加藤の家
初めて恋人の家族に会うときの緊張感は……
「さて、これから如何しようか?」
「なんか、気が削がれちゃったね」
とりあえず、さっきの場所から離れるように歩きながら、二人は相談していた。
「なんかなー 此処に居るのもつまらないし、別に行く所も無いし…… もういっその事、帰るか?」
「えー まだ早いよ。 もっと一緒に居たい」
「それじゃ家に来るか? 今ならお袋しか居ないはずだ」
「行って良いの?」
「ああ、博美が良ければ」
「行く行く。 わー どんなお家かな?」
「別に普通の家だよ」
「そうと決まれば、早く行こうよ」
博美は加藤の手を引いて走り出していた。
バスセンターの待合室は、朝の喧騒が嘘の様に閑散としていた。今の時間帯は、誰もがショッピングをしたりしているのだろう。
「博美。 そこじゃない。 7番乗車口だ」
「えっ、何時も此処で乗るよ?」
「俺の家に行くんだろ。 そっちのバスは俺の家を素通りするんだ」
「えー 知らなかった。 そんな違いがあるんだー」
加藤の家は高専の寮に自転車で行ける程度の所にある。毎週のようにバスで寮に帰っているので「寮に帰る方向だよ」と聞いた博美が何時も乗るバスに乗ろうとしたのも仕方のないことだし、バスに違いがある事を知らなかったのも仕方のないことだ。
「博美が何時も使うのは空港連絡バスだろ、あれは街を抜けるとノンストップだから」
「だってー 始めて行くんだもん、最初に言っておいてよ」
「悪い悪い」
頬を膨らせた博美の頭を撫ぜながら謝りつつ(ほんと今日は表情が良く変わるな)などと加藤は考えていた。
バスを降りた所は、周りには田植えをしたばかりの田圃が広がっていて、ぽつんぽつんと人家がある田舎道だった。
「ねえ、康煕君。 此処でいいの? 何にも無いよ……」
降りる乗客は自分たち二人しか居なく、また誰も乗ることも無くバスが行ってしまうと、不安げに加藤を見上げて博美が尋ねた。
「あんまり田舎なんでびっくりしただろ。 俺の家は、あそこに見える青い屋根の家だ」
加藤の指差す方を見ると、確かに青い屋根が見える。 しかしそこまでは有に300メートルはありそうだ。
「けっこう歩くんだね」
博美は自分の足を見ながら呟いた。履きなれてない靴を履いてきたため、少し前から足が痛くなってきていたのだ。
「うん? 足が痛いのか?」
「ううん。 平気平気!」
「無理すんな。 ほれ」
加藤が博美に背中を向けてしゃがんだ。
「いいよ。 なんとかなるから」
「ばか。 俺の家に着くときにおぶされているより、いま足を休めておいて家に入るときに歩けたほうがいいだろ」
博美は少し考えて、加藤の背中に乗った。
「そうだね。 おぶされてお邪魔するのは恥ずかしいね」
「そういうこと。 じゃ、しっかりつかまってろよ」
博美が首に手を回してつかまったのを感じると、加藤はゆっくり立ち上がった。とたんに加藤の顔が赤くなる。そうだ、例によって加藤の背中の二箇所に丸いものが当たっている。
「(これはやばい! 落ち着け、落ち着け、静まれ……)」
初めて会ったときは博美はまだ胸が膨らんでなく、ブラの中はパッドだけだった。あれからニケ月弱、お風呂でのマッサージのお陰か、順調に育ってパッドは大分薄くなっている。その分、加藤の感じる膨らみは、より刺激的になっていた。
「(なんか……ちょっと痛いかも……)」
博美も胸が押されるのを感じていた。
「(ちょっと離れていよ)」
首に回した手を離し、肩に置いて胸を背中から離した姿勢に変えた。
「(これなら良いかな)」
「(助かったー これなら大丈夫だ)」
「「ほっ」」
二人は同時に安堵のため息をついた……
「さあ、着いたぜ。 ここで降りるか?」
「うん、ここで良いよ」
加藤は門の前で博美を下ろした。
「うん……普通のお家だ……」
周りに田圃が広がっている割には、加藤の家は農家ではなくて、ごく普通の家だった。
「俺んちは農家じゃ無いからな」
「ねえ、御父さんの仕事って何?」
「貨物船の船員をしてる。 だから一ヶ月のうち一週間位しか家に居ないんだ」
「そうなんだ。 寂しいね」
「小さいころは寂しかったけどな、今じゃ居ない方が煩くなくていいかも」
「そんな事言っちゃ駄目だよ……」
話している博美の声がだんだん小さくなった。
「っつ…… 悪い。 そうだったな……」
「いいよ、それぞれの家にそれぞれの事情があるんだから」
「…………」
「康煕! 帰ってきたならさっさと入っておいで」
二人が黙ってしまったとき、突然元気な声が飛んできた。
「お袋! ビックリするじゃないか」
見ると加藤の母親の麻紀が玄関を開けて出てくるところだった。
「あら~ ひょっとして秋本さん? 珍しいわねー 康煕が女の子を連れてくるなんて」
「あ! 始めまして、同級生の秋本博美です。加藤君には何時も御世話になっています」
ハイテンションな麻紀のお陰で、さっきのどんよりした空気が吹き飛ばされ、博美は「ほっ」として挨拶をした。
「まあ、いい子ねー しっかり挨拶も出来て。 康煕の母の麻紀です。 でもね、康煕が御世話するはずが無いじゃない。 康煕が何時も御世話になってるでしょ。 ありがとう」
「お袋! なんでそこまで息子を落とすんだよー」
「あたりまえでしょ。 こんな綺麗な女の子、あんたが御世話出来るわけ無いでしょうが」
「もういいよ。 ところでいい加減家に入りたいんだが」
「あら! ごめんなさい。 さあさあ秋本さん、入ってくださいな」
通された居間で、博美は一人緊張してソファーに座っていた。食堂とワンフロアーになっていて、その向こう側には麻紀が今、紅茶を用意していているのが見えている対面式のキッチンがある。加藤は「着替えるから」と部屋に行ってしまった。
「(うー 緊張するー なんかおしっこにも行きたくなってきたし……)」
「さあ、紅茶が入ったわ」
麻紀が三人分の紅茶とクッキーをトレーに乗せて来て、テーブルに並べた。トレーを台所に戻して、博美の前に座ると博美を「うっとり」と見つめる。
「あの…… な……何でしょう?」
あんまり見つめられるので「どぎまぎ」して博美が尋ねる。
「可愛いわー 写真で見たよりずっと綺麗」
「え・え・え…… えーと…… そんなー 恥ずかしいです」
面と向かって言われ、真っ赤になって顔を伏せてしまった。
「まあ、ウブなのねー 康煕にはもったいないわ」
「い・い…… いいえ、康煕さんには私、頼ってばかりで…… すごく感謝してます」
「ほんとう? あの子ったら、全然回りに女の子の影が無かったのよ。 女なのは妹と私だけだったんだから。 女性を助けるなんて、信じられないわ」
「お袋! さっきから、なんでそんなに息子の評価を落とすんだよ?」
何時の間にか居間に加藤が来ていた。
「あら、こんな可愛い子と鬱陶しい息子を比べたら、当然のことでしょ」
「あのなー 確かに博美は可愛い。 それは認める。 だからと言って、俺を下げる必要はないだろ」
「あー 鬱陶しい…… いい加減に諦めてお茶でも飲みなさい。 って今、名前を呼び捨てにしたわね」
「えっ…… そうか?」
「あのー 実は今日、私からお付き合いをお願いしたんです」
二人のテンションに付いて行けなかった博美だったが、やっと此処で会話に入れた。
「 えっ…… そうなの?」
流石は親子。驚いたときの台詞はまったく同じだった。
「それで、この子はなんと返事したのかしら?」
「お付き合いしていただけるって」
赤くなりながら博美が答える。
「きゃーーー 康煕、よく言った。 うれしー こんな可愛い娘が出来るなんて」
「なに言ってんだよ! まだ結婚するって訳じゃないだろ」
「康煕、絶対逃がすんじゃないよ。 大事に大事に、大事にしなさいよ」
「「…………」」
博美と加藤は何にも言えず、顔を見合わせた。
「ねえ、重くない?」
「全然。 博美は軽いもんな」
後ろに博美を乗せて加藤が自転車を漕いでいる。
「康煕君のお母さんって、楽しい人だね」
「なんか、悪かったな。 あんなに暴走するなんて、俺も始めて見た」
あの後、暴走した麻紀が「キスはしたの」「結納は何時がいい」「さっさと既成事実を作れ」など、保護者とは思えない発言をして二人を「ドン引き」させたり、加藤が小さいころに「肥溜めに落ちた」だの「自転車でぶつかって気を失った」だの「父親の船から落ちて溺れた」だの、失敗談をぶちまけたりしたのだ。
「でも、嫌われるよりズット良いよ」
「ああ、その点は俺もホッとしてる。 麻由美も博美のことを気に入っていたし、良かった」
加藤の自転車は両側に田圃の広がる、車が一台通れる程度の道を高専の寮に向かっている。
「ねえ、あれって何?」
田圃の中に蒲鉾を上から潰したようなコンクリートで出来た物が有る。中に稲藁や農機具が入っているので農家の倉庫にも見えるが、それにしては頑丈すぎるようだ。
「ああ、あれは掩体壕と言うんだ。 飛行機を爆撃から守る物で、戦争中に作ったんだって」
「えー! 戦争が終わって60年も経ってるのに。 なんでそのままなの?」
「あんまり丈夫なんで壊せないんだとさ。 農家の人も困っているらしいぜ」
「そうなんだー これも負の遺産かな」
「まあ、そんなもんだな」
「(あーあ。 もうすぐ寮だ…… もっと一緒に居たいのになー)」
楽しかった今日を思い、もうすぐそれが終わるのを残念に思う博美だった。
加藤の失敗談は私の経験からです。
高知ではゴールデンウイーク前に田植えは終わっています。




