即応力
休憩が終わり、再び会議室に関係者が集まってきた。
「さて……集まったようだな……始めるか」
徐にマイクを持って成田が立ち上がり、会場を見渡した。
「……あの……提案があるんですが……」
「ん? 博美ちゃん、なんか有るんか?」
手を上げる博美に向け、成田は続きを促した。
「えっとですね……アンノウンっていうのは、色々な演技を使って即応力を試す為にあるんだと思うんです」
「……ああ、そうだな。 予め練習できないってのは、そういう事だろう」
20世紀の後半、飛行機やエンジン、ラジコン装置の発達により……特にトップフライヤーの……成績が均衡してしまい、既存の「ノウンプログラム」では順位が付けられなくなってきていた。それを解決するために「アンノウン」という演技が取り入れられたのだ。因みに、予選、決勝、と分けられたのは安岡が世界チャンピオンになった大会からだった。これも上位者の篩い分けのためだったが、このころは「ノウンプログラム」だけの競技だった。
「それでですね……それを突き詰めるために、一つ目に選んだ演技を同じ人は二つ目のアンノウンには選らばない事にしたらどうでしょう?」
「……ん……つまり一つ目でフィギュアMを選んだ本田は、二つ目ではフィギュアMを選ばない、と……そういう事だな」
腕を組んで、成田は顎を引いた。
「はい、そうです。 そうすれば、より演技の種類が増えると思います」
「……別の人間が同じのを選んだら、どうする?」
顎を引いたまま、成田が上目使いで博美を見た。
「おそらくですけど……やっぱり他人の得意な演技は、誰も入れたく無いと思うんです。 だから、まったく同じ演技は選ばないんじゃないでしょうか」
「……そうだな……そうだよな。 よし、俺は賛成だ。 誰か意見はあるか?」
改めて成田が室内を見渡した。
「そんな事、FAIのルールには無いだろ? 勝手に決めていいんか」
成田の正面に座っている青葉が言うが、
「特に大きな問題は無いだろ? どうせ之までも、何となくそうしてたじゃないか」
それに対して、博美達の反対側に居る鈴村が声を上げた。
「……他には? ……無いようだな。 それじゃ、採決しよう。 反対の者は手を上げてくれ」
時間も無いしな、と成田が討論を終わらせた。
「(……反対されないかな……)」
博美は前方に座っている本田の背中を窺った。
「……だれも居ないな? よし、決まりだ。 さっき選んだ演技は選ばないようにしろよ。 さあ、始めよう」
手を上げた者はいなかった。
「最初は……八角君か。 一つ目の演技は何にする?」
演技選択順のくじ順の名簿を見て、成田がホワイトボードマーカーを握った。
「……そうだな……ここはチョット捻って……「1 1/2 インバーテッドループス アップサイドスタート フルロール ダウンサイド アンド ハーフロール 1/2 ループ」ってのはどうだろう」
「おいおい……随分と複雑だな」
ホワイトボードマーカーを一旦テーブルに置き、模型を取り上げると成田は演技を確かめ始めた。
「……つまり、高い高度でスタートするんだな。 そしてインバーテッドループっと……下で1ロール。 上まで行って……そのまま下がって1/2ロール。 ここからはループか……」
成田の持つ模型が綺麗な図形を描く。
「……背面飛行でフィニッシュだな。 OKだ」
ホワイトボードに丸い図形が描かれた。
「次は俺だ。 背面スタートだよな……「ハーフスクエアループ スナップロール ダウンライン」でどうだ」
成田に指名される前に手を挙げ、鈴村が言った。
「ハーフスクエアループっと……そしてスナップロールだな。 よし」
ホワイトボードに描いた縦棒に、成田が小さな三角形を重ねた。スナップロールの記号である。
「……次は博美ちゃんだな……(ここは意地でもローリングサークルを持ってくるだろうな)」
目を細めて成田が博美を見た。
「そうですね……「3/4スローロール オポジットディレクション」を……」
手元の資料から顔を上げて博美が言った。
「……えっ! スローロールだって?……」
予期せぬ演技名が博美の口から出て、つい成田が聞き返した。
「はい。 ……えっと……だめですか?」
「い、いや……うん、追い風で低い高度だ……ルール通りだな。 OKだ」
ここはスローロールにはもってこいの場面だ。何も言えず、成田はホワイトボードに向かった。
「……次は……本田君か。 中間高度のスタートだ」
演技選択は進み、本田の番になった。一つ前の風下演技が「フィギュア9」だったので、自動的にスタートが中間高度の演技を選ぶ事になる。
「……「アワーグラス」で……」
本田としては得意な「ストールターン」系の演技にしたかったが、中間高度からでは良い演技が無い。「アワーグラス」は砂時計の形に、中間高度から上に小さな三角形、下にも三角形を描く演技だ。
「……また中間高度だ。 次は青葉君だな」
アワーグラスはスタート高度と終了高度が同じなので、次の風上サイドの演技も中間高度スタートになるのだ。
「ちょっと変則だが……「ストールターン 3/4ロール アップ 1 1/4スナップロール ダウン」でどうだ。 低い高度で終了という事で」
「……ストールターンっと…… 次は井上君だよな」
ベテランの青葉の選ぶ演技だ。何の問題も無く、ホワイトボードに追加された。
「…………」
無言で顔を向けた青葉に、本田は親指を立てて見せた。
「……6ポイントロール……」
そんな前の方の席でのやり取りを気にもせず、博美の隣で井上が言う。
「お……捻ってきたな……」
成田が口角を上げた。4ポイントや8ポイントのロールはノウンプログラムによく使われるが、6ポイントというのはめったに見ない。
成田がホワイトボードに描いたのを見て、博美が井上に「にっこり」会釈をした。
「……さてと……博美ちゃんだよ。 低い高度の背面飛行スタートだ。 何にする?」
演技選択の2周目……17個の演技を決めるのに、決勝に出る選手は8人なので、一人が2個決めることになる……博美の番になった。
博美はホワイトボードに描かれているアレスティ記号を初めから見た。ここまで、割と……多少の違いはあるが……資料に載ってる演技が選ばれている。
「(……このままじゃ本田さんには勝てないかも……)」
本田の方が競技を始めたのが早いのだ。博美より経験したことは多いだろう。
たとえ得意な「ストールターン」系の演技でなくても、常識的な演技では博美は不利になる。
「(……よし! あれにしよう。 反対されるかもしれないけど……)」
一旦資料に目を落とし、確認したように顔を上げた。
「はい。 「ローリングサークル 2ターン 1ロール 内回り 背面スタート」で……」
会議室の中が静まりかえった……
「……資料に無いよな。 それでも良いのか?」
静寂が1分も続いただろうか……青葉が「ぽつり」と零した。
「……基本はこの資料から選ぶわけだが……俺たちもけっこう違うのを使ってるしな……」
鈴村が答えるように口を開く。
「……しかし……演技になるのか? まあ、落としたりはしないだろうが……」
「……結局……「スーパースローロール」をするわけだろ? そう考えれば、出来ない演技じゃないぜ……」
普通の「スローロール」は5秒程度で1回転だが、デモンストレーションなどでは「スーパースローロール」といって1回転20秒などという演技を見せる。
八角はその事に思い至ったのだ。
「……しかし、低い高度でスタートだぜ。 審査員が丸く飛んでるってのを見れるか?」
「……確かにそれは気になるところだな。 安岡さん、そこのところ如何だろうか?」
これまで、あまり発言しなかった予選7位の坂下の疑問を成田が取り上げた。
「大丈夫じゃないかな……奥村さん、どう思う?」
奥村は安岡が競技をしていたころから審査員をしているベテランだ。
「……おそらくは大丈夫だろう。 ただ慣れてない審査員もいるから……決まったらシミュレーターで確認して、当日に目慣らしをしっかりすべきだろうな」
腕組みをした奥村が静かな口調で言った。
「ようし……それじゃ、採用するぞ。 まさか難しいから反対、なんて軟弱な奴は居ないよな。 なんたって、ここに居るのは日本を代表する選手だ」
煽るような成田のセリフに、全員が無言で頷いた。
予定よりやや遅れはしたが、無事にアンノウンプログラムが二つ決まり、博美たちはホテルに帰ってきた。
途中で夕食を食べて、今はホテルのロビーに新土居を除く全員が集まっている。ちなみに新土居は部屋で「ミネルバ」と「ミネルバⅡ」の整備中だ。
「……これが決まったプログラムか……」
会議に行けなかった森山がテーブルに広げたプログラム……加藤が帰る途中、コンビニでコピーをした……を見ている。
「……最初からトンでもない演技だな。 このナイフエッジループ……機首が上がるか?」
「それ、本田さんが選んだんです……大丈夫だって言ってましたけど……」
答える博美も、あまり自信はなさそうだ。
「そう言われてもな……ちょっと新土居さんにも聞こうか」
森山がスマホを取り出す。
『……あ、森山です。 新土居さん、ちょっとロビーに来れますか? アンノウンの演技で意見を聞きたいんで……』
すぐ来るってよ、と森山がスマホをポケットに入れた。
「……で? 何だった?」
本当に直ぐに新土居がやって来て、森山に尋ねた。
「いや……これですよ。 この最初の演技……「ミネルバ」「ミネルバⅡ」で出来ますかね」
プログラムは変わらずテーブルに広げてある。
「……これは……中間に下向きナイフエッジループがあるじゃないか……」
森山の指差す演技を見て、新土居が答えに詰まった。
「……「ミネルバⅡ」では難しいかもしれない。 あれは重いし、エンジンパワーもcdiに比べて小さい……」
ほんの僅かではあるが、185Gは……回転数にして100rpmほど……185cdiよりパワーが少ないのだ。
「ここはカナライザーの効果もある「ミネルバ」を使うべきだろうな」
「……やっぱり難しいよな……」
加藤と一緒に隣のテーブルで演技のメモ……注意点や進入時の高度と姿勢、演技終わりの姿勢と高度……を作っていた井上が顔を上げた。
「機体の性能によると思うが……そうとう手前から緩やかに昇降舵を使わないといけないぜ。 おそらくナイフエッジループの半径はかなり大きいだろうからな」
ルール上、演技に含まれる宙返りの半径は全て同じでなければならない。よって、あまり効きの良くないラダーを使うナイフエッジループに、効きの良いエレベーターを使う宙返りの方を合わせなければならないのだ。
「そうですね。 でもその加減はまったく分からないですよね。 ぶっつけ本番だから……」
「そういう事だ。 この演技、本田は限りなく有利だな。 こういう所が奴の上手いところだろうな」
博美の言葉に、井上が顔を顰めた。
配られたアンノウンプログラムと加藤の作ったメモを持って、博美は部屋に帰った。既に時刻は9時を回っている。
「はあー 疲れた……」
博美は綺麗に整えられたベッドに仰向けに倒れこんだ。
「(……これ、覚えなきゃいけないんだよな……)」
両手に一枚ずつプログラムを持って、顔の前に掲げる。
「……ふう……」
息を吐いて両手を広げてベッドの上に落とす。
「(……とりあえず、シャワー浴びよ……)」
起き上がると、博美はTシャツの裾を掴んで一気に脱ぎ捨てた。
青葉と本田は同じ関東代表で、所属クラブも近いのです。
青葉は本田のために「ストールターン」を選んだ訳です。
それに対抗して、井上は博美のために「ロール」系の演技を選びました。
安岡の指導により、博美は「ロール」系が得意です。




