日本選手権予選1
火曜日の午後、新入生たちが体育館に集まっていた。今日は部活の紹介があり、その後その場で入部手続きができるのだ。野球やサッカー等、メジャーな部活の紹介が続いた後、ステージの上に博美が加藤と新キャプテンを従えて出てきた。
「 新入生のみなさん、硬式テニス部でーす」
ワンピースのテニスウェアーを着た博美が、お辞儀をしたあと手を振る。
「キャーーー! HIROMIーー」
「キレーーイ!」
「かわいーー!」
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ステージ前に陣取る女子たちの黄色い声が体育館に響き渡った。
「うぉーーー!」
「すげーーー!」
「ひ・ろ・みーーー!」
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男子達も負けじと野太い声を張り上げる。この騒ぎは博美がステージを下りるまで収まらず、博美の話すテニス部の紹介は誰にも聞こえなかった。
博美の立っているテニス部の受付ブースには入部希望の女子が5人並んでいた。
「HIROMI先輩、よろしくお願いします」
呼びかけられて博美が見ると、寮のお風呂で一緒になった3人が居る。
「あら。 あなた達も入部してくれるの?」
にっこり、と博美が余所行きの笑顔を見せた。
「はい。 私達がHIROMI先輩を守ります」
「ちょっと、あんた達。 秋本さんを守るのは私よ」
横から樫内が割り込んできた。
「でも……先輩、あれだけの男子から守るのは一人では無理だと思います」
指差す先には数十人の男子が受付ブースに行列を作っている。
「わははは、大漁だー……土曜日の練習を休みにした俺の作戦勝ちだー」
その前で前部長の杉浦が大笑いをしていた。
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「ランニングに行くぞー 1年生の半数は並べー!」
新キャプテンが声を張り上げている。あまりに多く新入部員が入ったため、2グループに分けて基礎トレをしているのだ。おかげで4年生は全員がそれに付き合うことになっていた。
「4年生の人たちは大変ねー」
樫内と二人でサーブの練習をしていた博美が散らばったボールを集めながら、コートを出て行くグループを見た。
「そーねー でも秋本さんを狙って入部した男子を振るい落とすためだもの、先輩には頑張ってほしいわ」
樫内もそのグループを見て、そしてため息を吐いた。
「まっさかー 私を狙って、だなんて……」
「HIROMI先輩……まさか、じゃないです」
例によって3人揃って1年生が声を掛けてきた。
「私たち、聞いたんですから」
「みんなが先輩のこと噂してます」
「私たちが先輩を守ります」
最後は3人が声を揃え、綺麗なコーラスになった。
「あ、そう……よ、よろしくね……」
博美の笑顔は強張っていた。
部活も終わり、寮に帰る博美の横から加藤を押し出し、樫内が並んで歩いている。
「ねえ、篠宮さんから聞いたんだけど、ラジコンの全国大会予選があるんだって? 秋本さんも出るの?」
ふっ、と思い出したように樫内が尋ねてきた。
「うん、出るよ。 もう申し込んであるんだ。 それで3位以内でないと全国大会に出られないんだよ」
「岡山であるんだってね。 篠宮さんも出るって言うんだけど……私も行こうかな」
唇に人差し指を当てて、樫内が小首をかしげる。
「一緒に行く? 僕だけだと女子が一人で寂しいんだよね。 去年なんか康煕君を部屋に呼んじゃったし……今一緒の部屋にいたらいけない事しちゃいそう」
ねっ、と博美が振り返って加藤を見た。
「あんた、そんなことしたの? 行くわ。 一緒に居てこいつを見張ってなきゃならないわ」
樫内も振り返って加藤を睨む。
「……っつ!……」
「いけない事なら私がしてあげる」
加藤がたじろいだ事を確かめ、樫内が博美の肩に手を掛けた。
「しないからね」
博美はつれなく樫内の手を払いのけた。
「予選って何人ぐらい出るのかしら?」
樫内は払いのけられた手を見る。
「去年は20人も居なかったけど……今年は増えて35人ぐらいになりそうだって」
「へーー やっぱり本州だと人が集まるのかしらね」
諦めたように樫内はスポーツバッグを持ち直した。
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ここは岡山のとある模型屋の事務所。
「おいー また申し込みが来たぞ」
「どうするんだよー この調子だと二日で消化できないぜ」
「今何人だ?」
「今日来たので37人」
「仕方が無い。 40人で締め切りにしよう」
「いいのか? 暴動が起きるぜ」
「仕方が無いだろ。 どうせ妖精ちゃんを見たくて申し込んで来るんだ。 諦めてもらおう」
「そうだ! ピットに入るのを許可制にすれば……」
「お! それいいな。 許可証を販売すれば……おい、儲かるぜ」
「お、おまえ……悪だな」
「へへへ……褒めるなよ」
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夜明け前の高速道路を篠宮の運転する井上のレガシィが走っていた。助手席には樫内が居て、ぼんやりとフロントガラスの向こうで唸りを上げて走っている「トヨタ スーパーロングバン」を見ている。二人は岡山の予選会場に早朝6時に着くように、高知を3時に出たのだ。
「あっちの車に全員が乗れれば楽だったですね」
「友達の家に泊まる」と言って家を抜け出した樫内は、前日から篠宮の家に行っていた。
「そうだね。 でも人数的には乗れるけど、飛行機が乗せられないから」
今回は新土居と森山も予選に出るため、二人の飛行機がワンボックス車には積んである。博美といえば「ミネルバ」と「ミネルバⅡ」を使うつもりで、その2機が載っている。4機しか積めないワンボックス車はそれで満載になったのだ。仕方なく、篠宮は井上からレガシィを借りてきた。
「デートみたいで、私は楽しいです」
樫内が運転席の篠宮を見て微笑んだ。
後ろで甘い会話が交わされている事も知らずに、ヤスオカのワンボックス車の、飛行機を載せるために取り付け位置が前にずらされている後部座席で、博美は加藤の肩にもたれて眠っていた。
山陽自動車道に入った頃に夜が明け、一向は休憩にパーキングエリアに入った。
「ふぁあ~~」
樫内と並んで顔を洗いに行く途中、博美が大口を開けて欠伸をする。
「秋本さん、眠そうね」
「うん、眠い……樫内さんは眠くないの?」
溢れてきた涙を手の甲で拭い、博美は目を瞬かせた。
「ちょっとね」
「ちょっとなんだー 僕は凄く眠い……あっ!」
うっかり「僕」と言ってしまって博美が身構えるが、樫内は何もしない。
「え、えっとー 樫内さん?」
ぼんやりしている樫内の肩を博美が「ぽんぽん」と叩く。
「えっ! 秋本さん? なにかしら?」
びくっ、と樫内が震えた。
「樫内さん、なにボーっとしてるの?」
「ご、ごめんなさい。 寝てたみたい」
ちょっとではなく、樫内も凄く眠かったのだ。だから博美に対する言葉遣いが普段より大人しかった。
短い橋を渡って博美たち「チームヤスオカ」は笠岡の干拓地に入った。広い畑の中を行くと2階建てのビルが見えてくる。予選の行われる笠岡農道飛行場のビルだ。滑走路の周りにはフェンスがあるが、道路が滑走路を横切っている場所があり一箇所切れている。新土居はワンボックス車をそこから飛行場の中に入れ、滑走路に沿ってエプロンに向かった。もう既に沢山の選手が滑走路脇に車を止めて飛行機を組み立てている。
「さあ、準備しようぜ」
いつものように新土居は横向きにワンボックスを止めると、後席を振り返った。
初めに組み立てた「ミネルバ」を脇に置き「ミネルバⅡ」を組み立てる頃には、博美は沢山の選手に周りを取り囲まれていた。
「……これが「ミネルバⅡ」か……」
「……実際に見ると、本当に大きなラダーだな……」
「……後は特に変わった所は無いよなぁ……本当にこれが神の飛びをするんか……」
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皆で口々に意見を言い合う。ついに伝説の「ミネルバⅡ」が予選に出るのだから、興味の尽きないのは当然だ。
「……かわいいよなー……」
「……写真より美人だね……」
中には飛行機を見ていない者もいるようだが……
其処彼処でエンジン調整の音が聞こえ始めた。何時の間にか博美の周りからも選手は居なくなっている。
「博美ちゃん、おはよう。 無事に来たね」
燃料を入れている博美の横に眞鍋が来た。
「眞鍋さん。 おはようございます」
ひろみは振り仰いで挨拶をする。
「随分早かったんですね」
「ああ。 昨日から来てるんだよ。 近くの飛行場で練習してた」
眞鍋がウインクをしてみせた。
「トップで通過したいからね」
「そうは行きませんよ。 僕だって調子良いんですから。 ……康煕君、掛けるね」
「ミネルバⅡ」を後ろで支えている加藤に声をかけて、博美はスターターを握った。
今年もジャッジとして呼ばれた成田は、並んだスタント機をぶらぶら歩きながらチェックしていた。
「(……大して変わらんな……)」
新パターンになったとは言え、まだまだ新しいマニューバに対応した飛行機は出来てないようだ。
「(……ここも俺の設計した機体が多い……)」
やはり、今のチャンピオンである本田が使っている飛行機は人気がある。
「(……っと、これは「ミネルバ」じゃねえか……)」
いい加減、同じ飛行機ばかりで退屈してきたとき、毛色の違った飛行機が目に飛び込んできた。
「(……そうえば……安岡の旦那の店から売り出したんだったな……)」
そこは成田もマニアである。地べたに這いつくばって、隅々まで眺め始めた。
「成田さん。 「ミネルバ」がそんなに気になるか?」
持ち主だろう、すぐ後ろに置いた椅子に座っていた選手が声をかけてきた。
「おお、そりゃそうだ……うーん……綺麗に出来てやがる……どうやら「ミネルバ」そんままじゃねえようだな……」
しばらくして、成田は立ち上がった。
「いや、俺は何も変えてないぜ。 ヤスオカオリジナルのはずだが……」
選手が首を傾げる。
「お、そうか。 そうだったか……邪魔したな」
片手を上げて、成田はそこを離れた。
「(……さーて……オリジナルは何処に居るかな?……」
きょろきょろと辺りを見渡す。
「(……居た……)」
少し先でエンジン調整をする博美を成田は見つけた。
「(……空の妖精……なんだか……去年より色気が出たか? こりゃ飲まれねえ様に気を付けないとな……)」
奥歯を噛み締めると、成田は歩き出した。
「よう。 空の妖精」
「ミネルバⅡ」のエンジンを止めて立ち上がった博美に成田が声をかけてきた。
「あっ! 成田さん。 おはようございます。 お久しぶりです」
ぺこり、と博美がお辞儀をした。
「調子はどうだ? 良い音で回ってたようだが」
「いいですよ。 去年の秋から随分調整、練習してきましたから」
博美は送信機のショルダーストラップを外した。
「そう言えば……「ミネルバⅡ」って落ちたんじゃねえか? ってこれは「ミネルバⅡ」だよな」
伝説の飛行機が落ちたニュースは、あっという間に日本中に広まり、成田の耳にも届いてた。
「……どこも壊れてねえんじゃ? ……あれはガセか?」
「いえ、僕が落としてしまいました。 でも修理できたんです」
「修理しただと! ……全然わからねえぞ」
さっきと同じように成田は地面に寝転がって「ミネルバⅡ」を調べた。
「誰だ! だれが修理したんだ?」
「新土居さんです。 ヤスオカの……」
あまりの剣幕に博美は仰け反り、加藤が守るように博美の横に立った。
「来てるか? 今日、ここに来てるか?」
「は、はい。 今日、予選に出ます」
「ようし。 後で紹介してくれ」
踵を返すと、成田は本部テントに向かって歩いていった。




