合同練習4
最後の演技「フィギュアーZ」を井上のスタント機「ビーナス」が行っている。これは高い位置から下向けにZの字を描くもので、速度管理が重要だ。しかし井上たち上級者にとって、さして難しい演技ではない。演技の最後の宙返りが終わり水平飛行に移ったとたん、井上の纏っていた「氣」が消えていった。
「ふーーー……」「はーーー……」
井上が長いため息を吐き出し、一緒に博美も息を吐いた。
「よっし。 下ろすかな」
やっと井上が声を出す。
「井上さん、まだ時間まで6分ありますよ?」
15分の持ち時間が在るのに、まだ9分しか飛ばしていない。
「勿体無いですよ」
博美がそう思うのも仕方がない。
「いや、良いんだ。 本番通りに飛ばしたいからな。 残った時間は博美ちゃんが飛ばしなよ」
話しながらも飛行機を簡単に着陸させると、井上はエンジンを止める。早速加藤が飛行機を回収して駐機場に持ってくると整備スタンドに乗せた。
整備スタンドの上でカバーを外して整備を始めた井上の元に真鍋が近づいてきた。
「井上さん、良い飛びだったね。 なんか開眼したんかい?」
「いやー、何も変わっちゃいないぜ」
井上が惚ける……
「うそつけ! なあ、あの娘「妖精の娘」だろ。 なにかあるんだろ?」
「可愛い娘だろ。 手を出すなよ!」
「そんなことじゃない! 井上さん、なに隠してるんだ?」
「別に隠すことなんかないぜ」
「このやろー」
井上がのらりくらりと真鍋の追及をかわしていると
「ビーーーー」
井上のピットから小排気量のエンジンの音が響きだした。見ると博美が加藤を助手にして「アラジン」のエンジン調整をしている。
「おいおい。 あの穣ちゃん、飛ばすんかい?」
何時の間に来たのか、笠井が井上に聞いた。
「ああ、俺が進めた。 まだ俺の持ち時間中だから、問題ないでしょう?」
「若干「グレーゾーン」ではあるが、まあいいだろ」
安岡が答えた。安岡は博美のフライトが見てみたいのだ。
皆が興味津々見ている前で、博美は操縦ピットに立ち「アラジン」を離陸させた。
「おっ! 上手いじゃないか」
エンジン音こそ甲高いが滑らかに上昇し、フルサイズのスタント機と同じ「テイクオフ・シーケンス」を描くと、皆の前をデッドパスして行く「アラジン」を見て笠井が言った。フルサイズ機の60パーセント程度の大きさの「アラジン」はその分近くを飛ばなければならない。近くを飛ぶと、機体の揺れが良く見える筈だが、笠井にはそれが見えなかったのだ。
「うん、よく押さえ込んでますね」
篠宮も感心している。
「篠宮君、君にはそう見えるかい? 俺には揺れを予測して対処しているように見える。 ただなーそれだと破状することがある筈なんだ。 それが無いんだよ、不思議だ」
真鍋の分析はやはり一味違う。
「(ちっ! 真鍋さんは流石だ。 博美ちゃんの能力がばれるかも……)」
井上は博美にフライトを勧めたことをちょっと後悔していた。
後ろのざわめきを気にすることなく、博美は「アラジン」でつぎつぎ演技をこなしていく。もっともエンジンの小さい「アラジン」ではF3Aと言われる国際競技の演技は出来ない。日本のローカルルールである「アドバンス」という演技をしている。
「次はフォー・ポイント・ロール」
風上側のフレームで行う演技が終わるころ、加藤がメモを見ながら目の前で操縦している博美に言った。
「うん。 あー ちょうどサーマルが在る。 やだなー」
これから飛ぶコースを「ちらっ」と見て、博美が呟く。
「なんでおまえはサーマルが見えるんだろう?」
「おまえじゃないよ! ひ・ろ・み!」
「はいはい。 博美!」
「なーに、康煕君」
「君は天然だね?」
「天然って何?」
緊張感の欠片も無い二人だが「アラジン」は見事な「フォー・ポイント・ロール」をして風下側の次の演技に向かった。
「見たかね。 あのロールは8点付けられる」
安岡が篠宮に言っている。
「ええ、安岡さんが調整したんですよね。 よく似てる」
先回博美がこの飛行場に来たときに安岡が「アラジン」の調整をしたのだ。特に補助翼を調整したので、ロールが安岡のそれに似ている。
「あの時から更に上手くなってるね。 多分父親のフライトを小さいときから見ていたんだろう。 飛行機の飛ぶ図形が頭に入ってるんだろうね」
「英才教育ってやつですね……」
博美の「アラジン」はその場に居る「猛者」たちを尻目に、完璧に近い演技をして、滑走路の中央に綺麗に着陸を決めた。
「博美ちゃん、眞鍋さんや安岡さん達には気をつけなよ」
井上はそう言って、助手をする為に小松の後ろに向かった。博美は頷くと「アラジン」を裏返して胴体に付いた汚れの掃除を始める。
「秋本さん、上手だね。 正直、こんなに飛ばせるとは思って無かったよ」
篠宮が話しかけてきた。
「いえいえ。 お恥ずかしい限りです」
さっきの井上の言葉が心に残っていて、博美の声は少し警戒を表している。
「そんなに警戒しないでよ。 ねえ、良かったら僕の助手をしてくれなかな? 今回だけでいいから」
邪気の無い声で篠宮が言う。
「えーっと、井上さんに聞かないと……」
博美が困っていると、
「先輩! 博美ちゃんが困ってるから」
加藤が横から割り込んできて、そのまま篠宮の前に立つ。言葉使いは丁寧だが、背の高い加藤は居るだけで迫力がある。
「加藤君、僕は別に無理を言って困らせたいわけじゃないから。 まあ、考えといて」
篠宮は自分の飛行機の元へ戻っていった。
「康煕君! 先輩に対して失礼だよ」
博美は気にしているようだ。
「博美、井上さんが言っただろ。 気をつけないと、博美の能力がばれるぜ。 そうなったら次から次に助手を頼まれて、大変な事になる」
「う~ん。 これってそんなに特殊なことなのかな~」
博美は特に意識せずに流れが見える(感じられる)ので、そんなに特殊な事には思えない。
「はあーー ほんっと、おまえって「天然ボケ」だよな」
「ぼくは「ボケ」てないよっ! ふんっっだ!」
博美は頬を膨らせてそっぽを向いた。
井上と小松がフライトを終えて駐機場に帰ってくると、博美がふくれている。
「よお。 博美ちゃんどうしたんだい?」
井上が怪訝な顔で尋ねる。
「井上さん! 康煕君が酷いんですよ。 僕のこと「ボケ」てるって」
「ちゃんと聞けよ。 そんなこと言ってないだろ。 ただ「天然ボケ」だなーって言っただけだから」
「ほら「ボケ」って言ってるじゃない」
「まてまてまてまて!」
井上が二人を止める。
「博美ちゃん「天然ボケ」と「ボケ」は違うから」
「んっ? 違うの?」
「違う違う。 「天然」が付いたら、親愛の表現だから」
「康煕君、そうなの?」
博美に聞かれ、加藤が頷く。
「なんだー そうだったの♪」
とたんに博美が「にこにこ」「くねくね」し始めた。
「やだー 康煕君ったらー 親愛なんて♪」
言いながら博美は顔が真っ赤になっていた。
「井上さん、ありがとう。 誤魔化せたね……」
加藤が小さな声でお礼を言った。
二人が痴話喧嘩をしているうちに、篠宮が安岡を助手にして練習を始めていた。エンジンでなく電動モーターなので排気音が無い。なのに減速ベルトの音やプロペラの風切音で意外と騒音がある。
「思ったより静かじゃないんですね」
飛んでいるのに気が付いた博美が井上に聞いた。
「俺も初めて聞くんだが、確かに期待するほど静かじゃないな。 これならエンジンでも問題なさそうだ」
騒音が問題になってから随分たつ。サイレンサーが良くなった事、大き目のエンジンをゆっくり回す事、等によりスタント機の騒音は今では十分抑えられている。
「でも、降下時のブレーキは凄くないですか?」
「ああ、そうだな。 しかし、あれは諸刃の剣だぜ。 パワーの入ってない飛行機は風に弱いんだ。 降下が遅いって事は風に流される時間が長いってことだ。 結果的に大きな修正がいる」
「どうすれば良いんですか?」
「分からん。 「妖精の秋本」なら分かるだろうな……」
「そうですか……」
博美は光輝のフライトを思い出してみた。
「(お父さんはどんな風に操作してたんだろう。 修正してないのに飛行機が風に流されないんだよな。 教えてほしかったな)」
今となっては如何しようも無いことだ。
「(何時かは僕にも出来るときが来るかな? まあ、今は出来ることを頑張るだけだ)」
博美は、一先ずこの事は心の引き出しに仕舞っておくことにした。
「お昼にしませんか?」
眞鍋が二回目のフライトを追えた時に、博美が井上と加藤に声を掛けた。
「俺は誘ってくれないの?」
小松が恨みがましく聞いてくる。
「やだー 小松さんのこと忘れてた…… ごめんなさい?」
「博美ちゃん、酷い。 それになんで疑問形?」
「えへへ…… 気にしないで」
博美の中で小松の存在はどうなっているのか……
四人がけのピクニックテーブルの上に、博美の持ってきたお弁当が広げられた。
「すごっ! こんなに沢山、博美ちゃんが作ったの?」
小松が目を輝かせる。
「ほんと凄いな。 これ多すぎないか?」
大きな三段の御重に詰められたおかずは優に6人前はありそうだ。さらに御握りとなぜか味噌汁まである。
「朝早くから頑張りましたっ! さあ食べて食べて」
博美がパッドの入った胸をはる。小松と加藤がそれを見て赤くなった。
「悪い、俺は有るんだ」
井上が自分のお弁当を出してきた。
「うそー 井上さん、だれが作ったの。 あっ! あの看護師さんでしょう。 なんて言ったかな…… たしか桜井さん。 やだー 桜井さんの「愛妻弁当」だっ」
博美の声に飛行場に居る全員が井上を見る。
「ばか! まだ結婚してねえ」
「わー 「まだ」だって。 ねえ、いつ式をするの?」
「やめろやめろ。 今日はそんな事の為に来たんじゃない。 後で教えてやるから」
「ほんと。 絶対ですよ。 後で聞きますからね」
若くても女には敵わないと井上が思い知らされた瞬間だった……
「賑やかだねー 僕らもご一緒して良いかな?」
それぞれに椅子を持って、安岡と眞鍋に篠宮がやって来た。
「いいですよー いっぱい作ったんで、どうぞ食べてください」
博美はのん気なものだ。
「それじゃ遠慮なく」
三人が座ったので、ピクニックテーブルの周りに七人の輪が出来た。皆がそれぞれにおかずや御握りに手を伸ばす。
「美味しいねー 秋本さんって、お料理が得意なのかな?」
篠宮が聞いてくる。
「得意ってことはないですよ。 これも母に手伝ってもらったんです」
「でも流石女の子だよね。 これでスタントも上手いってんだから、世の中不公平だよな」
眞鍋がしみじみと言う。
「どちらも上手くなんかないですよ。 まだまだ練習しないと……」
謙遜ではない、本当に心から出た博美の言葉だった。




