表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空の妖精  作者: 道豚
93/190

女は背中で勝負


 定期考査があった翌週の教室は、学生たちに悲喜交々の表情が現れ、独特な雰囲気に包まれる。例に漏れず博美も一時限目から「ドキドキ」しっぱなしだった。

「起立!」

「礼」

「グーテンモルゲン」

「着席」

 そして今、博美の苦手とする科目の一つであるドイツ語の授業が始まった。これまでのところ赤点は一つも無かったが、これは赤点の可能性がある。

「(おねがい神様、赤点だけはして)」

 困ったときの神頼みそのものだという事にも気が付かず、博美が手を合わせる。

「フロイライン・秋本」

「は… ヤー!」

 突然名前を呼ばれて博美が飛びあがった。

「さっきから呼んでるぞ。 サッサと取りに来んか」

 どうやら何度か呼ばれたようだ。博美は大慌てで教壇の前に行き解答用紙を受け取ると、席に帰りながら得点を見た。

「やったー! 赤点じゃない!」

 大声を出してバンザイをする博美に教室中の視線が集まる。

「あっ! ……」

 自分の痴態に気が付いた博美は真っ赤になって席に飛び込むと机に突っ伏した。

「なにやってんだ、バカ」

 小さく呟くのは隣の席で頬杖を突いた加藤だ。

「だってー 嬉しかったんだもん。 これで原付の免許が取れるんだよ」

 組み合わせた腕の中で顔を回し、加藤のほうを見て博美も小声で返した。

「そんな事を言ってたな。 それで何点だったんだ?」

「51点… ギリギリだって良いじゃない」

 博美が口を尖らせる。

「ヘル・加藤」

 加藤が教師に呼ばれた。

「ヤー」

 加藤は立ち上がると教師の前に立ち、答案用紙を受け取る。

「何点だったー?」

 淡々と席に帰ってくる加藤に博美が聞いた。

「んっ? ちょっと待て」

 おもむろに加藤が答案用紙を開く。

「84点」

「ずるいー 康煕君、なんでそんなに良い点なの!」

 博美の叫びが教室に響き渡り、またまた視線を集める事になった。




 木曜日の夜、博美は明美に電話を掛けていた。

『おかあさん。 今日で解答用紙が全部帰ってきてね、赤点は無かったんだよ。 ねえ、原付の免許取ってもいいんだよね』

 苦手な英語も加藤のお陰か、55点と赤点を回避し、目出度く赤点なしの中間考査だった。

『ええ、良いわよ、約束だしね。 いつ取りに行くつもり?』

 明美の声は普段と変わらない。

『出来るだけ早く行きたいから、明々後日しあさっての日曜日に行きたいんだ。 だからおかあさん、必要書類集めて♪』

 「きゃぴっ」と博美が携帯電話に向かって話す。

『あんたねー 今日が何曜日だと思ってるの? 土曜日は役場が休みなのよ。 実質明日一日で用意しなくちゃいけないじゃない。 お母さんだって仕事が有るのよ。 暇じゃないんだから』

 明美の声に「怒」が混ざる。

『えー そんなー おかあさん、なんとかならない?』

『博美、あんた土曜日は何か用事があるの?』

 明美の声が少し落ち着いた。

『土曜日にはラジコン雑誌の取材で飛行場に行くことになってる。 なんか特集を組むんだって』

『そう… 仕方が無いわね。 いいわ、なんとか書類を揃えておくわ。 その代わり、あんた取材のときはしっかりメイクするからね。 覚悟しておくのよ』

 ため息をつきながら明美が電話を切った。

「博美ちゃん、免許取るの?」

 ベッドの上で雑誌をめくっていた永山が聞いてきた。

「うん、赤点が無かったら取っていいって約束してたんだ」

 携帯電話を充電器の上に置きながら博美が答える。

「いいなー 私も取りたいなー」

 永山は雑誌を放り出してベッドの上で背伸びをした。

「でも、私まだ16じゃないし… まっ、しょうがないか」

 永山は上体を起こし、

「期末は赤点が無いように頑張ろっ!」

 ベッドから机に移動した。

「裕子ちゃん、赤点が有ったの?」

 永山の言葉を聞き、博美が尋ねる。

「社会が赤点… あの小さなおっさん、堤先生のせいよ」

 机の上に置いてある解答用紙には48点の文字が赤く書かれていた。




 翌金曜日の夕方、博美はだんだんと暗くなる窓の外を眺めながら、いらいらとバスに揺られていた。

「(もう… 早く走ってよー 暗くなっちゃうじゃない!)」

 日が沈むのが一年で一番遅い時期とはいえ、部活をしてから自宅に帰るとなると、流石に日は沈んでしまう。

「(うーー 駄目だ… 帰ったら真っ暗だ…)」

 博美の見ている前で、ついに太陽が山の陰に消えて行く。

「(あーあっ! 今日のうちにスクーターを修理に出したかったなー)」

 博美は窓の外を見ていた顔を正面に向け、がっくりと首を垂れた。




「ただいまー おかあさん、書類準備できた?」

 博美が玄関を開けたときは、辺りは真っ暗になっていた。

「おかえりっ! 博美っ、あんたねー 帰った途端に書類のこと? もう…」

 居間から出てきた明美が呆れている。

「えへへ…… だってー 気になるんだもん」

 脱いだ靴を揃えながら博美が言い訳をした。

「あんたらしいわね。 心配しなくてもちゃんと準備できてるわよ。 勉強はしたの?」

 いくら原付とはいえ、テストで不合格になることもある。

「うん、してたよ。 過去問題で確かめたし、多分大丈夫」

 二人は話しながら居間に入っていった。




 今日の夕食は博美の好きなハンバーグだ。博美が寮から帰ってくる日は明美はハンバーグを作る。

「おいしー おかあさんのハンバーグって何時も美味しいね」

 デミグラスソースのかかったやや大きめのハンバーグに博美は大喜びだ。

「お姉ちゃん、明日は取材でしょ。 あんまり食べると太るよ」

 博美と同じ大きさのハンバーグを食べながら光が口を挟む。

「そうだった… 忘れてた。 おかあさん、電話で言ってたこと、ほんとにするつもり?」

 博美は視線をハンバーグから明美に向けた。

「もちろんよ。 うふふふ… 今から楽しみだわ」

 小ぶりのハンバーグを前に、明美は嬉しそうだ。

「恥ずかしいから、あんまり派手なメイクはしないでよ」

 明美の笑みに博美は危険な香りを感じた。

「大丈夫よ。 ちゃんと綺麗にしてあげるわ」

 明美は「にやり」と笑った。




 翌朝、目覚まし時計の音で起きた博美は、雨の音に気が付いた。

「(えー 雨?)」

 割と強く降っているようで、雨音が部屋の中に入ってくる。博美はベッドから抜け出し、カーテンを開けた。

「(うわっ! けっこう降ってる。 今日の取材、どうなるんだろう?)」

 実際に博美が飛ばすところを見たいという記者の希望で、飛行場で取材を受けることになっていたのだ。

「(まあ、取り合えず準備しよう)」

 パジャマから部屋着に着替えると、博美は一階に降りていった。




「おかあさん、おはよう。 雨だよ、どうしよう?」

 顔を洗って居間に入ってきた博美が、明美を見つけた。

「そうねー 天気予報だと降ったり止んだりだったけど… 今は強く降ってるわね」

 台所で朝食の準備を始めていた明美も、困ったように答える。

「どうすればいいんだろう? 後で電話しようかな?」

 手伝いをしようと博美は台所に来た。

「そうね。 取材が有るつもりで用意したほうが良いわね」

 レタスを千切りながら明美が言う。

「そうだね。 それが良いよね」

 目玉焼きを作ろうと博美がフライパンを取り出した。

「博美、今日はスクランブルエッグを作りましょうか。 教えてあげるわ」

 明美が冷蔵庫から卵を出した。

「それじゃ、お椀に卵を割りいれて、溶いてくれる」

 明美のお料理教室の始まりだ。こうして博美は少しずつ料理のレパートリーを広げていた。




「ご馳走様。 お姉ちゃん、スクランブルエッグ、美味しかったよ。 どんどん料理が出来るようになるね」

 寝ぼすけの光が起きてきたのは、博美と明美が朝食を食べ、メイクをしようかと明美の部屋に行く時だった。

「そう? よかった」

 博美がメイクを終えて居間に戻ったときには、既に光は朝食を食べ終わり、いつものようにテレビを見ていた。

「お姉ちゃん、メイクしたんでしょ? 普段のメイクとあんまり変わらないね」

「うん、なんとかおかあさんを説得したんだ。 雨だから濡れて流れると困るものね」

「そうなんだ… そのコーデで行くの?」

 7分丈のストレッチパンツに白いシャツブラウスの清楚なスタイルだ。

「そうだよ。 でもこれってね」

 言いながら博美が後ろを向く。

「ほら、背中が大きく開いてるんだ。 ちょっと恥ずかしいね」

「わー お姉ちゃんの背中って綺麗…」

「そうでしょ。 せっかくだから見せなきゃね。 それにラジコンって操縦しているときは前からは見えないのよね。 観客は背中を見るの。 そこに綺麗な背中で印象付けるのよ」

 ちょうど居間に入ってきた明美が今日のスタイルの狙いを説明した。

「おかあさん。 ラジコンは操縦者を採点するんじゃないよ。 飛行機を見るんだから」

 明美の説明に博美は首を傾げる。

「いいのよ。 女は背中で勝負よ」

 明美が力こぶを作った右手を左手で叩いた。

「……」

 博美と光は無言で明美を見ていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ