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空の妖精  作者: 道豚
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ナイフエッジループ


 宇都宮の駅に程近いホテル。その会議室に博美は来ていた。これから此処でF3A日本選手権の決勝で使うアンノウンプログラムが作られるのだ。

 この場にいるのは成田を初めとした大会役員と審査員、予選8位以上の決勝に出る選手とその助手。そして決勝で目慣らし飛行を担当する選手だった。

 今日行われた予選第3ラウンドは本田がトップで1000点を取り、予選全体でトップの2000点だった。

 博美は第2ラウンドの1000点と第1ラウンドの986点の合計1986点で、全体としては2位となった。

 以下決勝常連の名前が並び、井上は8位とギリギリで決勝に進むことができていた。




「……博美ちゃん、案外落ち着いてるわね」

 博美の横に座った静香が小さく零した。席が決まっているわけではなかったので、博美たちは隅の方に4人が固まって座っていた。

「うん……去年出た事があるから……」

「博美ちゃん……去年とは違うよ」

 井上が静香の隣から身を乗り出した。

「去年は博美ちゃんは何も考えなくてもよかったんだ。 でもね、今年は十分考えて演技を決めなくちゃならない」

 そう言って井上は静香の肩を叩いた。

「ゴメン、静香。 替わってくれないか」

「なんで? 博美ちゃんの隣で変なことするんじゃないでしょうね」

「そんな事するか! 作戦を決めなきゃならないんだ」

 しょうがないわね、と静香は席を立った。




「さてと……これからアンノウンの演技を決めるんだが……」

 博美の横で井上が小さな声で話し始めた。

「ここに居る誰もが考えていると思うぜ。 得意な演技が採用されて、不得意な演技は不採用にならないかな、ってな」

「……そ、そうですね……」

 博美が頷く。

「逆に……ライバルの不得意な演技を入れてやろう、って考える事もできるんだ。 少しでも自分が上手ければな」

 井上がさり気なく周りを見渡した。

「博美ちゃんのライバルは……あそこの本田だろう?」

「……ラ、ライバルだなんて……とてもかないませんよ……」

 博美は小さく首を振った。

「本田は、きっとライバルだと思ってるぜ。 おそらく……この部屋の中で、博美ちゃんだけを意識してるだろう。 なんたって、2ラウンドの合計で14点しか違ってないんだ。 その下はいきなり100点以上違ってる。 14点なんてのは有ってない様な点差だ」

 二人とも1000点を取っていて、違うのは第1ラウンドでの素点20点差だ。審査員3人分の合計が20点……一人にすれば7点……数個の演技で1点多く取れば逆転してしまう。

「でも……条件がいい時は、僕は本田さんに負けてますよ。 これは実力差なんじゃ……」

 博美が横にある井上の顔を見た。

「そこでだ、博美ちゃんが本田に勝つには、博美ちゃんが得意で本田が不得意な演技を採用してもらわなけりゃいけないんだ。 逆に、本田は自分の得意な演技を入れてくるだろう。 そしてそれが博美ちゃんの苦手な演技なら……本田が有利になるだろう」

 分かったか、と井上が博美を見返した。

「分かりました。 でも本田さんに苦手なものがあるんでしょうか?」

「それは分からん。 だから博美ちゃんは、できる演技の中で一番難しいものを選べばいい。 勿論、得意なものの中でな」

 博美が頷いた時、成田がマイクを持って立ち上がった。




「(……やった……1番だ……)」

 一つ目のアンノウンプログラムの演技選択順を決めるくじを開いて、本田は心の中でガッツポーズをした。

「(……妖精は何番だ?……)」

 後ろの方に座る博美の様子を窺うと、くじを開いて隣の井上に見せているが、特に表情は変わっているように見えない。

「(……ま、俺は俺の得意な演技にさせてもらおう……)」

「……おい、どうする? 何の演技をもってくるつもりだ?」

 作戦を考えていると、隣の遠藤が尋ねてきた。

「最初は「フィギュアM」にします。 妖精がどれほど飛ばせるかは分かりませんが、これなら遅れをとる事は無いですから」

「そうだな……それなら大丈夫だろう。 さて、彼女は何でくるかな?」

 頷くと、遠藤は演技の描かれたプリントを広げた。




「……俺は2番だ。 博美ちゃん、何番だった?……」

 机の上でくじを開いて、井上が尋ねた。

「僕は5番です」

 博美もくじを開いて井上に見せる。

「5番か……いい順番じゃないかな。 風上向きのセンター演技だ」

 ターンアラウンド方式で組まれるプログラムは、まず風上向きセンター演技から始まる。続いて風上サイド、風下向きセンター……というふうに続くので、5番目は風上向きセンターとなるのだ。

「そうですね。 これならどんな演技でも出来そうです」

 空間が大きく使える分、センター演技は制約が少ない。

「何を入れる?」

「ローリングサークルを入れたいんですが……普通のだと本田さんは出来ちゃうでしょうね」

 ローリングサークルは難しい演技だが、さすがに選手権上位者は飛ばせるだろう。

「そうだな……確かにやっちゃいそうだ。 何か捻った演技はないか……」

 博美の言葉に頷きながら、井上は演技の一覧をめくった。

「……あの……ローリングサークルって、普通は1旋回じゃないですか。 2旋回してもいいんでしょうか? これなら誰もやったこと無いですよね」

 博美が井上の持つ一覧に指を伸ばし、ローリングサークルを指した。

「2旋回? ……た、確かに誰もやったことは無いだろうな。 で、博美ちゃんは出来るんか?」

 特に集中力の必要な「ローリングサークル」は、1旋回で「もう、十分」という気持ちになり、そこでやめてしまう。なかなか2旋回も続けられないのだ。

「したことあります。 ストレス解消のために、偶にやってみるんです」

 好きな事とはいえ、毎回同じ飛ばし方では飽きてしまう。時には「めちゃくちゃ」なフライトをしてストレスを吹き飛ばす事は、誰でもすることだ。

 現に、博美と最初に飛行場に行った時、井上はストレス解消と言ってスポーツ機でアクロバットをしていた。もっとも「ローリングサークル」がストレス解消になるのは、博美ぐらいのものだろう。

「出来は?」

「……それなりです……でも、したことが無い人より有利だと思うんです」




「さて、始めるぞ。 一番は本田君だ」

 ホワイトボードの前に立った成田が声を上げた。

「はい。 「フィギュアM 3/4ロールアップ ナイフエッジループ 3/4ロールダウン」を……」

 手を上げて本田が言った。

「……ちょっと待て!……」

 予選4位の青葉が口を挟んだ。

「……そのナイフエッジループってのは、センターで下向きから始めるんだよな。 ちゃんと機首が上がるか?」

 垂直降下している機体をラダーだけを使って持ち上げる事になるのだ。主翼の揚力が使えない状態で重力に打ち勝てるのか、心配になるのは当然だ。

「大丈夫です。 俺は何度も試してます」

「……そうか……なら問題ないかな……」

 本田の返事を聞いて、青葉は首を捻りながらも納得したようだ。

「後、意見は無いな。 よし、1番目の演技は「フィギュアM」と……」

 成田がホワイトボードにアレスティ記号を書いた。

「……二番目は……井上君だな」

「……「ハーフスクエアーループ ウイズ 1/2スナップロール」で」

 少し考えて、井上が答える。

「……問題無いな? よし……」

 成田がホワイトボードに書き足した。

「3番目……八角ほすみ君」

 ホワイトボードマーカーで成田が後ろの方を指す。

「……どうするかな……「ローリングサークル 2ロール 外回り」にするか……」

「えっ! ローリングサークル?」

 のんびりとした八角の答えを聞き、びっくりして博美が立ち上がった。まさか、誰かが「ローリングサークル」を出してくるとは思ってなかったのだ。

「……空の妖精よー 何か意見があるか?」

 成田が聞いてくる。

「……別に無いです……」

 別に「ローリングサークル」は博美だけのものではない。博美はそのまま腰を下ろした。




「……次は……秋本君だな。 博美ちゃん、何にする?」

 4番目の選手が簡単に「リバースインメルマンターン」を選び、博美の番になった。

「(……えっと、えっと……ど、どうしよう)」

 ローリングサークルは既にホワイトボードに書かれている。同じ演技はもう使えない。

「(……そ、そうだ……) えっと「ツーループス ウイズ 1ロール トップ ツー トップ」でどうでしょう」

「……ちょっと!……」

「……そんな演技、誰もしたことないだろう?……」

     ・

     ・

     ・

「……こうか……うん、チャイニーズループの変形だな……」

 非難の声の中、成田が模型を手に持ってマニューバを確認する。

「……ようし、採用だ。 これぐらいの演技、決勝に出るやつならできるだろう」

 成田がホワイトボードに演技のアレスティ記号を書いた。




 1時間ほどで一つ目のアンノウンプログラムが出来上がった。

 本田の選んだのは「フィギュアM」と「スクエアーループ」で博美は「ツーループス」と「バーティカル8」だった。

「……残念だったな。 まさか八角さんが「ローリングサークル」を出してくるとは……」

 今は休憩時間、井上は自販機で買ってきたコーヒーを飲んでいる。

「そうですね……こんなこともあるんですね」

 博美はミルクティーの入った紙コップを机に置いた。

「……どうですかね……このプログラムは、誰に有利なんですか?」

 加藤の持つのはコーラの入ったコップだ。

「……特に誰が有利って事はないんじゃないかな。 かなり難しい演技が並んでいる。 強いて言えば、博美ちゃんと本田君以外は不利、と言うか……演技にならないかもな」

「え! そんなに……」

 静香が驚いて井上の顔を見た。

「全部じゃないぜ。 フィギュアMとツーループスだな」

「それって……あの本田さんと博美ちゃんが選んだ演技ね。 決めるときに随分揉めたけど……」

 さっきのプールの件で、静香も本田の事を知ったようだ。

「ああ……二人の腕は飛び抜けてるからな。 付き合わされる方は大変だ」

「そうねー 確かに私みたいな素人が見ても、二人は飛び方が綺麗だものね」

「そうだな。 悔しいが博美ちゃんと本田君は俺とは次元が違う……」

 静香の隣に座っている博美は、二人の話をよそに何かを考えながら紙コップを傾けていた。




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