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空の妖精  作者: 道豚
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185cdi


『We will soon make a brief stop at Nagoya』

「……っえ! ……Nagoya?」

 いきなり耳に飛び込んできた英語のアナウンスに博美は飛び起きた。全体が理解出来たわけではないが、名古屋という名詞に反応したのだ。

「やれやれ、やっと目が覚めたかい? 眠り姫さん」

 隣の席の森山が立ち上がり、 よっこらしょ、と荷物棚から二人のキャリーバッグを下ろした。

「もうすぐ名古屋に着くってさ。 準備しよう」

 7月の3連休の初日、博美は森山とJRを利用して名古屋に向かっていた。井上と新土居はチームヤスオカのワンボックス車で来ているはずだ。車だと7時間ほど掛かってしまうので、疲れるだろうと博美は列車に乗せられたのだ。もっともJRでも待ち合わせを含めて5時間ほどかかるのだが……

「……森山さん……あの、おトイレ……」

「行くのはちょっと時間が無いんじゃないかな。 駅で行けばいいよ」

 トイレに行く事も忘れて、初めての新幹線にはしゃいでいた博美は、新神戸の辺りで疲れて寝てしまったのだ。朝、家を出てから博美は一度もトイレに行ってなかった。




 無事に降車した博美たちはホームからエスカレーターで降り、それぞれトイレに向かった。

「あれー 博美ちゃんじゃない。 こんな所で会うなんてー」

 博美がトイレに入ると、手洗いにユキがいた。鏡の前でメイクを直していたようだ。相変わらず金髪を腰まで伸ばし、ショートパンツからは綺麗な脚が伸びている。

「あー ユキさん! こんにちはー。 お久しぶりです。 ユキさんって名古屋の人なんですか?」

 去年の日本選手権の時に会って以来なので、1年ぶりの再会になる。

「違うわよ。 私は富山。 今日は遊びに来たの。 んで、博美ちゃんトイレでしょ。 行っておいでよ、私は待ってるから」

 ユキはメイク道具をバッグに仕舞い、トイレの外に出て行った。




 博美がトイレを済ませて戻るとユキはまだそこに居た。

「博美ちゃんは如何して名古屋に? 確か高知でしょ」

 二人は並んで歩き始めた。

「新しいエンジンを手に入れるために連れてきてもらったんです」

「という事は、誰かと一緒ね。 彼氏?」

 歩く先に森山が博美を待っている。

「いえ。 チームの先輩です」

「博美ちゃん、その方は?」

 親しげに話しながら博美が歩いてくるのを、森山は見ていたのだ。

「ユキさんって言って、ちょっとした知り合いです。 去年岡山で会いました」

 話の出来る距離まで近づいたところで博美がユキの事を説明した。

「はじめまして、内藤と申します。 博美ちゃんとは去年岡山で会って意気投合したんですよ」

 キャリーバッグをそこに立てると、ユキは両手をお腹の前で重ねてお辞儀をした。

「ど、どうも、はじめまして。 森山といいます。 うーん……俺って博美ちゃんの何になる?」

 キチンとした挨拶を受けて戸惑う森山が博美を見た。

「えーっと、チームメイト? 先輩? メカニック?」

 人差し指を顎に当てて博美は首を傾げた。

「お守りって言うのが一番しっくりくるかな?」

 その仕草を見て森山が良い言葉を思いついたようだ。

「えーー お守りって……」

「けっこうオッチョコチョイで失敗するから。 一人だと鹿児島に行くか東京まで行きかねない」

「……鹿児島? 東京?……ぃやだーー」

 博美の言葉を遮った森山の台詞にユキが手を叩いて笑った。




 三人は改札を通り中央コンコースに出た。連休とあって駅は人で溢れている。

「太閤通り口ってどこだろう?」

 人の多さに呑まれて、博美は壁に張り付いたまま、きょろきょろ見渡した。

「あっちよ。 私もそこで待ち合わせなの」

 ユキが指差し、先頭を切って歩き出す。

「ユキさんも誰かと会うんですね。 彼氏?」

 慌てて博美は小走りで追いかけた。

「残念ながら、あのコウジ君よ」

 追いついて横に並んだ博美にユキはウインクをした。




「……おい、あれ見ろよ……」

「……誰かしら? 綺麗ねー……」

「……芸能人だよな……知ってるか?……」

「……テレビでは見たこと無いわねー……」

「……モデルじゃない……」

「……横を歩いてる男はマネージャーか?……」

「……一緒に居る金髪は? 外人か?……」

「……ねえ、ひょっとして……私知ってるかも……HIROMIっていうモデルじゃないかな……」

「……あ、あんたが四国に行った時に持って帰った……」

「……そうそう。 情報誌に出てた……」

     ・

     ・

     ・

 博美の通った後に、囁きが波のように広がっている。




「かーのじょ。 一緒に遊ばない?」

 出口が見えた辺りで横手から声が掛かった。いきなりの事で博美は身構えるが、

「……はぁ……」

 ユキが呆れたように溜息を吐いて、そのまま歩を進めた。

「ちょっと、ちょっとー 無視はないよー」

「コウジ君……もうちょっと気の利いた事は言えないの?」

 それでも追いすがる人物に、ユキはクルリと回って対面した。

「いやー なんかさ、博美ちゃんが人目を集めてるもんだから……遠くからでも目立つ事ったら……」

「誰だい?」

 何か言い訳を始めた若い男を見て、森山が博美に聞いた。

「博美ちゃんの事、知ってるみたいだが」

「コウジさん。 ユキさんの友達かな? やっぱり岡山で会ったの」

 ナンパじゃなくて良かった、と博美は胸を撫で下ろした。

「俺は日下コウジって言います。 去年だったかな、岡山で会ったんです。 んで、お兄さんは?」

 言い訳が終わったのか、コウジが森山に向き直った。

「俺は森山ってんだ。 今日は博美ちゃんのお守りで来てる」

 お守り、と言うのが森山は気に入ったようだ。

「僕は一人で来れるのに……」

 その横で博美はふくれていた。




 一行はコウジに案内されて駅から出、そのまま駐車場に向かって歩く。チームヤスオカの車はまだ来てないようで、なんとなく博美たちはコウジに付いてきた。

「これが俺の車」

 軽自動車の前でコウジが止まった。

「男性っぽくなくて、なんか可愛い車ですねー」

 ピンクの車体にクリーム色の屋根、と少女趣味そのものだ。

「そうかな? それを言えば、ユキちゃんの車はスポーツカーだよ。 女性っぽくないね。 色は黒だし……」

「わー 凄ーい。 かっこ良いんだろうなー ユキさんっぽいですねー」

 コウジの言葉を途中まで聴いて、博美はユキを見た。

「俺とユキちゃんとで、そんなに扱いが変わるのか……」

「コウジさんって、チャラチャラしてますもん。 ユキさんは頼りになるお姉さんですから」

 胸を張るユキとボンネットに手を付いて項垂れるコウジだった。




 大きなワンボックス車が駐車場に入ってくる。サイドに書かれているのは「team  yasuoka」その下に「Pilot Hiromi Akimoto」

 枠に止める事も無く助手席のドアが開いた。

「おーい、博美ちゃん。 お待たせー」

 井上が手を振る。

「すぐにメーカーに行こう」

「はーい。 それじゃ、ユキさん、コウジさん。 これで失礼します」

 ぴょこっ、と博美が頭を下げた。

「ええ、また会いましょう」

「またねー」

 走っていく博美にユキとコウジが手を振った。




 博美と森山を乗せ、ワンボックス車は駐車場を出ると高速道路に入った。

「どこに行くんですか」

 井上と共に後部座席に座った博美が聞く。

「メーカーの工場だよ。 小牧市にあるんだ……名古屋の北だね っと、博美ちゃん、左を見てごらん」

「……あっ! お城だ……」

 新土居の指差す先、ビルの隙間から名古屋城が見えた。

「ほんとだー ほんとにしゃちほこが乗ってるんだー」

 動体視力の優れた博美は、ビルの隙間に短時間、小さくしか見えなかった天守閣が確認できたのだ。

「あれー……こっちにもお城?」

 すぐ近くに緑の屋根が見える。

「ああ、あれは愛知県庁だよ」

 井上は何度か名古屋に来たことがあるので、県庁の屋根が名古屋城と同じ色なのを知っているのだ。

「なーんだ……紛らわしいね」

 博美の声を後ろに聞きながら、新土居はジャンクションを左に曲がった。




 ワンボックス車は高速を終点まで走り、一般道に降りて、さらに走っていく。

「んーっと……新土居さん、ここ右じゃないか?」

 助手席の森山が、カーナビを見ながら道案内をしている。交差点を曲がるたび交通量は減り、やがて車は畑の中に人家の立っている道に入った。

「へー 意外と田舎……」

 まるで博美の家のある町のようだ。

「……ここだ、ここだ」

 そんな畑の中に工場があり、車は駐車場に入った。




 事務所に入ったところで井上が名前を告げると4人は応接室に案内された。ソファに座って落ち着く間もなくドアが開く。

「やあ、始めまして。 社長をしている山内です」

 社長というには気さくな様子で入ってきたのは、作業服を着た初老の男性だった。4人は慌てて立ち上がる。

「はじめまして。 チームヤスオカのメンバーです。 そっちから秋本、森山、私が新土居です」

 新土居が代表で挨拶をした。

「こんにちは、井上です。 確か以前お会いしましたね」

 井上は以前もエンジンを購入するために押しかけたことがあるのだ。

「井上さんは存じております。 今年はシード選手ですよね。 後の三人の方は初めてですね。 安岡さんには以前からエンジンを使って頂いていますから、チームヤスオカの事も聞いてますけど……」

 全員にソファを進めると自分も座り、山内は三人の顔を確かめた。

「そちらの女性が「空の妖精」さんですか?」

 改めて山内は博美を見た。

「はい。 恥ずかしいですが、成田さんがそう呼びはじめて……」

 面と向かって言われ、博美が顔を伏せる。

「ははは……成田さんなら言いそうだ。 彼もうちのエンジンを長い事使ってくれてますね。 この連休は名古屋に来るんじゃないかな。 飛行場が賑やかになりそうだ」

「失礼します……持って来ました」

 ノックもなくドアが開き、作業服姿の男が入ってきた。そのままソファに近づき、箱を4個テーブルに置く。

「今のところ、出せるのはこれだけです」

「そうか、ご苦労。 休みに申し訳なかったね」

 男は軽く礼をすると出て行った。

「さあ、これが「YU185cdi」です」

 山内が箱を一つ取り上げると蓋を開けた。スポンジに包まれたエンジンが姿を現す。出来上がったばかりのエンジンはシリンダーの銀色も鮮やかで、黒いタペットカバーが輝いていた。

「……ちょ、ちょっと待ってください。 185って……180じゃないんですか?」

 森山が尋ねる。たしか井上は180と言ったはずだ。その井上も目を丸くしている。

「185です。 噂は180でしたね。 しかしこれは185なんです。 正確には30.6ccですね」

 それに対してキッパリと山内が答えた。

 「……30.6 ……1.8cc増えるのか……」

 エンジンを見つめて森山が呟いた。




 ホテルの部屋に「ミネルバ」と「ミネルバⅡ」を持ち込み、新土居が新しいエンジンを取り付けている。

「取り付け寸法は175と同じだ。 しかし50グラム重くなってるな」

 説明書を見ると175と185の取り付けボルトの位置は変わってなかった。しかし排気量が大きくなった分、重くなっている。

「それだと重心位置が変わりますね。 後ろにおもりを積みます?」

 見ていた博美が口を挟んだ。重心位置は演技をするために重要なファクターだ。現在の位置が変わるのは困る。

「ああ、17グラムほど追加しよう」

 当然そのことは新土居は分かっている。

「新土居さん。 点火ユニットの重さも考えないと……100グラムもあるぜ」

 説明書を読んでいた森山が声を掛けた。このエンジンはプラグに点火するためにバッテリーとコントローラーを積んでおかなければいけない。

「……全部で150グラムか……やばいな「ミネルバⅡ」の重量が5キロを越しそうだ」

 それを聞いて新土居は、今まさにエンジンを外そうと手に持っていたレンチを下ろした。燃料を入れない状態で、スタント機は5キログラムを超えてはならないのだが、修理したため「ミネルバⅡ」は重くなってしまっていた。

「ま、とりあえず取り付けて……重量は高知に帰ってから調べよう」

 暫し考え、新土居は再びレンチを持った。




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