キスの夢
やや薄暗くなった田圃の中の道。博美は自転車の荷台に乗っていた。珍しくスカート姿の博美は横座りをして右手で自転車を漕いでいる男を捕まえている。露になった膝に当たる風が気持ちいい。
「ねえ、止まって…」
自転車はゆっくり止まると男が振り向いた。
「どうした? 疲れたか?」
振り向いた男は加藤だ。加藤は左手をハンドルから離すと博美の頭を撫でる。
「ううん…」
博美は加藤を捕まえていた右手を離すと荷台から飛び降りた。それを見て加藤も自転車を降りるとスタンドを立てる。
「来て……」
博美が加藤を呼ぶ。
「なんだい?」
加藤は博美の前に立った。
「…好き……」
博美が加藤の首に手を回し、目を瞑って薄く口を開ける。
「いいのか?」
「うん……」
加藤は博美の背中に手を回すとゆっくりと口を近づけた。
「…重い……」
リアルな重さを体に感じて博美は目を開けた。目の前に人の頭が在る。無言で博美はそれを引っ叩いた。
「いったーい!」
博美の上に乗って胸やお腹を触っていた樫内が悲鳴を上げた。
「か、樫内さん… いったい何をしてるの!」
さっきの夢の余韻で顔を赤くして博美が叫ぶ。
「何って… 決まってるじゃない。 ヒロミンの摂取よ。 うーん、今日も良いヒロミンが取れたわ」
ふてぶてしくも今だ博美の上に乗ったままで樫内が言った。手は博美の胸から離さないどころか、ゆっくりと揉んでいる。
「ちょ、ちょっと… い、いや… そこは止めて…」
ブラをしていない所為で夏用の薄いパジャマでは胸の「ポッチ」がはっきり分かり、樫内はそれを摘んでいた。
「うふふふ… いやいや言っても体は正直よ。 ほーら、硬くなってき きゃー!」
突然、樫内が吹っ飛んでいった。
「あんたねー 毎朝毎朝… いい加減にしなさいよ!」
床に転がる樫内を仁王立ちの永山が怒鳴りつける。
「はあ、はあ。 裕子ちゃん、ありがと。 …樫内さん、あんまりしつこいと篠宮さんに教えるわよ」
息も絶え絶えで、博美はベッドから上体を起こした。
「えっ! それだけは止めて… もうしないから。 多分……」
樫内の顔が見る見る青くなる。
「多分ってなによ。 信用できないわねー」
最後に小さく付いた言葉は博美に聞こえたようだ。
「だって自信無いんだもん♪」
青い顔のまま「てへっ」と樫内は言った。
「ねえねえ。 篠宮さんって誰?」
どうやら落ち着いたところで永山が博美に聞いた。
「えーとね、樫内さんがす」
「ストーップー! あはは…… なんでもないのよ。 気にしないで」
樫内が言いかけた博美の口を押さえ、
「後でケーキ奢ってあげるから、言わないで」
耳元で囁いた。
高専の授業はレベルが高く、毎日気の抜けない授業が続く。その中に在って唯一気が抜けるのは体育だ。梅雨ということもあり、今は雨が降っても出来るハンドボールをしている。
「よーっし、集合!」
授業が終わる五分前に教師が皆を集めた。
「少し早いが、これで終了とする。 今日でハンドボールは終わり、来週からは水泳になる。 次回の授業は水着に着替えてプールに集まること。 更衣室はプールにあるからそこで着替えるように。 いいな?」
「はいっ!」
全員が元気よく返事をし、
「それじゃ、解散」
教師は帰っていった。
「いよっしゃー プールだー」
「おおー 来週からは体育が冷たくて気持ちいいぜ」
「ああ、体育館は蒸すもんなー 体操服が張り付いて気持ち悪いよなー」
「俺の肉体美が衆人の下に晒されるときが来たー」
「なーにが肉体美だ。 骨体美だろーが。 スジ体美かもな」
「俺、腹に贅肉が付いてる…… 一週間で痩せるかな……」
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「(水着になるんだ…… 大丈夫かな……)」
プールと聞いて男子たちは大喜びだが、女になって始めての水泳に博美は困惑している。
「おい、なんか暗いな。 おまえ、ひょっとして泳げないのか?」
そんな博美に気が付いて、加藤が側に来た。
「馬鹿にしないで。 泳ぐのは大丈夫」
小さい頃から河川敷にラジコンにいく光輝に付いていっては川で泳いでいた博美はそれなりに泳げるのだ。海で泳いでいた加藤などより、淡水に慣れている分、プールでは有利だろう。
「じゃ、何が心配なんだ?」
「別に心配事なんて無いよ」
「そうか? そんな顔してたと思ったがなー」
「大丈夫、大丈夫。 それより、さっさと着替えよっ」
更衣室に向かって博美は駆けて行った。
「うーん…」
夕食後、博美はベッドの上に体育で使う水着を広げて唸っていた。
「(やっぱり男の水着とは違うよなー 男のはパンツだもんな)」
中学校では男子と女子は水泳の授業は別々だったので、博美が女子の水着を見たことのあるのは小学校の頃まで溯らなければならない。
「(けっこうハイレグなんだ…)」
しかもスクール水着と違って、高専指定の水着はスポーツブランドの競泳用なので、かなり「ぴっちり」と体にフィットする作りだ。
「ただいまー」
ドアが開き、永山が帰ってきた。
「あれー 博美ちゃんたちも体育が水泳になるの?」
ベッドに置かれた水着を見て永山が尋ねる。
「うん、裕子ちゃんも?」
水着を見ていた顔を上げ、永山のほうを向いて博美が答えた。
「そうよ、で… 何を悩んでたの?」
「実はねー 着た事無いんだ」
「えっ! なんで?」
「なんでって言われても… そのチャンスが無かったと言うか……」
苦笑混じりに博美が言う。
「ひょっとして、ずっと水泳はサボってたとか… 生理ですって言って…」
意外と不良だったのねー と永山が続けた。
「なら着てみたらいいのよ。 お風呂から帰ったら一緒に着ようか?」
「いいの?」
「いい、いい。 私もチェックしておきたいから」
二人は準備するとお風呂に向かった。
風呂から帰ると永山は箪笥から水着を出してきた。
「さあ博美ちゃん、一緒に着るよ」
永山はパジャマを脱ぎだした。
「うん」
博美も一緒にパジャマを脱ぐ。
「ここは私たち二人だから裸になっちゃうけど、人の居る更衣室だとね、専用のバスタオルを使うのよ」
言いながら永山が大きな筒になったバスタオルを見せた。
「こうやってこれを頭から被って着替えるの」
簡単にやって見せると、永山はバスタオルを片付けた。
「じゃ、先ずはね… このサポーター」
パンツまで脱いだ永山は凄く小さなビキニのような物を穿き始めた。
「これを穿いてないと割れ目ちゃんの形が分かることがあるのよ。 あれは恥ずかしいわよー」
思い出すように言って、永山はサポーターを上まで引き上げる。
「裕子ちゃん、経験あるの?」
永山の真似をしてサポーターを穿きながら博美が尋ねる。
「私自身でもあるし、クラスメートでも見たことあるわ。 教えてあげるのも恥ずかしいしねー」
男子が居なくて良かったわ、と永山が苦笑する。
「んで、水着ね。 これはこうやって… 下のほうから引き上げるんだけど…」
競泳用の水着はかなりきつめに出来ていて、なかなか引き上げられず、永山が身をくねらせる。
「んしょ… やっと上がったー」
胸の下まで上がったところで永山はブラを外し、水着を肩にかけた。
「後は胸の位置調整で終わり。 博美ちゃんもやってみて」
「うん、やってみる」
博美も水着を持つと、永山がして見せたとおり引き上げる。
「わー 博美ちゃん。 そのウエストってなに? そのお尻ってどうなってるの?」
身をくねらせながら水着を引き上げる博美を見て、永山が声を上げる。制服を着ているときにはただ細いだけに見える博美だが、こうしてぴったりした水着を着るとウエストの細さと、そこからぐっと広がるヒップのラインが堪らなく扇情的に見える。
「樫内さんが暴走するのも分かるわ」
永山の目が樫内のそれに似てくる。
「ちょっとー 変な目で見ないでよ」
水着に手を突っ込んで胸の位置を調整していた博美が永山の視線を避けるように後ろを向いた。
「後ろか見ても凄いわねー」
丸く張ったお尻は気をつけないと水着が食い込みそうだ。
「もう! そんな事言われたら気になっちゃうじゃない」
博美は指で水着をお尻に被せた。
「わあ! それ、すごくセクシーよ。 博美ちゃん、男子の前ではしないほうがいいかも」
しないほうがいい、なんて言いながらも永山は食い入るように見ている。
「じゃあさー どうすればいいの? 食い込んできたら」
永山のほうに向き直り、博美が困った顔をした。
「プールの中とか隅っことか… 博美ちゃん、加藤君に隠してもらったら?」
いい事を思いついた、と永山が言う。
「加藤君になら見られても良いんでしょ?」
「えっ! 康煕君でも恥ずかしいものは恥ずかしいよ」
ぽんっ、と博美の顔が赤くなった。
「なにー その顔はー もしかして何かを思い出した?」
永山が「にやにや」し始める。
「何でもない、なんでも無いからー (やだー どうしよう。 この間の夢を思い出しちゃった)」
博美は水着のまま顔を隠してベッドに伏せてしまった。
その日の夜、自習休み時間に加藤はメールを受けた。
{わーい、博美だよ。 ねえ、今度海に行かない?}
「(ん? まだ海開きじゃないだろ?)」
確か海開きは7月だったのに、と思い加藤は返信する。
「(おっと… もう帰ってきたか?)」
送った直後に再びメールが入った。
{井上だ。 加藤君、今度の土曜日に練習しないか? よければ迎えにいく}
それは珍しく井上からだった。
「(土曜日か… 博美がよければ行けるな)」
加藤は博美の返信を待つことにした。
水泳の授業の前に加藤に水着を見てもらい、恥ずかしさに慣れておこうと考えメールを送った博美は加藤の返信と井上のメールを同時に受けていた。
「(ええー 井上さんから? 土曜日かー 海に行くのを日曜日にしたらいいよね。 えーっと康煕君は… 海開きがまだなんだ。 別に海はあるんだから良いんじゃない?)」
結局週末は、土曜日はヤスオカ模型の飛行場、日曜日は海に行くことに決定した。




