるようになるということになるんだが?」
「んー……陸上部の顧問は走り方とかのフォームを見るのが役目でもあるからあながち間違ってないのかも。私も陸上始めてから人の走り方とか気になりだしたし」
「職業病ってやつか」
「それそれ。そういうあんただって帰宅するのが早いやつがいたら気にするでしょ?」
「ああ」
自分よりも早く帰路についているやつがいたら俺はとりあえず追い抜く。自分よりも早く帰れるやつがいるのはなんだか許せない。
「ほんと根っからの帰宅部なんだねえ」
と
早川は笑っていた。冗談のつもりで聞いたらしい。
「まあ、鷲塚のことは心配せずとも大丈夫だ。俺が全力で走るのは登下校の時くらいだしな」
「お、極めつけのセリフが出た。帰宅部として活動できるよもう」
早川は更におかしそうに笑う。
「あーおかしい…あんたは面白いね」
「バカにしてるよな?」
「ううん。割と真面目に尊敬してるよ。その自分を貫くスタイルはね」
笑いを必死に抑えながら言われても説得力が全くなかった。
「それと、人に無関心でいられるその姿勢もね」
「……やっぱりバカにしてるよな?」
俺が低い声で言っても、早川は笑っていた。
「そう聞こえた? でもそんなつもりはないよ。だから色々話したんだしね。おかげで自分の答えも出たし」
「自分の答えだ?」
「そ。優子に学校をサボらせるってあれ」
ひとしきり笑って満足したのか目尻を擦りながら早川は言う。
「やっぱりやるのか?」
「やるよー! 今からでも動きたいくらい! というか動くよ!」
「そうか。じゃあ頑張ってくれ」
早川がやる気を取り戻したようなので、俺はその場を去ろうと背を向ける。
「うん! じゃあまた明日……は、土曜日だから休みか。じゃあ来週だ!」
早川は素早く俺の前に回り込んでそう言った。
「何がだ?」
「あんた、私の頼みを断ったとき言ったよね?
『できるならやるし、できそうもないなら諦める。』って」
早川がさっき部室で見せた、したたかな笑みを浮かべて言う。
「……確かに言ったが。それがなんだ?」
「月曜日の昼休みだよ!」
「だから何が」
さっきから話の主語が欠けている。
「その日までに、このことをなんとかするための算段を私がつけてくる。できるなら準備もこの土日をフル活用してやってくるから」
早川が何を言いたいのかそこでわかった。
「……つまり、できそうもないことを、月曜までにできそうなことにしてくるから、その時は協力しろってことか?」
「その通り!」
早川はぴっ、と俺を指さした。まさか、早川が言質を取って来るとは。吹っ切れて頭が回りだしたか?
「じゃあ余計なこと言われる前に私は帰る! 約束したからね!」
「一方的な約束は、約束とはいえないんじゃないか?」
「聞こえないね!そんじゃあ月曜日!首を洗って待ってな!」
早川はすたこらさっさと、階段を駆け上がっていった。
「首を洗っとけって……月曜日に俺は殺されるのか?」
早川の人脈ならそれもあるいは可能かもしれない。スマホ片手に人を社会的に殺すことはできるわけだし。
「ていうか、テスト勉強はいいのかあいつ」
ただでさえ成績が危ないと自分で言っていたのに大丈夫なのだろうか。来週の水曜日にはもうテストが始まるというのに。
だ が、それも早川自身が何とかする問題。俺が心配することではないだろう。
それに……作戦のことも心配はいらないだろう。
人には向き不向きがある。あいつがちょっと考えたところで良い作戦が思いつくとも思えなかった。




