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空の妖精  作者: 道豚
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安岡訪問


 金曜日の夕方、家に帰る前に博美は安岡の店に寄っていた。

「あらあら、いらっしゃい。 今日は彼氏と一緒じゃないのね」

 店に入ってすぐにカウンター越しに声を掛けてきたのは、一番最初に来たときと同じおばさんだった。

「こんばんは。 はい、今日は一人です。 あのー 安岡さんはいらっしゃいます? 今日伺うことになってた秋本ですけど」

 加藤のことを彼氏と言われたことが嬉しくて博美は笑顔になった。

「ええ、聞いてますよ」

 おばさんは内線電話を取り、

『社長、秋本さんって女の子が来たわよ…… うん、分かったわ』

 簡単に話を終えると、改めて博美を見た。

「すぐに降りてくるわ。 ちょっと待ってね。 それにしても可愛いわねー それで飛行機を飛ばすんだって? 主人から聞いたときにビックリしたわ」

 そして博美が口を挟む間もない勢いでしゃべり出し、

「そうそう、これを渡すように言われてたんだった」

 言いながら出してきたのは、ラジコン雑誌の今月号だった。

「この本ねー 何時もは売れ残ってね、出版元に返すんだけど、今月は全部売れちゃってねー 主人から一冊は残しておけって言われたのよ」

 見ると表紙は「ダッシュ120」を持っている博美のポートレートだ。

「みんな可愛い可愛いって買っていくのよ。 多分どこの本屋さんも売り切れているわよ。 なんたって出版元にも在庫が無いそうだから」

 確かに今日この店に来るあいだに博美が立ち寄った数軒の本屋さんには置いていなかった。

「そうなんですか…… 嬉しいけど、恥ずかしいです」

 博美は買えないかと思った本が手に入って嬉しいけれど、自分のポートレートが表紙になっているのは恥ずかしかった。




「やあ、来たね。 無事に本も手に入ったようだね」

 博美がパラパラと記事を流し読みしていると、安岡が奥からやって来た。

「安岡さん、こんばんは。 わざわざ一冊置いてあったんですね。 ありがとうございます」

 博美が慌てて本を閉じて挨拶をした。閉じた本の表紙には博美が写っている。

「博美ちゃんが写っているだろ。 その所為だろうね、今月号は売れ行きが凄いらしい。 あんまり売れるんで、来月号に博美ちゃんの特集を組みたがっているよ」

 本の表紙と博美を交互に見ながら安岡が言う。

「何度か編集から電話があったんだ。 まっ、考えておいてくれ」

「特集、ですか…… どんなことを書くんでしょうね」

 博美がちょこっと首を傾げる。

「ラジコン雑誌だから、飛行機の事や飛ばし方のことだと思うよ。 出来れば来週にでも取材したいそうだ」

 博美の仕草を見ても安岡は顔色も変えない。その辺は十分枯れ切っている。

「来週ですか…… 分かりました、考えておきます」

「さあ、それじゃ行こうか。 ちょっと博美ちゃんの家まで行ってくるから、後を頼むよ」

 カウンターのおばさんに言うと安岡は博美を連れて裏の車庫に歩いていった。




 暗くなった田舎町を安岡のベンツは博美の案内で走っている。

「次を左に曲がって、その先を右です」

 古くからの町並みは曲がりくねっていて車で走るには大変だが、安岡は大柄なベンツを軽やかに操り、スムーズに走り抜ける。やがて古い建物が無くなり新興住宅が目立つようになった。

「ここです」

 特にこれと言って特徴の無い、しかし割と大き目の車庫のある二階建ての家の前にベンツはたどり着いた。

「ほう、ここが秋本家か。 いい家だね」

 門扉を開ける博美の後ろで安岡は二階を見上げた。そこに見える窓にはカーテンが閉まっていて、その隙間から明かりが漏れている。

「あそこは妹の部屋なんです。 今日は珍しく部屋に居るんだ」

 安岡の目線に気が付いた博美がうっかりばらしてしまう。

「いつも夜は居間でテレビを見てるんです」

 玄関の扉を開けながら博美は安岡のほうを一度振り返りそう言うと、

「ただいまー お母さん! 安岡さん来たよー」

 中に向かって大きな声で明美を呼んだ。




 居間に置いてあるソファーに安岡が座り、その前に博美と明美が並んで座っている。何時もテレビを見ている光は二階の部屋に居るようだ。

「遠いところ、すみませんでした」

 明美が紅茶を進めながら言う。

「ありがとうございます。 うん、良い香りの紅茶ですね」

 安岡は香りをかぐと、ひとくち口に含んだ。

「私たちにとって、これぐらいの距離は問題ないですよ。 現役の頃は……今でもか、日本中車で走り回っていましたから。 博美ちゃんの指導が出来るって事なら、たとえ何百キロ離れていてもやって来ますよ。 現に成田君、日本チームの監督をしてるんですがね、千葉から毎週通ってもいい、なんて言ってましたから」

 実際、博美が安岡の下へ来ることを聞きつけた成田は、ほとんど毎晩のように安岡に電話で恨みをぶつけているのだ。

「まあ、実際には彼も忙しいから、無理だろうけどね」

 安岡は博美をみて「にっこり」した。

「良かったら今からでも飛行機を見せてもらえるかな?」

 今日安岡が来たのは車の免許が無くて飛行機が運べない博美の為に、飛行機を安岡の店に運んでおくためだ。そうしておけば、博美は手ぶらで店に行きさえすればいい。そこからは安岡か、もし出張で居なければ店の誰かが飛行機と博美を飛行場まで運んでくれる。このやり方は、以前安岡が若者たちを教えていたときにやっていた方法だった。

「はい、こっちです」

 博美は立ち上がって居間のドアを開けた。



 光輝の部屋に入った途端、安岡の目が輝いた。

「うーん…… これは「ミネルバ」だね……」

 飛行機は傷が付かない様に専用のカバーで包まれている。しかし、カバーに名前が刺繍してあるので、わざわざ開けなくても分かるのだ。

「こっちのは…… 「ミネルバⅡ」だな……」

 安岡は博美のことを忘れたかのように、棚に置いてある飛行機を見ている。

「…………」

 ついには無言で部屋の中をうろうろし始めた。

「(たしか井上さんも最初に来たときにはこんな感じだったなー)」

 普段は紳士の安岡が飛行機の前で興奮しているのは博美には不思議だ。

「安岡さん。 僕はどれで練習すればいいんですか?」

 このまま待ってると何時までも時間が掛かりそうで、博美が声を掛けた。

「おお…… ごめんごめん…… これは凄い部屋だね。 年甲斐も無く興奮してしまったようだ」

 博美の声に安岡が現実に帰ってきた。

「この「ミネルバ」は日本選手権で使われた機体だね。 「ミネルバⅡ」は、世界選手権選抜会で神の飛びをした機体だ。 どちらでもいいが…… 新しい方の「ミネルバⅡ」を使おうか。 「ミネルバ」はいざという時の予備にしよう。 それじゃ出すね、っとその前に…… 博美ちゃん、整備スタンドを用意して」

「はい。 えーっと、たしかこの辺に……」

 棚の下から博美が整備スタンドを出してきた。

「これだと思うんですが、なんかチャチな作りですね。 大丈夫かな?」

 固めの発泡スチロールの様な材料をはめ込んで組み立てたスタンドは簡単に壊れそうだ。

「うん、これで良い。 部屋の中で使う分には問題ないね」

 部屋の中央にスタンドをセットしながら安岡が答える。

「これならうっかりぶつけても傷にならないからね。 さあ、出すよ」

 安岡がカバーがかかったままの「ミネルバⅡ」を棚から出して裏返しに整備スタンドに乗せた。

「ぴったりだね。 「ミネルバⅡ」用のスタンドだ」

 安岡はカバーのマジックテープを剥がし、胴体のカバーを開けた。そして機首にあるレバーを操作してアンダーカバーを外す。

「素晴らしい。 二年近く置いてあったとは思えない。 どこもしっかりしている」

 アンダーカバーの内側には一滴の油も付いておらず、触っても乾いている。むき出しになったエンジンやサイレンサーも出来立てのように光り輝いていた。

「メカも問題ないね。 バッテリーが外してある、博美ちゃん知らないか?」

 胴体の中を覗きながら安岡が尋ねる。

「えーっと、この缶の中にいろいろ入ってますけど……」

 博美が煎餅の入っていたであろうブリキの缶を持ってきた。

「ふむ、これじゃないかな?」

 安岡が中から一つ取り出して「ミネルバⅡ」のメカ室にセットする。

「送信機はあるかな?」

「これだと思います」

 トランクの中にある4台のうち、一番高級で、尚且つ使い込まれた送信機を博美が出してきた。

「どれどれ。 うんバッテリーも充電してあるんだね」

 安岡がスイッチを入れ、送信機の情報をスクリーンで確認する。

「いいみたいだね。 「ミネルバⅡ」と名前が入っている」

 送信機の確認が済むと、安岡は機体の横にあるスイッチを操作して受信機のスイッチを入れた。胴体の中に入っているサーボが「ピクッ」とする。

「おっと、尾翼のカバーも外さないと……」

 カバーが付いたまま方向舵ラダー昇降舵エレベーターを動かすとリンケージに無理が係り壊すかもしれない。

「取りますね」

 それを聞いて博美がカバーを外した。それを確認すると安岡は送信機のスティックを動かし始めた。始めはゆっくりと、そしてだんだん早くしていき、最後には思いっきりの速さで動かす。

「うーん。 いいね! しっかりしたリンケージだ」

 「ミネルバⅡ」は安岡の動かすスティックにぴったり追従してラダーとエレベーターを動かした。

「凄い。 ラダーが動くと後ろに風が来ます。 こんなに早く動くんですね」

 機体の後ろに居た博美が驚いている。

「ああ、大きなラダーだからね。 こんな大きなラダーを持った機体は珍しいと思うよ」

 受信機と送信機のスイッチを切りながら安岡が言った。

「主翼を付けてみよう。 この分だと大丈夫だろうけどね。 往々にしてチェックしてない部分に問題が出るもんだ」

「はい。 今出します」

 博美が棚からカバーに包まれている主翼を取り出した。




 「ミネルバⅡ」が積まれた 安岡のベンツの横に博美と明美は立ってる。

「それじゃ、責任を持って預かっておくからね」

 運転席で安岡が言う。

「はい、おねがいします。 明日はお店に行きますから」

 博美は早速明日から練習をするつもりだった。

「うん、出来れば9時頃には来てくれるかな。 お弁当は用意しなくていいから」

 安岡はエンジンを掛けた。

「すみません。 これからよろしくお願いします。 この子の父親が果たせなかった夢を叶えさせてください」

 明美が頭を下げる。

「大丈夫です。 博美ちゃんには才能がある。 きっと日本チャンピオン…… いや世界チャンピオンに成れる。 それは僕が保障します」

 安岡の目に予選でのフライトが浮かんだ。

「それじゃ。 博美ちゃん、明日からがんばろう」

 安岡はベンツを発進させる。

「おやすみなさい。 明日はおねがいします!」

 走り去るベンツに博美は手を振った。




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