元世界チャンピオン
飛行機の調整は奥が深い。
博美は加藤と一緒に井上の「ビーナス」の組み立てを手伝っている。博美の「アラジン」は既に組み立てられて横に置いてあり、何時でも飛ばせる状態だ。
「あれ! また車が来る」
凄い勢いで走ってくる車に加藤が気が付いた。ドイツ製の高級車だと思われるその車は、河川敷の砂利道をかなりのスピードで走ってくると、飛行場の入り口で急減速して、ゆっくりと駐車する場所に来た。
「おはようございます」
見ると、クラブ員が近寄って挨拶をしている。
「井上さん、誰ですかね? やくざ?」
加藤が不安げに尋ねるが、井上はチラッと見ると
「ああ、安岡さんだ。 あの人の飛行場だからな、挨拶に行っとこう。 博美ちゃんも一緒においで」
特に緊張もしてない風に二人を誘った。
小松も含めて4人がさっきの高級車から降りてきた初老の紳士の元に歩いていく。
「「「「おはようございます」」」」
4人が揃って挨拶をすると
「おはよう。 よう、井上君。 今年は出られるそうだね。 君が出ると、うちのクラブ員が一人落ちるからね、問題だな」
冗談のような、本気のような言葉が返ってきた。
「安岡さん、冗談はよして下さいよ。 ブランクがありますから、簡単じゃないです」
「君なら大丈夫さ。 未だ若い。 まだまだ伸び代が在るはずだ。 ところで彼らは?」
「うちのクラブの若手で、小松くん、加藤君、秋本さんです。 場慣れしてもらうため、連れてきました」
「小松です。 予選にエントリーしました。 よろしくお願いします」
「加藤です。 井上さんにホルダーを頼まれました」
「秋本です。 井上さんの助手をします。 よろしくお願いします」
3人がそれぞれ挨拶をする。
「安岡です。 此方こそお願いします。 皆さん若いねー うん、そんなころから始めると伸びるよ。 問題は飛行機が高くてなかなか買えない事だがね」
「博美ちゃんは親父さんの飛行機が使えるから、その問題は無いね」
小松が「ぽろっ」と洩らしてしまった。
「秋本で、飛行機と言えば「妖精の秋本」か。 君は関係が在るのかい?」
博美の父、光輝は有名すぎたようだ。
「はい、それは父です」
ここは正直に答えるしかない。
「そうか、彼は惜しいことをしたね。 世界チャンピオンも夢じゃ無かったのに。 それで飛行機は残してあるんだね? それは素晴らしい。 チャンスがあれば飛ばしてみたいものだ」
やはり光輝の飛行機には誰もが興味が在るようだ。
小松が井上を助手に練習をしているのを博美と加藤がその後ろに並んで見ている。特に博美は助手の役目を井上から聞いているのだ。
「次は、ストールターン、上りクオーターロール、下りもクオーターロール」
井上が次の演技を小松に伝える。
「機首を右に。 少し向こうに倒せ」
機体の姿勢の微調整を指示する。
「風が左前だ。 左にターンしろ」
演技の方向を教える。
「しっかり垂直を出せ。 粘れ。 よし水平に戻せ。 次はスリー・クオーターポイントロール・コンビネーションズ」
助手の役目は重要だ。
「博美ちゃん、大体は分かったかい?」
小松のフライトが終わって、井上が聞いた。
「なんか、大変ですね。 パイロットより大変そうです」
「最初から全部は無理だから、先ずは次の演技を教えてくれ。 後は自分でやる」
「はい。 演技は覚えてきました」
「OK、OK。 ところで、風は見えるかい? 変な風は吹いてないかな?」
言われて博美は、改めて空を見渡した。
「右側は安定して吹いてます。 左側は少しウェーブがあって、さらに左前150メートル当たりにサーマルが立ち上がってます。 あれ、千切れたらこっちまで来ますね」
「分かった。 サーマルが来たら教えてくれ」
「次は、キューバンエイト・インテグレーテッドロール」
「よし」
博美の助手で、井上が飛ばしている。流石は日本選手権に出場出来るだけの腕前だ、姿勢の微調整がほとんど無いので(実際は見せないのだが)、非常にスムースに見える。
「井上さん、サーマルが飛んできます。 かなり強いですよ」
さっきのサーマルがフライトエリアにやって来るのに博美が気が付いた。
「よし、分かった。 どのタイミングでぶつかる?」
「2回目の宙返りです」
「っつ……」
宙返り中にサーマルにぶつかり、大きく姿勢を崩した機体を井上がなんとか元に戻す。
「うーん。 難しいなー 機体の動きが予測できない」
サーマルに当たる事が分かっていても、それが見えない井上はどんな影響があるのかが予測できないのだ。これでは博美に教えてもらってもしょうがない。
「予測される機体の動きも言いましょうか?」
「そうだな。 もし出来るなら、言ってみてくれ」
しかし、その後は気流の乱れが無くなり、そのまま最後まで演技をすることになった。
博美が「アラジン」を離陸させた。今日も調子よく飛んでいる。
「おや、アラジンだね。 嬉しいね、それは僕の設計なんだ」
操縦している博美の横に安岡が来た。「アラジン」は彼が10年前に設計した飛行機で、未だに売っているロングセラーの飛行機だ。
「そうだったんですか。 すごく飛ばしやすいですよね」
「ああ、初級機を卒業したパイロットが次に飛ばす飛行機として設計したんだ。 かなりテスト飛行をしたよ」
「アラジン」は安定性が有りながら、十分な運動性も持った飛行機で、簡単なスタントも可能だ。
「ちょっと貸してもらえるかい?」
「はい、いいです」
安岡が博美の「アラジン」の操縦を始めると、途端に飛び方が変わる。真直ぐ飛ぶのだ。博美も決して下手ではなく、飛行機を真直ぐ飛ばすのだが、安岡が操縦するとレールの上を走るように、上下左右更には飛行機の傾きすらも全く揺らぎが無い。
「…………」
博美は呆気に取られて、声も出ない。
「うん、上手く出来ている」
安岡は水平ロールを始めた。
「ちょっと調整しようか」
送信機のディスプレイを調整画面に切り替えると、安岡は左右のエルロンの動きを微調整した。
「こんなもんかな」
安岡が連続ロールをさせると「アラジン」はまるで回転しながら飛んでいく物体のように、回っていることが当たり前のように、回りながら何処までも水平に飛んでいく。そしてなんと、回りながら旋回して帰ってきた。
「さあ、飛ばしてごらん」
送信機を渡された博美は、水平ロールをしてみた。
「えっ! なんで回ってる最中に機首が下を向かないの?」
「どうだい、飛ばしやすくなっただろ。 飛行機ってのは、調整しだいで飛ばしやすかったり、飛ばしにくかったりするんだよ」
「よく分かりました。 凄いですね!」
「きみはとても「スジ」が良い。 これからもここに飛ばしにおいで。 歓迎するよ」
安岡は博美が気に入ったようだ。
博美たちはその日、夕方まで練習を続けた。
「うう~ん、疲れたなー 流石に6回も集中して練習すると疲れる……」
レガシィを運転しながら井上が肩を回した。
「小松さんも「ぐったり」してましたよ。 最後はいつもの冗談が出なくなってたもの」
助手席で博美が思い出しながら言った。
「疲れたまま運転するのも危険だ。 ちょっと休もう」
井上が喫茶店にレガシィを止めた。後ろを走っていた小松も駐車場に入ってくる。
「どうしました。 博美ちゃんトイレかな?」
小松の車の助手席から出てきた加藤が言う。
「違うわよ! 変なこと大声で言わないで」
博美が睨みつけるが、
「冗談だよ」
加藤は平然として店に入っていった。
大会のために長距離の運転をするので、わりと良い車に乗っている人が多いです。
飛行場に限らず、あいさつは大事ですね。
ほんと、パイロットにより飛び方は変わります。なれると誰が飛ばしているか判ってしまうので、替え玉は無理ですね。
アクロバットはけっこう疲れます。集中力が続くのは4回目ぐらいまでですね。




