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空の妖精  作者: 道豚
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妖精の娘

 博美と加藤、二人の変わらない様子に井上の緊張はほぐれ、普段にもまして集中してきた。いまや井上の回り数メートルは彼の発するオーラにより、息苦しいくらいだ。

「い、井上さん。 用意は?」

 タイムキーパーが恐る恐る尋ねる。

「んっ!」

 井上は頷くとスターターを握った。

「スタートします!」

 タイムキーパーはストップウォッチを押して離れていった。井上はプラグの電源を入れ、スターターをスピンナーに押し当てる。何時ものようにエンジンは軽い音を立てて回りだした。井上は機体の横に移動してスロットルを上げる。そのまま混合気の調整をしてスロットルをスローに戻した。

「OKだ!」

 加藤に向かって言うと、立ち上がり、送信機を持って審査員の前にある操縦ポイントに向かう。その後ろを博美が付いていった。




 センターのジャッジ席に座った成田は、飛行機の着陸を見届けるとジャッジペーパーの10点を丸で囲んだ。

「(やはり今日は皆捨てラウンドだな。 この風だ、まともな演技なんか出来やしない)」

 集計係にペーパーを渡しながらふと右側を見る。そこでは選手団のマネージャーである奥山がジャッジをしていて、さらにその向こうで次の選手がエンジンを始動していた。

「(なんだー 女の子がいるのか?)」

 飛行機の横にロングスカートをはためかせて女性が立っている。

「(珍しい事もあるものだ)」

 エンジン調整が終わったのだろう、ホルダーが機体を滑走路に運んで行き、選手は送信機を持って操縦ポイントに歩いてきた。後ろをさっきの女性が付いてくる。

「(おお、井上じゃないか。 女の子が助手か?)」

 センターに座っている成田のほんの2メートル前に井上が立ち、その後ろにくっつく様に女の子が立つ。

「テイク・オフ・ナウ」

 気合の入った井上の声がしたと同時に、機体が滑走路を走り出した。




 井上のビーナスは20メートル程度滑走路を走ると、滑らかに機首を上げ離陸した。強い風の吹く中、何故かビーナスは揺れずに上昇していく。

「えっ!……」

「なんだ?……」

「おいおい……」

     ・

     ・

     ・

 井上の離陸を見守っていた人たちが「ざわざわ」とし始めた。それもその筈、これだけ風が吹いているのだ。当然地上付近は風が乱れていて、飛行機は揺れるはずだ。それを嫌って急上昇させる選手も多いのに、ビーナスは緩やかな上昇角で高度を上げていく。

「(これは…… いったいどんな魔法なんだ?)」

 成田も説明のつかない飛行に驚き、つい左側でジャッジをしている安岡を見た。丁度成田の方を見た安岡と目が合う。安岡が「ニヤッ」とした。

「(安岡の旦那は知っているんだな。 くそっ! いったいどうやってるんだ)」

 困惑する成田を他所に、井上のビーナスは「テイクオフ・シーケンス」を描き、滑走路上をデッドパスする。当然の如く揺れていない。成田はジャッジペーパーの10点に丸を付けた。




 井上の後ろに立っている博美は、次々と変化する風を見て忙しく井上のシャツを引っ張っていた。

「もう直ぐシェアー(風の変化)があります。 右から」

 そして補足するように井上に声をかける。

「んっ」

 それに頷きながら井上は細かくスティックを動かし、ビーナスが揺れるのを押さえ込んでいた。やがて昨日失敗したスピンの演技になる。

「サーマルは在りません。 風向きはやや前から」

 ビーナスはゆっくりとセンターに近づいてくる。速度が落ちるにつれ、不安定になるはずの機体は、しかし博美の情報とそれを生かす井上のテクニックにより小揺るぎもせずセンターにたどり着いた。風が強いため、完全に空中に止まったビーナスは次の瞬間、機首を下げると同時に左の主翼を失速させスピンに入る。完璧な「入り」だ。ビーナスはきっちり2回転半回った所で反対に回り始め、やはり2回転半回り回転を止めると機首を下に向けて降下する。

「もう少しダウンに」

 高度が下がって風が弱い部分に入ったため、博美が井上に指示を出した。井上がスティックをわずかに押し、機首を更に下に向けた。ビーナスは定規で描いたような直線を飛び、滑らかに機首を起こして水平飛行に入った。

「(このやろう。 この風の中でこの演技か? えーい、9点だ)」

 成田は呆れながらジャッジペーパーに印を付ける。

「(こりゃ本田もうかうか出来ねえな……)」

 中学生の頃から教えていた本田の今朝の演技と、井上の演技との差を感じて成田は危機感を持った。




 演技が終了して着陸したとたん、飛行場に歓声と拍手の音が響き渡った。ここに居るのは殆ど全員スタントフライヤーだ。彼らには今日の風の中演技をする困難さがよく分かっている。加藤が回収してきたビーナスの回りには次の出番の選手を含む殆どの選手が集まり、黒山の人だかりになった。井上もその中に飲み込まれている。

「あー、びっくりした」

 井上のピクニックテーブルの周りに座ってフライトを見ていた明美と光の元に博美が帰ってきた。

「お姉ちゃん、お帰り。 綺麗に飛んでたねー お父さんの事を思い出しちゃった」

 光が椅子を勧めながら言う。

「ほんと、井上さんって上手なのね」

 明美も少し目が潤んでいるようだ。

「お母さん、泣いてるの?」

 それに気が付いた博美が尋ねる。

「ううん、泣いてなんかいないわ。 ちょっと思い出しただけよ」

 首を傾げる博美と光を見ながら明美が続ける。

「あなた達が生まれる前、お父さんはよく飛行場にお母さんを連れてきたの。 そしてお母さんをこうして座らせたまま自分は飛行機を飛ばすのよ。 あの頃と同じだなー って思ってね…… 懐かしくなっちゃた。 そして何時も言ってたのよ。 俺は必ずチャンピオンになるってね。 結局成れなかったわね……」

 明美の頬を一筋涙が伝った。

「お母さん。 僕が、僕がチャンピオンになる! 絶対なってみせるから」

 明美を正面に見ながら博美が言う。

「だから、泣かないで」

 博美は明美の手を握った。




 騒ぎが収まるまで仕方なく中断した間、ジャッジの3人は本部テントの中でコーヒーを飲んでいた。

「安岡の旦那。 あんたさっきの井上のフライトの秘密、知ってんだろ? ありゃいったいなんだ?」

 成田が何時もの「べらんめぇ」調で尋ねる。

「俺も不思議に思う。 風を読んでるんかな?」

 奥山も同調して聞いた。

「いや、僕もこんなに上手く行くなんて思ってなかったよ」

 安岡は嬉しそうに続けるが

「昨日までと今日の違いを考えると答えは出るさ」

 簡単には教えない。

「違うといえば、あの女の子か。 あの子は何者だ?」

 少し考えて、成田が言う。

「分かったか? あの子は妖精の娘だ」

 安岡が「にこにこ」しながら答えた。

「はあー なーんだそれ。 妖精だって?」

 成田は呆れている。

「妖精ねー 妖精といえばミッシェルと秋本…… ここは高知だから……」

 奥山が推理を働かせ

「妖精の秋本か!」

 それを聞いた成田が正解にたどり着いた。

「そう、あの子は秋本博美ちゃん。 妖精の秋本の娘だ。 そして父親の能力を受け継いでいる」

 安岡が説明をする。

「おい、飛行機飛ばすんか? 上手いか?」

 成田が興奮して聞いてきた。

「午後に面白いものを見せてやるよ」

 安岡は意味深なことを言うだけだった。





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