免許取得とスクーター修理
日曜日、梅雨と言うこともあり今日も雨が降っている。博美は街を挟んで家と反対側に有る免許センターの講習室に居た。前のスクリーンには交通安全啓発ビデオが写っていて、スクリーンの横に講師が立っている。
「(あー 詰まんない。 早く免許証をくれればいいのに。 んっ?)」
心の中を隠して真面目を装い博美はスクリーンを見ていたが、後ろから誰かが背中を突いて来る。講師が見ていないことを確かめ、博美は振り向いた。
「よっ!」
博美と同じショートボブの女性が軽く手を上げた。
「(えっ… 誰?)」
少し年上に見える見知らぬ女性から軽い挨拶をされて、博美は首を捻る。
「ねえ、あんたHIROMIでしょ?」
しかし、その女性は博美のことを知っているようだ。
「ええ… 博美ですけど。 お姉さん、会ったことあります?」
「あはは、会った事なんて無いわよ。 私が一方的に知ってるの。 だってあんた有名だもの」
やっぱりそうだった、と女性は嬉しそうだ。
「だって、可愛いじゃない。 そのヘアスタイル、凄く似合ってる。 私も真似してるんだよ」
女性は博美の髪に触り、自分の髪に手櫛を通した。
「でも私なんかじゃ太刀打ち出来ないわねー 綺麗ー」
「そこ! 静かにしなさい! 事故を起こしたら笑ってもいられないんだよ」
少し女性の声が大きくなったのだろう、講師から注意される。
「はーい。 すみませんでした」
女性は慌てて謝ると、てへっ、と博美に舌を出して見せた。
「(なにこの人?)」
訳が分からないながらも、博美は前に向き直った。
やがて講師がビデオを写したまま退室した。
「ねえねえ」
すかさず後ろから声が掛かる。
「あなた意外と若いのね。 高校生ぐらいじゃない? 原付の免許取っていいの? 意外と不良だったりして」
女性の顔は好奇心に輝いてる。
「あの、僕は高専なんです。 高専は免許取ってもいいから…」
不良と言われて、博美は少しむくれた。
「あー 高専なんだー それなら納得」
ほっとしたように女性は頷いた。
「いとこが高専に居るのよ。 確かにさっさと免許を取ってたわ。 篠宮って言うんだけど知ってる? あいつもてないから知らないかなー」
「えっ、知ってますよ。 機械科の4年ですよね」
女性の口から出た知った名前に博美は驚く。
「わー 知ってるのー あいつったら、最近女に告白されたみたいなのよ。 なーんか浮ついててね、車を探してるんだけど、デートに使えるのが良いかなー なんて言ってたの。 そんなのデートのときだけレンタカーを借りればいいじゃない、って私は言ったんだけどね。 ひょっとして、相手はあなた?」
「はい、免許証が出来ました」
その時、講師が戻ってきた。
「今から名前を呼びますから、前に取りにきてください。 間違いが無いか確認したら帰っていいです」
女性は口を噤み、博美は再び前を向く。
「佐藤さん、佐藤紀美子さん」
最初に呼ばれたのは博美では無かった。出席番号順で無いのだから当然だが、いつも一番初めに呼ばれる博美は、何だか肩透かしを食らったような気がした。
「篠宮さん、篠宮純子さん」
「はーい」
何人かの後、さっきの女性が返事をする。
「HIROMIちゃん、お先に」
女性は博美に声を掛けて前に出て行った。
次々と名前が読み上げられ、段々と講習室が寂しくなっていく。
「秋本さん、秋本博美さん」
「はいっ!」
本当に受かったのだろうかと博美が不安になった頃やっと呼ばれ、返事が大きくなったのも仕方が無いだろう。
「……」
つい出てしまった自分の声に顔を赤くして博美は前に行った。
「はい、これだよ。 確認してね。 元気良かったねー 安全運転を心がけてね」
さっきまでの仏頂顔から一転、にこにこと講師が博美に免許証を渡す。
「はい、ありがとうございます」
免許証を受け取ると、博美は逃げるように部屋から飛び出した。
「HIROMIちゃん、こっちこっち!」
出たところで博美を呼ぶ声がする。
「一緒に帰ろう。 博美ちゃん」
博美がそっちを見ると、さっきの女性が立っていた。
「HIROMIって本名だったのね。 秋本博美ちゃんかー 崇が言ってたわ、飛行機を飛ばすのが上手なんだってね。 あっ、崇っていうのは高専に行ってるいとこね」
女性は博美の前まで来る。
「私は篠宮純子。 篠宮崇のいとこで二才年上、今二十歳よ」
純子は「よろしく」と右手を差し出した。
「ふんふん、博美ちゃんは崇と一緒にラジコンをしてるって訳ね。 だから崇のこと知ってたんだー あいつもてないくせに、こんな可愛い娘と知り合いなんて可笑しいと思ったわ」
今だ小雨の降る中、二人は路面電車に揺られていた。雨の所為か少し込んでいて、立っている人も何人か居る。二人は乗ったのが始発駅に近い郊外だったので、並んで座ることが出来ていた。
「僕が後から入れてもらったんです。 篠宮さん、親切でいい人ですよ?」
純子の中で篠宮の評価が低いのが博美には以外だった。
「あらー 博美ちゃん、肩持つわねー ねえ、本当に告白してない?」
「違いますよー さっきも言ったように僕の友達ですってー」
博美は胸の前で手を振った。
「その時、僕も傍に居たんですから」
ここが肝心と博美の声に力が入る。
「分かった、信用してあげる。 そう言えば気が付いたんだけど、博美ちゃんって僕っ子なのね。 可愛いわねー ボーイッシュなところといい、似合ってるわ」
純子はふふっと笑うと博美の髪を触った。
「ただいまー お腹すいたー!」
玄関を開けるなり博美の声が響く。
「お帰り。 はいはい、出来てるわよ。 ほんっと、あんたは帰るなり「おなかすいたー」だものね」
居間のドアから明美が顔を出した。
「だってー もうお昼を過ぎてるよ。 お腹がすくのは当たり前じゃない」
履物を揃えるのももどかしげに博美が食堂に来る。
「はい、どうぞ」
テーブルに着いた博美の前にチャーハンが置かれた。
「で、どうだった?」
自身もテーブルに着きながら明美が尋ねる。
「うん、これ」
スプーンで一口食べると、博美は横の椅子に置いたバッグから免許証を取り出した。
「ちゃんと受かったのね。 写真も綺麗に撮れてるわ。 ところであんた、手を洗ってないんじゃない?」
スプーンを口に突っ込んだ姿勢で博美が固まる。
「えへへへ…… まっ良いじゃない」
「だめです! 洗ってきなさい」
「はーい……」
すごすごと博美は洗面に向かった。
小雨の中、博美は傘を肩に引っ掛けてスクーターを押していた。誰も乗らなくなって約二年、当然の様に光輝のスクーターは動かなくなっている。もしかして、という博美の希望もむなしく車庫の奥から引っ張り出されたスクーターは如何なる操作にも沈黙を守った。
「(重いなー 空気まで抜けてるんだもんな。 はー 後どれ位あるんだろう?)」
やっぱり修理か、と博美は張られていたステッカーの店に押していく途中なのだ。雨の中、スクーターを押す女の子は珍しくて、すれ違う人や車の運転手が訝しげな視線を向けるし、追い越す車からは心配した声や声援が飛んでくる。
「あ、大丈夫ですから。 すみません、ありがとうございます」
その度にお礼を返しながら博美はバスの通る道までやって来た。ステッカーに書かれている店は道向こうに見えている。
「(あー やっと見えた)」
以前、自転車を買ってもらった店なので博美は見覚えがあった。
「こんにちはー」
スクーターを店の前に止め、博美は店に入った。田舎の小さなお店なので、中は自転車とオートバイ、スクーターが混在している。
「はいはい、いらっしゃい。 あれっ? 博美ちゃんじゃない。 今日はどうしたの?」
作業場に座り込んでお爺さんが自転車のパンクを直していた。
「えー! 会長さん、如何しちゃったんですか? ってここ会長さんのお店?」
それは博美が中学校まで在籍していたラジコンクラブの会長だった。
「そうだよ、っていうか今は息子の店だけどね。 わしが始めた店だよ」
会長は立ち上がって「うーん」と背伸びをした。
「もう年だから… 長く座ってられないねー で? 今日はどうしたの?」
「父の乗ってたスクーターが動かないんです。 直せます?」
博美の目が不安げに揺れている。
「おじいちゃん! 私の自転車、パンク直った? えっ!」
いきなり奥のドアが開き、中学生ぐらいの女の子が入ってきたと思ったら、その場で固まった。何事かと博美は首を傾げる。
「ええー! な、なんでHIROMIがお店にいるのよ!」
数秒の後、硬直が解けた女の子の叫び声が店の中に響き渡った。
「HIROMIさんって、この町内に住んでたんですねー 素敵ー 綺麗な髪だー 肌も綺麗……」
女の子は博美の手を握り、ウットリと博美を見ている。話す言葉はうわ言のようだ。
「これ! いい加減にしなさい。 ご免ね博美ちゃん。 いつもはこんな子じゃ無いんだが…」
何時までも手を離さない女の子を会長が叱る。
「いえ、別に良いですよ」
最近見知らぬ人からHIROMIと呼ばれることが多くて、博美も慣れてきていた。
「でも、おまえが何で博美ちゃんのことを知ってるんだい?」
やっと落ち着き、博美の手を離した女の子に会長が聞いた。
「おじいちゃん。 HIROMIって言えば今一番人気のモデルだよ。 中学校で知らない子なんて居ないんだから」
女の子が会長に力説する。
「そんな有名人が居たら興奮するのも当然でしょ」
「へー そうかい? 博美ちゃんがねー」
若者の雑誌など見ない会長は首を振るばかりだ。
「おじいちゃん、馴れ馴れしいよ。 HIROMIさんだよ」
ちゃん付けをする会長がさっきと反対に女の子に叱られてしまった。
「HIROMIさん、おじいちゃんが世間知らずですみません。 気を悪くしないでくださいね」
「いえ、別に気にしないから」
謝られて博美が恐縮してしまう。
「昔から知ってるし…」
「えっ! そうだったんですかー」
女の子は見るからに「ほっ」として
「あの… よかったらサイン駄目です?」
必殺「おねだりポーズ」を決めた。




