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空の妖精  作者: 道豚
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シュペルピューマ


 台風の接近により土砂降りの雨が降っている街には、殆ど車は走っていない。普段、渋滞している交差点も、信号機がむなしく青信号をともしていた。

『……申し訳ない、安井さん……』

 疾走するレガシィの運転席、ハンズフリーで接続しているマイクに向かって井上は話していた。フルタイム四輪駆動のレガシィは、そこらじゅうにある水溜りや吹き付ける突風にも姿勢を乱すことが無い。

『いいよ、いいよ。 どうせ今日は暇なんだ。 俺が代わりに詰めといてやるから』

 いくら出動要請が無いからと言って、ドクヘリの当直をほっぽり出す訳にはいかず、井上はもう一人の非番のパイロットに代わってもらうよう頼んだのだ。

『恩にきます。 また今度、代わりますから』

 井上が通話を終えたとき、レガシィは海上保安部の門を潜った。




 雨の中、井上は駐車場に置いたレガシィを出て走りだした。ビルを回り込むと、ヘリポートに大きなヘリコプターが見える。ドクヘリに使っている「EC135」が軽ワンボックス車とすれば、そこにある「シュペルピューマ」はアメ車のミニバンだ。長さはほぼ二倍、重量は4倍、エンジン出力も4倍ある。既にエンジンは始動していて、ローターがゆっくり回っている。井上は操縦席に飛び込んだ。

「井上さん。 本当に飛ぶんですか?」

 副操縦席に座った横田……さっき井上と電話で話していた男で後輩になる……がベルトを締めている井上に言う。

「当たり前だ。 巡視船だと現場に着くのに1時間以上かかる。 間に合わないぜ。 船は沈む」

 井上はヘルメットを被り、マイクを口の前にセットした。

「これで飛んだら15分も掛からない。 それに、多分現場は波が高いだろう。 巡視船で行っても、救助ボートが下ろせないぜ」

 井上は計器を素早くチェックした。このヘリコプターはドクヘリと同じメーカーの機体なので、計器の種類や配置は殆ど同じだった。

「飛ぶぞ。 途中はかなり揺れるからな。 しっかり捕まっておけよ」

 井上はマイクに向かって喋る。操縦席の後ろに乗っている3人のレスキュー隊員がそれぞれ返事を返した。




 ~~~~~~~~~~~~




 巡視船は全速で回るエンジンの振動に船体を震わせながら、迫り来るうねりに船首を突き刺さす。堪らず二つにかれたうねりが飛沫となってブリッジに飛んでくる。激しいピッチングの中、ブリッジは異様に静かだった。

「(……遅い……このままでは間に合わないかもしれない……)」

 予想を超えた風と波を正面から受け、巡視船は15ノット程度でしか走ってなかった。

「艦長! 「シュペルピューマ」が上空通過」

 見張りに立ってる船員が叫んだ。

「なんだと! なんでヘリが飛んでるんだ? 本部に聞け!」

 艦長が後ろの通信員に怒鳴る。

「(……なんでヘリがこんな嵐の中飛べるんだ……アイツか……アイツならば飛ぶかもしれん……しかし、アイツは民間に転職したはずだ……)」

 小さくなっていくヘリコプターを艦長は睨んでいた。




 ************




 益々激しくなる雨が風に乗って窓を打っている。

「(……救難要請から2時間か……どうにかまだ電波は受けている……)」

 浦戸湾の奥深く、市街地にも近い海上保安庁のビルの中は「ざわざわ」した雰囲気に包まれていた。

「(……巡視船が出港して1時間……本当なら到着しても良い頃なんだが……)」

 部長が未だ沈黙している部屋の壁際にある無線機を見たとき、

『はい、此方本部。 「とさ」どうぞ』

 巡視船から通信が入った。

『……はい。 「シュペルピューマ」が飛んでる……はい、確認します』

 通信員がヘッドホンを外して立ち上がった。

「……部長。 「とさ」から「シュペルピューマ」が飛んでいくのを見た、と連絡です」

 部長の前に来ると、さっきの通信内容を報告する。

「なんだって……「シュペルピューマ」? 誰がフライトを許可した? ……横田君を呼べ」

 慌ててドアの近くに居た課員が走っていった。




 ~~~~~~~~~~~~




 巨大なうねりが見える範囲どこまでも続いている。その上2000フィートを「シュペルピューマ」が対気速度150ノットで飛んでいた。飛沫が飛んでいる所為で、海面上の視界は3000メートル程だ。それでも巡視船の上空を飛んだときにはしっかり視認できた。これなら発見も問題ないだろう。

「(……ほんと凄い……なんであんなに早くスティックが動かせるんだろう……)」

 かなり揺れる、と言った割にはヘリは大して揺れていない。訝しく思いながら副操縦席の横田が操縦席を見ると、井上は右手のスティック、左手のピッチレバー、そしてフットペダルを物凄い速さで微妙に、時には大きく動かしていた。

「おい。 電波は入ってるか?」

 正面を向いたまま井上が尋ねた。

「入ってます。 このままのヘディングでOKです」

 第8司丸から発信されている救難信号は、いまだ消えていない。

「まだ沈んでない……って事だな。 距離は?」

 少なくとも、電波を出してるアンテナは海面上に出ているはずだ。

「もう5海里もない筈です。 GPS上ですが……」

 救助を要請したときに、船長は船の位置を知らせたのだ。GPS受信機にはその位置がマークされている。

「船だ! 左前方1海里」

 後ろで見張っていたレスキュー隊員がインカムで叫んだ。

「居たか!」

 井上がヘリを左旋回させた。

「良っし。 見えた」

 バンクが掛かったお陰で、井上も船が見えた。

「殆ど沈んでるじゃないか!」

 第8司丸は船中央の甲板は海面下で、船首の一部と船尾のブリッジがようやく海面上に出ている。

「(……う……上手い……船尾からの波を、上手く直角に受けている……舵が効いてるんだな)」

 近づく事で、船の様子がはっきりしてきた。

「(……あんな状態でエンジンが止まってないのか?……)」

 スクリューが回っていないと、船は舵が効かないのだ。舵が効かない船は波を横から受けるように回ってしまう。横波を受けたら、特にこんなに大きな波なら転覆してしまうだろう。船の向きが変わらないように操船しているという事は、エンジンが止まってないという事だ。




 ~~~~~~~~~~~~




「(……あ……ヘリコプター?……)」

 貨物船のブリッジに集まっている中で一番若い甲板員……商船高校を出て、まだ1年しか船に乗っていない……が船首左方向を見て首を傾げた。

「(……まさかなー……こんな天候で飛んでる筈無いよな……)」

 目を休めるように彼は外に向けていた視線を内に向けた。ブリッジの中は誰も話さず、異様に静かだった。ブリッジの反対側には先輩の甲板員が同じように立って、窓の外を見ている。船長は殆ど後ろを向いたまま舵輪を回し、巨漢の機関長は足を開いて椅子に座り、エンジン計器を睨んでいた。

「(……この船って……沈むんか?……誰も慌ててないじゃないか……)」

 経験の浅い彼には、この状態はまるで夢の中の様に思えた。

「……く……この!……」

 もう6時間以上操船をしている船長が唸りながら舵輪を回す。船は斜めに傾きながら船尾を高く上げた。

「ドドドドド……」

 海面から出たスクリューが空転して海水を撒き散らした。機関長が手を伸ばし、何か操作する。船を揺する振動が「ふっ」と収まった。高く上がった船尾が重力に引かれて落ち始める。機関長が再び操作をするのを目の端に捕らえ、甲板員の彼は仕事を思い出して外に目を向けた。

「(……あ! ヘリコプター!……)」

 船尾が下がることにより空を向く事になったブリッジの窓から、此方に向かってくるヘリコプターが見えた。

「船長! ヘリコプター。 ヘリコプターが来ます」

「ああ? ヘリコプターだぁ? 何処だ、ちゃんと方角を言え」

 信用してないのだろう、船長の言葉はキツイ。

「本当にヘリコプターです。 左舷前方……殆ど正面になりました」

「……本当だ……なんでヘリコプターが居るんだ……」

 甲板員の言葉に、船首方向を向いた……船尾から迫る波に対応するため、後ろを見ていた……船長が数百メートルまで近づいた「シュペルピューマ」を認めた。




 ~~~~~~~~~~~~




 波に翻弄されている貨物船が機首の下に隠れていく。井上の操縦する「シュペルピューマ」は貨物船の上、高度50mでホバリングを始めた。ホバリングと言っても50ノットの向かい風だ。殆ど水平飛行をしているようなものである。

「……横田……やるぞ。 忘れてないな」

「大丈夫です」

 横田がサイドウインドを開けて顔を半分突き出し、右手を井上の太ももに乗せた。

「始めます」

 横田が右手の中指で井上の太ももを叩く。

「…………」

 井上は無言でスティックを前に倒した。「シュペルピューマ」はゆっくりと前に進む。横田は薬指で叩き始めた。井上は右にスティックを倒す。「シュペルピューマ」は前進しながら、右に移動した。これは海上保安庁に居たときに井上が考案して、横田と練習した方法だ。目標がパイロットから見えない時でも、こうして横田の合図で定点ホバリングが出来る。井上は外を見ずに計器を見ていて、機体の加速度を全身で感じ、それをキャンセルするように操縦している。

 「……降下します……」

レスキュー隊員がワイヤー一本に命を預け、ドアから出て行った。




 ~~~~~~~~~~~~




 波しぶきを浴びながら、甲板員が二人、ブリッジの上に立っている。すぐ後ろの煙突から熱い排気ガスが出ているため、二人は左舷側の手すりに命綱を付けてしがみ付いていた。二人の見上げる空から、レスキュー隊員が降りてくる。波に乗り上げるたびに船が上下して、レスキュー隊員が近く遠く見える。

「こんなに揺れてて降りられるんか?」

 上を向いたままで若い甲板員が呟いた。その時大きく船が持ち上がった。そのタイミングを狙っていたレスキュー隊員が急降下して二人の側に立った。当然、次の瞬間には船は波の間に落ちる。ワイヤーが突っ張るかと思いきや、ワイヤーは急速に緩められた。

「高知海上保安部です。 乗組員はヘリコプターに収容します」

 レスキュー隊員は命綱を手すりに取り付けた。

「他の乗組員は?」

「ま、まだブリッジに……呼んで来る。 すみません、こいつは最初に上げてください」

 年配の甲板員が手すりに掴まりながらブリッジの外に付けられている階段を下りていった。

「それじゃ、君からだ」

 レスキュー隊員が救助具を甲板員に取り付ける。

『救助者OK。 巻いてくれ』

 船が再び波の頂点に上ったとき、レスキュー隊員がホイストマンに連絡をした。




「機関長、行ってくれ。 俺が最後にブリッジを出る」

 航海士が書類を詰めたバッグを持ってブリッジを出たのを確認して、船長が言った。

「……船長……おまえは昔から「格好かっこしい」だったな……」

 機関長はエンジン計器を見つめたままだ。

「……おうよ。 こんな時ぐらいカッコつけさせろや……」

 この二人、商船高校時代からの付き合いだった。

「……へっ……カッター教練で泣きべそかいてた奴がよ……」

 機関長は操作盤に向かって何か操作を続けている。

「そっ、それを言うな! お前みたいにこちとら体がでかくないんだよ……」

 船長が右手を振り上げた。

「……ま、その分操船術は天才的だったけどな……ようし、出来た」

 機関長は操作盤から手を離し、立ち上がった。

「船長の命令だからな……俺が先に出よう。 エンジンは10分後に止まる。 その間に出て来いよ」

 機関長は振り向きもせずドアに体をぶつけながらブリッジを出て行った。




 海上保安部内での呼称は想像です。


 EC225シュペルピューマの諸元と性能

  全長 19.5m

  最大離陸重量 11200Kg

  エンジン チェルボメカ 1798kWx2

  最大速度 148ノット(275.5km/h)

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