132 再話された昔話
こんにちは。
ええと……とある読者さまからも御忠告いただいたことがあるのですが、こちらのエッセイは特に身バレ注意な内容ですよね。あまり書くと本当に身バレしそうなので、今回は特に気を付けて、かなりぼんやりとボカして書こうと思います。
先日、学校司書さんたちを対象にしたとある先生のお話を聞く機会がありましてね。
基本的には児童文学に関連するさまざまなトピックだったのですが、面白かったのが昔話に関するおはなしでした。
特に小学校では、再話されて絵本の形になった昔話がたくさん置いてあるのではないかと思います。それを子どもたちに手渡す「媒介者」の立場である司書として、こういうことは知っていた方がいいかも……という内容でした。
昔話というのは、基本的に世界のさまざまな地方で昔から語り継がれてきたストーリーのこと。もとは口伝えで、聞いた人が記憶してまた別の人に語る、ということで語り継がれてきたものです。
そちらを文章に起こして記録し、物語の形にまとめるのが「再話」。
ところがこれ、もとの話が同じなんだから似たようなものかと思っていたら、意外と再話する人の考え方、イデオロギーなどがまぶされ、加味される場合があるのだそうです。
今回ご紹介された昔話では、特にプロレタリア運動が盛んなころに書かれたタイプものや、ごく最近だと特に少数派の人々との共生や多様性への配慮といったことが盛り込まれた作品がありまして。
たとえば「敵を倒しに来たはずなのに、いざ来てみたらわるい人はだれもいなかった。自分はどうすればいいんだろう……」みたいな終わり方だったりして。
個人的に、かなりびっくりしたのですよね……。再話者によってこんなにも違うのかと。
戦時中ならもっとどぎついものもあって、富国強兵に力を入れ、外国から攻めてくる者を薙ぎ払う精神性を養わせるための物語になっているし。
わたしたち司書は、昔話といえどもその背景や歴史をある程度知って、そのうえで選書をしたり子どもたちに勧めたりする必要があるかもしれませんね、と先生はおっしゃっていたのですが、まさにその通りだなと思ったのです。
いやはや、いつまでもずっと勉強。勉強、ですね……。
あまり書くと本当に身バレしてしまいそうなので、今回はこのあたりで。
ではでは!





