天才
「博美ちゃんはエンジン機は初心者……まあとても初心者らしくはないけど、まだ初めて二ヶ月ぐらいらしいね。 ラジコンを始めたのもそれからかな? ひょっとしてグライダーを飛ばしていたとか」
テーブルの上の食べ物も殆どが皆の胃袋に納まった頃、真鍋が聞いてきた。
「はい、グライダーを飛ばしてました。 二年位かな?」
「そうなんだ。 だからそんなに上手く飛ばせるんだね。 あれって上昇気流を見つけるの、大変じゃない?」
「いや、そんなことないですよ」
博美がそう言って空を見上げた。
「あそこと、そこ……うーん……ちょっと遠いですけど、向こうのほうに上がってますね」
博美の言葉を聴いて、そこにいる六人が揃って空を見上げた。しかし何処にも変わった物は見えない。
「(ちょ! この流れはヤバイ)」
井上が真鍋の意図に気が付いた。
「真鍋さん、スタント機にサーマルは別に関係ないじゃない」
すかさず話を逸らしに掛かる。それを聞いて真鍋は「にやり」と笑う。
「分かった。 井上さん、良い娘を見つけたね」
「真鍋さん! 井上さんの彼女は桜井さんって言って、別に居ますから」
博美がまたまた「ズレ」た事を言う。
「博美! 真鍋さんは恋人の話なんかしてないから」
加藤が横から博美を止める。
「ほー そうか。 井上君、やっと恋人が出来たか。 それはめでたい」
安岡が満足げな顔で頷く。
「なんでそうなるんだ!」
井上が頭を抱えた……
賑やかな昼食が終わり、再び井上の飛行順が来て博美が助手をしている時、安岡が自分の車から飛行機を出してきた。
「あれっ! 安岡さん、持ってきてたんですか?」
隣のピットで安岡が機体を組み立て始めたのに篠宮が気が付いた。
「ああ、なんとなく積んで来たんだがな、ちょっと悪戯を思いついた」
てきぱきと組み立てながら安岡が「にんまり」した。
「しかし、これは古いですねー 「ダッシュ120」ですか?」
「そうだ。 でもエンジンは110に乗せ換えているんだ。 だからCクラスになる」
安岡の持ってきた「ダッシュ120」は20年ほども前の設計で、当時は大変な人気のスタント機だったのだが、流石に今となっては古い。
「少し小さいから、今の110で十分飛ぶよ。 メカも最新の物に取り替えてるんだ」
もともと120エンジン(排気量20cc)用の設計だが、今では110(排気量18cc)のエンジンの馬力の方が大きいのだ。そして排気量によるクラス分けでDの下のCクラスの上限が18ccなので、この機体はCクラスとして大会に出られることになる。
「さあ、メカチェックをして……」
安岡が送信機を出してきた。
「あれっ! それって中級者用の送信機じゃないですか?」
なんと安岡が車から取り出してきたのは博美が使っている物と同じ送信機だった。
「模型屋さんってね、いろいろ実験もしなくちゃいけないんだよ。 で、上手いこと博美ちゃんと同じ送信機を用意していたって訳だ」
安岡は送信機と受信機のスイッチを入れて簡単にチェックをすると、送信機を車の中に仕舞った。
井上の練習が終わり、小松が飛ばし始めると博美は暇になる。
「博美ちゃん、ちょっとお願いがあるんだが……」
それを待っていたように安岡が声をかけた。
「はい。 何でしょうか?」
特に警戒することも無く博美が答えた。
「実はね、送信機を忘れてきたみたいなんだよ。 ちょうど博美ちゃんのと同じ送信機を使っている飛行機なんだ。 悪いけど、貸してもらえないかな?」
そう言われて博美が見ると、さっき井上の助手をするまでは無かったスタント機が置いてある。
「いいですけど……僕の持ってる送信機って機能が少ないですよ。 ほんとにそんな送信機を使っているんですか?」
「ああ、いまの人たちは高機能のメカが当たり前だから不思議に思うだろうね。 昔は博美ちゃんの使っている送信機なんかよりずっとプアーな送信機でスタントをしていたものさ。 だから全然問題ない」
「分かりました。 持ってきますね」
博美が車の中に片付けておいた送信機を持ってくる。安岡はそれを受け取ると「バインド」をして送信機に「ダッシュ120」を登録した。
「あれ? プログラムデータはどうするんですか?」
中級の送信機とはいえ、中にはマイコンが入っていて、データが無い状態ではすぐに飛ばせない。
「大丈夫。 ほら!」
安岡は工具箱の中からSDカードの入ったプラスチックのケースを出してきた。
「この中に、僕の持っている飛行機のデーターをバックアップしてあるんだ。 ほら此れだ」
安岡はケースの中から一枚のSDカードを取り出し、博美の送信機に差し込んだ。スイッチを入れ博美のデータをバックアップして、その後SDカードから送信機にデータを転送した。
「これで動くはずだ」
言いながら「ダッシュ120」に手を伸ばし、受信機のスイッチを入れた。安岡がスティックを動かすと舵が滑らかに動き、右肩のスイッチを倒すと車輪が出てきた。
「しまったな、メガネを忘れた。 博美ちゃん、悪いけどここの寸法が書いてある通りになっているか見てくれるかい?」
スケールを持って安岡が補助翼や昇降舵に書いてある数字を指差した。
「はい……うん、ちゃんとなってます」
博美が寸法を測って、その場に書いてある数字と同じ事を確かめた。
「ありがとう。 これで飛ばせる」
「いいえ、お役に立ててよかったです」
篠宮が飛ばした後、笠井に断って安岡が「ダッシュ120」を離陸させた。デッドパスを何度か繰り返し舵のニュートラルを確かめると、最初の演技「ハーフ・クローバー・リーフ」を始める。普段、滅多に飛ばさない安岡だが元世界チャンピオンの腕は健在で、井上の演技が霞んでしまう様な綺麗な図形が空中に描かれた。
「……すご~い……」
安岡の演技を始めてみた博美は、ただただ見とれるばかりだ。
「博美ちゃん、おいで」
安岡が呼んでいる。
「なんでしょう?」
博美が首を傾げながら、安岡の横に向かった。
「どうだい、飛ばしてみないかい?」
横に来た博美に向かって、いきなりとんでもない事を言い出した。
「えーーーーーー! な・な・何を言うんですか! そんな……とんでもない!」
「君の送信機だ。 慣れてるだろ?」
「送信機はそうですけどー 飛行機は安岡さんのじゃないですか。 とてもそんな飛行機飛ばせませんよ!」
「大丈夫、大丈夫。 「アラジン」と同じだよ。 ほら!」
安岡は博美に送信機を渡すと
「僕はちょっとお手洗いに行くから」
さっさと離れていってしまった。
「(えーーーーーん。 どうしょう…… っと、あれ……意外と操縦しやすい……)」
いきなりの事で最初は慌てた博美だが、落ち着いてみると安岡の言う通り「ダッシュ120」は「アラジン」とよく似た操縦感覚の機体だった。それも当然で、どちらも安岡の設計で、調整も安岡、送信機は博美の物……と同じになる要因が揃っている。
「(でもネックストラップが無いと送信機が安定しないなー そうだ!)」
「康煕く~ん! ネックストラップとってー」
博美は後ろの何処かに居るはずの加藤に頼むことにした。
「ほらよ! 持って来たぞ」
さっそく加藤が博美のネックストラップを持ってきた。
「ありがとー 首に掛けてっ」
「はいはい……姫様、これで宜しいですか?」
加藤がネックストラップを博美の首に掛け、送信機をそれに付けた。
「姫様ってなに?」
「男を顎で使うなんて、まるでお姫様だろ?」
緊張が取れて、何時もの調子が戻ってきたようだ。
「それじゃね、F3Aしてみるから」
フルサイズのスタント機が飛ぶ位置より少し近い位置で博美は「ハーフ・クローバー・リーフ」を始めた。水平飛行から滑らかに引き起こされた「ダッシュ120」はフレームセンターラインの上を垂直に上昇する。フレーム上限ぎりぎりで逆宙返り(インバーテッド・ループ)をして中間高度で背面飛行。センターラインで横転再び逆宙返り(インバーテッド・ループ)。センターライン上を垂直に下りてくる。ゆっくり引き起こされた「ダッシュ120」は演技を開始した時と同じ高度で水平飛行に入った。
「おいおい……こりゃ魂消た! 安岡さん、今の演技に減点するところは無いんじゃないかい?」
真鍋が博美のフライトを見ながら尋ねる。
「有るよ。 インバーテッド・ループとループの半径が違う、ロールがセンターからずれている。 8点だな」
安岡も空を見上げたまま答えた。
「嘘だー あれで8点? それでいったら俺の演技なんて6点がいい所だろうが」
「ああ、選手権での決勝レベルの採点でな」
「そうかい。 所詮俺は決勝まで行けない人間さ……」
「まあそう言うな。 決勝に行く奴なんて、一握りの天才だけだ。 あの娘は天才だ!」
井上と小松は呆けた様な顔をして博美の演技を見ている。
「よお! 二人ともどうした?」
安岡が横にやって来た。
「博美ちゃん……凄い…… 俺、3年飛ばしてるのに、あっという間に追い抜かれた!」
小松がうわ言の様に繰り貸すがそれも仕方が無い、初めて2ヶ月の博美が自分より上手く飛ばすのだ、ショックを受けないほうが可笑しい。
「安岡さん、これはどういうことです? あの機体には何か秘密が?」
井上も訳が分からないようだ。
「井上君も知らなかったか? あの娘は天才だ」
「博美ちゃんが天才?」
井上はキョトンとしている。
「ああ。 初めて「アラジン」を飛ばしているのを見たときからもしかしたら? っと思っていたんだ。 あのとき僕がエルロンの調整をしたのを覚えているだろ。 その時にロールのしかたを見せたんだ。 見せただけだよ。 そしたらどうだ……直後から同じロールを始めたんだ。 僕が何十年と研究した飛び方だよ! 君たちは何度か見たことがあるはずだが、誰一人として出来ない。 しようともしない。 それを一回見ただけで出来てしまう。 これが天才でなくて、何が天才だ? きっとあの娘の脳内にはこれまで見てきた飛行機の飛ばし方が全て入っているだろう。 もちろん「妖精の秋本」の飛ばし方もね」
珍しく安岡が興奮している。
「そうなのか……俺はとんでもない娘を見つけたみたいですね。 空気の流れが見えるだけじゃなかったんだ」
井上がつい博美の秘密を漏らしてしまった。
「やっぱり……そうではないかと思ったんだが、当たりだったみたいだね。 それも無数の経験からきているんじゃないかな?」
いまさら博美の秘密を聞いても、安岡は驚きもしない。
「そこでだ。 ここからは僕の提案だが……あの娘を僕に預けてみないか? 世界チャンピオンに成れるかもしれない。 いや「かも」じゃなくて、必ずチャンピオンに成る。 そのための刺激を僕は与えられる。 考えてみてくれ」
安岡の言葉を聴いて、井上は眉間に皺を寄せた。
「正直、手放したくは無いですね。 しかし博美ちゃんの為には安岡さんの下で飛ばすのが良い。 それは分かりますが最後は彼女の判断でしょう。 予選が終わったら話してみます」
後ろで大変な話がされているのも知らず、博美は加藤と和気藹々フライトを続けていた。飛行場の皆を魅了しながら……
長らくラジコンにお付き合い、ありがとうございました。
次回からラジコンと少し離れます。




