新しいクラブと加藤
初めて飛ばす飛行場は、勝手が違うものです。
井上が美味しそうにケーキを食べている。
「井上さん、意外と甘い物も食べるんですね」
博美は自分の分は食べてしまい、紅茶を飲みながら言った。
「まあな、俺は甘党だな…… 酒は飲まないし」
「(ちぇ…… 食べないなら後で貰えたのに……)」
博美は甘いものに目が無い……
「それはそうと、今日はどうする?」
そんな気持ちを知らずに井上が今日の予定を尋ねた。
「一緒に俺の所属するクラブに行くか?」
「いいですね、何処にあるんですか?」
「南国市だ、高専があるだろ。 その近くだな」
「高専の近くに飛行場があるんですか!」
「ああ、目と鼻の先ではないけど、自転車で行ける距離だ」
「行きます、連れて行ってください」
春から進学する高専の近くで飛行機が飛ばせると聞いて、博美はついていく事に決めた。
助手席に博美を乗せた井上のレガシィが河川敷の飛行場にやってきた。朝早くから集まっていたラジコンクラブの面々が女の子を連れて来た井上を見て集まってくる。
「えー…… 井上さん、誰?」
「彼女が出来たの?」
「やったね、ついに春が来たねっ!」
35になろうとしているのに、いままで女の影すら見えなかった井上が、可愛い子を連れてきたことに飛行場中が大騒ぎになってしまった。
「なに皆勝手なこと言ってんだ。 この子はそんなんじゃない!」
周りを取り囲んだクラブ員たちに井上が大声を上げる。
「ただ飛行機を飛ばしに来るのに乗せてきてあげただけだ」
「またまた、そんな事言ってー どうせ手取り足取り教えるつもりなんだろう?」
なかなか理解はしてくれないようだ。しかも「手取り足取り」という発言に、博美が顔を赤くするものだから、さらに周りが盛り上がってしまう。
「ばかやろー。 なに赤くなってるんだ」
「…………」
博美は恥ずかしくて何も言えない・・・
「おまえら…… いい加減にしやがれ!」
井上がついに切れてしまった。
30分後、やっと周りからクラブ員が離れて博美と井上は自由に動けるようになり、井上はレガシィからパラソルとピクニックチェアを出してきた。
「博美ちゃん、椅子とテーブルを使っていいぜ」
言いながらパラソルを立てて、その下にチェアをセットする。
「ありがとうございます。 僕はグライダーを出しますね」
博美は持ってきた自分のグライダーを出してきて、テーブルの上に置いた。
「あれ、このグライダーは彼女の?」
テーブルの上にあるグライダーを目ざとく見つけたクラブ員が尋ねた。
「はい。僕のです」
「え…… 僕?」
「あははは…… 私のです」
「きたーー。 僕っ子きたーー!」
このクラブ員には「つぼ」に入る言葉だったようだ……
「(なに…… なんか怖い……)」
いきなり叫んで走り出した人を見て博美が井上の影に隠れた。
自転車で背の高い男の子が飛行場にやって来た。荷台にはグライダーが括り付けてある。
「おはようございま~す」
スタンドを立てながら周りの人に挨拶をして、さっそくグライダーを下ろし始めた。
「加藤君、おはよう。 今日もグライダーを持ってきたね」
「はい、自転車ですから、このグライダーぐらいしか運べないんです。 車の免許を取るまでエンジン機は無理ですね」
クラブ員と話しながら、加藤と呼ばれた男の子はグライダーを組み立てている。大きさは博美のグライダーと同じくらいだ。しかし博美のグライダーが2年以上前の設計なのに対して、加藤のグライダーは最近発売された物だった。そのため、博美のグライダーは主翼に舵が付いていない、所謂ラダー機という物だが、加藤のグライダーはフルファンクションだった。主翼の舵を上手く使えば、スピードを出したり、揚力を増やしたりが自在に出来る。そんな能力を秘めた機体だった。欠点は名前が異化にも日本風の「エアー・フロー」という垢抜けないもので、博美のグライダーの「エルフ」にはとても太刀打ちできない。
加藤はグライダーを組み立て終わると、クラブ員の飛行機を順番に見て回る。まだエンジン機を買えない加藤はこうして色々な飛行機を見られるのも飛行場にやって来る楽しみの一つなのだ。
「(あれ、井上さんのテーブルだよな…… グライダーが置いてある……)」
加藤は井上のレガシィの後ろに置いてあるテーブルの上のグライダーを見つけた。
「へえー…… エルフだ……」
加藤は博美のグライダーを持ち上げてみる。
「(すご…… 軽い…… 力を入れたら折れるんじゃない?)」
つい「ぐるぐる」とまわした。
「ちょっと、勝手に触らないで!」
後ろから聞こえた博美の声に加藤はびっくりして振り返った。
「えっ…… これ君の?」
「そうよ。人の機体を勝手に触って、失礼じゃない」
トイレに行っている間に大事なグライダーを勝手に弄られて、博美は怒っていた。
「繊細な機体なんだから、ガサツな人は触らないで!」
「ガサツとはなんだよ!」
「俺もグライダーを飛ばすんだ。扱いぐらい分かってる」
女の子にいきなり怒られて、つい加藤が言い返した。
「そんな図体で、繊細なグライダーが飛ばせるの?」
「うるせー、グライダーは初期高度が決め手になるんだ。 お前みたいな貧弱な体じゃ大して上がらないだろ~な~」
体が小さいことを言われて博美の心に火がついた。
「それじゃ、勝負する?」
「いいとも、思い知らせてやるぜ」
井上が戻ってくると、二人が睨み合っている。
「博美ちゃん、どうしたんだい?」
「井上さん、この人、酷いんです。 僕のグライダーを勝手に振り回したり、僕が小さいから高く上がらないなんて言ったり……」
博美の言葉を加藤が遮って
「井上さん、この子誰です? 人のことをガサツだなんて言うんですよ」
「ちょっと待った…… なに喧嘩してるんだ。仲良く行こうぜ」
井上が慌てて二人を止め、それぞれを紹介する。
「この子は秋本博美ちゃん。新高校1年生だ」
「そしてこっちは加藤康煕君。同じく新高校1年生だよ」
「どうも、はじめまして……」
「いえ…… こちらこそ……」
とりあえず二人が挨拶を交わした。
「さっきは、どちらが飛ぶか勝負しようと言っていたんです」
博美が井上に打ち明けた。
「面白いじゃないか、やってみようぜ」
井上が乗ってきた。
「俺がジャッジしてやる。3分MAXの5セットマッチでいいだろ?」
3分MAXとは、3分以上は同タイムということで、5セットマッチとは、マッチプレーを5回することだ。相変わらず井上は勝手に決めてしまう。
井上がクラブ員たちに話をしてくれて、30分間飛行場を二人で使えることになった。
「それじゃ、今から5分後に競技スタートだ。 練習飛行をしろ」
井上が二人に告げると早速加藤がグライダーを持って滑走路に出て行った。送信機と受信機のスイッチを入れると、主翼端に付いている指掛けに人差し指と中指を引っ掛けて、グライダーをぶら下げる。風向きを確認すると、加藤は風上に向かって数メートル助走し、体を回転させた。所謂SAL(サイド・アーム・ランチ…… 横手投げ)だ。長い腕を生かした力強いフォームで投げ出されたグライダーは、一瞬の風切音を立てて、遥かな高空へと上っていく。まだ一投目なので、8割程度で投げたのだが、優に40メートルは上がった。頂点で滑空に入った機体はサーマル(熱上昇風)を探して飛んでいった。
そんな加藤とそのグライダーを横目で見ながら、博美はレジャーシートを広げて、その上でストレッチを始めた。3分ほど掛けて関節を伸ばすと、うっすらとかいた汗を拭きながら、送信機と受信機のスイッチを入れ、動作チェックをする。異常の無いことを確かめて、博美は滑走路上の加藤が邪魔にならない場所に立った。送信機をネックストラップに掛け、主翼端の指掛けに人差し指と中指を掛けて、「エルフ」をぶら下げた。顔を上げて、風向きを確かめ、サーマルを探す。ゆっくりと助走すると、軽やかに回り、「エルフ」を投げた。一投目なので、博美は5割の力で投げたのだが、「エルフ」は音も無く25メートルほど上がっていった。頂点で滑空に入ったと見るや、そこにサーマルが在る様で、ぐんぐん上がっていく。それを確かめた所で、博美はスパイラル降下で高度を下げ、手元に帰ってきた機体を簡単にキャッチした。すぐに2投目の動作に入る。今度は8割の力だ。「エルフ」は「ヒュッ」と僅かに風切音を立てて40メートル近くまで上がった。
「(この飛行場は、割と高度が上がりやすいや。 サーマルも分かりやすい)」
軽く飛行場の周りを飛ばすと「エルフ」を手元に返して、ハンドキャッチした。
「おっ! ハンドキャッチ出来るんだな?」
同じようにハンドキャッチしたグライダーを持った加藤が博美の様子を見て言った。
「ふん!」
博美はまだ怒っているようだ……
この飛行場は河川占有許可を取っているので、常設のトイレがあります。
博美にとって加藤は初対面の同年代の男の子なので、男言葉が出ないように言葉遣いに気をつけています。
ハンドランチグライダーを投げるのは全身運動なので、準備運動はするべきですね。




