表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空の妖精  作者: 道豚
183/190

焦るな!


「スタートします」

 ストップウォッチを押し、タイムキーパーが離れた。本田は点火装置のスイッチを入れスターターをスピンナーに押し付ける。

「ぷ・ぷ・ぷ・ぷ・・・・…………」

 元気よくプロペラは回るが、普段数秒で始動するYU185cdiは、何故かいつまでも点火しない。

「……ぷ・ぷ・ぷ・ぷ・・・・…………」

 エンジン始動に掛けられる時間は2分と決められている。段々と本田の顔が険しくなってきた。

「おい、一旦止めてチェックしよう」

 見かねた遠藤が声を掛けた。

「……はい……おねがいします」

 本田はスターターを離した。




 機体ホルダーの男と遠藤が本田の「アスリートBP」を裏返す。

 タイムキーパーが離れて、既に1分経っている。只ならぬ様子に、ギャラリーが「ざわざわ」し始めた。

 本田が「アスリートBP」のアンダーカバーを外した。

「……っつ! これだ……」

 なんと燃料コックが閉まっている。

 燃料を入れるときや長く駐機しておく時に……エンジンに燃料が流れ込んで始動不良になるのを防ぐために……燃料コックを閉めておくのは常識だ。当然コックを開けなければエンジンは始動しない。事前点検を怠った本田のミスである。

 本田は急いでコックを開けるとアンダーカバーを取り付けた。機体ホルダーの男が「アスリートBP」を表向けに始動ピットに置く。

 残り時間は40秒しかない。

 本田はスターターをスピンナーに押し付け、スイッチを握った。

「ぷ・ぷ・ぷ・ぷ・ぷ・ぷ・ぷ・ぷ・・・ブン・・・ぷ・ぷ・ぷ・ぷ・……」

「(……たのむ……掛かってくれ……)」

「ぷ・ぷ・ぷ・ぷ・ブン・ブーーーー」

 やっとエンジンが掛かった。

「時間が無い! 直ぐに持って行け」

 残りは20秒だ。遠藤がホルダーの男に怒鳴った。

 始動時間内に飛行機を滑走路に置かないと、そのフライトは失格になる。エンジン調整は後に回して、取りあえず「アスリートBP」を滑走路に置かなければならない。

 ホルダーは「アスリートBP」を持ち上げると滑走路に向かって走り、センターライン上に置いた。

「1分52秒です」

 タイムキーパーがジャッジに報告した。




 スロットルが全開にされた「アスリートBP」を押さえたまま、ホルダーの男が混合気を調整する。

 この男も本田と同じクラブに所属しているフライヤーなのだ。エンジンの調整は当たり前に出来る。

「……ん!……」

 ホルダーの男が片手を上げて合図するのに、本田は頷きで答えるとスロットルを絞った。ホルダーの男は「アスリートBP」から離れる。

「テイク オフ」

 やや遅れたものの、無事「アスリートBP」は離陸していった。




「時間が足りない。 近くを飛ばせ」

 本田の耳元で遠藤が囁いた。こんな事を審査員に聞かれたら、演技を始める前から印象が悪くなるに決まっている。「アスリートBP」は離陸後すぐにUターンして上昇姿勢でデッドパスをした。

 風下サイドで小さなPターンをしてセンターに戻ってくる。

「慌てるな……ダブルインメルマン、ローリングループ」

 やや焦りの見えるフライトに遠藤が警告を出す。

「……はい……」

 返事をして、本田は大きく息を吸った。




 水平飛行でセンターを過ぎると「アスリートBP」は機首を上げ、ローリングループを始めた。上を向くにつれスロットルは開かれ、機首の向きを保つために方向舵ラダーが使われ昇降舵エレベーターはニュートラルになっていく。

「……ズレてる……」

 機体が垂直になった時、ギャラリーに混じってフライトを見ていた博美が小さく零した。90度ループをしたところで90度のロールなので、この瞬間はナイフエッジループのはずだ。なのに「アスリートBP」は若干ロールが行き過ぎていた。

「(……っく……どうする……)」

 本田も当然気が付いていた。この場合、どういう修正が最も減点が少なくなるか……

 このまま続けるとロールが早く終わってしまい、如何にも間の抜けた演技となるだろう。確実に1点減点だ。

 少しロール速度を遅くしてループとロールの終わるタイミングを合わせる……ロール速度が変わったとして減点されるかもしれない。

 しかしこの程度の変化は1点減点するかどうか……審査員によっては全体を見て減点しない可能性がある。

「(……よし……)」

 瞬時に判断すると、本田はエルロンスティックを倒している量を0.5ミリほど少なくした。「アスリートBP」は僅かにロール速度を落とす。

「(……ん? 修正した……)」

 殆どのギャラリーは気付いてない中、博美はその変化を見抜いていた。




 ループの頂点で主翼はぴったり水平になった。ただちに……水平飛行を見せずに……2/4ポイントロールをして「アスリートBP」は背面飛行に移行した。

 背面飛行のままセンターを過ぎると、さっきと同じマニューバを上から演技する。

「(……今度は遅すぎ……)」

 博美にはロールが遅れて見えた。

「(……くそ!……)」

 それは当然、本田も気付いている。

「(……仕方が無い……)」

 そして、修正は当然ロール速度を早くする事だ。さっきと今回……2度もやったとなれば……1点減点は免れないだろう。運が悪ければ……審査員によっては……2点減点かもしれない。

「焦るな! まだ挽回できる。 しっかり直線を出せ」

 ディフェンディングチャンピオンだとはいえ、まだ二十歳はたちそこそこと若い本田に遠藤が声をかけた。




「ストールターン 上り3/4ポイントロール 下り1 1/4スナップ」

 水平飛行でセンターを通過したとき、遠藤が次の演技を言った。

 「アスリートBP」はサイドライン近くまで飛ぶと機首を上げ垂直上昇する。垂直のポーズを見せた後、90度ごとに短時間のポーズをしながら270度ロール。裏側を見せながらさらに上昇。

 最初のポーズと同じ長さのポーズの後、まるでピンで空中に留められたようにヨー方向に180度向きを変えた。

 少しの間垂直降下すると、右回転ポジティブスナップロールをする。

 スナップロールの影響を方向舵ラダー昇降舵エレベーターで打ち消し「アスリートBP」は綺麗な垂直降下姿勢になった。

 エレベーターダウンで水平飛行に移行し「アスリートBP」は背面飛行でセンターに向かってくる。

「ようし、落ち着いたな。 次はゴルフボール」

 エンジン始動に手間取った影響は得意なストールターンのお陰で本田の心から消え、演技名を言う遠藤の声も落ち着いたものになった。




「……本田と妖精……凄い接戦だぜ……」

「……妖精が1632点で本田が1644点……続いて鈴村の1533点か……」

「……それ以下は随分と離れてるよな……この3人で決まりか?……」

「……いや、まだまだ演技は残ってるんだ。 アンノウンにはどんでん返しが有りうるぜ……」

     ・

     ・

     ・

 本田が演技を終えて着陸した後、20分の休憩時間が取られ、得点の速報が張られた本部テント裏には多くのギャラリーが集まっていた。

「……フィギュアM ナイフエッジループ……ハーフスクエアループ……」

 しかしその中に選手や助手は居らず、博美はチームヤスオカのタープの下で……他の選手は夫々のピットで……アンノウンの資料を見ながら手に持った模型を動かしていた。

「はぁ……博美ちゃん、覚えた?」

 同じタープの下で静香もメモを読んでいる。

「ん~~ 大体は……」

 持っていた模型をテーブルに置いて博美は静香を見た。

「……そんなに細部まで覚えなくていいんです。 名前で大まかな形は分かるし、その後に続く言葉が注意点や標準と違ってる事を表してるから。 そこの所を康煕君と打ち合わせておけばOKなんです」

「そうなのね。 だから直也さんが「此処は間違えずに読んでくれ」って言ってたわけね」

 静香は再びメモに目を落とした。




 井上の「ビーナス」が風下サイドからセンターに近づいてくる。アンノウン一回目、トップで演技するのはやはり井上だった。

 「ビーナス」はセンターのかなり手前で機首を上げ、垂直上昇を始めた。ポーズを見せると270度ロールして裏を見せ、さらに上昇、エンジンをスローにしてストールターン(横に180度向きを変えるマニューバ)垂直に降りてくる。

 半分ほど降下した所で「ビーナス」はナイフエッジループを始めた。

 ラダーを右に切り……そのままでは向きを変える力が小さいので……スロットルを開けてプロペラ後流を当てる。

 向きが変わるのが早いか高度が下がるのが早いか……飛行機の性能任せの時を過ぎ……無事に「ビーナス」は機首を上げ、下向きのナイフエッジループを描いた。

 しかも井上は後半はラダーの操作量を加減して、ループがより丸くなる様にしてみせた。

 後は上昇してストールターン。降下時に270度ロールをして水平飛行に移行すればいい。

「(……っつ……やっぱり出来ちまうか……)」

「(……流石は井上さん……ああすれば出来るんだ……ビーナスちゃんって軽いもんね……)」

 見ていた本田は臍を噛み、博美は感心していた。




 フィギュアMを終えた「ビーナス」は風上側サイドライン近くまで水平飛行をする。

 サイドラインギリギリで垂直上昇すると1/2スナップロール。高い位置の水平飛行に移った。

「ローリングサークル 外回り2回転」

 審査員の後ろで見ている博美に静香の声が小さく聞こえる。井上は頷いたようだが、声は聞こえない。

 「ビーナス」はセンターまで来ると、右旋回と左ロールを始めた。1旋回で2ロールなので、割と早く姿勢が変わる。90度旋回するごとに180度のロールだ。

「リバース インメルマン」

 1旋回して「ビーナス」がセンターに戻った時、再び静香の声がした。




 最後の演技に向けて「ビーナス」が高い高度で近づいていた。

 センターに近づくにつれスロットルが絞られ、速度が落ちる。高度を保つ為にだんだんと機首は上を向き、丁度センターで「ビーナス」は失速して機首を大きく下げた。

 機首を下げながら右の主翼を落とし「ビーナス」はスピンに入る。1 1/2回転回ったところで井上はラダーとエルロンを左に切り替えた。

 慣性力により1/2回転余分に回り「ビーナス」は丁度2回転したところで逆に回り始める。再び1 1/2回転回った時に、今度はラダーとエルロンをニュートラルにした。

 回転が止まったところでエレベーターダウン、垂直降下姿勢にする。「ビーナス」は右2回転、左2回転のスピンを連続でした。




 あとは着陸だけだ。

 参考になる部分は終わった、と博美の周りからギャラリーが居なくなる。ふと視線を感じて博美は斜め後ろを見た。

 そこには腕組みをした本田とメモを開いた遠藤が立っていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ