名前で呼んで頂けません?
暗くなる前に博美を帰そうと大急ぎで、新土居と森山が「チーム・ヤスオカ」のワンボックスから飛行機を出して店の二階に運び込み、博美はその間に弁当ガラ等のゴミを片付けている。
「樫内さん。 もうちょっと待ってね」
樫内の前を博美がゴミの入ったポリ袋を持って裏口の外にある大きなボックスに運んでいった。
「博美ちゃん、友達が来てるんだろ。 もういいから」
全員の工具箱を下ろしていた篠宮が樫内に気が付いた。
「いいんですか? 篠宮さん」
ワンボックスに戻ってきた博美が嬉しそうに尋ねる。
「秋本さん、この方は?」
樫内が篠宮を見た。
「篠宮さんっていって、高専の先輩だよ。 機械科の4年生だって」
博美が樫内を見て紹介する。
「はじめまして、樫内さん。 篠宮です。 君の事は高専で有名だから良く知ってるよ。 博美ちゃんの友達で、同じテニス部だよね」
篠宮がにこにこと挨拶をする。
「はじめまして。 えーっと、私有名ですか?」
樫内が首を傾げる。
「(へー 樫内さんもこんな可愛い仕草をするんだー)」
博美が横で感心している。
「うん。 博美ちゃんとよく一緒に居るし、ひょっとして百合じゃないかってね」
篠宮はデリカシーが少し足りないらしい。
「っつ… 違います! 私は可愛いものが好きなだけです。 恋愛対象は男性です」
樫内が顔を赤くして怒鳴る。
「おっ… ごめん、ごめん。 そんな噂があるのを聞いただけだから。 僕が言っている訳じゃないよ」
慌てて篠宮が謝った。
「あっ、ごめんなさい。 噂なんですね」
それを見て樫内も詫びる。
「(わー 樫内さんって、意外と素直なんだ。 でもやっぱりそんな噂が出るよね)」
いつもの自分に対する態度との違いに博美が驚きながら
「ねえ、お店の中で話そうか?」
樫内を誘った。
「此処にあるのが送信機。 ふたつスティックが出てるでしょ。 あれを動かすと飛行機の舵が動くんだ」
ショーケースの前で博美が説明をしている。
「あと、いっぱいスイッチが付いているけど、動きを制限したり増やしたり、そんなことに使えるよ」
「その言い方だと、使い方は決まってないみたいね」
樫内はショーケースに顔をくっつけるようにして見ている。
「うん、標準的な使い方はあるんだけど、プログラムで変えられるよ。 あんまりしないけど」
博美がその隣を指差した。
「これが受信機とサーボ。 サーボっていうのはモーターが中に入っていて、それで舵を動かす装置だよ。 ぼ、私の飛行機だと六個使ってるんだ」
「そんなに沢山使うの? これ一個一万円以上するじゃない。 いったい飛行機って幾らするの?」
付けられている値段を見て樫内は驚いたように尋ねる。
「うーん。 いろいろあるけど… 私の飛行機は、お父さんが作った物だけど、百万円ぐらいするんじゃないかな?」
首を傾げ、指を顎に当てて博美が答えた。
「ひゃ、百万円! 信じられない… 車が買えるじゃない」
樫内が博美の顔を見る。
「あんた、実は何処かの御令嬢じゃないわよね」
とても庶民が簡単に買える代物ではない。
「まっさかー。 樫内さん、私のうちに来たじゃない。 普通の家だったでしょ」
博美が首を振る。
「ひょっとして、世を忍ぶ仮の姿かもしれないわね」
「ないない。 だって篠宮さんだって持ってるんだよ。 頑張れば買えるんだって」
博美が顔の前で手を振って否定した。
「あっ… 篠宮先輩も持ってるんだ。 ねえ、先輩って上手?」
心なしか樫内の頬が赤くなった。
「うん、上手だよ。 予選でも一桁台の順位だった。 でも、なんでそんな事が気になるの?」
「べ、べつに、どうってことは無いんだけど。 気になったのよ。 別にいいじゃない」
今や樫内の頬は真っ赤だ。
「へー その顔は如何なの? 樫内さんって篠宮さんがタイプなんだ。 以外だなー」
博美が「にやにや」して樫内を覗き込んだ。
「んっ? なにがタイプだって?」
ドアを開けて「チーム・ヤスオカ」の面々が店に入ってくる。
「きゃっ」
樫内が顔を隠して後ろを向いた。
「えーとね、樫内さんの好きなタイプが…」
博美が説明しかけるが、
「だめーー!」
「うっ、ううう…」
樫内が振り向きざま博美の口をふさいだ。
「あ、あ、あの。 あ、秋本さんの送信機はどのタイプかなー って…」
樫内が真っ赤な顔のまま話す。
「うん? 博美ちゃんの送信機っていうと… これじゃないかな」
篠宮がショーケースの中の一つを指差した。
「あっ、それなんですね。 あのー 先輩って秋本さんを名前で呼ぶんですね。 あの、私、直海っていうんです」
篠宮は胸の前で指を組んでいる。
「も、もし、もし良かったら、名前で呼んで頂けません?」
声が震えて、泣き出しそうだ。
「えっ… ああ、かまわないよ。 えーっと、直海ちゃん、でいいんだよね」
篠宮が驚いたように答えた。
「えーーー! 樫内さん。 もう告白?」
樫内の手から逃れた博美が声を上げる。
「なんだとー…」
「そんなー… 後から現れて掻っ攫って行くなんて…」
新土居と森山の声が店に響き渡った。
路面電車を待つ博美の横に樫内が立っている。
「凄かったねー 安代さんに叱られた新土居さんたち、大丈夫かなー」
あまりの騒ぎに駆けつけた安代に元凶だと決め付けられた新土居が、今日三つ目のたんこぶを頭に作ったのだ。しかも今回は森山の頭も無事ではなかった。
「ごめんねー つい舞い上がっちゃって」
まだ少し赤い頬をして樫内が項垂れる。
「でも良かったね。 お付き合いまでは行かなかったけど、嫌われてはないし。 少しずつ仲良くなればいいよ」
篠宮の「いきなりは付き合えないけど、直海ちゃんは嫌いじゃないよ。 ちょっとびっくりしたけどね」という言葉を博美は思い出していた。
「うん。 私、頑張るね。 ところでさー 秋本さん、明日暇?」
ガッツポーズをしたまま、樫内はいきなり話を変える。
「んっ? 特に予定は無いけど…」
何だろうと博美が首をかしげた。
「じゃさー お昼一緒にしない? ついでにお店も見て回ろう。 バスセンターならそのまま寮に帰れるし」
「うん。 いいけど、なに買うの?」
「水着。 もうすぐ夏よ。 さすがに去年のは着れないわよね」
「水着、要るの?」
ぽかんと博美が樫内を見る。
「要るわよー 当たり前じゃない。 ひょっとして持ってないの?」
「持ってない。 と言うか、去年までのは捨てられた」
去年の夏は、まだ男だった博美は当然海パン姿で泳いでいた。そんな物をいつまでも持っていてはおかしいと、春に男物の服を処分したときに、一緒に明美に捨てられたのだ。
「じゃ、丁度いいわ。 秋本さんも一緒に選ぼう」
「えー… 私はいいわよ。 授業で使う水着があるから」
高専は、夏になると体育が水泳になる。当然博美も学校指定の競泳用水着を買っていた。
「ダメよ。 今しか着れないんだから「ビキニ」を着なきゃ」
再び樫内がガッツポーズを取った。
「それで彼氏をその気にさせるのよ。 夏の恋… 憧れるわー」
樫内の目がうっとりしてくる。
「はいはい、頑張ってね。 それじゃ、私は帰るね。 明日バスセンターにお昼前でいいのね」
博美が呆れたところに電車がやって来た。
「またメールするわ。 さよなら」
我に返った樫内が手を振る。
「さよなら」
電車のステップに脚を掛けて、博美も手を振った。
「(ビキニかー… あれってブラとショーツだけで人前に出るのと同じじゃないのかな?)」
電車の席に座って博美が自分の姿を想像した。
「(胸の形がはっきり分かるよね。 ウエストのラインも丸出しだし…)」
想像するだけで恥ずかしくなって、博美は頬が熱を持つのを感じる。
「(おしりの形だって… 僕、そんな格好をして女の子に見えるかな? 胸は小さいし、そんなにお尻も大きくないよね…)」
そこまで考えて、博美は不安になってきた。
「(どうしよう… 貧弱な体を康煕君に笑われたら…)」
考えれば考えるほど、不安は大きくなってくる。
「(お母さんに聞いてみよう)」
博美は薄暗くなった外にバスセンターの明かりを見ながら、無理やり結論を出した。




