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空の妖精  作者: 道豚
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練習

 お盆が過ぎ、日本選手権まであと一週間となった。ここ最近、博美は本番で力が出せるように、選手権と同じスケジュールで練習している。今日も朝から飛行場に居るのだが、「ミネルバ」と「ミネルバⅡ」を組み立てたまま、井上や新土居、森山に小松が飛ばすのを眺めていた。

「博美ちゃん、他人のフライトはあまり見ない方が良いよ。 特に下手なフライトは参考にならないどころか害にもなるからね」

 チェアーに座ってぼんやりしてる博美の傍らに安岡が来た。

「はい。 でも時間を持て余しますね。 なんだか退屈で……」

 博美は彼是かれこれ2時間程も順番を待っていた。本番では40人もの選手が飛ばすのだから、運が悪く出番が最後になると7時間以上待つことになる。

「その辺の時間の潰し方は人それぞれだね。 話をしたり、本を読んだり寝たり……」

 井上のように飛行場で寝ている人は……井上は寝てないと主張するが……多いのだ。

「シミュレーターをしてても良いんですか?」

「いや、それはやめた方が良い。 アンノウンはシミュレーター禁止だから、見られたら問題になる」

 決勝で行われるプログラムのうちアンノウンと呼ばれる演技は前日に発表され、それは実際にフライトして練習することが禁止されている。シミュレーターも同様に禁止されていた。




 エンジン始動ピットに博美は「ミネルバ」を置いた。次は博美の番だ。今は小松がフライトしているが、博美はそれを見ることなくプリフライトチェックをしていた。

「……ん、OK」

 博美は満足すると、横に立っている加藤を見上げ頷いた。

「OKか? 小松さんは今ストールターンが終わったところだ。 あと三つだな」

「ありがと。 そろそろかな?」

 博美は立ち上がり、腕を高く上げて背伸びをした。その場で「くるり」と回り、フライトエリアを視界に捉える。

 「(……ふーーん……今日は気流が安定してる。 っと、あそこにサーマルがあるなー 演技中にコッチ来るかなぁ……)」

 腕を頭上から左右に落とし、博美は右に左にと腰をひねった。




「秋本さん、用意はいいですか?」

 他人行儀の新土居がストップウォッチを握って立っている。小松の演技は終わり、飛行機も回収された。

「……はい」

 軽く周囲を見渡し、気流が変わってない事を確かめると、博美は送信機と受信機のスイッチを入れ頷いた。

「スタートします」

 ストップウォッチを押しながら新土居が離れる。イグニッションのスイッチを入れ、博美はスターターをスピンナーに押し付けた。

「プププ…ポロポロポロポロ……」

 朝一番に始動テストを済ましていたYU185cdiは軽い音を立てて始動する。博美は「ミネルバ」の横にしゃがむと、スロットルレバーを全開にした。

「ゴーーーーー……」

 もたつく事無く全速で回りだしたエンジンの混合気を、排気ガスの色を見て音を聞きながら博美は調節する。

「……ん。 OK」

 頷くと、博美はスロットルレバーを下げた。




 送信機をお腹の前に提げて博美は操縦ポイントに歩き、森山が「ミネルバ」を滑走路に運んでいく。操縦ポイント後方には御丁寧にもパイプ椅子のジャッジ席が用意してあり、安岡を中央に、左右には井上と新土居が座っていた。

 操縦ポイントで博美は滑走路を向いて立った。足元から伸びる三本の白線……センターと左右のフレームを示している……を確かめると、博美は滑走路に「ミネルバ」を置いて支えている森山に向かって頷いた。森山が「ミネルバ」から離れる。

 「ぽんっ」と加藤の手が肩を叩くのを感じて、

「テイクオフ」

 博美は宣言すると、スロットルを開けた。




 「ミネルバ」が高空から宙返りをして低い高度の水平飛行に移る。降下してきた筈なのに、その速度は遅く「ミネルバ」はゆっくりとセンターに近づいて来た。

 センターで「ミネルバ」は機首を上げ、宙返りを始めた。上昇するにつれ、スロットルは開けられエンジンはパワーを出すが、速度は一定だ。大きく円を描いた「ミネルバ」は頂点で「スナップロール」をした。一回転のスナップロールをした「ミネルバ」は……まるでそんなことは無かったように……宙返りの後半を飛び、スタートしたときと同じ高度で水平飛行に入った。

「……ふう……」

 博美が緊張を解いた。これで演技は終わり、後は着陸すればいい。そして着陸は博美にとって、何の問題も無い事だ。

「……ふーーー……」

 ジャッジ席に居た新土居が大きな溜息を付いた。

「……はぁ……苦しかったー 博美ちゃんの醸し出す気合と言うか雰囲気……オーラ? ってのは井上さんに勝るとも劣らないな……」

「……はは……トップ選手ってのは皆そんなもんだよ。 井上君はその集中力だけはトップクラスだって言われてるからね」

 安岡も「ほっ」としたのだろう、何時に無く口が軽い。

「……安岡さん、その「だけ」って言うのは止めて下さいよ。 まあ、その通りかもしれませんがねぇ……」

 井上からも軽口が出てきた。

「まあまあ。 所で、採点はどんなもんだ? 僕は凡そ8~9点かな? って思うんだが」

「そうですねー……」

 井上が自分の記載したジャッジペーパーを上から下まで見通す。

「俺のもそんなもんですね」

「そうか……問題なく予選は通過しそうだな……それじゃ、明日からは決勝の練習だな」

 うんうん、と安岡が頷いた。

「……あの……俺のは10点満点が殆どなんですが……」

「あ……新土居君はいいから……君は数合わせだから……」

 安岡に言われ、新土居は肩を落とした……




「博美ちゃん、これを明日までに覚えておいで。 僕の作ったアンノウンプログラムだ」

 夕方、帰り際に安岡がメモを渡してきた。

「はい……分かりました」

 2枚のA4の紙には手書きでアレスティ記号(マニューバを簡単な記号で表している)が描かれている。

「分かってると思うけど、シミュレーターは禁止だから。 模型で覚えるようにしてね」

「……えっとー 二つともですか?」

 博美は二枚の紙を交互に見ている。

「ああ、決勝ではアンノウンを2回、決勝用ノウン2回のフライトになる。 特にアンノウンは二つとも点数に入るから……しっかり覚えるように。 学生だから記憶するのは得意だろ?」

 何たって高専だもんね、と安岡が微笑んだ。

「あ、あははは……」

「頑張れよ。 得意だろ」

 自身も安岡から貰った紙を眺めた後、加藤が覗き込んできた。

「……バカー 僕が記憶科目が不得意なの知ってるよね!」

「……おっと! 残念だったな」

 加藤の脇腹を狙った博美の指はかわされ、空を切った。



 

「……うーーんっと……トライアングル。 スプリットSスナップロール。 1 1/2ロールオポジット……」

 小さな模型……この春に加藤がプレゼントしてくれた……を右手に持って、ベッドに座った博美が「ぶつぶつ」と唱えていた。安岡に渡されたアンノウンを覚えようとしているのだ。

「……ええー……何だったっけ? ……」

 途中で詰まり、博美は膝の上に置いたメモを見た。

「あ、そうか。 チャイニーズループだ……ああー 難しいよー ……はあ、休憩しよう……」

 模型を横に置くと、博美は仰向けにベッドに倒れた。

「(……はぁ……これ、本番でも覚えなきゃいけないんだよなぁ……)」

 夕方、家に帰ってから博美は時間を見つけては、メモを開いて演技を覚えていた。

「(……去年の目慣らしの時は覚えられたと思うんだけど……んー 加藤くんは覚えたかな? って言うか……加藤くんはメモを見られるんだよね。 なら、演技を後ろから教えて貰えば良いじゃない……)」

 むくり、と起き上がると携帯電話を取り上げ、

『やほー 康煕くん、アンノウン覚えた? 明日は頼りにしてるねー』

 博美はポチポチとメールを打った。




 机の上にアレスティ記号の書いてある紙を置き、加藤はルールブックを見ながら演技のメモを作っていた。ベッドに置いたスマホがメール着信を知らせる。

「(……ん? 博美か。 なんだ……)」

 博美からの着信は音を変えていて、分かるのだ。ベッドに手を伸ばしてスマホを取ると、加藤はメールを開いた。

「(……は、はは……あいつ……覚えられないんだな。 ま、予想してたけどな……)」

 スクリーンに現れた文字を見て、加藤は微笑んだ。どうせ泣きついてくるだろうと、メモを作っていたのだ。

『どうせ覚えられないんだろ? 任せとけ。 そのための助手なんだからな。 その代わり、しっかり寝て体調を整えとけよ』

 メールを返すとスマホをベッドに投げ、加藤は机に向かった。




 翌日、博美は朝早くから飛行場に来た。飛行場に着くと、すぐに「ミネルバ」と「ミネルバⅡ」を組み立て、一緒に来た新土居や森山の飛行機と共にエンジンテストをする。井上と小松はさらに早く来たようで、エンジンテストも終わり椅子で休んでいた。

「さあ、始めよう。 先ずは新土居くんから飛ばそうか? その後小松くん、森山くん、井上くん、そして博美ちゃんだ」

 少し遅れて飛行場に現れた安岡が、みんなを集めて言った。

「決勝はノウンが2回とアンノウンが2回となるが、井上くんと博美ちゃん以外は予選のパターンでいい。 決勝のパターンは飛ばせないからな」

 準備出来次第始めて、と安岡はジャッジ席に座った。




 小松を助手に井上が一つ目のアンノウンを飛ばすのを博美は見ている。安岡に「アンノウンは見て参考にしたほうが良い」と言われたのだ。次は博美の番で、既に「ミネルバ」は用意してある。

「……あれっ? あそこってポイントロールじゃない?」

 横に立っている加藤に、小声で博美が尋ねた。

「……ああ、そうだと思う。 ちょっと待てよ……」

 加藤が透明なカードケースに入れたメモを見る。

「……そうだな。 2/4ポイントロールだ。 井上さんの間違いだな」

 スクエアーループに含まれているロールは、アンノウンスケジュールでは90度でポーズを見せて180度回るロールと指示されている。しかし井上はポーズをしなかった。

 「……0点だ……」

 加藤が零した。

「……ノウンと同じようでも、アンノウンは違ってる事があるんだよね……気をつけないと……」

 独り言のように博美も呟いていた。




 井上の次にフライトを始めた博美のアンノウンも、終盤に差し掛かっていた。ここまで加藤の助言により、演技を間違える事無く来ている。

「ローリングサークル 内回り2回転」

 「フィギュアーナイン」が終わり、中間高度の水平飛行に入ったとき、加藤が言った。「ローリングサークル」は博美の得意とする演技だ。

「ん、ローリングサークル 2回転内回り」

 間違わないように、博美が復唱する。

「……用意……センター!」

 加藤の掛け声と共に「ミネルバ」は左回りにロールをしながら左旋回を始めた。90度旋回したときに背面飛行、180度で正面飛行、270度で再び背面飛行、そして360度の旋回が終わったとき「ミネルバ」は水平飛行になってた。

 「上からハーフ キューバンエイト ロール2回転」

 息つく暇も無く加藤が次の演技を言う。宙返りを含むため、サイドラインに余裕が無いのだ。

「ハーフ キューバンエイト ロールは2回転」

 博美は復唱すると同時に演技を始めた。




「……ふう……」

 アンノウン最後の演技を終えて、博美が息を吐いた。それと同時に飛行場中の張り詰めた空気が、嘘のように緩んでいった。

「……うーーーん……大したものだね。 アンノウンで8点平均取れてるよ。 井上君は如何かな?」

 昨日と同じように採点をしていた安岡が隣を見た。

「……そうですね……俺もそんなもんです。 これは、加藤君のお陰でしょうね」

 着陸したら「ミネルバ」を回収しようと、滑走路に向かった加藤を井上は見た。

「後ろからかなり教えてたようです。 博美ちゃんは演技順を覚えてなかったんじゃないかな?」

 目を正面に向けると、加藤が居なくなり博美の背中が見える。

「……い、良いじゃない……だって康煕君が良いって言ったんだもん!」

 井上の声が聞こえたのだろう、着陸操作の途中だというのに振り向いて博美が答えた。




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