修理完了
新学期が始まり一ヶ月半ほど過ぎた11月半ばの水曜日、文化祭も終わり学生たちは少し気の抜けたようになっていた。
「今日のお昼は肉団子だよねー」
博美が横を歩いている加藤に話しかける。4時限目が終わり、二人は並んで寮に戻るところだった。同じように寮に向かう学生が周りに大勢いるが、流石にもう二人の仲を気にする者はいなかった。
「おお、確かそうだったな。 しかしお前って食は細いくせにガッツリしたメシが好きだよな」
肉食系だな、と加藤が言う。
「あまり食べられないから栄養のある物を食べるんだよ。 っと、メールだ……」
博美はスカートのポケットから携帯電話を取り出した。
「新土居さんだ」
サブスクリーンの表示を見てから博美は携帯電話を開いた。
「なんて言ってきたんだ?」
歩みの遅くなった博美に付き合いながら加藤が訪ねた。
「やったよ!」
いきなり博美が加藤の背中を叩いた。
「痛ってーなー なにするんだ!」
さして痛い訳でもないが、加藤が大げさに喚く。
「修理終わったって。 「ミネルバⅡ」の。 やったやったー」
博美は加藤の腕につかまり「ぴょんぴょん」飛び跳ねていた。
午後一番の授業はドイツ語だった。チンプンカンプンの博美は何時もは仏頂面で板書きをノートに写しているだけなのだが……
「フロイライン 秋本。 何か? 私の説明が可笑しかったかな?」
今日は教師から見ても「にこにこ」と笑っているのだ。
「ナ、ナイン 違います。 昼休みにいい事があったので、つい……」
いきなり話しかけられて博美が飛び上がった。
「あ、別に立たなくてもいいです。 そうですか、昼食が美味しかったのかな?」
教師の言葉に教室じゅうが笑いに包まれた。博美の美味しい物好きはクラスメート全員の知るところだったのだ。
「ち、違うー 美味しかったけど……今のは違うんだからー」
博美は真っ赤になってかぶりを振った。
「ねえねえ、康煕くん。 土曜日にヤスオカに行くよ。 康煕くんも行く?」
ドイツ語の授業が終わり、休み時間になった所で博美が話しかけた。
「おいおい。 おまえ知らないんか?」
博美の言葉に加藤が呆れた。
「明日、中間試験発表だぜ。 この週末は試験勉強だろ」
「えっ! ウソー 僕、聞いてないよ」
博美の顔色が青くなった。
「おまえなー 年間予定表ぐらい見とけよ。 どうせラジコンの予定表しか見てないんだろ?」
「そ、そんなこと無いもん」
博美がソッポを向く。
「ねえ、ちょっと……ちょっとだけならヤスオカに行ってもいいかなぁ」
恐る恐る博美が加藤の方に顔を向けた。加藤は「にこやか」に睨んでいた。
「……ひっ!……ダ、ダメ?」
「ダメに決まってるだろうが。 博美、お前の成績って自分で分かってるだろ。 もう今日から勉強を始めるぞ」
加藤の声は地の底から湧き出るようだ。
「ラジコンは試験が終わるまで我慢しろ。 土日も家に帰るんじゃないぞ」
「わーーーーん……康煕くんが厳しいよう……」
博美は机に突っ伏してしまった。
新土居からメールを貰って2週間後の土曜日、ジャンバーを着込んだ博美はスクーターのアクセルを「うきうき」とひねっていた。後ろのキャリアーには「ミネルバⅡ」の送信機が入ったボックスが縛り付けてある。その中にはエンジンも入っていた。水没した「ミネルバⅡ」のエンジンは博美が自分でオーバーホールしたのだ。
「(……んふふ♪……待ち遠しかったー……ミネルバちゃん、綺麗になったかなー……)」
今週の頭まであった試験の事など、もうすっかり博美の頭からは消え去っていた。
ヤスオカ模型の駐車場に博美のスクーターが入ってきた。いつもの場所にスクーターを止めると、博美はスタンドを立てるのももどかしく通用口から飛び込んだ。
「おはようございます。 新土居さん出来たんですよね!……ぁあったーーー!」
商品の積まれたバックヤードの中に「ミネルバⅡ」が置かれている。博美は駆け寄ると膝をついてキャノピーに頬摺りした。
「ミネルバちゃん。 良かった……綺麗に治ったね」
機首からキャノピー、主翼の前縁を何度もなんども博美は撫でる。折れてひび割れだらけだった機首、砕けて原型をとどめてなかった主翼前縁、どちらもまるで新品のように滑らかで綺麗だった。
「ほんとだよなー まるで魔法のようだぜ」
「……え? こ、康煕君?」
直ぐ傍から聞こえる声に博美が顔を上げる。
「よお。 さっきから居たぜ。 おまえ全然気が付いてなかっただろ」
「ミネルバⅡ」を挟んで反対側に加藤がしゃがんでいた。
「え、えっとー ……ごめん。 ミネルバちゃんしか見えなかった」
博美は愛想笑いだ。
「どうだい、気に入らないところは有るかい?」
博美が落ち着いたところで新土居が話す。
「凄いです。 新土居さんって凄い。 流石はプロですねー ……うーん、裏側も綺麗!」
博美が加藤に手伝ってもらい「ミネルバⅡ」を裏返し整備スタンドに乗せた。
「それじゃ、修理の説明をしようかな」
折畳み椅子を博美と加藤に勧めると、新土居も座った。
「主翼から言うと、砕けてた主翼の前縁は切り取って、3週間ほど乾燥させた。 内部も出来るだけ乾燥させたかったからね。 それから設計図を元に小骨を作り無事だった部分に接着。 前縁材を付けてプランク。 これらは全てジグの上での作業だね。 その後グラスファイバーを貼り付けて補強したんだ」
これだよ、と新土居がグラスクロス(ガラス繊維で出来た布)の切れ端を博美に渡した。
「残った部分もV字形に削って内部からしっかり貼り付けておいたから、強度は問題ないと思う。 主桁が無事だったのが不幸中の幸いだった。 それが折れてたら主翼全体を作り直す事になっただろうね」
「(……運が良かったんだー) でも何処からが作り直した部分か全然分からないですね」
博美が屈んで主翼を撫でた。
「ま、そこがプロの技さ。 結局は磨くことと既存の部分との色合わせだね」
「磨くことですかー」
顔をくっつける様にして博美が主翼を調べる。
「全然わかんないや」
「そう簡単には分からないよ。 んで、胴体だけど……アンダーカバーは作り直した。 少しでも軽くしたかったからね。 折れた機首、こちらも主翼と同じくらいの期間乾燥させて、後はジグソーパズルみたいに破片を組み合わせて、仮接着状態でジグに乗せて修正して本接着。 さっきのグラスファイバーの厚み分周りを削ってから機首全体をグラスファイバーで巻いた。 ま、こんなところかな」
「ふえー 話を聞くだけでも大変そうですねー」
博美は椅子に座り直した。
「まあね。 形を整えるのはそんなに時間は掛からないんだ。 一番大変なのは塗装だね。 特に既存部分との色合わせ。 これが難しいんだよ」
「あ、そうだ……安岡さんがちらっと言ってましたけど……重くなるだろうって。 重さはどうなったんでしょう?」
「ああ、残念ながら重くなったね」
新土居が済まなそうに答える。
「100グラムくらいかな? さっきも言ったようにアンダーカバーで20グラムくらいは回収したんだけどねー それでも制限重量内には入ってるから競技に使うには問題ないよ。 性能は博美ちゃんが飛ばして確かめて」
「新土居さん、ここの名前って……博美になってましたっけ?」
加藤がキャノピーの下側を指差した。そこにはパイロットの名前が書かれているのだが「M.Akimoto」の下側に「H.Akimoto」と書かれている。
「ああそれね。 ついでに書いといた。 それに登録ナンバーを博美ちゃんの物に書き直しといたから」
簡単な事さ、と新土居が言う。主翼には大きく、胴体にもそれなりの大きさで書かれている登録ナンバーは個人を識別するもので、日本選手権に出場するには必須だ。
「え、気が付かなかったー えーっと……うん、僕のナンバーだ」
言われて博美がナンバーを確かめた。
「新土居さん……修理代って……設計図で賄えました? 随分掛かったんじゃないです?」
さっきから聞いていると、とても修理代が設計図で足りるとは博美には思えない。
「大丈夫。 「ミネルバ」がね、もう3機売れたんだ。 既に2機は出荷したし、来週にはもう1機出荷できる。 もう元が取れてるよ」
まだまだ売れるよ、と新土居が言った。
「うん、これなら大丈夫だろう」
森山が博美の持って来たエンジンのバルブカバーを外して調べている。
「カムはズレてないし、タペットとバルブの隙間も適切だな」
うんうん、と頷きながら森山はカバーを付けた。
「使えますよね?」
森山の手元を見ながら博美が尋ねた。
「ああ。 十分使えるよ。 ひょっとして以前よりパワーがあるかもしれないぜ」
ほら、と森山が素手でクランクシャフトを回してみせる。しかし圧縮の掛かる所からは森山の力でも回せなかった。
「圧縮も十分だし、キャブの口径も標準に戻ってる」
このエンジンはキャブの口径を小さくして安定性を高めてあったのだが、オーバーホールのついでにそれを市販状態に戻してみたのだ。
「これなら100グラム程度重くなったなんて関係なく上昇させられるぜ」
さあ付けよう、と森山が工具を取り出した。
「博美ちゃん、キャノピーの中を見たかい?」
「……あ、女性のパイロット人形が乗ってるー 新土居さんが乗せたんですか?」
「やっぱり博美ちゃんに合わせて女性が乗ってるほうがいいよね。 だから苦労して乗せたんだよ」
「苦労?」
「そうだよー。 市販されてる女性の人形は胸が大きいんだ」
「……そうなんですか……」
「でも博美ちゃんは目立たないだろ。 だからこれって男性のパイロットを改造したんだよ」
「……僕の胸って、男性並み?……」
「見た感じ、博美ちゃんにちょうど良い具合じゃないか」
「……し、し、新土居さんの……バ・カーーーー」
ぱーーーーーーーん
「いたたた…… 森山、もうちょっと優しくシップを貼ってくれ」
「新土居さん、何時になったら胸の話が鬼門だって分かるんだ?……」
「…………」




