井上の願い
起こすときはちゃんと起きるまで見てないといけません。
日曜日、博美は久しぶりにゆっくりと起きてきた。キッチンに行くと、明美が朝食の用意をしている。
「おかあさん、おはよう」
「おはよう。 のんびりしてたわね。 顔を洗ってきなさい。 すぐに出来るわよ」
「はーい」
洗面に行って鏡を見ると、焼けたのか顔が赤い。簡単に水で顔を洗うとキッチンに戻ってきた。
「おかあさん、なんか焼けたみたいなんだけど、これどうすれば良いのかな?」
「そう、ちょっと見せて」
明美が顔を覗きこんだ。
「ちょっと焼けたようね。 今度からは日焼け止めを塗らなくちゃ。 今日は、そうねー……お母さんの乳液でも付けておく?」
「いいよ。 食べてからでいいよね」
出来上がった朝食がテーブルに並べられる。
「あれ、光は?」
3人分の朝食が並んだのを見て、博美は気が付いた。
「まだ寝てるのよ。 博美、起こしてきて」
「ひかりー ご飯できたよー」
光の部屋の前で大声で呼ぶが、起きてくる気配が無い。博美はドアを開けて中に入った。見ると光はベッドの上で毛布に包まって丸くなっている。
「おきろー!」
ベッドの脇に立って大声を出すが、まったく起きる様子も無い。しかたなく肩を揺すって、
「おきろ、おきろ……」
何度か繰り返すと、やっと目を開けた。
「あれ、おねえちゃん。 なんか用?」
寝ぼけたような事を言う。
「なんか用、じゃないよ。 朝ごはん。 もう出来てるよ」
「ふあ~ ああ~ 分かった。 おきるおきる」
やっと起き上がった。
「それじゃ、先に行っとくから。 顔を洗っておいでよ」
博美はそう言って、出て行った。
「…………」
光は座ったまま寝てるようだ……
「信じられない!」
冷めてしまった目玉焼きを食べている光の前の席に座った博美が呆れている。
「あれだけ言ったのに、起きてきたのが10時だなんて」
「…………」
うつむいた光が何も言わず上目遣いで博美を見ている。
「あんた、何時に寝たの?」
「1時……」
「一時ー! そりゃ起きれないわ。 何してたの?」
「友達とメールとか……」
「はああ~ バッカみたい」
「おねえちゃん、バカとはなによ、バカとは!」
「だってそうじゃない。 遅くまで起きてて、寝坊して。 体に悪いだけよ!」
「まあまあ、博美。 そのくらいにしておきなさい。 光も反省してるわよ、ねっ」
「はーい。 反省してマース」
「ほんとにしてるのやら……」
三人はショッピングセンターのフードコートに来ている。光の寝坊により、午前中に買い物を終わらせるつもりが、結局午後まで掛かってしまいそうだ。
「もう、さっきから謝ってるでしょ」
二人から嫌味を言われて、光は「きれ」てしまっていた。
「ほんっとに…… まあ良いわ、過ぎたことは諦めましょ」
明美は諦めたようだ。
「おーい。 博美ちゃん」
何処からか大声で呼ぶ声がする。博美がきょろきょろ見渡していると、井上がやって来るのが見えた。
「丁度良かった。 頼みたいことが有ってな」
すぐそばまで来て、話し始める。
「あ、どうも、こんにちは」
やっと明美がいるのに気が付いたようだ。
「こんにちは。 井上さん、随分慌てて、どうしたんですか?」
「いや、今はあんまり時間が無くて……」
「で、博美ちゃんに頼みというのは、今度の選手権予選のときに助手をお願いしたいんだ」
「いきなり何ですか? 選手権予選の助手なんて…… って、井上さん、出られることになったんですか?」
「おお、今年はうまいことシフトの間に日程が入っているんだ。 という訳で、お願いできないか?」
「うーん。 助手なんてやったこと無いんで、ホルダーなら……」
「いや、博美ちゃんはホルダーは無理だ。 それは加藤君に頼んだ」
「えー、どうして?」
「言いにくいことなんだが、博美ちゃんの体格じゃフルサイズのスタント機を扱うのは無理がある」
体の事を言われて「むっ」として、博美は井上を睨んだ。
「そんなに睨むなよ。 こればかりは仕方が無いじゃないか。 それに、博美ちゃんは空気の流れが見えるだろ。 それを生かしてくれないか」
「そんなこと、言ったこと無いですよね?」
「グライダーのフライトを見てれば分かるよ」
博美は助けを求めて明美を見た。光はしらんぷりしている。
「ねえ、井上さん。 今すぐ返事がいるの?」
明美が助け舟を出した。
「申し込みが今週中なんです。 そのときに助手も登録しなければいけないんですよ」
「それじゃ、あと何日かありますね。 博美にも考える時間をください」
明美の言葉はもっともだ。
「そうですね。 分かりました。 でも出来るだけ早く返事をしてくれるかい。 駄目だったとき、別の人を探す必要があるから。 でもできれば博美ちゃんにお願いしたい。 今年はチャンスなんだ」
珍しく井上が必死になっている。
「井上さーん。 何してるの。 映画始まっちゃうよー」
突然、フードコートの入り口で声がした。
「おー、分かった。 それじゃ、失礼します。 博美ちゃんよろしく」
井上は声のした方へ走っていった。
「はー、何なの…… ほんっと井上さんって、勝手だね!」
博美が「ほっ」として言った。
「ねえねえ、井上さんを呼んだの、あの看護婦さんだったよ」
光がどうやって見たのか分からないが言い切った。
「ひょっとして、桜井さん?」
「そうそう、やっぱり二人は付き合ってたね」
「そう言えば、井上さん、好きな人がいるって言ってた」
「きっとそれが桜井さんだよ」
色々とあったが、午後から買い物(博美の物が多かった)をして、家に帰ってからでは寮に戻るのが遅くなるからと、明美の車で博美は寮に戻ってきた。
「へー、ここが高専の寮かー」
始めてきた光が興味深そうに辺りを見渡している。
「僕の部屋も見る?」
博美が尋ねる。
「うん、見る見る」
当然のように答えると、勝手に階段を上がっていこうとした。
「駄目だよ、届けを書かなくちゃ」
博美は光を捕まえて、訪問届けにサインをした。
「205号室だよ」
博美を先頭に明美と光が2階へ上り、廊下を歩いている。
「ここだよ。 ただいまー」
博美がドアを開けた。見ると、やっぱり裕子がベッドでコミックを読んでいる。
「裕子ちゃん、うちの家族だよ。 見学に来ちゃった」
それを聞いて裕子は飛び上がってコミックを本棚に戻すと
「博美ちゃんのお母さん、こんにちは。 お久しぶりです」
ぺこりとお辞儀をした。
「永山さん、こんにちは。 博美が迷惑かけてない?」
「全然、私のほうが頼ってるぐらいで……」
「こんにちは、妹の光です」
光も挨拶をする。
「こんにちは、永山裕子です。 お姉さんにはお世話になってます」
「もう、みんな堅苦しいよ。 普通にしよう」
博美がこの変な空気を変えようと声を掛けた。
「永山さんって、いい人だね」
明美の車で帰りながら、光がさっきの部屋での事を思い出して言った。
「そうね、博美と上手くやっていけそうで良かったわ」
寮での生活を少しだけ見られて、安心した明美だった。
フルサイズのスタント機は縦横2メートル、乾燥重量5Kg以下の制限があります。
当然ぎりぎりで出来ています。




