ゴールデン・カノン
博美がバスを降りたときには、もうすっかり暗くなっていた。所々に街灯が灯った静かな道を歩き、家に着く。
「ただいまー あーあっ、疲れたー」
今日は朝から密度の濃い一日だったせいで、ドアを開けた第一声が年寄りくさくなった。
「おかえり。 随分と疲れたようね」
居間から明美が出てくる。
「ちょっと遅くない? 暗くなる前に帰りなさいって言ったでしょ」
「だってー 樫内さんとばったり会って、話をしてたんだもん。 少しぐらいは良いじゃない」
送信機の入ったアルミのボックスを框に載せながら博美が口を尖らせた。
「まっ、今日は様子見だから許してあげるわ。 すぐにご飯が食べられるから、着替えてきなさい」
特に明美は怒っているわけでは無いようだ。
「はーい」
博美はボックスを光輝の部屋に運ぶと、二階の部屋に上がっていった。
「ねえ、おかあさん」
夕食後、博美は明日のことを聞いてみることにして、明美に声を掛けた。
「明日、樫内さんに誘われたんだけど、行っても良い? バスセンターで買い物なんだけど」
「あらー 私も博美と買い物に行きたかったのよ。 困ったわねー」
明美は家計簿をつけていたノートパソコンを半分閉じて博美を見た。
「何時に会うの?」
「んーっと、お昼前。 後でメールをくれるって」
博美は携帯電話を開いてメールを確認しながら答える。
「まだ来てないや。 お昼を一緒に食べようって言ってた」
「それじゃ朝、お母さんと買い物しようか? それなら良いでしょ」
「うん。 それなら良いよ」
「えー お母さんとお姉ちゃん、買い物に行くの? 私も行きたーい」
何時の間に聞いていたのか、テレビの前のソファーから光が割り込んできた。
「あら、聞いてたの? いいわよ、一緒に行きましょうか」
家計簿をちらっと見た後、明美が光のほうを見て言った。
「ところで、何を買うの?」
再び博美を見て明美が尋ねる。
「水着だって。 もうすぐ夏だから…」
博美が言い澱んだ。
「うん? 嫌なの? 良いじゃない、一度くらいは海に行きたいわよね」
博美の様子を明美が訝しむ。
「ビキニを買おうって言われたんだ。 あれってブラとパンツで人前に出るような物だよね。 皆恥ずかしくないのかな? それに、僕ってまだ胸が小さいよね。 太ってはないから、ウエストは括れてると思うけど、お尻は大きくないよね? なんか「お子様体型」だって笑われないかな…」
話しながら、段々と博美の顔が曇ってくる。
「あなたを見て、誰が笑うって言うのよ。 皆が嫉妬するほどスタイルがいいわよ」
博美の不安を明美が簡単に打ち消した。
「でも……」
博美は簡単には納得しない。
「はあ… あなた、鏡で見たことが無いでしょ。 お風呂から上がったらお母さんの部屋に来なさい。 いろいろ教えてあげるわ」
「うん、分かった。 それじゃ僕はお風呂に行くね」
博美は着替えを取りに部屋に向かった。
「お姉ちゃんって、なんで自信が無いのかな? あんなにスタイルが良いのにね」
博美の出て行ったドアを見ながら光が言う。
「そうねー やっぱりまだ男だった事が気になってるのかしら。 すこーし他の娘より性徴が遅れてるだけなのにね。 そうそう光、あんたビキニを持ってなかった?」
「持ってるよ。 でも小学六年の時のだよ。 子供っぽいんだけど…」
「あっ、そうよねー でも試すことは出来るかも。 持って来てくれない?」
一度着て鏡に映せば博美も自信が持てるだろうと、明美は考えた。
「うん。 持って来るね」
光もドアを開け、リビングを出て行く。
「(博美も他人から見られることを意識しだしたって事よね。 これも成長したって事なんでしょ)」
リビングに一人残って明美は博美の事を考えていた。
明美がお風呂から出たのを見計らって、博美は明美の部屋のドアをノックする。
「いいわよー」
中から明美の声が聞こえ、博美はドアを開けた。
「来たけど、何を教えてくれるの? っておかあさん、なんで未だ下着のままなの」
部屋の中にはブラとパンツだけの明美が立っている。
「ごめんねー お母さんって、ビキニは持ってないのよ。 博美と比較するのにはこの方がいいかなって。 ちょっと派手なカラーだから、水着に見えなくもないでしょ」
どこから出してきたのだろう、明美の着ている下着は、深い赤色だ。言う様に、水着に在っても可笑しくない色ではある。
「そんな下着持ってたの? これまで見たこと無いよ。 それで、比較って?」
女だと分かってから、家にいる時には洗濯物を取り込むのも博美の役目だ。その為、家族がどんな下着を着ているのか博美はよく知ってる。
「これは勝負下着よ」
にっこり笑って明美が答える。
「勝負って? (下着で勝ち負け?)」
下着の頭に付けるには違和感のある言葉が博美には不思議だ。
「んふふふ…… 男に勝つためよ」
明美の微笑が悪魔的な物に変わった。
「下着で勝つの?」
更に博美は訳が分からなくなる。が、明美の微笑を見て何だか危ない事の様な気がしてきた。
「まあ、いいや。 で、比較って?」
慌てて話の方向を修正する。
「はあ… 博美には早すぎたかしら。 それで比較ってのはね」
残念そうにため息をつくと、明美は博美のパジャマに手を伸ばし、
「さあ、脱いで」
いきなり捲り上げた。
鏡の中にオレンジのビキニを着た博美と下着姿の明美が写っている。
「意外と似合ってるじゃない。 これ光が去年着てた物なんだけど」
小学生が着る水着なので、彼方此方にフリルやらリボンが付いている可愛いビキニなのだが、何故か博美が着ても違和感が無い。
「それって、僕が小学生並みの体だって事? お母さんは良いなー 胸もお尻も大きくて…」
確かに鏡の中の占有面積では明美に軍配が上がる。
「あのね、胸もお尻もただ大きければ良いってものじゃないのよ。 バランスが大事なの。 ちょっと待ってね」
明美は博美の肩を「ぽんっ」と叩いて鏡の前から離れ、机の上からメジャーとノートを持って来た。
「さあ、計ってみましょ」
言いながら博美の体にメジャーを巻きつける。
「どこから計ろうかしら… やっぱりバストからかな? 腕を少し広げてちょうだい」
明美の言葉に博美が両手を真横に広げた。
「78センチってところね。 次はアンダーよ」
明美はメジャーを胸の膨らみの下に回す。
「67センチ… Aカップを少し過ぎたかしら。 さあウエストは…」
「おかあさん。 もう腕を下ろしていい?」
「いいわよ。 あんた、ほんと細いわねー 55センチよ。 どこに内臓が入ってるの?」
明美が呆れたように言うと、博美のお腹を突いた。
「ひゃっつ…… おかあさんくすぐったいよ」
いきなり触られて博美が体を捩る。
「くねくねしないで真っ直ぐ立って。 最後はヒップ…」
博美の抗議を気にもせず、明美はメジャーを巻いた。
「80センチね。 これで終わり。 この数字をこれと比較するの」
明美はメジャーを机の上に戻すと、iPadを持って来た。
「これ何?」
博美が覗くと、そこには女性を模式化した線画が写っている。
「これは「ゴールデン・カノン」って言って、理想的なプロポーションを表してるのよ。 それで、ここに博美のデータを入れると…」
話しながら、明美がさっき計った数字をマスに打ち込んだ。
「ほら、出来た。 思ったとおりぴったりね」
画面が切り替わり、グラフになった。
「どういう風に見るの?」
おそらく博美のデータだろう、赤い点がグラフに付いていて、それは斜めになった長方形の中に有る。
「この長方形の中が理想のプロポーションなの。 だから博美は理想的なプロポーションって事ね。 ただ細めだけど…」
明美が画面を拡大しながら説明した。
「細めって… 何処で分かるの?」
「点が下のほうに有るでしょ。 それが表してるのよ。 お母さんはねー 此処よ」
明美が画面を触ると、新たな点が現れる。それは博美の点より随分と上に有った。
「あなたに比べると、上のほうでしょ。 太めって事よ。 ふ・と・め・」
明美は「ぷう」と頬を膨らませた。
「えー おかあさん、太ってないよ。 すごくスタイルが良いじゃない」
博美は改めて明美を見る。赤い下着姿の明美は妖艶な風で、魅力的だ。
「そう感じるのはね、多分、博美が中学校まで男子の中に居たためだと、お母さんは思うの。 思春期の男の子って、誰の胸が大きいだのお尻が大きいだの、そんな話ばかりしてるでしょ。 その中に居たから、博美は胸やお尻が大きいのが良いスタイルだって思いこんでるのよ。 実際はバランスが重要なの」
再び明美がiPadを博美に見せる。
「ほら、博美のデータは真ん中よ。 スタイルが良いって事ね。 そして、あと少し体重が増えても大丈夫。 自信を持ってビキニを着なさい。 誰もあなたを馬鹿にしないわ」
「そ・そうなのかな……」
博美は鏡に映る自分の姿を見た。胸とお尻の大事な部分はかろうじて隠れているが、胸もお尻も形ははっきり分かる。ウエストからお尻に掛けての滑らかなラインは隠すもの無く曝け出されている。部活やラジコンで外にいることが多いせいで、手足が少し日に焼けてはいるが、体は真っ白だ。
「そうなの。 自信を持ちなさい」
明美が後ろから肩を抑えた。
「でも、ホンっと細いわねー 悔しいわ」
明美の手がだんだん下に下がってくる。
「ちょ・ちょっと、おかあさん苦しい…」
何時の間にか明美の手が博美のウエストを締め付けている。
「このライン…… 綺麗…」
ウエストからヒップに向かって明美が撫でる。
「おかあさん、もうやだっ!」
明美の手を振りほどいて、博美は部屋を飛び出していった。
お休みしてストックを作ったのですが、ついに投稿に追いつかれてしまいました。年末年始の仕事状況を考えると、今休んでもストックが出来るとは思えません。
その為、これからはストックを作らず不定期投稿とさせてただきます。
投稿間隔は早くて一週間、遅いときには三週間程度でしょう。
お待たせすることになると思いますが、ご容赦ください。




