手術日決定
朝の名古屋駅は出張にでも行くのか、沢山のサラリーマンが足早に歩いている。その雑踏の中、金髪を腰まで伸ばした女性が一人、キャリアーを引いて歩いていた。ゴールデンウイークが終わったばかりだというのに、夏を先取りしたかのようなショートパンツから真っ直ぐな脚が伸びている。周りの男たちは、ついその脚に向いてしまう目を渾身の力を込めて逸らし、素知らぬふりをしていた。彼女といえば、そんな男たちの様子を気にも留めず、彫りの深い顔を真っ直ぐ前に向けてみどりの窓口に入っていった。
緑の窓口もそれなりに込んではいたが、一つ空いている窓口があった。窓口の駅員は横を向いて端末を操作しているようだ。金髪の彼女はその窓口に向かった。
「すみません」
意外とハスキーな声で駅員に声をかける。
「はい……っつ!」
駅員は彼女を見て息を呑んだ。
「じゃ……じゃすともーめんと・ぷりーず」
たどたどしく言うと、その駅員は周りを見渡しだした。
「あのー」
何事かと彼女が話しかける。
「そりー・あい・どうんと・すぴーく・いんぐりっしゅ」
駅員はやはり片言で答えると、思い出したかのように引き出しから小さなノートを取り出した。
「ぷりーず」
ノートを開き、彼女に見せる。そこには英語で切符の買い方が書かれていた。
「ごめんなさい。 私、英語が苦手なんです。 さっきから日本語で話してますよ? 日本人ですから」
彼女は困ったように首をかしげた。
「えっ…… 日本人? 日本語?」
「ええ」
「すみませんでしたっ!」
駅員はカウンターに両手を突いて頭を下げた。
「ぷっ!」
突然、後ろから声がする。彼女はゆっくりと振り返った。
「なーに、こうじ君」
そこには笑い出すのを身悶えながら堪えている小柄な若者が居た。隣に立っている小さな女の子も噴出しそうだ。彼女はその様子を見て睨み付けた。
「ぶわっはっはっは…… ひーいっ……」
「やだーーー」
ついに二人の表情筋が限界を迎えた。男子はお腹を押さえて笑い出し、女の子は男子の背中を「バンバン」叩く。彼女は睨むのを止めて、呆れ顔になった。
「二人とも…… こそこそ後をつけて来て…… なんなのよ?」
「ははは、こういうイベントが絶対あるって思って…… 案の定、外人に間違われた」
こうじと呼ばれた男子は全然気にしていないようだ。
「私はー 悪趣味だって言ったんだけど……」
女の子は言い訳をしつつ、反省をしているように見える。
「でもさ、ゆきちゃんもそんな顔をしてるからいけないんだよ。 金髪だし」
やっぱり反省はしていなかった。
「それじゃ、夜には帰ってくるから夕食は一緒に食べようね」
「OK。 気を付けて行って。 待ってるから」
改札口で二人と別れると「ゆきちゃん」と呼ばれた彼女は博多行きの新幹線に乗り込んだ。
数時間後、岡山に在る大学病院に彼女は来ていた。
「どうですか? 変わりはないですか?」
年配の医者が尋ねる。
「はい、近頃は体調も良くて、悩むことも少なくなりました」
彼女は医者を真っ直ぐ見て答えた。
「いいですね。 あなたは自分の生き方に自信を持っていますね」
「そうですね、確かに自信が出てきたような気がします。 それにもう直ぐ手術が出来るのですから」
彼女はゆったりと微笑む。
「その事なんですが、実はお願いがありまして……」
「んっ? なんでしょう?」
「その手術、二週間ほど伸ばしてもらえないでしょうか?」
「えっ! 何故です?」
「高知に性分化疾患の女の子が居て、早く直してあげないと身体的、精神的に危険なんです」
「つまり、その娘の手術を私の予定日にすると……」
彼女の顔からは微笑が消え、医者を睨んでいる。
「も・もちろん無理にとは言わない。 あなたが何年も待っているのは知っています。 でもその娘はあと数ヶ月が待てない……」
「その娘の写真は見せてもらえないんでしょうね? 横から掻っ攫って行く様なものですから、どんな娘か見てみたいわ」
それを聞いて医者は腕組みをして考えはじめた。
「ちょっと待合室で待ってもらえるかな? 先方に聞いてみるから」
「分かりました」
彼女は金髪をなびかせ診察室を出て行った。
平日という事もあり、広川は朝から引っ切り無しにやって来る外来患者の診察をしている。
「広川先生、岡山から電話です」
やっと少し落ち着いたとき、看護師が声をかけてきた。
「(えっ! 岡山? ひょっとして博美ちゃんの事かな)」
最近岡山とやり取りしているのは博美の手術の事だけだ。なんだろうと思いながら広川は電話を取った。
『はい変わりました、広川です…… あっ! 先生、おはようございます…… えっ! 写真を見せてもいいかどうかですか…… うーん、個人情報ですからね…… そうですか、その患者さんが納得しませんかー …… それじゃですね、おもいっきりグレーゾーンですが、ネットに拡散してしまっている写真を教えましょうか。 もちろん名前を出したら駄目ですが…… はい、それで良いですか…… 分かりました、メールで送ります…… くれぐれもその患者さんに釘を刺しておいてください』
広川は電話を切る。
「(うーん……これで良かったのかなー っとメールを送らないと……)」
いつも手元においてあるパソコンで広川はメールを送った。
再び彼女は診察室で医者と向かい合っていた。
「先方から写真が送られてきたよ。 名前は言えないけどね」
医者がメールに添付されていた博美の写真を見せる。
「えっ! この娘? か・かわいい。 先生、本当にこの娘なんですか?」
診察室に入った時の仏頂顔 はあっという間に消えていた。
「うん、私も電話で確かめたよ。 とても患者には見えないね」
広川の送ったのは、高専で広まりネットに流出したショッピングセンターでの写真だ。
「こんなかわいい娘が障害で困っているなんて…… いいわ、先生、手術してあげて。 私の手術は伸びてもかまいません」
「本当にいいのかね?」
「もちろん。 これだけ待ったんだから、あと二週間ぐらいどうってことないわ。 でも勿論私にもいいことがあるんですよね?」
彼女がにっこりと笑い掛ける。
「帰りに事務局に寄ってくれるかい。 事務方に言っておくよ」
医者も彼女に微笑を返した。
「ひまー ひまー ひまだよー」
ベッドの上をごろごろ転がりながら博美が明美に訴えている。
「もー あんたって、どうしてそんなに堪え性が無いのかしら? チューブが取れてないんだから仕方が無いでしょ。 諦めなさい」
普段穏やかな明美がついに「爆発」した。
「だってー もう一時半だよ。 いい加減チューブを外してくれないかなー」
午前中は博美もなんとか我慢をしていたのだが、流石にお昼を食べてからは暇を持て余している。
「やあ、外まで聞こえていたよ」
ノックされると共に開けられたドアから広川が入ってきた。
「あら、先生。 お恥ずかしい。 騒がしかったですよね」
明美が立ち上がって挨拶をする。
「あー 先生、駄目なんだー ノックをしたら返事を待たなきゃ」
博美が相変わらずずれた事を言った。
「ああ、ごめんごめん。 急いで教えてあげたくてね」
広川は嬉しそうだ。
「博美ちゃんのあそこを女の子にする手術日が決まったよ」
「えっ! いつです?」
それを聞いて博美が身をのりだしてきた。
「来週の金曜日の午後だよ。 検査等があるから前日の木曜日に岡山に行く事になるね」
「えー 岡山?」
「ごめんね。 ここでは経験が無くて手術が出来ないんだ。 岡山の病院は日本中から患者が集まるぐらい上手な所だから、ぜったい綺麗にしてくれるよ」
「でも遠いなー」
博美はこれまで四国から出たことは修学旅行で広島に行ったことがあるだけだ。不安になるのも仕方が無い。
「僕も一緒に行くから心配ないよ。 手術を見せてもらうんだ」
広川は手術を見学できるのが嬉しいようだ。
「博美、おかあさんも一緒に行くから心配することはないわ」
「おかあさん。 近頃随分休んでるよね。 仕事は大丈夫?」
「ええ、だいじょうぶよ。 有給はまだ沢山残ってるから」
「それならいいけど、僕のために無理しないでね」
「はいはい、分かってるわ」
「ところで先生、チューブってまだ取れないんですか?」
話が一段落したところで博美が聞いた。
「おお、そうだった。 うん、今から取るね」
広川はそう言って博美の患者衣を捲る。
「やだっ! 先生、急に何するんですか?」
博美があわてて裾を押さえた。
「なにって…… やっぱり見なければチューブを外せないよ」
博美の態度に驚いたように広川が言う。
「でもっ、いきなりめくられたら恥ずかしいですよ。 パンツを履いてないんだから」
博美は顔を真っ赤にしていた。
「仕方が無いなー 看護師を呼ぼうか?」
ナースコールでやって来たのは博美をモデルと思っていた看護師だった。
「秋本さん。 なんか縁がありますねー」
看護師はにこにこしながら博美の患者衣をめくる。
「男の人は出てって下さい」
広川が居るのに気が付いて、看護師が手を止めて言った。
「わるい、わるい」
広川は俯いて病室から出て行く。それを見て看護師は患者衣を完全に捲ってしまった。
「うわー 細くて綺麗な脚! まっしろー」
看護師が感嘆の声を上げる。
「ちょっとー あんまり見ないで下さい」
博美があわてて裾を下ろそうとした。
「まあまあ。 すぐに終わりますから」
看護師は片手で博美の行動を止めるとチューブの根元にもう一方の手を持っていった。当然博美の太ももに手が触る事になる。
「やだっ! くすぐったい」
「ほらほら、そんなに力を入れずに。 ちょっと広げてね」
どういう魔法を使ったのか、嫌がる博美の脚を簡単に広げると、あっという間に看護師はチューブを外した。
「はい、取れました」
看護師は外したチューブを見せる。
「これでベッドから降りられますよ」
あまりの恥ずかしさに顔を両手で隠した博美は看護師の言葉を最後まで聞いていなかった。




