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空の妖精  作者: 道豚
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パワー不足


「うわー 良いところなんですねー シンガポールって」

 井上たちの新婚旅行の話をみんなで聞いている。博美は特に身を乗り出して食いついていた。

「そうなんだ、食べ物も美味しいし。 なんたって洋風、中華風、マレーシアにインド。 世界中の食べ物が食べられるんだ」

「……いいなー……」

「……博美、ヨダレ……」

 加藤が横に置いてあったティッシュケースから数枚引き出し、博美の口の前に差し出した。

「……って……」

 慌てて博美はティッシュを口に当てた。

「ふふふ……博美ちゃん、変わらないね。 こーんなに綺麗になったのに」

 静香がふわりと笑い、

「そうそう、お土産を持って来たんだ。 みんなで食べましょう」

 レガシィに歩いていった。




 静香の出してきたのは有名なマーライオンのチョコだった。大きな箱が二つで一箱に16個入っている。そしてそれは直ぐに一箱がからになった。

「井上さん……」

 ひとしきり食べ、落ち着いた博美が口を開く。

「ん? なんだ?」

 井上が顔を上げた。

「……決勝でのノウンプログラムですけど……上手くいかないんです」

 博美は井上の顔を見ず、テーブルに視線を向けたままだ。

「……ラダーで向きを変えるマニューバで失敗、っていうか滑らかでない、っていうか……とにかく上手くいかないんです……」

 マニューバとは演技を構成する飛行機の機動単位のような物で、宙返りやロール等であり、それが組み合わされて一つの演技となる。

「……どうすればいいんでしょう?……」

 顔を上げ、井上を見る博美は睫毛を伏せていた。

「……そうだな……おそらく、俺が思うには……あくまでも俺の感覚だが……「ミネルバ」の方がより調子が悪いだろう? エンジンのパワー不足じゃないかなぁ」

 井上は整備スタンドに乗っている「ミネルバ」と「ミネルバⅡ」を見た。

「ラダーを使うと抵抗が凄いんだ。 上昇中なんかだと急ブレーキが掛かったようになる。 たしか「ミネルバ」は170で「ミネルバⅡ」は175だったよな。 そこん所で違いがでてるんだろう」

 170は約28ccで175は29ccの排気量だ。わずか1ccだが、そこでプロペラサイズが少し変わる。当然175の方が大きなプロペラを使う事が出来、その分推進力も大きいのだ。

「……それじゃ「ミネルバ」も175にすれば……」

「いや、もっと大きなエンジンが出てる」

 博美の言葉を井上は遮った。

「180だ。 30ccだな」

 井上の言葉に博美は息を呑んだ。

「……180……そ、そんなエンジン、雑誌にも出てません」

「ああ、まだ生産が始まったばかりで流通してないんだ。 今手に入れてるのは選手権上位選手だけだろうな。 例のトップフォーだな」

 ふっ、と井上が息を吐く。

「この世界、力がある者がより有利になる……悔しいが真実だ」

 言葉を切ると、井上は博美を見た。

「でだ……どうだ、メーカーに乗り込まないか? 直接買いに行くんだ」

「え? 直接?」

 博美は井上の言葉に目を丸くしている。

「そうだ。 流通してないなら、工場から出てきた出来立てほやほやを掴んでやろう、って訳だ」

 井上の口角が怪しく上がる。

「……でも……新しいエンジンを買うお金なんて、僕は持ってないです……」

 博美の視線が再びテーブルに落ちた。

「いいや、博美ちゃんなら使ってくれ、と向こうから差し出してくるよ。 なんたって空の妖精だ。 これは成田さんに感謝できるよな」

「……そうかなー……」

 今一つ納得できない博美に「今度聞いとくよ」と井上は返した。




 午後になると風が強くなってきた。この飛行場は比較的海に近く、午後は海風が吹くのだ。博美は「ミネルバⅡ」で予選に使われるプログラムの練習を始めた。

「(……うーーん……上手い。 しばらく見ないうちに、さらに上達してるな。 これなら予選で10位以内になって決勝に行くのは確実だろう……)」

 助手をしている加藤の後ろで、井上が腕組みをして博美の飛行を見ていた。

「(……やばいな……うかうかしてるとシードから落ちてしまう……)」

 風が強いときの博美のフライトは、相変わらず見事だった。




 井上の「ビーナス」が強風を物ともせず綺麗な円を描く。飛行場に手ぶらで来るはずは無く、井上は静香を助手に付けて練習をしていた。

「……ちぇー ここはパイロットと助手が恋人同士の飛行場かい。 いいよ、いいよ。 俺は練習しないよ……」

 タープの下で新土居が不貞腐れている。

「(……新土居さん、可哀想だな……)……新土居さん、僕が助手に付きましょうか?」

 「ミネルバⅡ」の点検をしていた博美が、そんな新土居の元にやって来た。

「恋人にはなれないけど、雰囲気だけでも……」

「おお! 博美ちゃん、本当か?」

 さっきまで死んだようにテーブルに伏せていた新土居が、椅子を飛ばして立ち上がった。




 新土居の「マルレラ」が風に煽られてコースからずれて行く。

「新土居さん、ラダーを右に!」

 博美が後ろで指示をしている。

「ラダーを使ったらエルロンは逆でしょ! ほらほらエレベーターがお留守になってる」

 新土居は懸命に博美の指示を聞いているのだが……

「新土居さん、垂直に上るようにエレベーターを押さなきゃ! わーー、押し過ぎー だめだめ、もっと細かく制御して」

     ・

     ・

     ・

 新土居が何か一つ操作をするたびに博美からダメ出しが入る。

「(……キツイ……博美ちゃんって……スパルタ?……)」

 普段の倍以上スティックを操作することになり、やっと着陸したときには新土居の親指は限界に達していた。

「(……も、もう恋人を助手にしたいなんて、俺は願わない……)」

 精神的にも疲れた新土居は、チェアーに倒れこんでしまった。




 7月になった。今日は去年合宿をした総合スポーツ公園でテニスの四国高専大会だ。この大会で2位に入れば全国高専大会に出る事が出来る。

 梅雨空の下、時々中断しながら試合は続いていた。

「樫内さーん! 頑張れー!」

 女子の声がコートに響く。残念ながら博美と加藤は3回戦で負けてしまったが、樫内は決勝に進んでいた。これで樫内は全国大会に出場する事が決まったことになる。全国大会は8月の最後の日曜日を含む3日間、香川県で行われるが、これは博美の出場するラジコンの日本選手権と同じ日程だ。

「ごめんね。 応援に行けなくて」

 それを知った博美は樫内に謝ったのだが、

「いいの。 篠宮さんに来てもらうから」

 にこにこ、と樫内は笑った。

 樫内の決勝の相手は高松高専のキャプテンだった。樫内は第1セット、第2セットとも危なげなく相手のサービスゲームをブレーク。6-4、6-4で快勝した。




 週末になると雨が降る。6月の終わりから博美は全然練習出来ていなかった。

「もう3週間も練習してないよー 康煕君、どうしよう……」

 高専大会の翌週、今日も雨空で博美は加藤の部屋で愚痴っていた。

「社会人の人は有給なんかを使って、天気のいい日に練習するんだって……ずるいよねー」

「……まあ、仕方が無いんじゃないか? 井上さんみたいに不定期でしか休めない人だって居るんだから」

 加藤は発売になったばかりのラジコン雑誌を捲っていた。表紙は博美を中央にして、左右に眞鍋と岡山が並んだ写真だ。そしてカラーページはまるで写真集のように博美の写真が並んでいる。加藤は毎月予約していたから買え、博美には出版社から一冊送ってきたので手にする事が出来たのだ。ネットオークションではプレミアが付いて、一冊5千円で売買されていた。

「……そっかー それもそう……メールだ」

 博美が携帯を開いてみると、井上からのメールが入っていた。

 『エンジンメーカーに聞いてみたら、空の妖精なら是非使ってくれってよ。 今度の3連休に名古屋に行くか? 行くならホテルを予約するぜ』

「今度の連休に名古屋に行かないか?って。 康煕君、どうする?」

 携帯から顔を上げ、博美は加藤を見た。

「ん? 俺は行かないぜ。 第一金が無い」

 加藤はラジコン雑誌から顔も上げない。

「ええーー 行かないの? 僕は行きたいのに」

 博美が加藤に向けて身を乗り出した。

「行けばいいじゃないか。 相手は井上さんだ、慣れてるだろ?」

 やっと本を閉じると加藤は博美を見た。

「……一緒に居たいのに……いじわる……」

 目を見開いて博美は加藤を見つめる。

「ばーっか。 意地悪で言ってるんじゃないぜ。 おまえもたまには一人で行動しろよ。 なーに、僅か2泊3日だ。 直ぐに終わるさ」

「つーん、だ。 そんな事言ってると、名古屋で浮気してきてやるんだから」

 ぷいっ、と博美は横を向いた。

「そりゃ面白い。 出来るならしてこいよ」

「……いじわる……こうしてやる!」

 博美は加藤に飛びつき、唇を押し付けた。




「……ドタドタと煩いわねー……」

 一階の居間でテレビを見ていた麻紀が天井を見た。

「……博美さんが来てるんでしょ。 いけない事してたり……」

 一緒になって麻由美も天井を見た。

「……そうかも……んじゃ……」

「お母さん、どこに行くの?」

 立ち上がった麻紀に麻由美が聞いた。

「お風呂を洗って、用意しておくのよ」

 麻紀は廊下に出て行った。

「……お風呂?……あ! そうか……」

 麻由美が「ぽん!」と左手の掌に右手の拳を打ち付けた。

「(……二人とも汗ビッショリになるもんね……あれした後は……)」

 察しが良すぎる親子である……



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