助手が出来ない?
井上は今日の仕事を終わって病院のコンビニに向かっていた。一人暮らしなので夕ご飯を作るのが面倒な時は、弁当や何かおかずになる物を買って帰るのだ。
「(あれっ! 博美ちゃんのお母さんじゃないか?)」
夕方になって人気の無くなった待合室を通り抜けようとした時、明美が受付のカウンターで事務の女性と話をしているのが見えた。
「(何だろ? この前の博美ちゃんの治療について問題でも有ったかな?)」
困っているかもしれないと思って、井上は明美の元に歩いていった。
「こんばんは、秋本さん。 ご無沙汰してます」
驚くといけないと思って、少しはなれたところから声をかける。
「あっ! 井上さん。 こんばんは」
それでもいきなりの事で、明美は驚いたように挨拶を返した。
「突然すみません。 そこを通るときに姿が見えたものですから。 今日はどうされたんですか? なにか問題でも?」
明美のすぐ側に来て井上が尋ねる。
「いえ、問題というわけではなくて……やっぱり問題って言えるかな? そういえば今度の土日、博美が井上さんのお手伝いをするって聞いたんですが……」
明美は言いにくそうだ。
「ええ、選手権予選の時の助手を頼んでいるのですが……もしかして博美ちゃんに何かあったんですか?」
井上の顔色が変わる。
「そうなんですね……実は今日、また出血してしまって……」
「えっ! 前の出血は生理の物だから心配ないって博美ちゃんが言ってたと思いますが……」
「その通りですが……このまま放って置くと身体が駄目になるからと……」
「駄目になるって……博美ちゃんが危ないって事ですか?」
「えーと。 井上さん、博美の事どこまでご存知ですか?」
「中学まで間違えて男の子として暮らしていた。 って位ですね」
博美はあまり「ぺらぺら」喋るほうではないので、井上は大した事は知らない。
「他言無用でお願いしますね。 小さいころに男の子と間違えるって事は、博美のあそこがどうなっているか分かりますよね?」
あまり世間に知られると博美の将来に問題になると思って、明美は釘を刺してから説明を始めた。
「えーと……やっぱり男の子のようになっていると……」
井上は想像してみた。
「(うん。 博美ちゃんには似合わない)」
「そうなんです。 だからあの子、それを隠すのに凄く大変で……」
明美は今日の博美の涙を思い出していた。
「それでですね。 生理の時、どこから血が出てくるか分かります?」
「俺が搬送した「腸からの出血」というのが生理だったって事は、お尻から出てくる?」
「膣が腸に開口しているんです。 でもそれって、異常状態でしょ。 膣の開口部っていっても、腸からすれば傷口なんだそうです。 そしてそれが今回大きくなっていまして、さらにそこから雑菌が入り化膿したんです」
「えっ! 博美ちゃん、大丈夫なんですか?」
井上は博美が入院していることを知らない。
「今朝、救急車でここに運ばれました」
「知らなかった……」
「先生の言うには、塞いでしまおうと……そして「ドレン」っていうのを付けるんだそうです」
明美は「ドレン」という物が想像できなかった。
「それじゃ、手術をするんですね?」
「ええ、明日の午後に予定されています」
「それはまた急ですね」
「そういう訳で、もしかしたら井上さんのお手伝いに行けないかも……あの、退院は何時になりますか?」
明美がカウンターの事務員に尋ねる。
「明日火曜日の午後手術、翌水曜日は一日安静にして木曜日に検査します。それで良ければ木曜日の午後か金曜日の午前中に退院できると思います」
事務員は手元のプリントを見ながら説明した。
「博美に聞いてみますが、多分お手伝いには行けませんね」
母親としては、退院直後に外に出したくは無い。それは井上も分かるようで
「助手の件は気にしないでください。 こちらでなんとかします。 博美ちゃんはしっかり休養をさせてください」
こう言って明美と別れた。
「(うーん、困ったな。 昔みたいに自分一人で飛ばすしかないかな)」
当てにしていた博美が来れないと分かって、井上は最近博美の能力に依存していた演技を昔に戻す事にした。
「(仕方が無い、ブッツケ本番になるな……)」
気が付くとコンビニに着いていて、井上は夕飯を買ってアパートに帰ったのだった。
明美と井上が話をしていた頃、朝からの治療のお陰で体調が良くなった博美は病室で退屈していた。突然の入院で何も持ってきていない事もあり、ベッドの上でただ寝ている事しかすることが無かったのだ。明美が買ってきたテレビ視聴カードを使ってたいして面白くも無いバラエティー番組を見ることが暇を潰す唯一の手段だった。
「(点滴も終わったし、暇だなー)」
もう博美をベッドに縛り付ける物は無い。
「(そうだ! 加藤君に電話しよっ)」
博美はベッドから起き上がると、履物を探した。
「(無いなー スリッパぐらい置いてあればいいのに)」
どうやら履物と呼べる物は何も置いてないようだ。
「(いいや、裸足で行っちゃえ。 病院だもの、掃除してあるよね)」
博美はそのままベッドから降りてドアに向かって歩き出した。博美がドアまであと数歩の位置まで来たとき、
「博美。 手続きが終わったわよ……って、あんた何してるの!」
いきなりドアが開いて明美が入ってきた。
「あはは……えーっと、あんまり暇だから加藤君に電話でもしようかと……」
「あんた、そんな格好で部屋から出るつもり? それに電話するにもテレフォンカード持って無いでしょ」
博美の今の格好は診察に便利な患者衣を着ていて、ブラも着けていない。足元はといえば、何も履かず素足だ。
「えへへ……駄目かな?」
「当たり前でしょ! ほとんど胸が見えてるわよ。 それに病院の公衆電話はみんなテレフォンカードが無いと使えないわ」
「えー 退屈だよー」
「仕方が無いでしょ。 さあベッドに戻って!」
博美は明美に追い立てられるようにしてベッドに登った。
「つまんない、つまんない……」
ベッドの上であっちこっち「ごろごろ」博美は転がる。
「は~~ まったくあんたって……お父さんと一緒ね。 何時も何かしてないといけないんだから」
「だって僕はお父さんの子供だもん。 仕方が無いじゃない」
「私の子供でもあるんだけどね。 まあ良いわ、明日からの予定が決まったからこれ読んで」
こらえ性の無い博美に呆れながら、明美は事務員からもらったプリントを渡した。
「少しは暇も紛れるでしょ」
「ねえ、お母さん。 これ読むと、遅くても金曜日には退院出来るんだね」
読み終わったプリントを明美に返しながら博美が確認する。
「そうね。 意外と早く退院出来そうね。 でも食事は当分流動食よ」
「それって美味しいのかな?」
「さー どうなのかしら」
「でも、金曜日に退院なら土曜日からの選手権予選に行けるよね?」
博美が安心したように言う。
「あんた! なに馬鹿なこと言ってるの。 退院の翌日から出かける人が居ますか!?」
めったに怒らない明美が怒鳴った。
「だ・だって……井上さんと約束してるんだから……」
明美の迫力に博美の声が小さくなる。
「駄目です! 退院した後も安静にしておくの! プリントに書いてあるでしょ」
「そんな~~~」
博美はベッドの上で項垂れてしまった……




