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空の妖精  作者: 道豚
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台風

 8月になった。期末試験も終わり、博美たちは夏休みまで大した授業も無く、のんびりしている。そんな放課後、二人は傘をさして並んで寮に帰っていた。台風が近づいてきていて、時折強く雨が落ちている。

「どうだった?」

 今日はテストの答案用紙が返ってきた。加藤はその結果を聞いたのだ。

「まあまあかな?  今日は数学と物理、機械工作法だったから」

 博美は専門教科は割と成績がいい。

「……そりゃ良かった。 昨日は泣きそうだったもんなぁ」

 昨日返ってきたのは英語だったのだ。

「わ、悪かったね! でも赤点じゃなかったもんね」

 人に聞かれると一寸ちょっと恥ずかしい博美の台詞は、しかし雨音にかき消されていた。




『台風8号は依然として強い勢力を保ったまま北上しております』

 食堂のテレビがニュースを流している。

『このまま進むと、明日の夕方から夜間に高知県の西部に上陸の可能性があります』

「ねえ、康煕くん。 明日は休校かなぁ?」

 テレビの画面から目を離さず、博美が尋ねた。二人とも夕飯は食べ終わっているが、天気が気になるので食堂に残っていた。

「そうだなー そうなるかもな。 台風の右側に入りそうだ。 明日は相当な風が吹くぜ。 雨もな」

 台風は左回りなので、進行方向の右側の方が雨、風が強いのだ。高知に住んでいる者にとって台風は毎年の経験なので、その辺の知識は豊富だった。博美たちの他に食堂に残っている学生も、特に騒ぐ事無くテレビの情報を整理していた。

「ま、部屋でのんびりしてることだな」

「うん。 シミュレーターでもしてる」

 加藤の言葉に博美が頷いた。




~~~~~~~~~~~~




 激しい雨が巨大な波の斜面を叩いていた。一隻の貨物船がその波を追いかけ、舳先で押しつぶすようにのし上げる。次の瞬間、船は斜面を滑り降り、谷底で舳先を突っ込み、再び波を押しつぶす。

 飛び散る飛沫を受けるブリッジの中に3人の影があった。

「おい、船長。 このまま高知に向かうんか? 台風に追いつかれるぜ」

 エンジンの状態を示す多数の計器を前に椅子に座った大男が、舵輪を握っている男に話しかける。

「機関長は心配性だな。 大丈夫だ。 追い風もあって14ノット出てる。 追いつかれる前に入港できる。 なあ甲板長」

 舵輪を左右に動かしながら、船長は横で船の甲板を見ている男に話を振った。

「確かに船は早い。 でもなー 台風は陸に近づくと早くなるだろ……それは大丈夫なんか?」

 甲板長は顔を上げると船長を見る。

「俺もそれが心配だ。 避難した方がいい」

 機関長も船長を見た。

「いや、既に運行が遅れてるんだ。 ここで一日潰れるのは困る。 機関長、エンジン、ぶん回してくれ」

 積荷の高炉スラグを積み込むコンベアが止まった所為で、出航が遅れたのだ。予定通りなら台風を余裕でかわせたはずだった。

「あんたが責任者だ。 言われれば俺たちは従う。 今は寝てる航海士と機関助手もな」

 機関長は大きな体を壁にこすりながら階段を降りて行った。

「どーーーん!」

 一際大きな波を乗り越え、谷底に叩きつけられた舳先が太鼓のような音を立てた。




***********




 電線を鳴らして吹く風と窓を叩く雨の音に博美は目が覚めた。枕元の時計を見ると、まだ6時になったばかりだ。

「……凄い風……」

 ベッドから起き上がり、窓の側に行くとカーテンを薄く開け、博美は外を見て「ぽつり」と零した。

「……ほんとー……凄い風だー」

 背後で声がする。寝てると思った清水は起きていたようだ。

「春花ちゃん、起きてたんだ」

 カーテンから手を離し、博美はその場で「くるり」と回る。 

「うん。 博美ちゃんがベッドから降りたので目が覚めたー」

 清水はタオルケットを跳ね除けた。

「あ、煩かった? ごめんね」

「ううん。 煩かった訳じゃないのー 煩いって言ったら、この雨の音だよー」

 風に吹かれ、横殴りの雨が窓を断続的に叩いている。まるで砂をぶつけられている様な音がしていた。

「これじゃ、今日は休校だね」

 カーテンをしっかり閉めると、博美はベッドの上に戻った。




「やっぱり休校だってよ」

 博美の正面に座った加藤がスマホを見ながら言う。一斉送信されたメールを受信したのだ。

「だよねー こんな雨と風じゃ、教室に着くまでにずぶ濡れになっちゃうよ」

 うんうんと頷く博美は制服でなく部屋着に使っている短パンとTシャツで、足元はサンダル履きだ。横殴りの雨に、とても制服を着て食堂に来るわけにはいかなかったのだ。

「って言うか、寮に居なくて通学してる学生もいるんだぜ。 そういう人たちの安全のためだろ?」

 加藤はスマホをポケットに突っ込んだ。

「あ! そうかー そうだよね。 篠宮さんも通学してるって言ってた」

「そういう事。 さ、食べようぜ」

 二人は一緒に味噌汁椀を手に取った。




 休校になった所為で、普段は誰も居ない寮の中が今日はどことなく「ざわざわ」している。そんな3階の部屋の中、机に向かい博美は珍しく教科書を開いていた。

「(……わーん……シミュレーターをしようと思ったのに……課題を出されるなんて……)」

 休校になったからといって、学生を遊ばせるほど高専は優しく無い。

「(……春花ちゃんって……真面目なんだもん……)」

 博美がパソコンを出そうとした時

「……博美ちゃん、機械科も課題が出てるでしょー。 明日には提出になるわよー……」

 と、半眼で睨まれたのだ。

「(……早くお昼にならないかなぁ……)」

 昼食時間になれば休憩ができ、加藤にも会うことができる。教室なら見えるところに加藤がいるのだが、寮ではそれは叶わない……




 食堂で昼食を食べようと雨の中、学生が列を作っている。

「わーい、康煕くん。 会いたかったー」

 そんな列の後ろで嬌声が上がった。並んだ学生たちが「ピクッ」とするが、すぐにその緊張は解ける。博美の声だと分かったのだ。博美と加藤の仲は、既に高専中で公認のものになっていた。




『只今ニュースが入りました。 今日午前11時ごろ、高知市の司運輸つかさうんゆ所属の貨物船、第8つかさ丸499トンが船倉のハッチが破損し、浸水していると海上保安庁に連絡がありました』

 食堂のテレビの中、緊張した様子のアナウンサーが写っている。

『繰り返します。 高知市の司運輸つかさうんゆ所属の貨物船、第8つかさ丸499トンが船倉のハッチが破損し、浸水している模様です』

 画面が切り替わり、海上保安庁の室内で説明をする制服姿の人物が写った。

「……台風なのに……大丈夫なのかなぁ……」

 ねえ、と博美が加藤に問いかけた。

「……ん? 康煕くん?……」

 しかし加藤は茶碗を持ったまま固まっている。

「……康煕くん? どうしたの?」

「……親父おやじの……親父の船だ……」

 加藤は茶碗と箸をテーブルに置いた。

「……親父の船だー!」

 加藤はテーブルを手のひらで打ち付け、立ち上がった。




~~~~~~~~~~~~




『機関長。 ポンプは動いてるか?』

 波に翻弄される貨物船のブリッジで船長がインカムに叫ぶ。

『動いてるぜ、船長。 ただ浸水が早すぎる。 排水が間に合わない』

 間髪を入れず、機関室から返事が来た。

「(……ちくしょう……いつまで持つ?……)」

 船長の見つめる先には幾重いくえにもかさなる巨大な波がある。目を下げれば、大きく捲れ上がったハッチの鉄板と水面ギリギリの甲板。波に当たる度に押し寄せる海水。

「(……速力も落ちた……更に状況は悪くなる……)」

 浸水して喫水線が上がった所為で、エンジン全速でも10ノットも出てない。

「(……これまでか……)」

 船長は顔を上げた。

『機関長。 ブリッジに上がれ。 この船は沈む』

 インカムに話す声は、さっきまでと違って落ち着いていた。

『了解』

 何時もと同じように、簡潔な返事が機関室から返った。

「救援を要請する。 全員ライフベストを着ろ」

 今はブリッジに機関長を除く全乗組員5人が揃っていた。




 ~~~~~~~~~~~~




 白いスマートな船体が水面上50メートルのコンクリート製の橋を潜る。台風が接近しているため通行止めになっているのだろう、普段なら見物人が居る……武器も装備している巡視船はマニアには人気なのだ……橋の上には一台の車も見えない。海上、風は吹き荒び、前方に見える防波堤では波しぶきが30メートルの高さに吹き上がっていた。湾の出口である此処は狭く、しかもカーブしている。2機合わせて7000馬力のディーゼルエンジンは今はまだ中速で回っていた。

「(……20かいりか……1時間ってとこだな……いや、もう少し掛かるか? 向かい風だな……」

 ブリッジに立ち、精悍な顔つきの男が腕を組んでいる。

「(……浸水が始まってもう2時間だろ……間に合うか? たどり着いても救助できるか?……)」

「艦長。 桂浜の突堤を交わします」

 舵輪を握った男が声を上げた。

「突堤を通過したら両舷全速。 突っ走れ。 急がんと沈んでるぞ」

 艦長と呼ばれた男が答えた。




~~~~~~~~~~~~




 プレハブの事務所の中で、井上はテレビのニュースを見ていた。さすがにこの天候ではドクヘリの出動要請があるとは思えない。ヘリはローター先端から伸びたロープを地面に縛りつけ、スキッドも押さえつけてある。

「(……第8司丸……聞いたことがある……)」

 テレビはニュースを終え、ドラマが始まっているが井上はそれを見ていない。

「(……加藤君の親父さんの船がそんな名前じゃなかったか?……)」

 井上はスマホを取り出した。

「(……聞いてみるか……)」

 井上は加藤にメールを送った。




『横田! なんでお前らはヘリを飛ばさないんだ!』

 井上がスマホに向かって怒鳴る。加藤からの返信で、第8司丸に加藤の父親が乗っている事が分かったのだ。

『い、井上さん……おひさしぶりです』

 携帯から戸惑ったように返事が聞こえた。

『挨拶なんか、今はいい。 さっさとヘリを出せ。 船で行っても間に合わないぞ』

 そんな相手に向かって、井上が畳み掛ける。

『そんな……無理ですよ。 ここへリポートで30ノット、海上は50ノット吹いてるんです』

 ヘリポートは湾の奥にあり、途中の山に遮られて海上よりも風が弱くなる。もっとも乱れていることが多いのだが……

『ああ? そんなもん、気合で飛べ。 いくら強くても海上の風は一定してるんだ。 飛べるだろ』

『無理です! 気合で何とかなるもんじゃ……』

 電話の相手は泣きそうになっている。

『……分かった……俺が飛ばしてやる。 これから行くから準備しとけ』

『ええーーー!』

 悲鳴の聞こえるスマホをポケットに入れ、井上はレガシィを置いている駐車場に走り出した。



 巡視船の長なので船長と呼ぶのが正しいかもしれませんが、貨物船の船長と区別するため艦長と呼ぶことにしました。


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