心臓編・17『忍び込め! ルル子ちゃん』
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男はカン、カン、カンと足音を鳴らしながら階段を下りる。
地下室の鍵はかかったままだった。頑丈な木の扉は少しの歪みもない。
あの娘はすでに魔術、神秘術の初級を習得しつつあるから、万が一足枷を外すことができたなら脱走するかもしれない。そんな不安があった。
変わりのない扉に安堵の息を落としてから、扉を開ける。
暗い地下室には、足枷を鎖でつながれた幼い娘の姿があった。
この環境で一日放置すれば、さすがに気の強い娘も多少は反省するだろうと考えていた。
本音を言えば、より厳しい折檻をして従順にさせたかったが、このシュレーヌ家の大事な後継者だから体に残るような傷をつけるわけにはいかない。
「どうだサーヤ。自分の愚かさを思い知ったか」
うつむく娘に問いかける。
もともと綺麗だとは言えなかった部屋着から、饐えたような臭いがした。ここにはトイレもないから垂れ流したんだろう。
彼は鼻をつまんだまま、連れてきた奴隷の使用人に命じて娘の枷を外させた。軽く睨まれたが、ここで父親を襲うような本物のバカではない。身の程を知らない子どもではあるが知能は高かった。
夢見がちなことを言う悪癖があったけど、器量も良く才能に溢れる自慢の娘には変わりなかった。
もちろん、よりよい縁談を結ぶために使えそうな自慢の娘、という意味だったが。
彼は階段を登りながら、後ろを歩く娘に話しかける。
「いいかサーヤ。お前はもっと子爵家の人間として自覚を持て。貴族の振舞いをしっかり身につけたなら、いずれ社交界にも連れて行ってやる。こんな貧乏な暮らしでは味わえないウマい料理に、華やかな踊りに上級貴族たち。お前は我が娘ながら見た目だけは一級品だ。なんとしてでも王族、あるいは上位貴族たちに気に入ってもらうんだ」
「……。」
「そうすればこの家も安泰。俺にもお前にも、何不自由なく暮らせる日々が待っているんだからな」
そのためにもバカなことは考えず女を磨け、と言葉を添えておく。
地下室が相当まいったのか、サーヤは無言でただついて歩くだけだった。
サーヤの部屋の前まで連れてくると、最後に吐き捨てるように言った。
「しかし臭くてかなわん。屋敷を汚す前に、さっさと着替えて寝ろ。食事は明日でいいな」
何か言いたそうな娘だったが、結局言葉に出すことなく自室へ入って行った。
扉が閉まると、彼は使用人を連れて自分の部屋へ戻っていくのだった。
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「ふぅ、なんとか騙せたな」
サーヤの部屋に入った俺は、認識阻害を書き込んだ腕輪を外した。
ロズが教えてくれたこの術式は本当に便利だ。
性別や年齢、身長や見た目も自由に設定できる。もちろん実物のサーヤが目の前にいたからこそ真似できる芸当だが、条件さえ揃えば実の父親の目すら欺くことができるのだ。優秀すぎるぜ『閾値編纂』。おまえがナンバーワンだ。
「しかし予想以上に扱いが悪いな。そりゃ家出もしたくなるぜ」
さっきの父親の言葉の節々に見える本音と、このボロくて狭い部屋。
玩具の類はほとんど与えられず、布が擦り減って色褪せ潰れている黒髪の男の子の人形が、ぽつんと安物のベッドに置かれているだけだった。
――あいつが父親だなんて認めない!
そう言っていたサーヤの言葉も理解できる。
こりゃ、最悪のパターンも考えて連れ出してあげないとな。
そのために思い浮かんでいる案は、二つ。
一つ目は正攻法だ。この屋敷で情報収集を重ね、父親の説得材料を探す。そのためにこうしてサーヤのフリをして潜入していた。
二つ目の案は俺だからこそできる強硬手段だ。かなりのパワープレイでリスクも高いので、できれば一つ目の案で成功したいところなんだが。
「とりあえず着替えっと」
さすがに汚れた服のままは不快なので、すぐに脱いだ。
パンツ一丁のままクローゼットを堂々と開ける。ほぼ全裸で幼女の服を物色するという貴重な体験をしている俺。事情を知らないやつに見られたら即通報されるシチュエーションに、ちょっと後ろめたい気持ちがなくはない。
しかし俺はいまサーヤなのだ。サーヤがサーヤの服を漁って何が悪い。むしろ雑に放り込まれている下着を畳み直して綺麗に整頓までしているんだ。サーヤ(本物)も感謝してくれるだろう。
そして当然、小さな女の子の服しかないので俺が着られるようなものはなかった。
しゃーない。
「『装備召喚』」
宿から自分の服を呼び寄せた。
部屋の外では認識阻害の腕輪を身につけるとしても、服装が男のものじゃ違和感に気づかれる場合もある。認識阻害は一度でも疑われてしまえば阻害効果が薄まるし、そもそも相手が誰か気づいていると効果はない。幻術ではなく、あくまで印象操作の術式なのだ。なのでなるべくサーヤが持っている服に近いものを選んでおいた。つまりスカートだ。
なんでスカートなんて持ってるのかって? こんなこともあろうかと想定しておいたんだ。本当は誘拐犯が来てもエルニに化けて俺が対処するために用意していたものなんだけど。
姿見の前でくるりと回って確認。
うん、まあまあな出来だな。
見た目からスカートをはいた少年って感じではなく、母親由来の整った顔立ちもあり、ルル子ちゃんと呼ばれても違和感はない程度には落ち着いたと思う。ムーテル家の男は俺以外全員ゴリラだから、ここだけはこの体に産んでくれて良かったと思うよ、ほんと。
よし、いきますか。
俺は認識阻害の腕輪をつけ、こっそりと部屋を抜け出した。
屋敷の構造はサーヤに教えてもらっているから、だいたいの部屋の位置関係は把握できている。貧乏だから使用人もさっき見かけた一人だけみたいで、基本は主人――サーヤの父親に付き従っているらしい。シュレーヌ子爵本人は使用人は雇わず、自分と奥方二人だけでなんでもやっているんだとか。
ついでに言うと子爵と妻ふたり、そして養子にしている獣人の子どもたちはこの屋敷の三階にいるらしい。三階はサーヤでも立ち入り禁止らしくて、どうなっているかはわからないとのことだ。
まあ、まずは二階と一階だな。
俺は夜の闇に紛れ、移動を開始するのだった。
結論。
ほとんど収穫なし。
色々と内情を探ってみたけれど、聞いていた通りの貧乏貴族そのままだった。収入はおもにシュレーヌ子爵が農民に貸し出している農耕地からの納税くらいで、それもさして多くない。他に収益のある活動はしておらず、むしろ養子を賄っている分支出がかなり多い。
複数の伯爵や公爵に借金があるようだったが、破産するほどの高額でもなければ一括で返せるほどの低額でもない。切り詰めた生活をしていけば、現状維持は可能な範囲だった。
金銭面ではそんな感じで、よくある貧乏貴族の典型例のようなものだった。
ただ、書斎に飾っていた感謝状の数は相当なもの。こればかりは圧巻だった。
多くは獣人の国や街、集落からのもので、中には国王直々からの感謝状もあった。詳しく読んだところ、シュレーヌ子爵が助けて故郷に送った獣人がどこかの王子だったという。俺の生家にもそれなりの感謝状はあったが、その公爵家と比較しても倍以上の数がこのシュレーヌ子爵へ送られているようだった。
金はないが人徳はある。そんな人なのだろう。
そんな子爵とは裏腹に、弟のサーヤ父……面倒だからデブ父と呼ぼう。デブ父はあまり働き者とは言えないようだった。
奴隷契約で買った若い女の使用人にアレコレ身の回りの世話をさせて、自分はあまり仕事をしていない生活だということがわかる。貸し出している農耕地の管理は子爵が行い、王都や他の貴族への連絡や顔役を弟のデブ父が行う、という役割分担のようだ。デブ父の書斎には貴族たちからの手紙や、会合のスケジュールや会議内容の書類がたくさんあったが、きちんと管理しているとは思えない雑多なテーブル周りだった。
あとは直接見聞きしたことといえば、深夜にデブ父がダイニングで酒を飲んでいたのを覗いたくらいだ。酔っぱらったデブ父もオドオドした使用人に当たり散らすだけで、特に有益な情報を得られはしなかった。
夜も更けて仮眠を取ったあと、翌朝には朝食に呼ばれた。
そこでようやく俺は、シュレーヌ子爵と対面した。
大きなテーブルを置いたダイニングの端と端に、子爵夫婦とサーヤたち親子が離れて座っている。テーブルの反対側に座った子爵は、少し痩せた人の良さそうな30代中盤の男だった。その隣には、化粧気はないが美しい同じくらいの年齢の女性がふたり並んで座り、三人の周りに獣人の子どもたちが十人ほど賑やかに座っていた。
質素な食事だけど、獣人の子たちは楽しそうに食事をとっている。それを微笑ましく見守る子爵と妻ふたり。
貧しくも温かい風景だった。
「ちっ、ケモノ風情が同じモン食いやがって……残飯でも食わせとけよ」
小声でそんなことを言ったのは、もちろんデブ父。
数メートル空席を挟んだテーブルの逆側で、子どもたちを睨んだデブ父は舌打ちまじりに食事を続けていた。その後ろに使用人の子が立ち、あとはデブ父の斜め向かいにサーヤに扮した俺が座っている。
サーヤの母親は数年前に他界し、そのあとは再婚していないのでこっちは父と娘だけだ。こっちの雰囲気? そんなもん聞くまでもない。冷蔵庫のビールみたいにキンキンに冷えてやがる。
温度差が激しすぎる食事風景だった。
ふた家族、お互い話しかけることはなかった。俺はボロを出さないようになるべく静かにしていたし、普段からサーヤもそんな感じだと聞いていたからサーヤのロールプレイは楽だった。誰にも気にかけられることなく食事を終えると、使用人が食器を下げていった。
食後に長居する理由もないので、ひとまず部屋に戻ろうと席を立った。そこに前触れもなく話しかけてきたのは子爵だった。
「サーヤ」
「……なあに、伯父様?」
なるべくサーヤっぽい感じで返事をしておいた。もちろん裏声。
サーヤいわく、子爵との仲はそれなりに良好らしい。むしろサーヤとしてはとても尊敬しているんだとか。デブ父の圧力のせいであまり親密にとはいかないけれど、困ったときは助けてくれる頼りになる相手なんだとか。
「昨日は夕飯に姿を見せなかったから、どうしたのかと心配してたんだ。体調が悪かったみたいだね、もう大丈夫かい?」
本心から心配している、そんな視線と口調だった。
なるほどサーヤが父じゃなくて子爵に懐くわけだ。
しかし地下室に閉じ込められていたことは知らないらしい。デブ父を見ると、強い視線で睨まれた。
ここは正直に言うより、デブ父に従っておいたほうが無難か。
「うん、もう大丈夫よ。ありがとう伯父様」
「そうか。それならなによりだ」
ほっとする子爵。妻たち二人も心配してくれていたようで、柔らかく微笑んでくれた。
俺は念のため今日は部屋で休んでおくことを伝えて、ダイニングを退出しようとした――その時だ。
屋敷の外、門のほうから来客を知らせるノッカー音が鳴った。
すぐに使用人の子が出て行き、ものの一分もしないうちに戻ってくる。
その手には手紙が握られていた。
「誰からだ?」
「け、ケタール伯爵様からです」
使用人はビクビクと怯えるようにデブ父に返事をしてから、その手紙を子爵に渡した。
子爵は手紙をじっくり読むと、大きくため息を吐いた。
「兄貴、伯爵はなんて?」
「……街の復興に支援金を出せという通達だよ」
「なんだと。いくらだ?」
「ひとまず子爵位なら金貨20枚。被害状況がまだ詳細に報告されてないから、増える可能性もあると」
「クソが! そんな金あるわけねえだろ!」
バン、と力いっぱいテーブルを叩くデブ父。
獣人の子どもたちが怯えた顔をする。
「とはいえ、我々もこの街の一員だ。有事の際の支援は貴族の義務だよ」
「わかってる! ったく、また借金のお伺いかよ……俺の仕事増やしやがって」
「いつもすまないね」
「……家族だからな。仕方ねぇ」
言葉だけは絆の深い兄弟のようだったが、デブ父のその言葉は皮肉にしか聞こえなかった。
しかし、援助金の話か。
これは使えるかもしれないな。
俺はそっと席を立ち、サーヤの自室へ戻る。
しばらく休むと言っているから誰かが訪ねてくる可能性は低いだろう。
そのまま部屋に鍵をかけ、窓をあけて屋敷を脱出するのだった。




