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空の妖精  作者: 道豚
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手術開始


 手術の行われる日の朝、明美は退屈している博美のためにラジコン雑誌を持って病院に来た。フルタイムで仕事をしている明美にとって突然の有給休暇を取るのは大変なのだが、光輝の友人が社長をしている光輝の勤めていた会社の子会社なので、わりと融通してくれるのだ。

「おはよう。 気分はどう?」

 博美の病室に入ってベッドの上にある毛布の膨らみに声をかける。

「おーはーよーーー」

 毛布の中から博美の弱弱しい声が返ってきた。

「なにー 元気ないわね。 しっかりしなさい。 ほら雑誌を持ってきてあげたわよ」

 明美は話しながら雑誌をテーブルに置き、代えの下着などを戸棚に入れる。

「お腹がすいて……もう駄目~~」

 博美が何故か枕の置いてあるのとは逆の方から顔を出した。

「昨日のお昼からなんにも食べてないんだよ。 お腹すいたー!」

「仕方が無いでしょ。 腸の中を空っぽにしとかなくちゃならないんだから。 あと5時間ぐらいよ、頑張りなさい」

「仕方が無い、水を飲もー」

 博美はベッドを降りて病室に備え付けられている冷蔵庫からペットボトルを出し、コップにミネラルウォーターを注いだ。飲みながら明美の持ってきた雑誌をめくる。

「(あっ! 元世界チャンピオンの成田さんがフライトテクニックを紹介してる)」

 博美は水を飲むことも忘れて雑誌に釘付けになった。

「博美。 水も10時を過ぎたら飲めないからね」

「はいはい。 分かったよっ」

 お腹がすいたことも忘れて、博美は雑誌に没頭していた。




「コン・コン」

 病室のドアがノックされた。明美が時計を見るとまだ午後一時で、手術まで二時間ある。

「はーい。 どうぞー」

 誰だろうと思いながら返事をすると

「秋本さん。 様子はどうですか?」

 入ってきたのは田中だった。

「あら。 田中先生、今日も来てくださったんですか?」

「ええ。 やっぱり気になりまして、午後から抜けてきたんです。 それで博美ちゃんの様子は?」

 明美は直接答えず、目線でベッドに寝転がって雑誌に没頭している博美を示した。

「あら、割と緊張してないようですね」

「そうなんですよ。 図太いのか抜けてるのか……まあリラックスしているのは良いんでしょうけど。 博美! 田中先生が来たわよ」

 明美が博美のわき腹を突いた。

「うーん。 なにー お母さん」

 本に載っているアクロバットの手順を頭の中でシミュレーションしていた博美が、せっかく上手く行きそうだった所で邪魔をされて不機嫌そうに返事をする。

「田中先生だってば。 挨拶しなさい」

 こんな時に声をかければ不機嫌になることなど百も承知の明美は大して気にもしていない。

「あっ! 先生、こんにちは。 今日も来て頂けたんですね」

 慌ててベッドの上に正座をして、博美が挨拶をする。

「うふふ……こんにちは。 博美ちゃんも意外と我侭な所があるのね」

 普段学校では見せない博美の「可愛い」様子に田中は笑顔になるのを止められなかった。

「そうそう、博美ちゃんの入院のことは、腸に穴が開いたから手術して塞ぐ、というふうに皆には説明しておいたから。 退院して学校に行ったら、そんな風に博美ちゃんも言ってね」

 昨日田中が学校に戻ったら、保健室の前で永山や加藤など博美の友達が待っていて、博美の様子を根掘り葉掘り聞かれたのだ。説明で嘘をついてはいないので、問題はないだろう。

「はい、分かりました。 ところでお母さん、手術まで後どれ位だろ?」

「三時ごろって聞いたから、あと二時間って所かしら」

「えー もうそんな時間? あっ! なんか緊張してきた」

「あらあら、落ち着いて見えたのは気が付いてなかっただけなのね」

 博美の変わり様を見て、田中が言った。




 午後三時、ストレッチャーに乗せられ、運ばれながら博美は天井を見ている。前後に看護士が付き、左右を明美と田中が歩いていた。

「(手術室って何処なんだろ? なんだかぐるぐる回って迷路を運ばれてるみたいだ)」

 天井しか見えない状態で廊下を運ばれ、あまつさえエレベーターに乗るものだから、博美は方向感覚が麻痺していた。やがてストレッチャーは少し涼しく感じられる部屋に入った。

「やあ博美ちゃん、調子はどうだね?」

 不意に頭の上で広川の声がする。博美がうんと首を上に向けると広川と知らない医者が立っていた。二人とも何時もの白衣ではなく赤っぽい変わった服を着ている。

「先生こんにちは。 お腹が空いてますけど、調子は良いです」

 ストレッチャーの横に回ってきた広川に博美が答えた。

「それは良かった。 紹介しよう、此方は藤江先生。 内視鏡を使った手術が得意なんだ。 腸の穴を塞ぐ手術をしてもらう」

「藤江です。 今日は私が担当します」

 紹介されて広川の隣に居た医者が挨拶をする。

「秋本博美です。 よろしくおねがいします」

「博美の母です。 よろしくおねがいします」

 博美と明美が挨拶を返した。

「それで、ドレンを付けるのは僕がします。 こう見えても手術は得意なんだよ」

 広川が続けて話をする。

「出産っていうのは意外と危険なものでね、緊急でメスを握ることもあって、けっこう外科的なんだ」

 安心させるためか、聞かれてもいない事を説明した。

「それでは手術室に移動しよう。 すみません、お母さんたちはここまでです」

「はい。 それでは先生、よろしくお願いします。 博美、頑張ってね」

 明美と田中はドアから廊下に出て行った。




 明美たちが出て行くと、とたんに部屋の中が静かになり、空気が冷えてきたように博美は感じた。なんだか寂しくなってくる。

「先生。 なんだか凄く冷房が効いてません?」

 それを紛らわすため、博美は広川に話しかけた。

「うん、ごめんね。 わざと温度を低く設定してあるんだ。 細菌の繁殖を抑えることと、手術中に汗をかかないためなんだよ」

「そうなんですか……大事な事なんですね(手術中は下は裸だよな……風引かないかな?)」

 手術中は下半身が裸という事に気が付いて、博美は顔が赤くなり体も熱くなってきた。

「それじゃ手術室に移動しよう」

 それまで博美が何も無いと思っていた壁が開き、向こう側に手術室が見える。

「せーのっ!」

 手術室に居た看護士と広川、藤江が何故か人海戦術で寝たままの博美をそちらに置いてあるストレッチャーに移した。壁の入り口を閉じると広川たちが手術室に入ってくる。その間に博美は手術台に載せられていた。

「患者の間違いをしないように、もう一度確認するね。 名前と今日の手術の内容を答えて」

 広川が尋ねる。

「秋本博美です。 えーと……腸の穴を塞ぐこととドレン? を付けることです」

「はい、間違いありません。 それじゃ、ズボンを取るね」

「ごめんね。 恥ずかしいよね」

 広川の言葉に看護士が博美のズボンを脱がした。

「麻酔を打つから横向けに寝て、脚を抱えるようにして」

 博美が手術台の上で丸くなる。広川が背骨の上をアルコールで消毒して麻酔を注射した。

「うっ!」

 背骨の関節に注射針を刺され、博美が声を上げた。直後から下半身が冷たく感じ始める。

「どうだね。 感じるかい?」

 数分後、広川が博美の太股を針で刺激しながら尋ねた。

「えーと…… なんか押されてるような気がします。 痛さは感じません」

「はい。 十分麻酔が効いているようですね。 それではドレンを付けるところから始めるよ」

 看護士が博美を仰向けにして、指に血流のセンサーを付けたりうっかり動いてしまわないように下半身を固定したり、と準備を始める。最後に点滴を左手に付け、胸のところに背の低いカーテンを取り付けた。

「(手術をしているところは見せてもらえないんだ。 何でかな? 見ると気持ち悪くなるのかな?)」

 手術台の上で呑気な事を博美は考えていた……





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