広川の診察
寮の駐車場に「ビートル」を止めると、田中は女子寮に走る。
「な! なんですか?」
突然飛び込んできた白衣の田中を見て寮母が驚いて声を上げた。
「秋本さんが熱を出しているそうです。 部屋は何処ですか?」
急いではいても、慌てた様子を見せず田中が尋ねる。
「えっ! そんな事私は聞いてないですよ。 同室の子はちゃんと連絡してくれなきゃ。 部屋は二階の205号室のはずです」
「分かりました!」
そこまで聞くと、田中は階段を駆け上がっていった。
「秋本さん、開けるわよ!」
ドアをノックすると、返事も待たずに田中はドアを開けた。とたんに異様な匂いが鼻を刺激する。
「(なにこれ。 なんの匂いなの?)」
一瞬たじろいだものの部屋に入ると向かって左のベッドに博美が寝ているのを見つけた。顔は生気を失い、田中が入ってきたことにも気が付かないようだ。
「なにこれ! 血の匂い?」
突然、田中の後ろから寮母の声がした。漸く追いついたのだ。
「(そうか、これは血の匂い。 それと化膿した傷口の膿の匂い……)」
田中は博美に近づき、そっと揺すった。
「あ……先生……僕どうなったんだろ?」
うっすらと目を明けた博美が小さな声で尋ねる。
「永山さんから聞いたんだけど、熱があってお腹が痛いんだって?」
「はい。 それと気持ちが悪い……」
「分かったわ。 ちょっと見せてもらえる? あ! すみません。 寮母さんは席を外してください」
博美のあそこが寮母に見えることを警戒して田中は言った。
「それじゃ、なにか有ったら呼んでください」
特に気にした様子も無く寮母は部屋を出て行き、十分部屋から寮母が離れたのを確認すると、田中は布団を捲った。途端に濃厚な血の匂いが漂ってくる。
「これは凄い……」
博美のパジャマのズボンは真っ赤になっている。
「仰向けになれる? 苦しいかもしれないけど……」
横を向いて背中を曲げている状態ではお腹に触れない。
「うっ…… つっ…… いたい……」
博美はなんとか仰向けになる。
「お腹を押すから、痛いところを教えてね」
田中は上のほうからそおっと博美のお腹を指の腹で押して行った。
「いったーい!」
下の方。恥骨のすぐ上を押したとき、博美が悲鳴を上げた。
「ごめんね。 ここが痛いのね」
「(これは広川先生が言ってた場所だわ。 すぐに病院に運ばなきゃ)」
田中はただの腹痛ではないことに気が付いた。
「秋本さん、病院に行きましょう。 救急車を呼ぶわ。 ちょっと待っててね」
田中は電話を借りに一階へと走っていった。
「それでは、私は病院まで付き添います。 すみませんが、彼女の部屋の換気とシーツの洗濯をお願いできますか?」
ストレッチャーで救急車まで運ばれる博美に付き添いながら、田中が寮母に頼んでいる。こういった事は寮母の仕事ではないのだが、今は緊急事態なので仕方が無い。
「はい、やっておきます。 病院での結果は知らせてくださいね。 それと保護者の方への連絡はどうしましょうか?」
「連絡は私がします。 中学校のころから知っていますから」
博美を乗せたストレッチャーが救急車に入れられ、田中もその横に座る。
「それじゃ」
リヤドアが閉められる瞬間に田中は寮母に会釈をした。
「出します!」
運転手は一声かけるとサイレンのスイッチを入れ、救急車をスタートさせた。
「田中総合病院に行ってもらえますか」
田中が運転手に言う。
「えっ! ここからだと南病院が近いですよ。 通常、そこに運ぶのですが」
運転手がびっくりしたように答えた。
「彼女の主治医が田中総合に居るんです。 そこからの指示なんです」
「分かりました。 時間はかかりますが、田中総合病院に行きます」
『こちら南4、本部聞こえますか』
助手席に乗った救命士が無線で話し出した。
『こちら本部。 南4、どうぞ』
『南4は田中総合病院に向かう』
『了解。 途中渋滞等の情報は無し』
『了解』
救急車は県庁所在地の街を目指して疾走していた。
赤信号で止まらなくても良いとはいえ、片側一車線の場所ではなかなか前に出られず、救急車は40分ほど掛けて街を横切り病院に着いた。途中で連絡を入れたお陰で、受け入れ態勢は整っているようで、博美はすぐに広川の待つ診察室に運ばれた。
「やあ、博美ちゃん。 久しぶり」
広川が気さくに声を掛けてくる。
「お・ひさし・ぶりです」
博美はクッションの良くない救急車に長時間乗せられ、憔悴していた。
「僕の所に着たからには、もう大丈夫だよ。 しかし随分出血したね。 これ生理だよね?」
婦人科の医者らしく、一目で分かるようだ。
「は・い。 け・さから……」
「うん。 無理に喋らなくていいからね。 恥ずかしいかもしれないけれど、ズボンを取るよ」
広川は看護師に手伝わせて博美のズボンを脱がし、下着も下げてお腹にゼリーを塗った。
「エコーで見てみるね」
広川が器具を博美の下腹部に押し当てる。
「い・いったーいっ!」
博美が悲鳴を上げた。
「もうちょっとだから、我慢して」
広川は気にせず、器具を押し付け続けた。
「秋本さん、頑張って」
田中が博美の手を握って励ましている。
「うん、大事な卵巣や子宮は無事だよ」
博美には永遠に思えた数分後、広川は器具を下腹部から離してモニターの下に片付けた。
「それじゃ、内視鏡で見ようかね。 横向きになれるかな?」
博美は診察台の上でどうにか横向きに寝た。看護師が博美の下着を下げてしまい、うえから大きな布を掛けた。
「力を抜いてー」
広川が内視鏡を博美のお尻に当てながら言う。
「(これは診察なんだ、恥ずかしくない……恥ずかしくない)」
博美は痛くて苦しくて気持ちが悪いというのに、恥ずかしくて顔を真っ赤にしていた。
恥ずかしい診察が終わり、博美は病室でベッドに寝ていた。腕は点滴の管が抗生剤の入った袋に繋がっている。
「(あ~あ。 僕に何が起きてるんだろ? 先生ってなんにも教えてくれなかったもんな)」
いまは病室に誰も居らず、点滴のお陰か調子が良くなった事もあり、博美は退屈していた。
「秋本さん。 お母さんが見えたわよ」
ノックと共にドアが開き、田中が入ってきた。すぐ後ろに明美が続いている。
「おかあさん……」
「博美、大丈夫? お腹が痛くなったんだって?」
「うん。 朝から生理が始まったんだけど、そのころから凄く痛くなった。 これってなんだったんだろ?」
「生理痛かしらね。 ねえ田中先生、どうなんですかね?」
明美が横に立っている田中に聞いた。
「その事ですが、広川先生が説明してくれるそうです。 私にも分からないんです」
三人は午前中の広川の診察を待つより他、することが無かった。




