日本選手権予選3
出張前に投稿……ま、間に合った……
博美がピットに戻る頃にはざわめきが戻っていた。其処彼処で博美のフライトの感想が囁かれている。
「すごい、素晴らしい演技だったわ。 ほんと、空中で行うダンスね」
ピットで準備をする篠宮の傍で樫内が待っていた。
「バレエと言ってもいいかも」
まだまだ素人の樫内でも、博美の演技が別格なのは分かるのだ。
「ありがとう。 良い具合に集中できたんだ。 風も無かったし」
ちょうど森山が回収してきた「ミネルバⅡ」を博美は整備スタンドに乗せた。
「この流れで崇さんもね」
樫内が篠宮を覗き込む。
「直海ちゃん……そりゃ無理だ」
篠宮は苦笑を浮かべるだけだった。
操縦ポイントに立って、篠宮が「マルレラ ep」で演技をしている。メモを見ながら樫内が、その背中で助手をしていた。
「篠宮さん、調子いいみたい」
審査員のさらに後ろに立ち、博美が演技を見ていた。
「ああ、彼女が助手をしてくれてるんだ……無様なところは見せられないんだろうよ。 ほんと腹が立つ」
新土居の感想は飛行場に居る独身者を代表しているかの様だ。
「新土居さん、またそんな事言ってー みっともないですよ。 それこそ無様じゃないですか?」
「っい・痛ってーーー」
博美の指が新土居の脇腹に突き刺さった。
篠宮のフライトが終わり、博美たちはタープの下で休憩している。競技は続いているが、チームヤスオカや知っている選手の演技は終わったのだ。
「流石は博美ちゃんだな。 殆ど8点以上じゃないか」
森山の前には全員分のジャッジペーパーのコピーが広げられていた。複写式になっていて、集計が終わると選手は貰えるのだ。
「うーん……ぼ、私って以前は宙返りが悪かったんですよね。 でも今回はナイフエッジが悪くなってる」
さすがに博美といえどもオール10点とは行かず、8点がそれなりに在る。そして唯一7点が付いているのが「ダブルインメルマン ウイズ ツーナイフエッジフライト」という1/2宙返り直後にナイフエッジ(主翼を垂直にして飛ぶ)を2回繰り返す演技だった。
「1/6ロールズも悪いし……」
「それってさ……ひょっとして「ミネルバⅡ」の限界かもしれないぜ」
新土居が横からジャッジペーパーを覗き込んだ。
「俺もなんとなく思ってた……」
それを聞いて森山が新土居を見る。
「……限界?……」
二人に挟まれて、博美が首を傾げた。
「「ミネルバⅡ」ももう3年前の設計になる。 胴体の設計にいたっては4年前だ。 ナイフエッジ時の気流の流れが悪いのかもな……」
「……気流ですか……」
博美は顔を上げて、胴体の周りを流れる空気に思いを馳せた。だが、風を読むことのできる博美といえど、これほど狭い範囲は理解の外だ。
「……一つ提案があるんだけど……」
正面に座った篠宮が切り出した。空想の世界から抜け出し、博美は篠宮を見る。
「……僕の「マルレラ」はカナライザーを付けてある。 まだ試行錯誤の段階だけど、ナイフエッジ時の浮きが良くなるのは感じるんだ」
「あんな小さな部品で変わるんですか?」
博美が以前ヤスオカで見たカナライザーなる小さな翼は今、確かに「マルレラep」の背中に付けられていた。篠宮が頻繁に調整するのを博美も見たことがある。
「変わる。 確実に良くなる。 ただ他の姿勢での影響が不明なんだ。 だから博打になるけど……」
「そうか。 「ミネルバ」に付ければ……」
最後まで聞かずに新土居は理解した。「ミネルバⅡ」に付けるのは無謀だが予備機の「ミネルバ」なら問題は無い。
「新土居さんなら、今晩中に付けられるな。 失敗しても、博美ちゃんは今日1000点だから予選通過は確実。 やってみる価値はあるぜ」
森山が頷いた。そこには新土居に対する信頼がある。
「カナライザーの予備は持ってる。 博美ちゃん、やってみよう」
引っ掛けて壊しやすいのでカナライザー自身は取り外し式になっていて、当然壊れた時用に篠宮は予備を持っていた。
「はい、新土居さんお願いします」
新土居のほうを向き、博美はお辞儀をした。
「……ぜんっぜん分からない……」
樫内にはちんぷんかんぷんの話だった。
午後3時に予選第一ラウンドが終わった。結果は博美がぶっちぎりのトップで1000点。2位は眞鍋で889点。その後岡山、徳島と去年の上位選手が並んだ。
「……くそう……ついてないぜ……井上がシードになって、俺にもチャンスが回ってきたかと思ったら……妖精が出てくるとはよ……」
徳島は去年も4位で補欠だったので、特に悔しい様だ。
「まあ、腐るな……来年に掛けようぜ。 どうせ、あの妖精はシードになる。 席が一つ開くさ」
そんな徳島を仲間が宥めている。そんな周りの悲喜交々(ひきこもごも)の呻きを置き去りに、博美たちはホテルに向かった。
「ねえ、去年はプールに行ったよね。 また行かない?」
後部座席で博美が皆んなに言う。
「でもよ「ミネルバ」の改造をしなくちゃいけないんだぜ。 そんな余裕は無いだろ?」
背もたれに肘をかけ、加藤が博美の方を向いた。
「作業は新土居さんがするんだから、博美ちゃんが居ても居なくても関係ないんじゃないか?」
助手席の森山が振り返った。
「そ、そうだよね。 ね、新土居さん……僕が居なくてもいい?」
博美が運転席の新土居の肩を突いた。
「まあ、そうだよな……博美ちゃんが居なくても問題は無いな……」
運転しながら新土居が首を横に倒す。
「……珍しく新土居さん、歯切れが悪いな……」
森山が新土居の横顔を見た。飛行機を作る、または直す事で新土居が即断しないのはめったにないのだ。この改造は難しいのかと森山は心配になった。
「……だってよ、プールに行けば博美ちゃんの水着姿が見られるんだぜ……去年からだいぶ育ったみたいだし……それが見られないだろ。 俺も行きたい」
ワンボックス車の中に白けた空気が流れた。
「……そんな事で渋ってるんか……ようし、俺がしっかり見てきてやる」
その空気を吹き飛ばそうと、森山が声をあげる。
「ばかやろ。 お前も一緒に作業するんだよ。 俺一人だけ見られないなんて許せるか!」
新土居は空気が読めないのか……
「……ふ、二人とも……来ないで!」
とうとう博美が爆発してしまった。
「(……後で篠宮に揺れ具合を聞こう……)」
どこまでも懲りない新土居だった。
ホテルにチェックインした後、レガシィから「マルレラep」を降ろし、篠宮の運転で4人はプールに向かった。
「それじゃ、プールサイドで……」
受付カウンターで料金を払い、それぞれ男女に別れて更衣室に向かう。一つドアを潜ると、去年と同じ様に競泳用の水着が並んでいた。
「樫内さんはどれにする?」
博美は去年と同じ、前面は黒だがサイドが鮮やかな水色と明るい黄緑になっている水着に手を伸ばした。
「私はこれにするわ」
樫内が取り出したのはフロントが紺、サイドとバックが明るいレッドの水着だった。ハーフスーツなので太ももが殆ど隠れている。
「えー 意外と露出が少ないんだね。 海ではしっかりビキニだったのに」
博美の選んだのはハイカット。太ももはしっかり見えることだろう。
「えみちゃん。 僕って言うのはいい加減止めなさい」
博美と樫内が更衣室に入ったところで声が聞こえた。どうやら母親が子供を叱っているようだ。
「やだよ。 僕って言ってたら、綺麗になれるんだから」
しかし、叱られているであろう女の子は負けていない。
「また言ってる。 そんな人、お母さんは見てないわよ」
「居たんだから。 お話したんだから……」
誰かを探す様に周りを見渡す女の子と博美の目が合った。途端に女の子は笑顔になる。
「居た! お姉さんが居た!」
その子は博美の所に走ってきて腰にしがみ付いた。
「……えっとー もしかして……前に会った……」
そういえば、と博美は去年の事を思い出した。女の子が「僕」と言う博美の真似をする、と宣言したのだった。
「えみ、だよ。 お姉さん、僕って言ってたよね」
しがみ付いたまま、女の子は見上げてくる。
「すみません。 えみちゃん、あなた何してるの」
母親が慌ててやって来た。
「あ、僕は大丈夫です」
叱られてはかわいそう、と博美が庇う。
「やっぱりお姉さんだ。 お母さん、言ったでしょ。 僕って言うと綺麗になるんだよ」
博美の「僕」を聞いて、女の子は勝ち誇った様に母親に向き直った。
「そ、そうね……美人だわ……って言うか……お母さん、見たことあるんだけど……」
しかし母親は「僕」と言う言葉より博美の顔が気になる様で、暫し首を傾げ、
「……そうだ。 もしかしてHIROMIさんじゃない? モデルの」
パッ、と顔を輝かせた。
「……えと、確かに博美ですけど……モデルって訳じゃ……」
「やっぱり! ……き、きゃーーー! HIROMIが居るー 素敵ーー」
更衣室に声が響き渡り、その場に居た奥さん達が博美を取り囲む事になった。
「遅いなー 何してんだろ?」
加藤が女子更衣室に繋がるドアを見ながら呟いた。加藤と篠宮の二人はプールサイドに所在無げに立っている。平日でない土曜日とは言え、午後4時ともなれば子供を連れた母親達は夕食の支度に帰る訳で、段々人影が少なくなってきていた。
「……なんだか女子更衣室が騒がしくないか?……」
篠宮が腕組みをして顎で示す。帰る人が更衣室のドアを開けるたびに、外から歓声が聞こえてくるようだ。
「……あの二人……問題でも起こしてなけりゃいいけどな……」
ありうるよな、と二人が顔を見合わせた。
博美と樫内がプールサイドに来たのは、加藤たちが来てから30分程も経ってからだった。
「遅いぜ……待ちくたびれて、もう3往復も泳いでしまった……」
プールサイドに置かれたチェアーに寝そべった加藤が愚痴る。
「し、仕方が無いじゃない……お母さん達が放してくれなかったんだから」
その横で疲れきった博美がテーブルに胸を乗せていた。
「……まさかHROMIがこれほど広まってたなんてね……」
博美の正面の椅子には胸の下で腕を組み、樫内がへたり込んでいる。
「まあまあ、無事だったなら良かったよ。 はいどうぞ」
篠宮が買ってきた缶ジュースをテーブルに乗せた。一番年上なのに、パシリを引き受けたのだ。
「(……しかし……直海ちゃんも博美ちゃんも、去年から見ると育ったよね……)」
篠宮の視線が二人の胸を行き来するのを(篠宮にとって幸運なことに)博美は気が付かなかった。
「(……ん?……)」
しかし、そんな幸運は樫内には通用しないのではないだろうか…………
明日から出張です。
ホテルにネット環境は在るらしいですが、アクセスする時間は在るのか無いのか……
返信など、遅くなるかもしれません。




