取材
博美が家を出る頃になっても雨は降り続いていた。背中の開いたシャツブラウスでは少し肌寒い。そこで博美は少し甘えてみることにした。
「ねえ~ おかあさーん。 雨降ってるー ちょっと肌寒いね」
あわよくば車で送ってくれないか、と思って言ってみる。
「そうねー 上に何か羽織って行く?」
しかし明美には伝わらず、上着を用意するようだ。
「そうじゃなくてー 足元も濡れるしー 危ないから」
サンダルで行くつもりなので、雨で素足が濡れることを訴える。
「博美、あんた何が言いたいの? はっきり言いなさい」
明美が半眼で睨んだ。
「あのっ… 車で送ってくれないかなー なんちゃって……」
睨まれて博美の声が小さくなる。
「あんたねー ちょっと甘えてない? お母さんにも用事があるのよ」
博美の声に反比例して明美の声が大きくなった。
「だめ?」
博美は最後の手段と、手を胸の前で組み上目遣い、さらに小首を傾げる。
「はあー あんたって… 何処でそんなテクニックを覚えたの? いいわ、送ってあげるわよ。 でも行きだけよ」
博美のポーズに呆れて明美はため息をついた。
「お姉ちゃん、すごい…」
後ろでは光が感心するばかりだった。
博美を助手席に乗せて、明美の車が街に向かっている。十数キロ離れているので、片道30分程度は掛かるだろう。
「おかあさん、今日の用事って何だったの? 送ってくれてもよかったの?」
なんとなく申し訳なくなり、博美が聞いた。
「うん? そんなこと言ったっけ?」
前を向いたまま明美が答える。
「用事っていえば、昨日博美の書類を役所に取りに行ったでしょ。 どうしてもお昼休み時間では間に合わなかったのよ。 だから週末には片付けておかなければいけない事が残ったのね。 残業したら博美が帰るのに間に合わなくなりそうだったから。 だからちょっと会社に行って仕事をしようかなって思ってるの。 ほんの一時間程度で終わるわ。 博美を送っても大丈夫よ」
「そうなんだ。 僕の所為で今日も仕事なんだ。 ごめんね」
「いいのよ。 可愛い博美の為だもの。 それにどうせ会社は街に有るんだから、ついでに送って来られるもの」
「うん? それじゃ何で最初に送ってって言ったとき、怒ったの?」
「あらー 本気にしたの? 冗談だったのに」
「冗談だったの?」
「冗談に決まってるでしょ。 でも、博美の可愛いおねだりポーズが見られたから良かったわー」
「はあ… そうだったの…」
明美の車はリクライニングさせたシートにぐったりと横たわる博美を乗せて市街地に入った。
ヤスオカ模型のラジコンコーナーは、たった今開店したばかりだと言うのに、何人もの客が屯していた。土日はプラモデルコーナーより1時間早く開店するのだが、彼らはその30分も前から駐車場に止めた車の中で待っていたのだ。そして安岡の弟である啓司が中央に置いてあるカウンターの中で対応している。
「おはようございます」
駐車場からのドアが開き、入ってきた博美が元気に挨拶をした。誰かと思い、店の中全員がそちらを見る。中に居るのは皆が皆、着古したようなTシャツやカッターシャツに古ぼけたジーンズというアメリカ西部開拓時代のような姿をしていて、さらに日に焼けて赤ら顔だ。しかも中年の男ばかりで女性は一人も居ない。並みの女性なら怯んでしまうだろうが、そんな中に博美は悠然と歩いてくる。慣れているのも当たり前、飛行場に行けばそんな男ばかりなのだ。
「やあ、博美ちゃん、おはよう。 今日は取材だったね」
そんな博美を見て、啓司が声を掛けた。
「専務さん、おはようございます。 今日は随分お客さんが多いんですね」
啓司に気が付き、博美がカウンターの前に来た。紳士の啓司は小奇麗なポロシャツを着ていて下はジーンズでなく「ぴし」っと折の入ったスラックスだ。
「そうだねー 今日は朝から雨だからね。 みんな飛ばせなくて暇なんだよ。 他に趣味が無いって事さ」
啓司は苦笑している。
「そ、そうなんですか?」
博美はなんとも答えにくい。
「そういう事。 もう記者の方達は来てるよ。 二階の応接に居るはずだから、行ってごらん」
啓司は隅に有るドアを指差した。
「はい。 それじゃ失礼します」
博美は小走りにドアに駆け寄り、奥に入っていった。
「専務、今の娘って誰? 可愛い娘だね」
博美の消えたドアを見ながら客の一人が尋ねる。
「あれっ? 知らないの? ラジコン雑誌の表紙」
それを聞いて、別の客が口を挟んだ。
「おっ! そう言えば表紙に写ってた娘だ」
更に別の客が言う。
「あの娘が空の妖精さ」
啓司が最初に聞いてきた客に答えた。
「妖精ちゃんかー 確かに可愛いね」
赤ら顔の男たちが揃って「うんうん」頷くさまは少々不気味だ。
「おいおい、可愛いから妖精って訳じゃないよ。 もちろんそれもあるけど、彼女が飛行機を飛ばすとまるで妖精が飛んでるみたいなんだ。 だから空の妖精。 ちなみに妖精の秋本の娘だよ」
カウンターを取り囲む男たちに啓司が説明した。
「…本当か?」
誰かが言う。
「少なくとも兄貴は天才だって言ってたな」
「……」
啓司の言葉に、男たちは黙ってドアを見つめた。
いまだ雨の降り続く中、助手席に博美を乗せて安岡のベンツが飛行場に向けて走っていた。後部座席にはラジコン雑誌のカメラマンと記者が乗っている。店の二階に有る応接で一時間ほど博美のこれまでの事や父親の光輝との思い出を話し、機体置き場で「ミネルバⅡ」を前にポーズを取っての撮影をした後、やはり飛ばしている風景が撮りたいと言われ、もしかしたら雨が止むかもしれないと皆で出たのだ。
「安岡さん、雨が止んだとして、飛行機は如何するんですか?」
博美がワイパーで拭われるフロントガラスを見ながら尋ねる。「ミネルバⅡ」は確か置いてきたはずなのだ。
「心配いらないよ。 森山君と篠宮君がワンボックスで先に行ってる。 「ダッシュ120」を持っていった筈だ」
雨の中、滑らかにベンツを運転しながら安岡が答えた。
「じゃ、選手権予選の時に風の中素晴らしいフライトをした「ダッシュ120」が見られるんですね?」
後部座席からカメラマンが聞いてくる。
「そういう事になるね。 もっとも雨が止まないと…」
丁度堤防への登りに差し掛かり、フロントガラスには暗い空が広がった。
博美たちが飛行場に着いてみると、森山と篠宮はワンボックスから張ったタープの下にテーブルを置き「ダッシュ120」を乗せて待っていた。
「おはよう、博美ちゃん。 「ダッシュ120」は調整もバッチリだよ」
ベンツから博美が降りてきたのに森山が気が付いた。
「森山さん、おはようございます。 篠宮さんも、おはようございます。 雨、止むでしょうか?」
傘を差し、水溜りを避けながら博美はタープの下に来る。
「たぶんだけどね、そろそろ止むんじゃないかな?」
篠宮が西の空を指差した。
「あっちの空が明るくなってきている。 経験上、こうなると止むことが多いんだよ」
雨が降っても飛行場に来て、飛ばすチャンスを何時も狙っている篠宮は天気の変化に詳しい。
「あくまでも僕の経験だけどね」
言いながら篠宮は雨に打たれている滑走路を見た。
博美たちが来て30分ほど経つ頃、篠宮の言った通り雨が上がった。ここの滑走路はアスファルト舗装なので、表面の水分を取れば飛行機が離陸できる。森山と篠宮がテニスコート等に使用されるワイパーの「コートドライヤー」を使って滑走路から雨を押し出した。
「博美ちゃん、滑走路はバッチリだよ」
コートドライヤーを倉庫に仕舞いに行く途中に森山が声を掛けていく。
「森山さん、ありがとうございます」
ネックストラップに送信機を掛けた博美が礼をした。「ダッシュ120」はテーブルから降ろされ、篠宮がエンジン始動をしている。今を逃すとまた雨が降り出すかもしれない。飛行準備を流れ作業で行い、エンジンの掛かった「ダッシュ120」は滑走路に置かれた。
「離陸します」
安岡が助手のポジションに付き、カメラマンが周りをうろつき写真を撮る中、博美は静に離陸を宣言した。
雲が低いため、何時もより低い高度で博美の操縦する「ダッシュ120」は演技をする。正確な図形を高さを下げて描くために、博美は演技位置を普段より近くした。近くを飛ぶという事は、飛行機の揺れや修正のための動きがはっきり見える筈なのだが「ダッシュ120」はレールの上を走るように滑らかに飛ぶ。
「凄い…… こんな滑らかな飛行、始めて見る…… 安岡さん、これですか。 予選の時に皆の度肝を抜いたフライトは」
記者が安岡の隣で話しかけた。
「そうだとも言えるし、違うとも言える。 あの時は風が強かった。 だからかなりエンジンパワーを使っていたんだが、今日は少ないパワーで飛ばしている。 近くを飛ぶためには必要な事なんだがね。 お陰でより滑らかなフライトになってる。 つまり、より綺麗なフライトだって事だ」
博美のフライトを見ながら安岡は解説をした。
「なるほど。 しかし綺麗なロールですね。 これは安岡さんの指導?」
博美のロールは演技のどの位置でも変わらず軸が通っていて、回転速度も同じだ。
「指導した訳じゃなくて、見て覚えられたんだ。 彼女は天才だよ。 一度見れば出来てしまう。 だから成田君のストールターンもしてみせるよ」
「あの風に流されないストールターンですか? それは凄い」
「予選の時に本田君がしたのを見たんだね。 すぐやって見せたよ」
「はー 天才って居るんですねー」
後ろで二人が話しているのを気にもせず、博美は演技を続けていた。




