怒ってなんかねえよ
やっと飛行機が出てきた。
「お兄ちゃん、何時まで寝てんの! 今日は遠くまで行くんでしょ?」
女の子がノックもせずに入って来て、ベッドで寝ている加藤を揺する。
「う・ああ、麻由美か。 今何時だ?」
うっすらと目を明け、加藤が横を向いたまま聞いた。
「7時だよ。 秋本さんを待たせたら悪いでしょ」
「ん! 今日は小松さんと行くんだぜ」
「うそー お兄ちゃん、夕べ楽しそうに秋本さんにメールしてたじゃない」
「なんで知ってるんだ!」
「えへへ……これ見ちゃった」
麻由美は加藤のスマホを持っていた。
「ばか! 返せ」
「えーと {もう直ぐ寝るよ。 明日は小松さんが乗せて行ってくれる。 それじゃおやすみ} か、ちょっと素っ気無さ過ぎない?」
「返せって!」
スマホを持ったまま麻由美は部屋を出て行く。
「秋本さんからの返信が {良かった。 おやすみ} だって。 「おやすみメール」って、なんか恋人同士みたいだね」
「えー 誰が恋人同士だって?」
メールを読みながら麻由美はダイニングまで来ていた。母親の麻紀が耳聡く聞いてくる。
「秋本さんよ。 すっごい美人なんだ。 お兄ちゃんには勿体無いね。 妹の光ちゃんも可愛かったー」
「康煕が時々話す同級生の子? 麻由美は会ったんだっけ」
「うん。 先週ショッピングセンターで会ったよ。 モデルさんかと思っちゃった」
「スマホ返せよ!」
加藤が顔を洗ってダイニングに来た。麻由美はまだスマホを弄っている。
「ちょっと待って。 秋本さんの写真が無いか探しているから」
「ばか! やめろー」
加藤がスマホを取り上げようと手を伸ばすが、麻由美は素早く体を回してそれをかわす。
「あったー やだ! お兄ちゃん。 こんなの持ってるの」
出てきた写真は、学校で広まったショッピングセンターでの博美の写真だった。それを麻紀に見せる。
「あらー 可愛い子ねー すごいすごい。 ほんとにモデルじゃないの?」
「本物の秋本さんだよ。 でもお兄ちゃん、何時の間にこんな写真撮ったの? 隠し撮りなんかしてー 嫌らしいんだー」
「俺が撮ったんじゃないよ。 誰かが撮った写真が学校中に広まったんだ」
「でもさー そんな写真をもらう?」
「皆に合わせておかないと、変に勘ぐられるだろ。 仕方が無いじゃないか」
「へー お兄ちゃん、写真欲しくは無かったのかなー」
「いや……別に……まあ、持ってても良いかなって……あーもー 返せ!」
やっと加藤はスマホを取り返した。
小松の車の助手席で、加藤は飛行場に向かっている。エンジン機を持っていないので、今日は手ぶらだ。
「小松さん。 今日行く飛行場って、どんな所なんです?」
「街にあるヤスオカ模型って店知ってるだろ。 そこに事務所があるんだ」
「ヤスオカって、あの元世界チャンピオンの安岡?」
「そうそう。 元を辿れば、その安岡さんが自身の練習のために作った飛行場らしい」
「ひょっとして、安岡さんに会えますか?」
「それは分からない。 でも、話によるとけっこう頻繁に来るらしいから会えるかもな」
空の上の人に会えるかもしれない、その事に加藤は、今日は飛ばせないけど良いや、と思えた。
河川敷を走って、小松の車が飛行場にやって来た。河川敷に作られた飛行場は、加藤がいつも行く飛行場より大きく草が刈り込まれていて、その真ん中に幅15メートル長さ80メートルのアスファルト舗装の滑走路があった。競技のためのラインもペンキで描かれていて、一々石灰で描く必要が無い。
「凄い、こんな良い環境で飛ばすんですね」
加藤が呆れたように言う。
「ほんと、良いよな。 いっその事、ここに入れてもらうか?」
「遠すぎて、俺は来れないですよ」
「そうだな。 やっぱり車を買ってからだな」
小松は駐機場の奥に並んでいる車に合わせて自分の車を止めた。車から出ると、近くに来たクラブ員と思われる人に声をかける。
「おはよう御座います。 今日、お願いしていた小松と言います。 よろしくお願いします」
「おはよう。 話は安岡さんから聞いてるよ。 どうぞどうぞ、練習してください」
「有難う御座います」
小松はさっそく飛行機を車から出して組み立てを始めた。加藤はそれの手伝いをしながら、回りを見渡す。
「井上さんは未だ来てないみたいですね」
「そうだな。 あっちの方は少し遠いし、街中を通るので時間が掛かっているんだろう」
機体を組み立てる手を休めて、小松も周りを見渡して答えた。
小松が機体を組み立て終わり、クラブ員たちのフライトを眺めていると、河川敷を走ってくるレガシィが見えた。
「あれ、井上さんじゃないですか?」
加藤も気が付いたようで、井上に尋ねてきた。心持顔が輝いているようだ。
「ああ。 井上さんだな」
二人が話しているうちに、井上のレガシィは飛行場に入ってきて、小松の車の横に止まった。助手席では博美が、まだ遠いうちから手を振っていた。
「加藤君、おはよう」
車が止まるや否や、博美が降りてきて加藤の側に走ってきた。ジーンズにTシャツという、何時ものラフな格好だが、加藤は自分に向ける笑顔が眩しくて
「おー おはよう」
つい目を逸らしてしまう。
「んっ! 加藤君どうしたの? 遅れたのは僕の所為じゃ無いからね」
博美は加藤が目を逸らしたのを、怒っていると勘違いしたようだ。
「別に怒ってなんかねえよ」
「変な加藤君」
「おーい。 博美ちゃん。 飛行機を出してくれ」
井上が呼んだ。博美の飛行機を出さないと、井上の飛行機も出せないのだ。
「はーい。 今行きます」
博美は井上のところに走っていった。
「おい、加藤君。 おまえ博美ちゃんのこと好きか?」
走り去っていく博美を眺めている加藤の側に突然小松が来て、わき腹を突きながら尋ねる。
「えっ! 小松さん、急に何を言い出すんですか」
「誤魔化しても駄目だよ。 挙動不審なその態度ですぐ分かるさ」
「小松さん。 大声で言わないでくださいよ」
図星を指されて、加藤は赤くなってしまった。
妹には勝てません。
演技は左右60度以内の空域で行わなければならないので、その為のエンドラインとセンターラインが必要です。




