相合傘
博美は再びバスセンターに来ていた。
「(うーん、どうしようかなー これから寮に帰ると少し早いし…)」
日曜日の午後、待合室が込み始めるにはまだ早い時間、バスの時刻表を見ながら博美は迷っている。スクーターを修理に出した後、帰ってみると明美と光は買い物に出かけていて家に誰も居らず、小雨の降っている中一人で居るのもつまらないからと出てきてしまったのだ。
「(そーだ。 康煕君の所に寄って自慢しちゃおっかな)」
膝に乗せたバッグから取り出した免許証を博美は「にまにま」と眺める。
「(居るかなー メールしてみよっか)」
博美は免許証を片付け、携帯電話を取り出した。
雨が降っているのでラジコンが出来ず、加藤はベッドの上でスマホを見ながら暇をつぶしている。
「(ふー…… これって下は穿いてるんだよな……)」
今、スマホに写っているのは先週麻由美が送ってきたビキニを着た博美だった。下半身がカーテンで隠されている所為で、何も穿いていない様に見える。
「(しかし、こいつってスタイル良いんだな。 そこいらのモデルなんか目じゃないぜ)」
小ぶりなバスト、きゅっと締まったウエスト、そして其処から滑らかな曲線を描きヒップに繋がるライン、それらから加藤は目を離せない。
「うおっ!」
どれだけ呆けていたのだろう。手に持ったスマホが振動しだし、加藤は取り落としそうになった。
「(えっ! ひ、博美……)」
スマホの画面に現れたのは博美からのメールを知らせるメッセージだった。
{やほー 免許取れたよ。 いーだろー 康煕君今何処? 家にいるなら行きたいな}
ビキニに見とれていたのがバレた訳では無いようだ。加藤は博美の能天気な文章に胸を撫で下ろし、さっそく返信を打った。
返信が来るのを携帯電話を開いたまま博美は待っていた。一分が一時間にも感じられるほど待ち焦がれたメール着信音が鳴る。
{家に居る。 まだ寮には帰らないから来ていいぜ。 母も妹も居る}
「(やった! っと、何番乗り場だったっけ…… 浜改田経由空港行き、これじゃなかったかな?)」
加藤からの返信を見て、博美はチケットを買いバス乗り場に移動した。
博美の乗ったバスは暫くは何時も使うバスと同じコースを走り、やがてメインルートを外れて細道に入っていった。
「(えー こんな道だったかな?)」
加藤に連れられ、一度しか使ったことの無いバスなので、博美は段々不安になってきた。
「(電話しよ)」
博美はとうとう加藤に電話をした。
『あ! 康煕君… うん、今バスの中… うん、うん。 それでね、何処で降りるんだっけ? うん、今バイパスから出たところ… うん、分かった。 四つ目のバス停だね… 外山っていうんだ。 はーい、それじゃ切るね』
「(よかった、間違ってないみたい。 あっ! 今一個目)」
電話を切った博美が外を見た時、誰も居ないバス停が通過していった。
「わーい! 康煕君、久しぶりー」
博美がバスから降りると、加藤がバス停で待っていた。
「おう。 なーにが久しぶりだ。 一昨日学校で会ってただろ」
呆れながらも加藤は博美に傘を差し出す。
「えへへ いいじゃない。 会いたかったんだもん」
加藤の持つ傘に入り、博美は体を押し付けた。
「うーん。 康煕君って暖かいー」
「おい、そんなにくっ付くなよ (うっ! やばい…… さっき見た写真が…)」
さっきまで見ていた博美の写真が頭にチラつき、加藤の体は更に熱を帯びる。
「えーっ、いいじゃない。 ほんっと康煕君暖かいなー 気持ちいいー」
加藤は顔を赤くして家まで歩くことになった。
「ただいま」
「おじゃまします」
「はーい、いらっしゃい。 博美ちゃん、相変わらず可愛いわねー 康煕、あんた顔が赤いわよ。 熱でも有るの?」
二人が加藤の家の玄関を開けると加藤の母、麻紀が居間から出てきた。
「お兄ちゃん、相合傘だったでしょう。 見せ付けてくれちゃってー」
妹の麻由美が二階から「にやにや」しながら降りてくる。
「あらー 康煕、ひょっとして照れてるの? うぶなんだからー」
麻由美の言葉を聴いて麻紀も「にやにや」し始めた。
「んっ? そうなの?」
博美が加藤の顔を覗き込む。
「あーもー! いいだろ、そんな事」
女三人には流石に加藤も敵わない。
「それより、家に上げてくれよ……」
声が小さくなっていた。
博美は居間でお茶をご馳走になった後、加藤の部屋に来た。
「おじゃましまーすっ」
どきどきしながらドアを潜る。
「意外と片付いてるー あっ 「アラジン」発見」
ドアの正面に窓が在り、ベッドが置いてある。右を見ると勉強机、その隣に飛行機の乗っている棚が在った。
「わー 綺麗に使ってるねー ねえ、調子はどう?」
分解してある「アラジン」の胴体を手に持って博美が聞いた。
「調子はいいぞ。 流石は妖精の秋本製だな。 ああ、ベッドに座っていいぞ」
勉強机の椅子を引きながら加藤が答える。
「いいの? ありがと」
「アラジン」を元通り片付け、博美はベッドに腰掛けた。
「うーん… 綺麗なシーツだねー ちょっと意外ー」
ベッドの上を「ぽふぽふ」と博美が触る。
「んっ? なんだろ? あっ…… 康煕君のスマホだー」
枕の横にスマホが置いてあった。
「おお、悪い。 置きっぱなしだったな。 取ってくれるか?」
加藤が手を伸ばす。
「いいなー 僕もスマホ欲しいなー って、なにこれ!」
加藤の手を無視するように博美が触っているとスクリーンが点いた。そこにはさっき加藤が見ていたビキニ姿の博美が写っている。
「……どうして康煕君がこれ持ってるの?」
半眼になって博美が睨む。
「(怒った顔も可愛いじゃないか…) あっ、麻由美が送ってきたんだ」
「麻由美ちゃんが? で、なんで画面に映ってるの?」
博美の追求は止まらない。
「えっ、えええっと…… き、綺麗だなっと……」
「えっ! 僕って綺麗?」
「ああ、綺麗だ。 俺はスタイルが良くて綺麗だと思う」
話しながら加藤が赤くなってくる。
「ほんとう? 胸小さいよ… おっきい方がいいんじゃない? ほら!」
博美が見せるスクリーンには胸の大きなモデルが映っていた。
「写真のホルダーにいっぱい入ってるじゃない」
次々と博美が写真を表示する。
「そ、それはつい出来心で…… ごめん、全部消すから…」
大きな加藤が小さくなった。
「はあ…… いいよ、男の人ってこいうのが好きなんだよね。 写真だけなら許してあげる…」
「ほんとか? も、もちろん好きなのは博美だけだ……」
「じゃ、証明して…」
スマホを横に置き、博美は加藤を真っ直ぐ見る。加藤は立ち上がるとベッドまで来て博美の横に座り、博美に見せながら写真を消去した。
「いいの? 写真ぐらいなら見ていいんだよ」
加藤にもたれ掛かりながら博美が言う。
「いいんだ。 博美が横に居てくれるだけで俺は十分だ」
加藤はスマホを横に置き、博美の肩を抱き寄せた。
「ほんとだよね。 僕、信用しちゃうよ……」
博美は加藤の顔を見上げ、目を瞑り少しだけ口を開ける。
「(えっ! これって… キス…… こいつキスをしたいのか?) いいのか?」
加藤が囁くように尋ねる。
「… うん……」
博美は小さく頷くと加藤の首に手を回してきた。加藤の唇が博美のそれにゆっくり近づく。
「お兄ちゃん。 お母さんが晩御飯を秋本さんと食べて行きなさいってー って、えーーー!」
声が聞こえた途端、麻由美が飛び込んできて、
「あははは…… ごめん…… お邪魔しましたーーー」
次の瞬間、麻由美は部屋を飛び出していった。
「……」
後には呆然として見つめあう博美と加藤が残される。
「おかーさん。 お兄ちゃんたち「キス」してたー」
開けっ放しのドアの外から麻由美の声が小さく聞こえてきた。
「えへへ…」
「あはは…」
二人は見つめあったまま笑い出してしまった。
「おいしい…」
加藤の隣に座って、博美はついでもらった肉じゃがを食べていた。
「口にあってよかったわ。 どうぞたくさん食べてね」
それを麻紀が嬉しそうに見ている。
「なんかお嫁さんが来たみたい。 美人だと食べてる姿も絵になるのねー」
麻由美もうっとり眺めていた。
「なんだなんだ、二人とも。 博美は見世物じゃないぜ」
加藤はやや不機嫌だ。
「なに、お兄ちゃん。 謝ったじゃない。 邪魔されたからって、何時までも不貞腐れてないでよ」
「そうよ、キスなんてこれからも出来るじゃない。 慌てなくて良いわよ。 でも赤ちゃんだけは止してね」
麻紀が真顔で言う。
「あ、赤ちゃん? ま、ま、まだそんな事…」
博美が真っ赤になった。
「そ、そうだよ。 俺たちはそんな事してないから… キスだってまだだし…」
加藤も顔を赤くする。
「あら? さっき麻由美が「キスしてるー」って言ったわよ」
「してない! 寸でのところで邪魔されたんだ」
加藤があらましを説明した。
「そうだったの。 まあ、仕方が無いわね。 今日のところは諦めなさい。 麻由美もノックはしなくちゃね」
「はーい」
「はいはい」
麻紀の采配で兄妹喧嘩は終わり、夕食は楽しいものになった。
「ねえお母さん、お父さんは今どこら辺かな?」
博美と加藤が寮に帰った後、麻紀と麻由美は夕食の後片付けをしていた。
「そうねー 今朝の電話で、鹿児島をお昼頃に出港だって言ってたから、今頃は宮崎辺かしら?」
加藤の父親は貨物船に乗っていて、あまり家に居ないのだ。
「お父さんも秋本さんを見たいって言ってたけど、なかなか会えないね」
「まっ、しょうがないわよ。 その内合えるでしょ」
居ないことが当たり前なので、麻紀は全然気にしていないようだ。
「秋本さんって、美人だよねー でも意外と「ぽやぽや」してるんだよね。 なんでお兄ちゃんなんかが良かったのかなー?」
洗い終わった皿を拭きながら麻由美が言う。
「人を好きになるのなんて理屈じゃ無いのよ。 だってお父さんを見て御覧なさい。 あーんな野蛮人とお母さんは結婚したのよ。 今でも不思議だわ…」
「あはは、そうだね。 真っ黒で髭もじゃだもんねー 秋本さん、見たら悲鳴上げるかもー」
「うふふ、そうかもねー」
楽しそうな笑い声が薄暗くなった窓の外に流れていった。




