表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空の妖精  作者: 道豚
186/190

日本一の飛行機だった


「……凄い……凄い接戦だぜ……」

「……妖精が1635点……本田が1638点……」

「……辛うじて本田が制したか……」

「……これって本当か? 俺は妖精ちゃんの方が良かったように思うんだが……」

「……風じゃないか? 本田の演技のときは風が落ち着いたよな……」

「……本田にとってはラッキーだったってことか……」

     ・

     ・

     ・

「本当にラッキーだったな」

 今は第3ラウンドと第4ラウンドの間の休憩で、本田と遠藤はピットに座っていた。

 そして二人には本部テント前に集まって、勝手なことを言い合っている声が聞こえていた。

「ええ……俺もそう思います。 これで次に妖精がトップを取らなければ俺の勝ちです」

 本田は次のフライト……アンノウン……の演技を確認するために小さな模型を手に持っている。

「いや、トップは譲ってもいいぜ。 2点差以内ならな……」

「……それって、殆ど同点じゃないですか……」

 脱力した本田がチェアーの背もたれに上体を預けた。




「惜しかったな。 3点差か……」

 「ビーナス」の準備をしている井上が横に立ってる博美を見上げた。

 第4ラウンド、二回目のアンノウンも井上がトップバッターなので、目慣らしが終わればすぐに出番となる。

「そうですね。 流石は本田さんです」

「ああ……流石だな。 でもよ、本田が博美ちゃんの上に行ったのはノウンだけだぜ。 次はアンノウンだ。 博美ちゃんが勝つさ。 ぃよっと……」

 井上はアンダーカバーを取り付け、裏返しだった「ビーナス」を表に向けた。

「……それは分かりません。 簡単には勝てないですよ……」

 博美の視線の先には模型で演技を確かめている本田が居た。




 予選10位の藤井による目慣らし飛行の後、井上の演技が始まった。

 最初の演技が変則的に高い高度の水平飛行から始まるので、井上はデッドパス後インメルマンターンを使って高度を取り「ビーナス」をセンターに向かわせた。

 高度を上げるために開いていたスロットルが閉じられ、ゆっくりと「ビーナス」は近づいてくる。

 下向きに演技を始めるため、十分速度を落としておく必要があった。

「……はい、センター……」

 助手として後ろに立っている静香の合図と共に「ビーナス」は下向きに「インバーテッドループ」を描き始めた。

 第3ラウンドで吹いていた風も収まり、「ビーナス」は綺麗な円を描く。

 最下点に差し掛かると1回転ロールをして、そのままインバーテッドループを続ける。

 頂点を通過して再び最下点で、今度は1/2ロール。

 昇降舵エレベーターを引く通常のループに変わり、残りの1/2ループを描くと頂点で背面飛行に移った。




 演技は進み、次は7番目の「6ポイントロール」だ。

 これは井上の選んだ演技であり、60度ごとにポーズを見せながら360度ロールをする。

 60度という中途半端な角度で機体を止める(ポーズを見せる)には、昇降舵エレベーター方向舵ラダーの微妙な操作が必要とされる。

「(……よし……)」

 このような横に長い演技では、スタートの位置は経験の浅い静香では分からない。

 井上はみずからセンターとの距離を計りエルロンスティックを倒した。




「ローリングサークル 2ターン 1ロール 内回り」

 風上サイドで「2ターン スピン」をした「ビーナス」が背面飛行に移ったとき、静香の声がした。

 11番目の演技、博美の選んだローリングサークルだ。

「……ん!……」

 井上が大きく頷く。

 見た目は派手ではないが、アンノウンの中で一番の大技だ。その証拠に係数……ジャッジの付けた点に掛ける数字で、難しい演技ほど大きくなる……は7とトンでもない大きさだ。

 つまり、一つのミスで7点……ジャッジ3人では21点……という大きな減点となる。




「……センター……」

 静香の合図で井上はラダーを左に、エルロンを右に切った。当然2旋回で1ロールなのでエルロンを動かした量は僅かだ。

 背面飛行の「ビーナス」は右にロールしながら右に曲がり始める。

 90度旋回したところで45度ロールをするようにエルロンスティックを微調整しながら、ラダーとエレベーターは一定の半径で旋回するように、また高度が変化しないように調整しなければならない。

「(……くっ!……くそが……こうか?……ちくしょう……んっ!……あ、合わねえ……)」

 必死になって井上はスティックを動かすが、「ビーナス」は旋回半径は安定せず高度も上下に変化する。

「(……だ、ダメだ……)」

 奮闘も虚しく、2旋回目はナイフエッジサークルの様になってしまっていた。




 2番目に演技をする予選7位の坂下の複葉機が離陸した頃、「ビーナス」を回収して加藤がピットに帰ってきた。

「井上さん、お疲れ様でした。 これで今年の選手権のフライトは終わりですね」

 ピットに立っている井上の側の機体スタンドに「ビーナス」を乗せる。

 井上は一足先に送信機ボックスを持って帰っていたのだ。

「……ああ……終わっちまった……」

 井上が「ビーナス」に燃料ポンプからのパイプを繋いだ。

「……悔しいな……最後のアンノウン……」

 ポンプを逆転させて機体から燃料を抜く。

「……毎回毎回……出場するたび悔しさが残るんだ……」

 ポンプを回したまま、井上は工具箱からスプレー洗剤を取り出すと主翼に吹き付け、ウエスで拭きはじめた。

「……と言っても……満足した時が引退なのかもな。 この悔しさのお陰で、また練習を頑張れる」

 井上は側に立ったままの加藤に向かって口角を上げた。




 八角ほすみの「ボイジャー」がセンターに近づく。

「(……低い……)」

 最初に行うのは八角が選んだ演技だ。博美は彼がどのように演技をするか見ようとしていた。

 「ボイジャー」は大して高度を上げずに飛んでいる。

「(……大丈夫なのかな? あれじゃ小さくループしなくちゃ……)」

 ループの半径が小さければ二つのループを揃え易くなる。しかし、途中で入れるロールが難しくなるはずだ。

 「ボイジャー」がセンターで下向きに「インバーテッドループ」を始める。

 電動である「ボイジャー」は大直径のプロペラのお陰で降下速度が随分と遅かった。

「(……えっ! あんな所から……)」

 垂直を45度ほど通り過ぎたとき「ボイジャー」はロールを始めた。

 ループをしながら比較的遅いロールレートで回り、センターを通過するときに主翼が丁度水平になる。

「(……そ、そうかー 短いチャイニーズループって考えれば良いんだ……)」

 「チャイニーズループ」とはロールしながらループする、要するに「ローリングループ」の事だ。

 つまりセンターの前後45度ずつ、計90度で1ロールの「ローリングループ」を「ボイジャー」はしたのだった。

「(……そうだったんだー……)」

 「ボイジャー」は頂点を通り過ぎ、2回目のループに入った。




 感嘆の吐息や失望の溜息の聞こえる中、特に事故も無く演技は淡々と進み、今フライトエリアでは青葉の複葉機が演技をしている。

 成田が現役の頃からトップフライヤーだった青葉だが、成田の引退後もトップフライヤーであり続けていた。

 エンジン始動ピットには鈴村の、これも複葉機が準備万端置いてある。

 ことほど左様に、決勝に出ているスタント機は複葉機が多い。メイン、サブ、どちらも単葉機なのは井上と博美だけだった。




 チームヤスオカのワンボックス車の脇に「ミネルバ」と「ミネルバⅡ」が並べて置いてある。

「……どっちを飛ばす?」

 「ミネルバⅡ」の側に立って空を見ていた博美に加藤が近寄った。

「……ん……風は安定してる。 本当なら「ミネルバ」なんだろうけど……」

 博美は目線を下げて「ミネルバⅡ」を見た。

「……ここは「ミネルバⅡ」を飛ばしたい……」

 下げた視線を再び空に戻して博美は続ける。

「……この子は……お父さんを世界選手権に行かせてくれたんだ。 仕事で出られなくなっちゃったけど……あの時、日本一の飛行機だったんだ……」

 博美は横に立っている加藤の顔を見た。

「……ううん……世界一だったかもしれない。 だから……それを皆に示したい。 日本チャンピオンに成るとき……世界チャンピオンに成るときには「ミネルバⅡ」を飛ばしたいんだ。 今日なれるとは限らないけどね……」

 博美はしゃがんで「ミネルバⅡ」のキャノピーを撫でた。

「……最後のフライトだよ。 一緒に頑張ろうね……」

 キャノピーの中で、博美に似せて新土居の作ったパイロット人形が、親指を立てていた。




 排気音が聞こえ、エンジン始動ピットを取り囲んでいた人垣が割れた。

 キャップを被りサングラスを掛けた、ジーンズにTシャツの博美がそこから現れる。

 送信機を前に下げ、加藤を引き連れて急ぐこともなく博美はゆったりと歩き出した。

 「ミネルバⅡ」は森山が滑走路に運んで行った。

 審査員の前にある操縦ポイントに立つと、博美はスロットルを全開にする。

 森山に抑えられた「ミネルバⅡ」からYU185Gの咆哮が響く。

 博美はスロットルをアイドリングの位置に戻し、森山に向かって頷いた。

 森山が「ミネルバⅡ」から手を離す。

 加藤が博美の肩を「ぽん」っと叩く。

「(……ん……)」

 頷いた博美は益々集中していく。

 もう自分自身が3人に分離する感覚にも慣れている。

「テイクオフ!」

 離陸の宣言と共に「ミネルバⅡ」は滑走を始めた。

 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ