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空の妖精  作者: 道豚
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接戦


「(……あ、あんなに集中できるものなのか?……)」

 演技後、操縦ポイントから一歩も動けず加藤に抱き上げられた博美を、本田はエンジン始動ピットの前でスターターを握ったまま見ていた。

「(……しかし……軽そうだな……)」

 若干ざわつくギャラリーの間を抜けて、軽々と博美を抱っこした加藤がピットに帰っていく。

「(……こう……何と言うか、良い匂いがして……柔らかいんだろうか?……)」

 思春期の前から……本田が大会に始めて出たのは小学生だった……曲技飛行エアロバティックに打ち込んでいた本田は、いまだ女性と付き合った事が無かった。触った事など、ましてや抱き上げた事などあろう筈がない。

「……おい! 何やってんだ」

 博美の姿を追って視線を回す本多に、不意に助手の遠藤の声が聞こえてきた。

「えっ! ……あ、ああ……すみません」

 つい空想の世界に飛び立っていたようで、目の前にある「アスリートBP」の後ろで遠藤が睨んでいる。

「……ったく……ちょっと可笑しいぞ。 いつもの集中はどうしたんだ? そんなに妖精が気になるか?」

 これから出番なのだ、本田といえど集中が切れていればミスも多くなるだろう。

「ええっと……気にはなりますね」

「そうだろうな。 あんなに可愛いんだし、水着姿も見たからな」

 しかし言葉で「集中しろ、集中しろ」と言っても出来る物ではない。

 遠藤は一旦集中を抜けるだけ抜こうと考え、雑談を挟む事にした。

「いや! 遠藤さん。 気になるってのはそう言う事じゃなくて……」

「分かってるって。 お前もそう言うことに興味が出てきたって訳だ。 今だって、手をこう……抱き上げるようにしてたもんな」

 遠藤が両手を胸の前に差し出して見せる。

「だけどな。 妖精は助手をしているあの男と付き合ってるんだ。 諦めたほうがいいぜ」

「だ・か・ら・ そういうんじゃ無いんですって」

「言うないうな。 さあ、始めようぜ」

 遠藤が本田の後ろに回り、「アスリートBP」をホルダー役のクラブ員が支えた。

「(……ちぇ! そんなんじゃ無いのに……)」

 何時までもタイムキーパーを待たせる訳には行かない。

 本田は「アスリートBP」の前にしゃがみ、点火スイッチを入れると改めてスターターを持った。




 エンジンの掛かった「アスリートBP」をホルダーが滑走路に運び、本田はその間に操縦ポイントに向かって歩いていく。

「うおー! これって満点じゃないんか!」

 本部テントの方から叫び声が聞こえてきて、本田の肩が「ぴくっ」とした。

「(……ちっ!……こんな時に……)」

 後ろを歩いている遠藤は、マナーの悪いギャラリーに顔を顰める。

「気にするな。 満点なんてそんなに出るもんじゃないんだ。 何時ものフライトをすればお前の方が上に行くはずだ」

「……分かってます……(……そうだ……俺は出来る。 妖精には負けない……)」

 口を一文字に結び、本田は操縦ポイントで滑走路に向き送信機を構えた。




 離陸をした「アスリートBP」がデッドパスをする。

「……真っ直ぐ飛ぶなー……」

「……見やすい距離だぜ……」

「……妖精ちゃんもそうだったが、ゆっくり飛ぶよなー……」

     ・

     ・

     ・

「(……硬い……緊張してるんか?……)」

 後ろで見ているギャラリー達は分からないようだが、遠藤は本田のフライトに何時もと違う雰囲気を感じた。

「気負い過ぎるなよ。 平常心だ」

「……はい……」

 遠藤の掛ける声に返事をして、本田は「アスリートBP」を大きく宙返りをさせた。

 頂点で1/2ロールをして高い高度でセンターに向かってくる。

「……本田はインメルマンターンか……」

「……結局最初にロールするターンをしたのは妖精だけだったな……」

「……妖精の方法が理に適っているけどな……」

     ・

     ・

     ・

 博美のターンを見た後では、インメルマンターンをする本田は凡庸なフライヤーに見えてしまう。

「(……くそっ! こんな所で評価を下げるなんて……)」

 ギャラリーの声が聞こえた遠藤が心の中で歯軋りをした。

「(……妖精のフライトを見てなかった本田に教えるべきだったか……)」

 悔やんでも後の祭りである。

 「アスリートBP」は演技を開始するセンターに近づいていた。




「(……俺は出来る。 妖精には負けない……俺は出来る。 妖精には負けない……)」

 風下サイドで大きくインメルマンターンした「アスリートBP」のコースを調整しながら、本田は心の中で繰り返していた。

「センター!」

「(……妖精には負けない……んっ!……)」

 いつの間にかセンターまで来ていた様だ。後ろからの声に本田は繰り返していた言葉を止め、改めて集中してエレベータースティックを押した。

 本田の操作に答え「アスリートBP」は機首を下げ、インバーテッドループを始める。

 機首が下を向く事に合わせスロットルを絞ると、ブレーキが掛かったように速度を落とす。

 成田が設計し、ナリタ模型が製造販売する「アスリート」シリーズのスタント機はパイロットの操作に忠実なフライトをする事で有名だ。

 つまり、上手く操縦すれば素晴らしく、下手な事をすると酷い演技になる。

「(……上手く行ってる……だいじに大事に……)」

 「アスリートBP」は綺麗な円を描いて高度を下げてきた。

「おい! 半径が大きい。 下がりすぎるぜ」

 エレベーターとスロットルのスティック操作に気を取られていた本田に後ろから声が掛かった。

 言ったのは当然、今唯一本田にアドバイス出来る助手の遠藤だ。

「(……えっ! くっ……まずい……)」

 言われて、本田は改めて演技全体が見えるようになった。

 さっきまでは慎重に飛ばそうとして機体のみに意識が向いていたのだ。本田はやむを得ず、エレベータースティックを押している量を増やした。

「ばか! いきなり半径を変えるな……っとロール、ナウ」

 後ろで遠藤が慌てている。

「(……そ、そうだ……こんな操作じゃ減点だ……)」

 こんな荒い操作では審査員は見逃してはくれないだろう。

「(……くそっ! ロールが遅れる……)」

 「ばたばた」しているうちに「アスリートBP」は最下点に迫っている。

 仕方なく本田は回転速度を普段より早くして、どうやらロールのセンターとフィールドのセンターを合わせた。

 YU185cdiのパワーに引かれ「アスリートBP」はインバーテッドループの後半を登っていく。

 しかし、ここで困った事に本田は気が付いた。

 前半の途中でループ半径を変えてしまったため、今飛んでいる後半の半径の基準が無くなってしまったのだ。

 半径を変える前に合わせると最高点がスタートより高くなってしまう。

 かといって変えた後に合わせると低くなる。

「(……仕方が無い……高度を合わせよう……)」

 本田は結局三つ目の半径のループを「アスリートBP」にさせる事になり、2点の減点を貰う事になった。




「ローリングサークル 2ターン 1ロール 内回り」

 演技は進み、11番目のローリングサークルになった。この演技を失敗しなかったのは、ここまで博美だけだ。

「……ん……」

 背面飛行を続けるためにエレベータースティックを押したまま本田が頷いた。

「背面飛行だ。 ラダー左でエルロン右でスタートだぜ。 間違えるな」

 遠藤が言を続ける。

 本田の異変を感じてから遠藤は細々(こまごま)とアドバイスをしていて、そのお陰か、ここまでどうやら大きな失敗をせずに来ていた。

「……センター……」

 遠藤の合図に合わせ、本田はラダースティックを半分ほど左に、エルロンスティックを僅かに右に倒した。

 「アスリートBP」は背面姿勢で右に旋回を始める。

「(……ロールが遅れてる……)」

 ローリングサークル……ロールしながら旋回をする演技……であるから、当然「アスリートBP」はロールを続けなければならない。

「(……うっ! な、何故だ……)」

 そのロールのタイミングを旋回に合わそうとした本多は、スティックに当てた親指が「ビクビク」と痙攣している事に気が付いた。

 博美の得点を上回ろうと慎重に飛ばす余り、過度の緊張に筋肉が強張っていたのだ。

 当然、微妙な操作など出来ない。

 「アスリートBP」は一旋回目はロールが遅れ、二旋回目はロールが早すぎるという、酷い出来……勿論、選手権クラスとしての話だが……になってしまった。




「フィギュアZ ウイズ 4ポイントロール アップ」

 本田の演技も最後になった。

「……あー そろそろセンター……」

 遠藤の声からやる気が失せている。

「……ええ……」

 本田の返事もいい加減だ。

 一番最初の演技とローリングサークルの失敗で都合二つの演技を落とした本田はショックのあまり集中が切れてしまい、その後の演技に精彩を欠くことになった。

 遠藤と相談して、結局このラウンドを捨ててしまったのだ。

「……流石は本田だな……」

「……ああ、良い点が出るだろう……」

「……どっちが上に行くんだろうな。 妖精と……」

     ・

     ・

     ・

 捨ててしまったと言っても、見物に来ている並みのフライヤーには素晴らしい演技に見えるようだ。

 しかし……

「……八角ほすみさん。 本田はこのラウンド、捨てたようですね」

「……鈴村君もそう思うか……本田君もまだまだ若いな……あの程度で動揺するなんてな……」

「……しかし、これで俄然妖精ちゃんの優勝が濃厚になったな……」

「そうですか? 青葉さん」

「鈴村君も自分で計算してごらん。 物凄い接戦だから……このラウンドを本田が取らない限り、本田には優勝はなかった筈だ」

 旧来のトップフォーと呼ばれていたベテラン達には本田の心が見えていた。




 本田の演技が終わって30分、本部テントの周りは集まった選手やギャラリーで「ザワザワ」していた。

 本田の演技が始まるまでは掲示されていた速報板は片付けられ、今は誰も結果が判らない。

「……どう思う? 俺は妖精の勝ちだと思うんだが……」

「……いや……あの本田だぜ、最後はやっぱり優勝だろう……」

「……でもよう……あの最終ラウンドの出来は妖精の方が上だろう?……」

「……しかし、遅いよな。 なんでこんなに時間が掛かるんだ? 早く結果を発表してくれないかな……」

     ・

     ・

     ・

「……どうも、あんまり接戦だから……何度も検算をしてるみたいだぜ……」

 あわただしく電卓を叩くスタッフの姿がテントの中に見えている。

 テントの中には成田も居て、腕を組んでスタッフの持つ電卓を覗き込んでいた。




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